メロディが鳴っている
突然、懐かしいメロディが聴こえてきた。
家の近くにある用水に架かる小さな橋を渡っていたときだった。
引っ越してきて、家の周辺を一人で散歩するのは初めてだった。
何日か前、誰かと一緒にこの橋も渡ったことは覚えている。
初めての橋じゃない。
辺りには誰もいない。
直前に見知らぬ人が自転車で駆け抜けていったから、もしかしてその男がとも思ったけれど、後姿はとっくに小さくなっていた。鼻歌も何も聴こえるはずがない。
大体、近付くときには何も聴こえなかったはずだ。
周囲を見回してみた。
せいぜいこの十年ほどの間に建ったような家々が並んでいる。
人影はない。窓も扉もしっかり閉じられている。
春が近いとはいえ、まだ寒いのだ。
メロディが鳴り続けていた。
気のせいか、段々大きくなるようだ。
これ以上、大きくなったら近所迷惑になりそうだった。
小心者のボクは弁解の言葉を捜していた。
違うんです。ボクのせいじゃないんです。どこかあっちのほうから聴こえてくるじゃないですか…。
でもここでボクは言葉に詰まった。
" あっち "って一体どっちなのか、サッパリ分からないのだ。
メロディは確かに鳴っている。懐かしい、誰が知っているはずのメロディ。
歌詞も付いているはずの曲だけど、メロディだけが聴こえ続けていた。
ボクは誰でもいい、一緒に聴いてほしいと思った。
いや、正直、一緒に聴いてくれる人が欲しいと願った。
…誰かに傍に居て欲しいんだ!
長い、長すぎる。一人で居るのが長すぎた…。
もしかして、ただの耳鳴りなのだろうか。
聴こえているのはボクだけなんだろうか。
ボクの頭の中で鳴っているだけなんだろうか。
頭がおかしい?
寂しい、寂しい、誰か友だちが欲しいって思ってたから、神様がプレゼントしてくれた?
メロディが鳴っている。
ボクはメロディが欲しかったんだろうか。友達じゃなくて。
神様が願いを誤解するはずないよね。
メロディだけなの?
ハーモニーはないの?
リズムは?
友だちとのハーモニーは望めないの?
友だちの胸のリズムは感じちゃいけないの?
メロディって、何?
もしかしてこの場所がいけないんだろうか。
ボクが覚えていないだけで、遠い昔ボクがここで何か悪さしたとか?
急に小さな橋の上に立ちつづけていることが怖くなった。
なんでもないのに、橋の上でキョトキョトキョロキョロしてるなんて、絶対、おかしい!
ボクはその場を離れた。
不思議なことに、橋から遠ざかるとメロディも薄れ弱まり、やがて消えていった。
何日間はあの橋を避けるようにしていた。
ボクのうちの二階のベランダから例の橋が見える。
渡る人を見ても、誰も不思議がる様子は窺えない。
退屈だった。そして、寂しかった。
胸の中が空っぽだった。
ただ、メロディの余韻というのか名残りなのか、寝入ろうとするときには特に何か波のようなもの、迷子になった筋雲の切れっ端のような、ドアに挟まって千切れた上着の布切れのような、変てこなものが瞼の裏に、耳の底に見えるようであり、聴こえるようでもあった。
もどかしかった。
そのメロディはそこにある。
でも、つかめない。
メロディの影はボクの中で巨大な黒雲になっていた。
メロディの影に圧倒されてしまっていた。
怖かった。
その代わり、寂しさを感じなくてすむ。
吐きたくなるほどの、髪の毛を掻き毟りたくなるような、そんな孤独とはさよならできた。
やっぱり、行くしかないんだ。
ボクにはこうするしかないんだ。
とうとう我慢がならなくなった。
何日経ったかしれないある日、ボクはあの橋へ向った。
他の誰にも何も害はないんだ、渡ったってどうってことはないはずだ。
仮にボクにしか聴こえないのだとして、別に構わないじゃないか。自分に何か異常があったわけじゃなし!
それでいて恐怖感なのか、ただの緊張感なのか、体が強張るのを感じていた。
終いには、橋に近付くにつれ、ブルブル震えてきた。
歩くんだ。行くんだ。これはきっと神様がボクに与えた試練なんだ。
ボクだけにしか達成できない秘密の冒険なのに違いないんだ。
ちっちゃな橋が目前にあった。
もう、メロディが鳴り始めているようだ。
ここに来てボクはビビリ始めた。
本当は渡っちゃいけないんじゃないのか…。
違う!
勇気だ。
この前は怖くなって後戻りしてしまった。
渡りきってしまえば、なんてことはない。
橋の向こう側にきっとハーモニーやらリズムやらが待っているに違いない。
渡るんだ。越えてしまうんだ。
橋の幅は2メートルもない。用水など、1メートルもあるかどうか。
いざとなったら、橋を飛び越えちゃえばいい。2メートルほどならボクにだってジャンプできる。
ボクは、橋の手前、十メートルのところから駆け出した。
一気だ。思い切って飛び越すんだ。
きっと、橋のど真ん中でメロディが鳴り、渡りきったらハーモニーとリズムが共に手を携えてボクを迎えてくれる。ボクの孤独ともおさらばだ!
勢い良く駆けた。風が耳元で鳴った。メロディとハーモニーとリズムのかたまりだった。これだ、ボクが欲しかったのはこれだ!
が、ボクはヘマをした。橋の手前の小さな段差に足を取られた。
つまづいて、体が妙なふうに回転し、何とか倒れこむのを踏ん張ろうとしたら、今度はその足が橋の端の十センチほどのガードに引っ掛かり、用水に頭から突っこむ羽目になった。
何日かして、橋の袂に花束が手向けられていた。
誰にもその少年の<自殺>の理由は分からないままだった。
| 固定リンク
「小説(ボクもの)」カテゴリの記事
- メロディが鳴っている(2008.03.31)
- 滑り台(2008.02.10)
- ふでおろし(2008.01.29)
- 犬とコロッケ(2008.01.23)
- 誰かが見ていた(2008.01.19)
「小説(幻想モノ)」カテゴリの記事
- メロディが鳴っている(2008.03.31)
- メモランダム(その1)(2007.12.19)
- 自明性の喪失(2007.10.30)
- 闇に浮ぶ赤い花(2007.10.06)
- 一家団欒(2007.09.27)
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52847/40690802
この記事へのトラックバック一覧です: メロディが鳴っている:



コメント