嗤わぬ月
毎日ではないが、夕方から真夜中過ぎまで、そう草木も眠るという丑三つ時頃まで、富山の町を車でウロウロしつつ働いている。
昨晩は見事な月を折々に愛でることができた。暖かな日差しに恵まれた日中は、それでも吹き渡る風がやや強かった。東京など関東や東日本では突風というのか強風が吹き荒れていた。
その風も夜には収まっていた。
風が空の塵や埃や花粉の類いを綺麗に拭い去ってくれたようで、夜気が澄み渡って感じられる。
夕方になって仕事先へ向う道すがら、夜になって雨にならないかと天蓋を眺めてみると、月影が清かである。ほぼ満月の月。今夜どころか明日も雨の心配はなさそうである。
月が地上の世界を明るくしている。夜空を横切る筋状の雲を背後から照らし出して真っ白に、そして薄い真綿のように見せている。
そんな透き通るように眩く輝く雲よりも月は煌々と照っている。
磨きぬいた鏡よりも怜悧な輝き。
情の念のあまりの深さのゆえにか酷いほどに静まり返った月影。
地上世界にあって些事に日々汲々としている我が身を嗤ってもくれない。
大理石の光沢にも似た深い青色の海。
できることなら能面のような、そうどんな表情も所詮は己の渇いた心をしか映してくれない完璧な球体のような世界。
何処へでも行ける。何故なら何処へ行ってもそこには己が纏わりついているから…という懐かしい慨嘆の念さえ思い出させそうな夜。
あの頃、お前は一人きりの部屋で呟いたね。
月の光が、胸の奥底をも照らし出す。体一杯に光のシャワーを浴びる。青く透明な光の洪水が地上世界を満たす。決して溺れることはない。光は溢れ返ることなどないのだ、瞳の奥の湖以外では。月の光は、世界の万物の姿形を露わにしたなら、あとは深く静かに時が流れるだけ。光と時との不思議な饗宴。

そんなお前はもういない。
お前は物質にさえなれなかった。その証拠にお前はとうとう恍惚の時をみすみす手ずから逃(のが)してしまったではないか。
この世にあるのは、物質だけであり、そしてそれだけで十分過ぎるほど、豊かなのだという感覚。この世に人がいる。動物もいる。植物も、人間の目には見えない微生物も。その全てが生まれ育ち戦い繁茂し形を変えていく。地上世界には生命が溢れている。それこそ溢れかえっている。ああなんと白々しい! 今のお前には命などない。命の輝きなど無縁だ。パサパサの地上世界を這い蹲っているだけだ。今のままでは干からびる一方だ。
さあ、どうする?
どうしようもない?
おっと、感傷に浸っている暇などない。今夜もいつも以上に地を這うのさ。
[画像はすべてFree Web Graphicsサイトの「La Moon」より借りました。]
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