断片2
世界は揺れ動いている。
世界中が連動している。
世界が一つのコップの中にあると思えてならぬ。
広い世界のどこかの出来事は対岸の火事と座視していればよかったのが、今じゃ、どんな遠くの国の出来事も波の大小はあっても、必ず何らかの波動がやってくる。
何処かの山奥の小さな湖に小石を投げ入れる。
ポチャンと音がする。小さな波紋が生じ、やがて幾つもの丸い波紋が連なり、それが大きな輪へと広がっていくうちに波の山も谷も湖の緩やかに湾曲する面に吸収され消えていく。
かつてはそうだった。けれど、今は、波の動きは誰かが見ており、誰かを直撃し、誰かを慄(おのの)かせ、その慄きは携帯の電波に乗って遥か彼方の誰かに伝わり、尾ひれが付き、事件となってしまう。
世界の中にあって一人の人間の動きなど、大海の一滴ほどの影響力を持つはずもない。
けれど、一人の人間の思いや決意がソリトン波のような、ある種の物理的実体と化して、世界の地平面を駆け巡り続ける。
その波動体は生まれたら消えない。形を変えることはあっても、形が巨大な平面に吸収されようとも、決して消えない。
一旦、この世に生まれたものは消えない。
闇の中の囁きであっても、それは天の風をかすかに揺るがし、風の流れを変え、崖っぷちにあってどっちつかずだった岩に最後の一押しを与え、岩はやがて崖を転がり落ち、崖下の川を堰き止め、あるいは波立たせ、世界を飲み込もうといきり立たせる。
ここにいる一人の人間の声など誰にも聞こえない。
虚空に呑み込まれていくだけなのだ。
けれど、森のフクロウが聞いている。森の木立の陰に潜むタカが聞いている。枝葉が聞いている。地の下に犇(ひしめ)く微生物が聞いている。地中に蠢(うごめ)くミミズが聞いている。耳を欹(そばだ)てつつ眠っているウサギが聞き逃したりはしない。
深い森の奥で道に迷った奴の末期の呻きを森は忘れない。森を吹き抜ける風も、堆積している木の葉も、血の匂いに餓えるヒルも、得体の知れない鳴き声を怖れ震え悲しみ、一緒に歎く。
自分自身さえ、末期に吐き出す息の敢え無き音を聴くことはなくとも、それは響きとなり唸りとなって世界という森を席捲する。
窓の外は真っ暗闇だ。
一寸先さえ見通すことは出来ない。
誰一人、助けに来るものはいない。
もう、見棄てられたのだ。
心を分かち合うなど夢の夢と成り果てたのである。
吐くほどの孤独が肉体を滅ぼす。数十兆もの細胞が渇き干乾びる。血の涙さえ塵と埃に混じり、風に吹かれて霧消する。
身心が流砂となって形を失っていく。
魂さえ、霧消する。蕩けてしまう。萎れてしまう。体を見棄ててしまう。主を捨て去って彼方の蜃気楼を追う。
目は何も見ていない。
何も見えない。光景はあっても、目覚めと共に崩れ粉砕される夢よりも始末に負えぬ。眼前に蠢く全てはある種のシグナルであり、恐らくは中味を抜かれた仏だ。
だけど…。
(09/03/03未明作)
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