初夢
何か分からないものが目の前にある。それとも真後ろにある。すぐそこにあることは分かっている。なのにそれが何かが分からない。
いやそうじゃなくて、あるものは何かが分かっているけれど、それが一体何処にあるかが分からないのだろうか。靄が懸かっている。そう靄なのかもしれない。ただ、その靄がこの世界一帯に漂っているのか、それともオレの脳裏に巣食っているのかが確然としないだけなのかもしれない。
網が見える。透明な紫の地色の水晶体を縦横に真っ赤な血の網が駆け巡っている。管は方々で瘤になったり、壁が痩せ細っていたり、中には裂けてしまって、水晶の湖に赤紫のゼリーが溶け出してしまっている処もある。
脳髄の血管がぶちきれてしまったのだろうか。それとも神経という名の蜘蛛の糸が絡まり縺れ合っているのだろうか。吐き気がする。戻したい。でも、戻すものが何もない。胃の腑がパサパサに乾涸びている。徒にヒクヒク痙攣するばかりで、その哀れな様を見ることが叶うなら、滑稽極まりないことだろう。
天蓋の一角から何かが降りてくる。それとも漲っていた気が萎えて、だらしくなく垂れ下がってきたのだろうか。いや、もしかしたら今度は天と地の間の狭苦しい時空を世界だとオレに思わせる愚かしさに耐え切れなくなって、今度は空っぽな時空こそが無意味な膨張をし始めて、宇宙の圏外へと際限もなく伸び広がっていくのだろうか。
そうだ、今は、逆転の時なのだ。天蓋の外のカオスが極小の一点へと萎れ込み、その存在不能な一点をこの世に変幻を繰り返した影の連なりが包み込もうというのだろう。
体が裏返っていく。全てが曝け出されていく。隠していた、忘れていた、誤魔化していた、消し去っていた、曖昧の海に溶かし込んでいた、その全てがデジタルの座標空間に点描されていく。感情の一切がロジックの転換を受け、数値化され、限局され巻き込まれ畳み込まれた次元へと還元される。
オレは何処にも居場所を与えられない。この世もあの世も全て貸し切りになっている。空っぽの時空で眩く白けた光線に射抜かれながら、永遠に焦がれ続けるしかなくなってしまう。
追いかけるしかないのだ。姿なき闇の中の黒い影を追い求めるしかないのだ。あの影は形見なのだ。あの人の片身なのだ。生まれいずる不毛なのだ。岩に押しひしげた草なのだ。穢れた夢なのだ。爛れた顔なのだ。腐った裸身なのだ。
ポッカリと開いた口からどす黒い膿が吐き出していた。タールより粘る膿が肺に塗りたくられていたのだ。見開きすぎて、血走っていたはずの眼球が白目になっている。その真っ白な目玉が原油の海を漂っている。浮いている。沈むことは叶わない。
オレは見ることにばかり夢中になりすぎたのだろうか。聞き嗅ぎ触れ味わうことを下種なことだと思ってきたとでもいうのだるうか。
見ると湯気の立つアスファルトの道の彼方にコロコロ転がっているものがある。オレの目玉だ。それともオレから飛び出してしまった心なのかもしれない。
拾わないといけない。
拾って、もう一度、空っぽの胸に嵌め込まなければならない。嵌め込むだけじゃない、粘土を使ってオレの身体の形を整え直さないといけない。そう、所定の位置も形も分からなくなっている。
でも、その前に目ン玉だ。
オレは懸命にピンポン玉のような目玉を追い駆けた。けれど、足が真っ黒な水飴の池に取られて、目玉は見る見るうちに遠ざかっていくのだった。遠ざかっていくだけじゃなく、幾筋もの轍の、その不思議な谷間に落ち込んでいくようにも見えた。それとも、溝にでも嵌まり込んでいく…??
オレは勿体なくてならないのだった。意味もないのに、どうしてあんなふるまいをしなくちゃいけない?! みんな無駄だと分かっているはずなのに。でも、人のことはいい。どうしてオレまで人様の真似をしなくちゃいけない?!
そう思い始めると、矢も盾もたまらなくなった。投じたコインが惜しくてならないのだった。取り戻すんだ!! そう、オレの分を取り返すだけなのだ!!
オレはそう自分に言い聞かせて、箱の中に手を突っ込んだ。
叶わないと分かっている、そうさ、分かっているさ、でも、こうするより他にどうすればいい? 仕方ないだろう?
そう呟いた瞬間、オレは夢から覚めた。賽銭箱だと思った箱は、ビリビリに破れた障子戸なのだった。
ああ、それほどにオレは投じたお賽銭が勿体なかったのだろうか。
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