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2009/02/17

蛇の森(断片)

 俺は何者かに追われていた。
 何処へ行っても奴は現れるのだった。
 こんな旅などするんじゃなかったと後悔しても遅い。

 山間(やまあい)の寂れた宿に泊まって、深い地の底から湧き出した湯に身を沈めよう、ゆっくりと溜まった垢を流そう、そんな俺に似合わぬ思い付きなど、いつものように嘲笑っていればよかったのに、つい、何故か、妙に里心というのか、この辺で後ろを振り返ってみるのもいいかと思ってしまったのだ。
 それが間違いだった。

 人気のない改札口を出た。駅員さえもいない、土台からして朽ち果てかけている殺風景な駅舎だった。
 板塀に上塗りされた白いペンキが剥げかけている。駅舎を出ても看板一つ立っていないのだった。

 何か背筋がゾクッとするような妖しい感覚が過ぎった。

 標高が千メートルを超えているせいだと、気にはしなかったのだが、もしかしたら俺の体はもう、何事かを、奴の到来を予感していたのかもしれない。
 背後からレールの軋む音が聞こえてきた。たった一人の乗客を降ろした電車が折り返し、去って行ったのだ。俺は見捨てられたような気がした。
 駅の周辺は酷いほどに静かだった。
 思わず、電車に向って俺を置いてけ堀にしないでくれ! そう叫びそうになった。

 いや、でも、俺は日頃、町外れとはいえ、ビルの一角で事務仕事をやっている。書類の山に埋まるようにして働いている。上司や部下はいるのに、何故か俺だけが電話に出る。大抵は通信販売で売った商品についての苦情だ。俺が悪いわけじゃない。碌でもない物を売る会社が悪いんだ。それとも、パンフレットや広告を見たら、ひと目で胡散臭い商品だと気付かない客が悪いんだ。俺は、ただ事務仕事をこなしているだけなのだ。そもそも何を売っているか自体に俺は関心を持ったことがない。何を売ろうと同じじゃないか。どんな商品だって完璧なものがこの世にあるはずがない。結局のところ、買ったものに不満を覚えるのは必定なのだ。
 何かを買う、買って使うか食べるか飲むか飾るか誰かに遣るかする。そして月日の経つうちに錆びれたり、不具合があったり、もっと新しいものに目移りする。そんなこんなを繰り返すうちに人生は過ぎ去っていくのだ。それでいいじゃないか。何が問題なのだ。何かを買うとは、己の時間を蕩尽すること以外に、どんな意味があると言うのだ。
 でも、俺は客の苦情を承る。長々と話を聞く。先方が受話器をガチャンとやる頃になって、やっと客が何を買ったか、何に不満なのかに思い至る。なんだ、そうだったのか、それだったら最初からそう言ってくれればいいのに、と思う。 その繰り返しである。
 だからこそ、俺は電話もありそうに思えないような、人外境に憧れて、やってきたのだ。携帯電話も置いてきた。俺がここにいることは誰一人知らない。

 尤も、俺が何処に住んでいるかを知っているのは町にある時にしても、会社にある住所録だけで、この世に俺の住処を知る奴など、一人もいないのだけど。
 ロータリーもない小さな駅舎の前に立ち、途方に暮れた。一体、どっちへ向かえばいいのか。売店もなければ案内板もない。それどころか、生活の臭いが欠片もしないのである。
 人気がないだけではなく、犬も猫もカラスもハトも、地面を眺めてもアリ一匹さえ見当たらない。そうだ、生活臭どころじゃない、生命の存在を伺わせるものは何もないのだった。

 不意に何か背後に冷たい影を感じて振り返った。
 すると、すぐそこに蛇がいたのだ。いや、蛇が大口を開けていた。駅舎が蛇の頭に成り変っていたのだ。
 駅の窓は大蛇の目だった。とっくに遠くに去ったはずの電車が大蛇の長い長い胴体だった。乗った時から、奇妙な絵柄の電車だと思ってはいたが、まさか大蛇の胴体だったとは、思いも寄らないことではないか。
 改札が真っ赤な口だった。大きく口を開けて、一旦は吐き出したはずの俺をもう一度、呑み込もうとする寸前だったのだ。
 逃げなければ!

 けれど、目の前には鬱蒼と生い茂る森があった。駅舎を呑み込みそうなほどに深い森なのだ。じっと立っていると、本当に次第に森がジリジリと迫ってくるような気さえした。俺を駅舎もろ共に飲み干しそうな予感さえ漂った。
 俺はもう二進も三進も行かなくなった。

 そのうち、俺は森の一角が僅かに開いていることに気付いた。もう、その空間に飛び込むしかなかった。罠かもしれない…。一瞬、そんな疑念が脳裏を過(よ)ぎったけれど、大蛇の冷気漂う存在感に圧倒されて、森へ向うしかなかった。
 分厚い草木の重なりは、動きの緩慢な、しかし断固その意志を変えることのない津波のようになっていた。森が俺に圧し掛かってくるのだ。それでも、俺は蛇身から逃げるように、まるで命からがらといった風情で、森の裂け目に、飛び込んでいった。
 まるでモーゼが分けた森の中の道のようだった。それが蛇のチロチロする舌を毛嫌いする森の蠢きに過ぎないのに。

 俺は森を何処までも駆けた。森の中に俺の背後から射し込む、何処か生臭いような赤い光が道なき道を照らし出していた。生温かな小道は際限もなく森の奥へと続いていると思えた。

 どれくらい駆けただろうか。息も切れていた。さすがにもういいだろうと後ろを振り返った。が、すぐに後悔した。俺が駆け抜けてきたはずの道は森の深い闇に呑み込まれて、そこには何もないのだった。打ち上げられた波が、砂の浜に染み込んでいくように、道は通り過ぎた先から闇に沈み込んでいくのだった。

               (08/06/23 冒頭部分を書いただけで頓挫)

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