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2008/08/09

富士登山の思い出

(前略)では、何故、その年(1980年)に登ったかというと(後にも先にも富士山頂に立ったのは、この年のみ)、失恋記念(?)なのである。
 小生は、失恋するたびに、わけの分からない挑戦をするようで、80年の登山も失恋の痛手を癒し払拭するため、かなり無謀な形で発作的に登った。87年にも失恋して、青梅マラソン(30キロ)に挑戦した。この青梅マラソンも、とんでもなく無謀な挑戦で、その後遺症は左ひざに残っている(機会があったら、そのレポートを書きたい)。
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← 富士登山の際に購入した杖。といっても五合目のショップで買った観光記念の短いもの。一緒に買った長い杖も未だに残っている。山頂の山小屋などでは、囲炉裏の炭火で焼いたコテで焼印を入れてくれた。この短い杖には赤いインクでの観光スタンプ。長い登山杖を突きながら険しい斜面を登り、また、杖を支えに降りたのだった。
 富士山登頂の試みが何故、小生の場合、無謀だったかというと、装備も事前の準備や勉強が足りなかったということもあるが(それは毎度のこと)、実は徹夜で一気に登ってしまったことなのである。
(但し、体力不足ってことはなかった。当時、ガテン系のアルバイターで体力だけは自信があった…。)
 バスで五合目まで登り、五合目にある宿泊所に泊まって、食事を済ませ、一眠りして、さて、登山する、そんなつもりでいた。
 宿泊所の大きな広間には、何十人もいたように思う。既に明かりが消され、みんな一眠りしてから登るらしい。大勢順応派の小生も、そのつもりでいたのである。
 が、シーンとした広間。小生、気兼ねする気持ちが昂じていた。小生は鼻呼吸ができないので、寝ると鼾(いびき)を掻く。それも、どうやら大鼾らしい。ガオーガオーらしいのである。自分では気づかないのだが。ただ、極たまに、自分の鼾で目覚めることがあるし、起きてみると喉が痛いし、カラカラに乾いていたりする。
 さて、みんなこれからの大仕事に備え睡眠し体力を温存している。なのに、そんな中、小生も同じように寝入ったりしたら、間違いなく、みんなの、少なくとも近くの何人かの眠りを妨げることになるのは必定なのである。
 小生は、とうとう、いいや、もう、寝ない。徹夜で登る、と苦しい決断をしたのだった。
 徹夜で登ったことも拙かったが、登り方がもっと拙かった。若さに任せて、調子に乗り、一気に登ってしまったのである。結果、予想されることではあるが(小生は、当時、予想していなかった!)、高山病に罹ってしまったのである。山頂の山小屋に辿り付いたはいいが、完全にノックダウン状態だった。
 眩暈と苦しさで小屋の隅っこで蹲っているばかりで、身動きもできなかった。一体、山頂の小屋に何時頃、到着したのだったか、覚えていない。とにかく、山頂の夜の眺めを楽しむことも、売店で何かを買うのはまして論外になっていた。ずっと体を縮こまらせて、グルグル回る意識、酩酊する意識の快復をひたすら待った。
 次第に(それとも、もしかしたそれほど時間が経過することなく)明け染めてくる。遠くの空が明るくなってきている。
 いや、小生は目を開けてはいられなかったので、誰かがそんなことを言っていたのを、朧な意識の片隅で聞いていたのかもしれない。
 そのうち、朝日だ! とか、御来迎だ! という声が口々に。
 小生は、そんなまわりのザワザワする雰囲気を覚えている。
 それでも、起き上がる気にはなれない。眩暈が治りきらない。ただ、最悪の状態からは脱却したような。
 御来迎だという声を聞いて間もなく立ち上がったのか、それともやはりそれなりの時間を経過してようやくだったのかは覚えていない。目の片隅には眩しく感じていた…。なんとか立ち上がってみんなが登る朝日を眺めている輪に加わって太陽に向かったときには、太陽は既に幾分の雲間にも丸くなっていたのだった。
 とにかく、御来迎の瞬間を待ち受けるというわけにはいかなかったけれど、曲がりなりにも登頂は果たした訳だし、意図したわけではないにしろ、失恋(の痛手払拭)記念に相応しく、容易には忘れられないハードな登山となったわけである。
 下山は、登山よりもっと一気だった。一気に駆け下りることでは高山病には罹らないのだろうか。とにかく前日の朝から一睡もできないままに朝を迎え、そのあとさらに休む間もなく下山してしまい、五合目に戻った頃にはヘロヘロになっていた。五合目でバスに乗ったなら、登る時のように風景を楽しむいとまも余裕もなく、呆気ないほどに眠りについてしまった…ようだ。
 バスが終点に付いた時に、ふと、目が覚めたのだった。まわりの人の目が、訝しげ。やはり、疲労困憊ということもあり、たださえ大鼾なのが、轟音での鼾になっていただろうことは容易に想像が付く。しかし、普通なら気遣うはずが、そんな気遣いを働かせるにはあまりに体の疲れがひどかったのであろう。

後日談
 その年の八月(1980年(昭和55年)8月14日)富士吉田口で起きた落石による大惨事の報は、テレビで盛んに報じられていて、なんとなく身に抓まされるものを感じていた。
 下山の際、一気に崩れやすい斜面を降りるというより滑り落ちるように下っていった。柔らかな土肌を実感しつつ。こんなにも崩れや易いことに、怖さの念をさえ覚えた。
 これじゃ、富士山って風でそれほどの時間を要することなく風化していくのではないかと感じたし、テレビで誰かが悪戯で岩を落としたために崩落(落石)事故が起きたのではと、一部で報じられていたから、何か因縁のようなものを感じていたのである。
 忸怩たる思いさえ、何故か、あったりして。
(本稿は、季語随筆「御来迎…ブロッケン」から富士登山の思い出部分を抜粋したもの。ところで、肝心なことを書き漏らしていることに今、気付いた。あるいは意図的に書くのを避けていたのか。そう、一体、誰に何時、失恋したのか。多分、他の記事で詳しく(?)書いたから、重複を避ける意味もあったのかもしれない。)

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