お地蔵さんは黙っている
罅割れたコンクリートの道。砂利の道。砂利が跳ね飛ばされて土が半ば剥き出しになった道。
アスファルトが剥がれて、ほんの数十年の昔の田圃の畦らしき溝が見える。
あの電信柱の脇の近く、当時は畦道だった辺りに首のない地蔵さんが転がっていたという。
山間の何処かの村から流れ着いたのだろうか。
晒し者の首なし地蔵。
それを見かねた誰かが拾って立てて、そこに地蔵さんの首の代わりだと、河原から拾ってきた丸っこい石を乗っけたとか、そんな話をしていた。
けれど、何度乗せても、首は落っこちる。
きっと本当の頭じゃないとダメなのだろうと、今は転がっていた当時のままに安置されている。
もしかして、首なし地蔵さんがあったのはあの辺りなのかもしれない。
忘れちゃいけないと、地の中から頭を掻き削るような犠牲を払ってまでして、やっとアスファルトの覆いを抉(えぐ)ることに成功したのかもしれない。
雨ざらしのままじゃ、罰当たり?
その地蔵さんは、町の地蔵堂に収めてある。
そこはその昔、ススキなどが透き間に繁るだけの、石ころだらけの、誰もが見向きもしない土地だった。
そこへ先祖がやってきた。
お前の土地だ。好きにしていい…。
追い払われてやってきただなんて、言えるはずもなかった。
言ったところでどうなるものでもない。
ここが己の土地だというのなら、この土地で生きるまでだ。
そのように思ったかどうかも分からない。
暴れ川が大雨で氾濫するごとに、上流からの石ころや土壌が堆積する。
やがて、大きな工事がされて、川の流れが変わるほどの氾濫が発生し、濁流に呑まれる一角ではなくなった。
もう心配はない。
耕せばいい。
耕す?
その前に、石ころを一つ一つ、拾わないといけない。
石ころの中には、そう、お地蔵さんの成れの果ても含まれている。
古から数知れない人たちが世に見棄てられ、この地にやってきた。
しがみついた。
やたらと広い荒れ野にネコの額ほどの畑をやっと作り出しては、何年もしないうちに沼地に化し、荒れ果てていった。
掘っ立て小屋のような民家も、跡形なく消え去ってしまった。
その度に、生き残った誰かが小屋のあった辺りにお地蔵さんやら観音様やらを安置する。
時を経ると、人々はまた整地したはずの土地の上に散らばった一つ一つの石を拾っては、家の土台にしたり、庭石にしたり、漬物石や庭砂利の代わりにした。
もう一度、初めからやり直す。
悲しんでいる余裕などない。
ここしかない。
ここでやるしかない。
誰も代わりになるものなどいない。
幾代もそんな歴史を積み重ねてきた。
江戸の世からどれほどの観音様が作られてきたことか。
一つ一つが悲劇の象徴。
一つ一つが祈りの墓標。
一つ一つがあの世からの化身。
一つ一つが一家の、一つの村の忘れ形見。
やがてついには耕す途中に掘り起こされた観音様だけで三十三体も揃ってしまった。
観音様がこの世に顕現したのだった。
衆生を救うためでもなく、衆生が救いを求めているわけでもない。
ただ、そこに安置されている。
ただ、人が生まれ死んでいくように。
石を削って、それらしく作った粗末な地蔵さんだったのかもしれない。
あるいは精魂篭めて刻まれ形作られた綺麗なお地蔵さんだったのかもしれない。
でも、今はどの観音様も同じような穏やかな表情を湛えているだけだ。
柔和な表情…?
違う! お地蔵さんたちも、幾度となく濁流に呑まれ川床を転がり、岩に削られ、傷だらけになった。
その傷さえも、歳月が、風雨が、日光が、雪が、人の足が踏み躙り、角が削られ、歯のない口のように丸まってしまったのだ。
泣くことも笑うこともない。ただ、柔和そうに穏やかに虚空を眺めている。
悲しみだって月日が、雨垂れが穿ってしまった。
悲しみの涙も雨に混じって、情の名残りも掻き消されていった。
お地蔵さんは黙っている。
そう、ただ見つめている。
慰めの言葉も忘れ去って。
愚痴の言葉も忘れ去って。
恨みの一つも言うことなく。
喜びを見守るでもなく。
ただ黙々と黙っている。
口を利くだなんてだなんて誰も夢にも思わない。
お地蔵さんは黙っている。
だからこそ、お地蔵さんに挨拶する。
だからこそ、お地蔵さんの頭を撫ぜる。
だからこそ、お地蔵さんの前を行き過ぎる。
だからこそ、お地蔵さんの前で泣く。
それでもお地蔵さんは黙っている。
返す言葉はない。
返して欲しい言葉は、そう、自分の中にあるのだよと言っている…ように思えてくる。
どこから来たのか分からないように、どこへ行くのかも分からない。
ただ白き闇の道があるだけ。
だから、いまも、一つの影が、お地蔵さんたちを見向きもせず、誰に見守られることもなく、通り過ぎていくのだ。
本稿で使用の画像の出典は、下記:
「お地蔵さん……ん?(前篇)」
「お地蔵さん……ん?(後篇)」
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