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2009/01/03

雪の轍(わだち)

 大晦日の街道を一台の自転車が走っていく。
 国家の一大事じゃあるまいに、あの慌しさはどうだ。

 雨のせい? 雨が雪に変わりそうだから?
 ほらほら、雨が霙(みぞれ)に変わってしまった。

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 霙?と思う間もなく、あっという間に霙が霰(あられ)に変わった。

 急激に寒気が下界を埋め尽くそうとしている。
 シベリアの冷たい怒りが鬱憤晴らしに僻遠の島までもを飲み干さんとしている。

 ジャケットを帽子を手袋をズボンを自転車のハンドルを小さな雪の礫(つぶて)がぶつかる。
 風のせいで傘など役に立たない。

 ジャケットはもう濡れない。濡らす暇(いとま)もなく霰はジャケットにぶつかっては弾け飛び、地上の仲間達に混じろうとする。
 濡れて真っ黒だった路面が、白い粒々に満ちていく。
 午後の三時だというのに、宵闇が迫っているかのようだ。
 町を囲繞するかのような山々も垂れ込める低い雲に姿を没している。
 もう、お前を見守るものは誰も居ない。
 お前は一人だ。
 あれほど望んだ一人ぼっちだ。
 
 このまま何処までも走っていけば、いずれ雪に埋もれてこの世から消え去って、真っ白な世界で一人きりをさえ楽しめなくなる。
 それでもいいのか?

 シャーベットを跳ね散らして、人まで蹴散らして、お前を追い越し、お前を威圧し、真っ黒な街道を車どもが駆け抜けていく。
 彼方に黒い点が。
 次第に黒い塊が形を成してくる。
 傘を差して自転車を駆る男だ。
 奴はまるでお前を鏡に映したような、お前を晒し者にするかのような恰好で、これ見よがしに駆けてくる。
 ああ、このままじゃ、お前達は擦れ違うに違いない。

 こんな狭い歩道の上じゃ、衝突を避けるためには、互いに相手を意識しないといけない。
 せっかく甘い孤独を味わえたはずが、世界には一人きりじゃないことを思い知らされる。
 こんなはずじゃなかったのに。

 真っ白な風神が廃業したパチンコ屋とガソリンスタンドの壁との透き間から出現し、傘を玩び、お前をよろけさせ、やがて車どもに体当たりした挙句、車の洪水にもみくちゃにされる。
 現代は風神だって車のワイパーにさえ、敵わない。怨念は排気ガスと共に撒き散らされ、霧消してしまう。

 だけど、歩道を突っ走るお前は、そうはいかない。
 せめてもの餌食とばかり、傘を翻弄し、傘を持つ手を震わし、いつの間にか姿を変えた雪に頬を嬲られる。

 それでも、お前は未だ走ろうというのか。
 何のために。
 誰かお前を待つ人が居るとでも。
 居る筈のないことは、風神もあの生垣も知っているぞ!

 いつしか、路上の轍が雪に埋もれていく。
 人の生きた証がまた一つ、潰え去っていく。
 語りえない思いと知りえない夢とが曇天に紛れていく。
 
 ……もう、跡形もない。
 路上を行き交う車どもは、もう、過去を知らない。
 過去があったことさえ気付いていない。
 お前が万感を胸に走り抜けたことなど、夢より儚い、雪より淡い。

 すると、間もなくして、また一台の自転車がやってきた。
 性懲りもなく、薄っすらと雪化粧の施された歩道を怖々とやってくる。
 せめてもう一度、徒労だろうと、雪の道に轍(わだち)を印そうというのだろうか。
 お前がそんなに執念深いとは、地の神さえ意外に思っているに違いない。
 
 でも、見ろよ!
 振り返って見ろよ!
 お前の来た道は、待ってましたとばかりに雪に掻き消されていくじゃないか。
 それなのに、どうして無為な営みにこだわるのだ。
 白銀の世界は、お前を呑み込むことを愉しんでいるに違いないじゃないか。
 
 ああ、でも、そういえば、お前が何処に行って来たかなんて、誰も知らないだな。
 どんな世界を見てきたのか、雪の野郎なんかに分かってたまるかって思っている?
 一つの平凡で小さな、静か過ぎる世界、けれどその小さな空間から宇宙が見えてくる…。

 そんなことでも言いたいのか…。
 
 そうかもしれない。
 吹き過ぎていった風の行方など誰にも分からないように、お前の熱い思いだって、宇宙の彼方で渦巻く星雲の、そう、台風の目にならないとも限らない、そんなことをでも思っている?
 ちょっと大袈裟じゃないか? 
 ちょっと大風呂敷過ぎるんじゃないか?
 
 ま、いいや。
 どうせ、お前は、轍の雪に埋もれていくように呆気なく消え去る運命にあるんだからな!

090103

 細い轍は、雪の世界に何処までも続くかのように描かれていく。描かれては消えていく。
 
 と、いつしか、轍は真っ黒な時空に溶け去った。
 玄関の庇の下…。

「ただいまー!」
「お帰り! 雪の中、大変だったね。ご苦労さん」

 そんな会話があった。

 …あったらいいと思った。

 でも、あるはずはなかった。
 一人暮らしなのだ。

 お前の思いも轍だ。雪道の轍に過ぎないのだ。

                         (08/12/31夜半過ぎ) 

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