放火魔
真夜中の病室。隣り合う人たちも、ようやく眠りに就いている。
看護の人も先ほど見て回って行ったばかりである。
静まり返った病室での楽しみは、こっそり蝋燭に火を灯すこと。
蝋燭の焔は、今日は真っ暗闇の中に何を浮かび上がらせてくれるだろうか。
そもそも闇の中でポツンと立つ蝋燭が何かを照らし出したとして、それが何か意味を持つのだろうか。
誰もいない森の中で朽ち果てた木の倒れる音というイメージと同じく、病室という名の、誰も見ていない闇夜の地蔵堂に立てられた蝋燭の焔の織りなす影は、ある種、夢幻な世界を映し出していると、ほとんど意味もないレトリックを弄して糊塗し去るしかないのか。
夜の深みに直面して、何を思う?
過ぎ去った遠い昔のこと、それともあるかないか分からない明日のこと、もしかしたら信じている振りを装ってきた将来のこと。
消え行く魂の象徴としての、吹きもしない風に揺れる小さな焔だけが確かだ。
焔とは魂の象徴。
だとして、それは一体、誰の魂なのか。
自分の魂! と叫んでみたいような気がする。
不安に慄き、眩暈のするような孤独に打ちのめされ、誰一人をも抱きえず、誰にも抱かれない幼児(おさなご)の自分の魂なのだ! と誰彼なく叫びまわりたい気がする。
許されるなら、体の自由が利くのなら、今すぐにもベッドから飛び出して、非常灯からの緑色や橙色の薄明かりに沈む長い長い廊下を駆けて行きたいと思ったりもする。
あの扉の向うには、きっとあの人が待っていてくれるはずなのだし。
できはしない! そんなことができるくらいだったら、とっくの昔にやっていることなのだ。
せいぜいお前の出来ることといったら、ちっちゃな焔を闇夜の海に放り投げるくらいのものじゃないか!
胸の内の情熱の焔(ほむら)は誰にも負けないほどに燃え盛っている。なのに、誰に気遣い彼に気兼ねし、気がついたら焔は燻ったままに、肉体の闇からあの世の闇へと流されていく。水子のように。
一体、何のための人生かと思い惑う。
愚か者だもの、末期の闇を見詰めるこの期に及んでやっと哲学する重さを感じるのも無理はないのだろう。
何があるのか。何がないのか。何かがあるとかないとかなどという問い掛けそのものが病的なのか。
闇の中、懸命に蝋燭の焔を思い浮かべる。
そう、魂に命を帯びさせるように。
焔が幾つもの分身を闇に撒き散らす。
それとも、誰のものでもない、命のそこはかとない揺らめきを、せめて自分だけは見詰めてやりたい、看取ってやりたいという切なる願いだけが確かな思いなのだろうか。
きっと、魂を見詰め、見守る意志にこそ己の存在の自覚がありえるのかもしれない。
風に揺れ、吹きかける息に身を捩り、心の闇の世界の数えるほどの光の微粒子を掻き集める。
けれど、手にしたはずの光の粒は、握る手の平から零れ落ち、銀河宇宙の五線譜の水晶のオタマジャクシになって、輝いてくれる。星の煌きは溢れる涙の海に浮かぶ熱い切望の念。
蝋燭の焔もいつしか燃え尽きる。漆黒の闇に還る。僅かばかりの名残の微熱も、闇の宇宙に拡散していく。
それでも、きっと尽き果てた命の焔の余波は、望むと望まざるとに関わらず、姿を変えてでも生き続けるのだ。
一度、この世に生まれたものは決して消え去ることがない。あったものは、燃え尽きても、掻き消されても、踏み躙られても、押し潰されても、粉微塵に引き千切られても、輪廻し続ける。
輪廻し続ける…。
なのだとして、ああ、お前は戯言を吐くばかり。
寂しい! という一言が何故叫べないのだ。
見ろよ! お前の放った小さな焔が今、あんなに燃え盛っているじゃないか!
そう、お前の代わりに町中で叫んで回っているのだ!
孤独を思い知れと。
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