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2008/01/19

誰かが見ていた

 何歳の頃のことだったかよく覚えていない。
 物心付いたかどうかという頃だった。
 まだ雪が降っていなかったから、師走だっただろうか。

 父のあとに付いていった。
 土間。秋口までは農作業で人の出入りで賑やか。足踏みの脱穀機やら千歯こきやら竈(かまど)やら稲藁やらで足の踏み場もないほど。

 でも、農閑期ともなると、冷たい空気が肌を刺すだけ。竈も臼や杵が隅っこで大人しく出番を待っているだけ。

 父が何の用事があって土間に向ったのかは覚えていない。

 多分、最初から分かっていなかったと思う。好奇心だったのだろうか。
 それとも、何か無言の圧力のようなものが引っぱっていったのか。

 深々とした土間の隅で父が突然、蹲(うずくま)った。
 そいこは古い角材が積み重ねられていた。その裏のほうから何かを引っ張り出した。

 見ると、手に何やら金網のようなものを手にしている。

 金網というより、針金で出来た大き目の虫籠のように見えた。取っ手を兼ねる丸い針金は扉とつながっている。
 金網の中の餌に釣られて扉から飛び込んだ瞬間からもう、ネズミは逃げられなくなる。
 何故なら、扉の針金は入るのにはスムーズだが、一旦、入ったなら扉はガシャンと閉まる。袋のネズミというわけだ。

 籠の下には埃にまみれた新聞紙がクシャクシャになってくっ付いている。

 それ、なに?

 ネズミ捕りだよと父。

 もう古びていて、ネズミ捕りの役目は果たしていないようだった。

 何も聞かないのに、父は、ネズミ捕りの下には必ず新聞紙を敷くんだと教えてくれる。
 
 新聞紙? どうして?

 ネズミはな、籠の中で逃げられないと感じたら、パニックになるんだ。

 パニック?

 びっくりするんだ。体から力が抜けてしまうんだ。で、オシッコを漏らしたりウンコだって漏らすんだよ。

 オシッコ? ウンコ? 

 そう、死刑囚と同じだ。
 
 死刑囚って見たことあるの? ウンコ、漏らすの?

 ああ、戦争中に(処刑を…)な。首を括られた瞬間、ヨダレは垂らすは、ションベンもウンコも出放題だ。碌でもない奴の最期は哀れなもんだ。

 籠にこびり付いている新聞紙をじっと見てしまった。籠を作る太い針金が数本、よじれて突き出ていた。それが首括りの残酷な紐に思えた。
 籠の中でネズミがもがいている様子がはっきりと見えたようだった。

 そのうち、死刑囚が流すヨダレで、前の年まで居た愛犬のタロウのことを思い出した。
 いや、思い出したというのはちょっと違うかもしれない。
 我が家に犬がいたことは微かに覚えているし、柴犬モドキのキツネ色の中型犬だったことも、記憶の片隅に残っているけれど、一緒に遊んだという記憶がないのだ。
 やっと物心付いた頃だったのだろう。

 そう、タロウは、バカな犬だったから、ネズミ捕りのための毒団子を喰って死んでしまった…。そう、聞かされている。
 ネズミ、タロウ。嫌な連想だ。

 タロウのことをオレは可愛がったのだろうか。
 タロウのことを父母や姉に聞いても、何故かみんな口が重いのだった。
 ネズミ退治用の団子を口にして死んだから、みんなタロウの死は飼い主に責任があると感じているからなのだろう…。
 そう、思っていた。

 タロウというわけじゃないけれど、犬に付いてはもう一つ、嫌な思い出があった。
 我が家の裏手の細い道を数十メートルも歩くとお寺がある。
 あの頃は、その道は今のようには舗装されていないし、まして脇を流れる川は、それこそただのドブ川だった。土手は草茫々で、魚が泳いでいることなど見たことがない。
 ある日、その道を一人…多分、一人で歩いていたら、そのドブ川に妙なものが雑草に覆われるようにして見えるのだった。
 正体が分からないうちに、嫌な感じがした。
 空気が濁った黄色のように感じられた。臭気が漂っていた。

 見ないほうがいいという気持ちがあった。
 でも、からだは勝手にそっちのほうへ向ってしまうのだった。

 案の定だった。
 それは、犬の惨めな死骸だった。腹が裂かれ、腐敗が始まっていて、無数のウジが集(たか)っていた。
 
 逃げた。家のほうに逃げたのか、道の先のお寺のほうへ走っていったのか覚えていない。

 犬は、キツネ色の体毛だった。中型犬だった。

 あとは、何も覚えていない。

 土間でネズミ捕り用の籠を見せられてから何年かしてのこと、不意に、思い出したことがあった。
 タロウがネズミ捕り用の毒団子を喰って苦しんで死んだという話を聞いたのは、父からで、しかも、土間で父にネズミ捕りのカゴを見せられた時だったのだ。

 だからだろう、タロウのことを思い出そうとすると不快な気分になってしまうのは。何か生臭いような腐臭をさえ漂ってくるように感じるのも、タロウ、ネズミ、パニック、オシッコ、ウンコという連想が働くからだ。
 家の者みんなタロウの最期が哀れで口が重いのも無理はないのだ…。父は、犬はもう二度と飼わない、そんなことさえあの時、呟いていたっけ。

 もう、高校生になっていただろうか。妙な夢を見た。
 寝る前に雑誌で見た小麦色に焼けたビキニ姿の女の子が姿も肌の色もそのままに目の前に現れたのだ。
 その子は、こっちを向いてにっこり微笑んでいる。眩しいくらいの笑顔。あの肌の輝きといったら!

 しかも、その子は突然、走り出し、抱きついてくるではないか!
 腰の辺りがムズムズし、ついには快感が体の芯から噴出してくる…。我慢できない。
 女の子は抱きつくだけじゃない、キスしようと口を近づけてくる。

 が、女の子の後ろの誰かの影を感じた。
 誰か居る!
 でも、はち切れんばかりの女の子の魅力に抗うことはできなかった。
 余計なことはいい。今は、女を抱くこと。

 抱きたい!
  
 見ると、女の口には茶褐色の塊が。
 チョコレート?
 口に銜え、甘酸っぱい塊を漂わせながら、段々女が迫ってくる。
 女は目を閉じている。キスしたい! でも、甘いお菓子を食べないとキスできない。
 お菓子を貪るように喰った。
 ああ、今こそ、甘い口付!
 ウブなものだから、こっちも目を閉じてしまった。女に身を任せればいいんだ…。

 が、口の中が臭い。気持ち悪い。吐き気がする。
 なのに女の体が気持ちよくて精液が飛び出そうだ。

 女の肌が妙に毛深い。異常な体臭がする。女って、ホントはこうなの?

 目を開けた。
 すると、そこには犬が居た。いや、ネズミだったかもしれない。
 キツネ色の体毛が見えたり、ネズミ色の体毛だったり、それでいて妙に艶(なまめ)かしかったり、訳が分からない。

 むかつく。吐きそうだ。
 我慢できない。

 嘔吐で目覚めた。そして一気に吐いてしまった。
 夢精していた…。
 
 吐いた瞬間、全てを悟った。
 あの日、タロウに口移しで毒団子を喰わせたのは…。で、怖くなってあのドブに放置したのは…。
 そしてそれを誰かが見ていた…。

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