信号待ち
あんなはずじゃなかったのだ。
思いもよらない結果だった。
ホントなら週末にもうまくいくはずだったのに、どうしてああなってしまったのだろう。
ウインドーの雨滴やグジャグジャの霙が鬱陶しかった。ワイパーをフルに稼動させる。
一瞬、視界が開けたような気になる。
が、それは錯覚であり、降り頻る霙と薄闇がヘッドライトに浮かぶ前の車を暈している。
あんなことを言うつもりじゃなかった。
頭の中では全く違うことを思っていた。
なのに、口を突いて出た言葉は、自分でも驚くようなものだった。
相手は尚更、ビックリしたに違いない。
驚くどころか、怒らせてしまった。
怒り心頭で、とうとうだんまりを決め込まれてしまった。
あいつは、ああなると、梃子でも動かないし口を開かない。
オレはあの時、喋った言葉を思い出したくない。
あんな言葉を反芻するなんて、真っ平ごめんだ。
でも、出てしまった言葉は消せない。
音の塊(かたまり)にすぎない。音は波なのだ。
喉の悪戯、口唇の震え、空気の揺れに過ぎないのだ。
言葉なんて、せいぜいが心の吐息じゃないか!
なのに、言葉は刃のようにあいつの心を突き刺してしまった。
あいつ以上にオレのほうこそが胸に血を流している…なんて、言い訳は通用しない。
言葉はあいつの頭蓋の中で反響し続けているに違いない。
オレの脳味噌の中の何処かにこびり付いているように。
あの瞬間に戻りたい。
口に出す前の、ほんの一瞬の躊躇い。
そう、オレは、オレの中の理性は押しとどめようとしたのだ。
なのに、何処から湧いてきたのか分からない言葉が、愉悦とも言えない、得体の知れない衝動が蠕動運動を起こし、気がついたら、音の塊が礫(つぶて)となって、あいつの心を傷つけた。あいつの頬っぺたを引っ叩いてしまっていた。
言った自分が一番驚いていた。
一瞬、自分が何を言ったのか分からないほどだった。
喋ったのは自分じゃない! オレはそう叫びたかった。
誰か別の奴がオレ達の仲を引き裂こうとしているんだ。
そんな弁解が通用するはずもない。
オレはあまりのことに、開き直ってしまった。
今の言葉は違う。言い間違いだ、なんてこの期に及んで釈明するのも癪(しゃく)だった。
あの時、言った瞬間に前言を取り消せば、全ては丸く収まったのだろうか。
オレが訥々とした喋り方しかできないことはあいつだって知っていることだし。
喋る前にどうして自分の中で意味合いを反芻してみないのだろう。
同じ失敗をこれまで何度、繰返してきたかしれないじゃないか。
けれど、ダメだった。
言葉が浮かんだら、その時は既に口元を離れてしまっている。
いやいやオレの脳味噌の中では、もっと違う意味だったし、違う言い回しを考えていたんだ、なんて言っても世間は誰も信じない。
あいつは尚のこと、許してくれない。
ああ、週末にはハッピータイムを迎えるはずだったあいつとオレ。
全てがオジャンだ。
オレの不用意な一言のせいで。
ただ、考えてみたら、これでよかったのかもしれない。
オレのことだ、仮に事が上手く運んだところで、早晩、何かしら似たり寄ったりのことを、しかも自分ではただの軽口のつもりで、言い放ってしまうに違いないのだから。
だったら、お互いが傷つく前に幕を下ろしたほうがよかったのだろう。
…なんて、そんな殊勝なことを考えても、後悔の念が和らぐことはない。
オレは、もしかして一生、同じことを繰返すのかもしれない。
昼過ぎまでの快晴がウソのように、昼下がりには曇天となり、雨となり、雪となる。
天候の変化の原因は、オレには分からない。
でも、オレという人間の天候の変化は、自分が蒔いた種のせいなのだ。
自業自得って奴だ。
天に唾してしまったのだ。
信号待ちしている間に、霙が雪に変わってしまった。さすがに路面は白一色にはなっていない。
でも、車体も家々の屋根も、近くの駐車場も、溶けきらなかった霙が雪になろうと、手ぐすね引いているように見える。
が、やがて呆気ないほど他愛もなく雪景色となってしまった…。
オレは半ば自棄(やけ)になっていた。
もうどうなってもいい。
オレはオレなのだ。
今更、自分をどう変えられよう。
と、不意に煩い音。脳天がぶっ叩かれたようだった。
クラクション ? ! 同時に、目の前が真っ赤になった。
見ると、そろそろと車の列が動き始めている。
小雪を透かして前方を見遣ると、踏み切りも上がっている…らしい。
オレの妄想も同時に消えた。
次は…。次に信号待ちになったら、オレが何を呟いたかを考えることにしよう。
信号待ちが長くなると、わけの分からぬ物語を作り上げるオレの癖も、病膏肓に入るだなと、一人苦笑した。
さあ、仕事が待っている。急がなくちゃ。次の病院で何とか一件くらいは成約させなくっちゃ。
オレは、アクセルを吹かし、雪の世界へ飛び込んでいった。
(08/11/29作)
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コメント
「思いもよらない結果だった。」とか思わせぶりに引っ張る一方、これは一人称が上手くはまってますね。
理由を考えてみたのですが、いつもの子供版などに比べてですね、普遍性があると思ったのです。なぜか考えると、車の運転手としてあれやこれや考える事が誰でもある時間であることと、もう一つはその時間を共有しているときに前の後ろの隣の車の運転手は何を考えているのだろうと皆想像するからです。
つまり一人称の共感だけでなくて、自然にそこに三人称の目が働いているとみる事は出来ませんか?
投稿: pfaelzerwein | 2008/12/04 06:11
pfaelzerwein さん
小生の場合、渋滞など運転中にはあまり考え事はしないみたい。
…でも、東京在住の時など、タクシー稼業をしていて、真夜中など高速を走ると、あれこれ思ったものでした。
トラックなどは別として、スポーツカーなどの高級車がドンドン(やや大袈裟か)追い抜いていくし、対向車線を走る。
こんな真夜中に、何処から来て何処へ急ぐのか…。
医者や弁護士や官僚や実業家や裏稼業の者や成金が、つまりは不況にあってもおカネを持つ人たちが、仕事に…というより、仕事の合間に遊んでるんだなーって。
箱根の奥に行くと、平日でもバカンス(古い言葉…死語か)している連中が多い。
同じ日本人でも、別世界を生きている人が多いんだなー、とか。
旅行や遊びで海外へ行く人たち。
まあ、立体交差する高速道路という状況が東京など首都圏では多いので、夢想・空想・妄想の種は尽きない!
で、立体交差ってのは、都会の象徴のようなもの。
その立体に交差する複素数座標空間の中に自分も、ほんのひと時、ある要素として明滅する。
三人称とは若干違うけれど、実数だけじゃない複素数の(虚の)時空に自分もありえるって想像するだけで、目くるめくような感覚に酔っちゃいそうになるのです。
投稿: やいっち | 2008/12/04 16:14