幽霊考…幽霊は素っ裸たるべし!
幽霊考である。題名はイカ飯い、じゃない、厳めしいが、内容が薄いのをカバーするには題名を重々しくするのが何より。 決して、ヨーデルの曲の歌詞を聞き間違えて、ユーレイホーと思い込み、つい漢字変換してみたら、幽霊考になったというオチで拙稿を終えようというつもりはない。
念のため、当該のヨーデルの曲は、下記である:
サロニー作曲「山の人気者」
→ 鰭崎英朋 『蚊帳の前の幽霊』(明治39年 絹本着色) (画像は、「「夢幻の美“鏡花本の世界”~泉鏡花と三人の画家」:カイエ」より。「鰭崎英朋…今こそ大正ロマン!」参照)
歌詞の中に、ユーレイという言葉が頻発する。聴く人が聞けば、幽霊の歌と誤解するかもしれない。お母さんが台所で気分良く、この歌を歌うと、幼い子どもが、幽霊の歌だとばかりに怖がるかもしれない。しかし、曲調はひたすら軽快で楽しいのだが。
また、ギリシャ哲学や科学を中途半端に齧った人は、歌詞の中のユーレイティを耳にして、ふと、アルキメデスのユーレカのエピソードを連想するかもしれない(ちょっと無理があるかもしれないが)。
そう、アルキメデスがお風呂に入った時、風呂の水が溢れることから、アルキメデスの原理を発見したという有名な逸話である:
「★雑木話★#072 氷山とアルキメデス」
あるいは幽霊好きな市役所の人なら、幽霊課があったら、真っ先に手を上げて担当部署に移動するのに、と思うかもしれない。
さて、気を取り直して、幽霊に付いて、当り障りのない考察を試みよう。
小生、怖がりなので、幽霊の気の障るような考察はしないつもりである。幽霊さんに気が付かれないよう、こっそりと、そして不意に幽霊さんが現れて絡まれないよう、辺りの気配を十分に探りつつ、あれこれ意味のない探求を試みたい。
幽霊について先ず思うことは、幽霊には足のないこと。
幽霊は、江戸時代の怪談ものだと、柳の枝の垂れる薄暗いお堀端で不意に現れる。牡丹燈篭は別として、そうした状況で現れる幽霊さんというのは、決まって足がない。というか、下のほうが曖昧模糊としている。
よく、幽霊には、足がないって言うけど、その足って、何処までがないんだろう。
洒落た和服姿の若い女の幽霊さんが、しゃなりしゃなり…じゃなく、ススーと現れる。
美人である。間違っても平安朝の丸顔美人ではない。やややつれたような恨めしげな表情を痩せぎすな顔と体に漂わせている。間違っても、ハーイなんて、陽気には現れてくれないし、挨拶もしてくれない。巨乳の幽霊なんて聞いたことがない(観たことは尚更ない)!
その幽霊。
和服を脱いだら、あたい、もっと凄いんですって、思い切り良く脱いでいただいて、スッポンポンになって頂いて、腿の辺りから先がないのか、腰の辺りから先がないのか、確かめてみたいものだ。
考えてみれば、そもそも、幽霊って文字通り、霊なんだから、服を着ているのが、本来、おかしいのだ。人間が霊になりえるのだとしても、着衣は浄土へも冥界へも行けないはずじゃないのか。
誰かが霊的存在になったら、着衣も装身具も遺品の類いはみんな一緒にあの世か何処の世か知らないけど、何処かしらの世界に移っていくというのだろうか。言うまでもなく、おかしい!
遺品は遺品として、遺族等には思い入れの対象になりえるというのは分かるけれど、あの世へ一緒に行くというのはありえないのではないか。
そう、人がこの世に恨みを残してあの世へ移れずに、幽冥の境を彷徨っているのだとしたら、それは霊魂についてはそうであって、着衣にまでこの世に恨みや未練や復讐の念があるわけじゃなかろう。魂が宿っていた肉体でさえ、この世に見捨てられ朽ち果てるか、腐るか、焼き消されるに任せているというのに。
だから、小生、幽霊は、断固、素っ裸のスッピンで現れるべきだと信じる。
万が一、着衣の幽霊だったら、お前、おかしいんじゃないか、脱げよ、化粧、落とせよ、そうじゃないと幽霊と認めてやらないぞと脅してやればいいのだ。
もしかしたら、そのスッピンの顔が怖いのかもね。
だって、化粧品や装身具がこの世に残ったままなら、当然、化粧もこの世に取り残されるはずだ。居場所を失ってウロウロするのは魂だけ。当然ながら、着衣はなく、化粧もないスッピンというのが理屈なのだし。もしかしたら、素顔を見たなー、裏飯屋…じゃない、うらめしやーと出現する?
ということで、幽霊がうら若き美人であり、この世を立ち去り難く、魂として漂っているというのなら、それはそれで結構だから、素っ裸での登場を期待したいものである。
なんといっても、これからの季節、暑くなる。裸だって、寒くはないはずだし。
昔、幽霊が何故、夏場に現れるのか不思議だった。
芝居の都合上、夏枯れを防ぐため、また、冷房のない昔のこと、暑い最中に来てくれたお客さんに怖い話で少しでも涼んでもらいたい一心だったのだろうと思っていた。
しかし、そうじゃないのだ!
幽霊は真っ裸なのだ。だから、夏場にしか現れようがなかったのだ!
(旧稿を若干、お色直し)
参照:
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
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コメント
星田直彦ともうします。
私のメールマガジン、
社会人の知恵袋――★雑木話★
をご紹介いただき、ありがとうございました。
調べ物をしていたら、たどりつきました。
これからもよろしくおねがいします。
投稿: 星田直彦 | 2009/08/17 20:32
星田直彦さん
これ、ですね。
「★雑木話★#072 氷山とアルキメデス」
http://homepage1.nifty.com/tadahiko/ZOKI/ZOKI-072.HTML
参考にさせていただきながら、挨拶もせず、申訳ございません。
これからも、教えていただくことがあると思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
投稿: やいっち | 2009/09/06 10:00