滑り台
あれはずっと昔のこと。もう、記憶の彼方になっている。
でも、忘れられない。
忘れられないけれど、一体、何があったのか、自分でも分からない。
分からないけれど、何かがあったんだと、疼く胸がハッキリと伝えてくる。
オレは、あの日、一人で公園の滑り台で遊んでいた。その滑り台は、今にして思うと、人研ぎ滑り台という形だったと思う。
当時は当たり前の形だったような気がするけれど、ま、そんなことはどうでもいい。
滑り台の上に登っては、滑る。登っては、滑り降りる。降りては、駆け上っていって、天辺からまた、勢いよく滑り降りる。
滑り台の下のほうは、傾斜がなくなっているので、降りていっても、ちゃんとブレーキがかかるようになっている。無論、滑り降りた先には砂場がある。
でも、何度も滑っていると、何だかつまらなくなって、その傾斜のなくなる直前のところでわざとお尻を少し浮かし、ズックの爪先がコンクリート製の滑る斜面に擦れるようにして変化を加えていた。
すると、浮かしたお尻が宙に浮かぶし、それどころか体全体までもが宙に飛ぶ。で、気持ちよくジャンプして地面に格好よく、そして勢いよく降り立つというわけだ。
宙に浮んだ瞬間の、ほわっとした感じがたまらなく気持ちよかった。
もしかしたらオリンピックのジャンプ競技に影響されてだったかもしれない。
そんな変化技を幾たびか繰り返すうちに、ついにオレは失敗してしまった。
踵が予想外に斜面に引っ掛かってしまって、宙に浮くだけじゃなく、体が宙返りしてしまったのだった。しかも、中途半端に。
オレは、ほとんど頭から地面に叩きつけられてしまった。
多分、ハッキリとは分からないのだけど、オレは、そのまま地面に突っ伏したまま長いこと意識を失っていたらしい。
そこはらしいとしか今のオレには言えない。
あの日は、公園に誰も来なかったのだろうか。
雨が降っていたわけじゃない。快晴だったかどうかは覚えていないけれど、でも、青空は見えていたような気がする。宙を舞った瞬間、青い空と白い雲が目に眩しかったのを覚えているし。
オレは恐らくは長い意識喪失の果てに気が付いたような気がする。
まだ明るかったけど、人の声が遠くから聞こえてきた気がする。
というか、人の声で意識が戻ったのかもしれない。オレは、上半身を起こして周囲を見回した。
…つもりだったけど、急にまた目がグルグル回りだして、辺りを見渡すどころの騒ぎじゃなかった。
吐き気さえしていた。仕舞いには、四囲が竹とんぼみたいに物凄い速さで回転し始めた。回転の中心はオレの中の何かだったような気がする。
いや、世界中がオレの脳味噌の中の何処かを中心にフル回転していた。
吐く余裕さえなくなっていた。意識があるような気がするのだけれど、その意識って奴がいつかテレビで観た鳴門の海の渦潮みたいに激しく渦を巻いている。オレはその渦の底に吸い込まれそうだった。
その渦が何だか、オレの体の皮膚を捩って、引っ張って、引っ剥がして、そうして何処までも引っ張り込もうとするのだった。
ついには、体が裏返しになった。腸とか心臓とかが日の下に晒されたようだった。胃の腑の中身が噴出した。
で、オレはあまりの気持ちの悪さに、またまたぶっ倒れてしまった…、ような気がする。
でも、倒れるといいながら、垂直の感覚も水平の感覚もないものだから、宙に浮かぶベッドに体が埋まったままに、滅茶苦茶にあちこちと回転させられたり、上下させられたり、あるいは何処かの壁にぶつかって不意に動きが止められたりした。
今思うと、無理矢理に立ち上がって、そのままフラフラと歩き出したものだから、何処かの壁か柱か鉄柵かにぶつかったんじゃないかと思う。
ぶつかった勢いで オレは衝突した車から体が放り出されるように、オレの意識だけが何処かへスッポリと吹き飛ばされたみたいだった。
そう、体は鈍重なものだから、何処か公園の片隅に取り残され、意識だけが体から抜け出して、何処か遠い遠い彼方へ飛び去り消え去っていったのだった。
それからのオレは、体はここにあるけれど、自分の心って奴が見当たらないような気がする。
オレはここにいる。
でも、もう一人のオレはオレをはるかに高い空から見詰めている。
オレはここにいる。でも、いない。オレは空にいる。あの空で地上を眺め下す奴もオレなのだ。
で、オレは、一体、本当は何処に居るんだろうか。
誰かオレの居場所、知りませんか?
[買物の途中、小さな公園を通り抜けた。小雪のチラチラ降る中、滑り台がポツンと所在なさそうに。一瞬、ガキの頃、滑り台で滑り損ねて、砂場に頭から突っこんだことを思い出した。そんなドジはさておいて、数年前、「滑 り 台」って題名の掌編を書いたことを思い出した。なんてことない作品。ある意味、類似する作品に、「幽霊」がある。]
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