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2009/03/14

黄色いチューリップ(断片)

 英語でチューリップの黄色と言ってみる。
 黄色いもチューリップも同じようなイントネーション。意味や語彙の性格などを抜きにして、発音の強弱だけに注目したら、似たもの同士。二つの言葉に何か対称性のようなものを感じる。
 そんなことを誰かが言っていた。

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 黄色いチューリップは愛の証、だけど望みなき愛の象徴。
 チューリップは穢れなき神の花。

 頭がクラクラする。
 気絶しそう。眩暈する予感。
 疲れすぎていて世の中が黄色い。

 そんな時、口を突いて出たのが、チューリップだった。
 分かりやすくていい花だ。

 そして思い出したのが、黄色いチューリップという言葉。

 左右対称に見えるし、造花のように綺麗だ。
 黄色いチューリップという言葉と、絵のように素敵な風景という表現と何処か、相関しているように思える。
 今はただ、単純なものがいい。
 素朴で迷いがなくて、頭を悩ますことのないもの。
 雄しべも雌しべもターバンにも似た花弁の中。

 全くの黄色の世界。
 真っ黄色と書こうとすると、勝手に末期色に変換されてしまう。
 まるであてつけのようだ。
 
 黄色な世界に荒野が広がっている。
 草も木も生えていない、更地。
 左右から迫ってくる緩やかな傾斜。
 その間の丸っこい一角。
 やがては左右の傾斜に挟まれ消滅する定めにあるに違いない。
 
 気がつくと、首根っこが捉えられている。
 誰かに押さえつけられているのだろうか。
 生まれいずる悩み。
 まだ形に成っていないのに、皮膚さえ縫合されていないのに、半端な形で日の光など浴びるのは可哀想なのに、引きずり出される。

 そこはまるでお白洲だ。
 純粋無垢な罪を裁くための。
 せいぜい母胎との絆を示す血糊が一筋、二筋。
 
 誰もが顔を見ようと覗き込む。
 赤子の顔を見て、おめでとうとか、可愛いとか声を掛けようとしていたのだが、誰もが絶句する。息を呑む。微笑みかけた顔が強張る。
 引き攣った顔でおめでとう、可愛いね、という。

 赤子は泣き叫ぶ。
 生まれたくはなかったと悲鳴を上げている。
 泣きじゃくるだけだ。何も聞こえないし、何も見えない。
 世界は無だ。

 そして、赤子の産声は呪詛のようである。

 心の中まで、そしてその子の未来までが丸裸にされて、誰も彼もに見下されている。

 真っ赤な亀裂の襞から掻き出され日の目を見る。
 真っ赤な闇から真っ黒な闇へ。
 水に流されるべきだったのだ。
 世界はあまりに明るすぎる。
 これじゃ、隠しようがないじゃないか。

 臆病者!
 
 怯えていないで、こっちへおいで。
 こっちの水は甘いよ。
 
 そんな誘いに乗った愚かな蛍のような花。

 広い世界に迷子。
 季節はずれの花。
 黄色い光を放つ蛍の花。

 そんな黄色いチューリップの独り言。


参考:
時代に流されながら よろしくね”黄色のチューリップ”

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→ バリー・メイザー著『黄色いチューリップの数式』(水谷淳訳 アーティストハウス)
 

見よ、灰色の空に咲く
黄色いチューリップを。
その鮮やかさはあまりに早く消え去り、
私はその詩を書くのを
あきらめねばならない。

(バリー・メイザー著『黄色いチューリップの数式』(水谷淳訳 アーティストハウス)所収のチェイス・トゥイチェル『チューリップ』より)


                              (09/03/13 作)

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