マラソンの思い出…恋
中学も高校も(高校一年の半年だけのサッカー部を除いては)帰宅部の小生だったが、高校二年の時にも三年の体育祭の時にも、マラソンに出場を希望し、日頃、運動などしていないはずなのに、トップとはいかないけれど、上位入賞は果たした。
高校二年の時、体育祭でマラソン(といっても5キロだが)を志願したのは、当初はマラソンコースが校庭ではなく路上だったからなのである。
今は記憶が定かではないが、オリンピックでマラソン選手が路上のコースを走る雄姿に影響されていたものと思う(確か、1964年の東京オリンピック銅メダルの円谷幸吉選手の悲愴な活躍(!)か、1968年メキシコ・オリンピック銀メダルの君原健二の雄姿に感動して!)。
小生も、規模は小さくとも校外の町並みをマラソン選手を気取って走ってみたかったのだ。
が、何故か体育祭が近づく頃になって急遽、校庭を走ることに変わってしまった。
小生はがっかりである。白線で描かれた200メートルのコースを、それこそモルモットよろしくグルグル回るなんて、そんなことだったら志願はしなかったはずなのである。
そうはいっても、コースが変わったから出場を取りやめるなんて出来るはずもない。
自分としては路上を走りたかったのだ、それが変更になったから取り止めだと思って主張したって、周りは大会が近づいて怖気づいたか程度に思うのが関の山である。
それにマラソン(のコース)とは全く無縁の理由が小生の出場取り止めの思いを引きとどめていた。
小生の片思いの相手が大会の係員をやっていて、相手はともかく、小生は相手を意識しているので、その人の前で走りたいという思いもあって、ますます走るしかなくなったのである。
結果はと言うと、多くは体育系のクラブに所属しているメンバーの中で5位だった!
ぶっつけで5位は、そこそこなのか。
実は自分では悔しい思いで一杯だった。
校庭をグルグル走って回ったのだが、ラストが近づくと、あと何周という告知がされる。
小生は、冷静さを失っていたのか、いつの間にか残り何周という合図を見逃したらしいのである。
で、あと50メートルという頃になってやっと今がラストの周回だということに気づいた。
小生はラストスパートを掛けた。なんとか一人だけは追い抜いて、それで5位。
けれど、小生の中では余力がかなりあると感じていた。
それはそうだ。ラスト2周だと思い込んでいたし、最後の周になったらスパートをかけるつもりで走っていたのが、ゴールが数十メートル先に見える時点になってラストの周回だと気が付き(確か、沿道から誰かがあと一周!って叫んでくれた)、遅まきながらスパートを掛けたのだ。
ああ、もっと早めに気づけば、スパートを早めに掛けられて、あともう一人は抜けて…。
しかし、がっかりという思いはそれだけにとどまらなかった。
小生が片思いとなっている相手の女の子は上記したように大会の係員をやっていて(体が弱いか不調で、本人は運動が好きなのにも関わらず出場できないので)、レースが終わって結果を彼女がマイクを通じてアナウンスしたのだが、なんと彼女、小生の名前を一字、間違えたのである。
同じクラスなのに!
あとで聞いたら小生のことを声援したのよ、聞こえた? などと言われたのだけど、それだったら、アナウンスでオイラの名前を間違えるなよ、と突っ込みたかったが、できなかった。
思えば、彼女の言うとおりレース中に彼女が声援してくれていたのだとしたら、小生はそのことに全く気が付いていないのだから、これでアイコ、ということになるのだ。
マラソンというと、大学生になった最初の年の大晦日に、どうやら恒例となっているらしいマラソン大会があって、小生、そこにも出場を志願した。200人ほどの参加者がいたろうか。
コースは、小生の願望をようやく叶えるかのように、大学のキャンパスのある青葉山をグルッと巡るもの。
ただ、スタート時間はまさに真夜中だった。真っ暗である。要所要所に関係者が立っていて、走るメンバーにコースの案内をしたり、ルールを破るものがいないかをチェックしていたが、走り出した最初の頃は集団だったものが、団子状態が次第に崩れていって、いつしか単独(多分)で走っているようになった。
寒いし真っ暗だし、人気はないし、路上を走るといっても、コース脇に声援を送ってくれる観客もいないし、ただひたすら走るしかなかった。
結果はと言うと、約200人中の16位だった。小生としては結果には満足だった。副賞としてなのか、小さな瓶の日本酒をもらったっけ。
(「東京国際女子マラソン…感動のラストシーン」より抜粋。)
さて、次はいよいよ青梅マラソンの思い出を語る番だ。
何処かで書いたような気もするが、掲示板でのただの書き込みだったかもしれない。
小生にとっては苦しさと切なさと苦さと、独りよがりな満足感とが入り混じった、忘れ得ない思い出なのである(後遺症もある)。
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コメント
僕もねえ運動はからきしだめだったけど、走るのは好きだった。
思うに他のスポーツは団体競技で人と合わせなくてはいけないけれど、走るのは黙々と一人でできたからかな。
高校時代に多摩湖に集合してマラソン大会がありましたね。
冬でしたから寒いのは苦手で春か秋にやってほしかったなあ。
しかし弥一さんが帰宅部とは!
投稿: oki | 2008/07/23 00:02
oki さん
小生も、得意かどうかは別にして走るのは好きだった。
社会人になってからも、青梅マラソンやミズノのスポーツ大会などに参加したっけ。
バイクでのロングツーリングも、案外とマラソンの感覚に似ているところがあった。
小生が帰宅部なのはわりとイメージ通りなのでは。
要は団体生活が苦手なのです。特に打上げと称する宴会が嫌だった。
投稿: やいっち | 2008/07/26 09:24
いやいや、弥一さんは文芸部とかそんな所に所属するのが似合っていますよ。
打ち上げというのは確かにばかばかしい。
何かの行事が終わるごとに打ち上げ。
保護者会で大学生ではないのだから打ち上げ打ち上げ容認するなという意見が出たとか。
あとうちの高校は文化祭が九月にあって、三年生も演劇とか力を注ぐ。
夏休み中の勉強―入試対策がおろそかになると保護者から苦情が出て七月に変更したこともあったようですが、また九月に戻ったようです。
で、「一浪はヒトナミとよむ」なんてね。
投稿: oki | 2008/07/30 23:40
okiさん
文芸部なんて、そんな。
体育会系も似合わないけど、文芸系はもっとダメ。
何をやるにしても我流なので、とにかく集団がダメ。
つまりは、切磋琢磨する根性がないってことかな。
文化祭は秋10月にあったっけ。以前も書いたけど、高2の時、ほんの数ヶ月、物理部に所属した。
で、文化祭には、中学のときからの憧れの人であるアインシュタインに関係するということで、光電子効果を使った照明を展示した。
でも、我が部(少なくとも小生のブース)には一人も来訪者がなかった。
呼び込みもしなかったけど。
okiさんの高校は受験校、それも優秀なそれだったんですね。
ウチは受験熱だけは高く、高校には修学旅行自体がなかった。受験のカリキュラムの邪魔だって。
教育を履き違えているような高校でした。
投稿: やいっち | 2008/07/31 01:55