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2008/01/29

ふでおろし

 我が家の伝統で、息子の筆下ろし(ふでおろし)には父と母が立ち会うことになっている。

 それは、水ぬるむ5月の初めだった。
 祭日の朝、いつもより早く、突然、母が真面目な顔をしてボクを起こしにきた。

――父の書斎に来られ。

 そこでは父が、座卓に向かい何か書き物をしている。
 父は大切な人には、わざわざ硯で墨を磨り、毛筆の手紙を書いて送るのである。手紙の隅には、顔彩で山里の風景やら田園風景やら、あるいは庭の雑草などを軽く描き添える。
 我が父ながら、なんとも息を飲む見事さだ。鼻には墨の香りがツンと来て、なんとも心地いい。

 その間、ボクは坐って待たされる。
 でも、父の手際に見惚れているから退屈はしない。いつかはボクだって父のようになりたい。母もボクの斜め後ろで父が用件を終えるのを黙って見守っている。

 日頃、カカア殿下の我が家でも、書斎では父が断固、上席なのである。口を挟ませない。この四畳半の限られた空間だけが父の天下なのだ。

 やがて、用件を片付けた父が、語り始めた。
 その表情は、いつもと違う。

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2008/01/27

刀葉林の夢

 ガキの頃とて、説明の詳細などは右の耳から左へ抜ける前に、何処かで滞ってしまっていたと思うが、絵図の印象は鮮明であり、強烈だったようである。

 小生は、小学校に上がる前に、一時期、夜毎、地獄の世界を彷徨っていた。

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→ 『地獄極楽図部分・刀葉林』 (画像は、「長岳寺 地獄図解説」より)

 といっても、家を脱け出て、どこかの地獄をうろついていた…といった類いのことではない。
 夜、眠りに就くと、決まって、焦熱地獄とでもいうのか、炎の燃え上がる崖の上を逃げ回っていたりする自分がいるのだった。

 特に幾度も繰り返し見た光景は次のようなものである。

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2008/01/26

真冬の明け初めの小さな旅

 正確な年限などは覚えていないけれど、小生が子供の頃、雪明りの外を歩いて回るのが好きで、よく未明の朝などにこっそり家を抜け出したものだった。
 その頃はまだ雪がタップリ降っていた。平野(田圃)の片隅に位置する我が家だったけれど、ともすると一階の窓からは降り積もる雪に視界が遮られて何も見えなかったりする。

Kenchanhida

 降る雪だけではなかった。屋根から落ちる雪、雪降ろしで堆積した雪などが積み重なって、しかも、建物に面する雪の山は凍っていて、粗目(ざらめ)のような、それでいてツルツルに磨きたてられたような、形容の難しい様相を呈していた。

 不思議なのは、視界が完全に塞がれているにも関わらず、夜になり部屋の明かりが消されると、外がボンヤリとだけれど、明るく輝いているように見えることだ。分厚い雪の堆積を透かして外部の光が漏れ込む だけど、真夜中だったり明け方だったりするのだから、外は暗いはずなのだ。

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2008/01/25

雪蛍の舞った頃

(前略)窓の雪を見ていると、何か胸が締め付けられるような、自分がここにいるべきじゃなくて、何処か他にもっと自分がいるべき場所があり、そこで誰かが俺を呼んでいる…といったような、郷愁とも違う、不思議な感傷に囚われるものである。

200512

 小生が未だ郷里である富山で住み暮らしていた頃は、まだ雪も毎年、たっぷり降ったものだった。だから、3月になっても、さすがに降雪の日は少ないとしても、根雪は深く固く大地を覆っていた。

 特に民家の屋根などからの雪や、道を空けるために道端などに積み上げられた雪は、3月の初めや半ばだと、当分溶けそうにないように感じられる季節だったように思う。

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2008/01/23

犬とコロッケ

 あれはいつもと同じように一人で学校から帰る途中での出来事だった。
 あの頃の俺は、みんながそれぞれ友達と帰るのが羨ましかった。いつかは俺だってと思っても、結局は一人ぼっちで帰る羽目になってしまう。

 みんな連れ立って一体、何処へ行くんだろうか。
 単に帰る方向が一緒だから、すぐそこまで一緒になるだけなのだろうか。それとも、何処かに秘密の面白い場所があって、ワクワクする思いでそこへ向かうのだろうか。
 だから顔があんなにもにこやかなのだろうか。

 俺には何も分からなかった。

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2008/01/19

誰かが見ていた

 何歳の頃のことだったかよく覚えていない。
 物心付いたかどうかという頃だった。
 まだ雪が降っていなかったから、師走だっただろうか。

 父のあとに付いていった。
 土間。秋口までは農作業で人の出入りで賑やか。足踏みの脱穀機やら千歯こきやら竈(かまど)やら稲藁やらで足の踏み場もないほど。

 でも、農閑期ともなると、冷たい空気が肌を刺すだけ。竈も臼や杵が隅っこで大人しく出番を待っているだけ。

 父が何の用事があって土間に向ったのかは覚えていない。

 多分、最初から分かっていなかったと思う。好奇心だったのだろうか。
 それとも、何か無言の圧力のようなものが引っぱっていったのか。

 深々とした土間の隅で父が突然、蹲(うずくま)った。
 そいこは古い角材が積み重ねられていた。その裏のほうから何かを引っ張り出した。

 見ると、手に何やら金網のようなものを手にしている。

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2008/01/03

初夢

 オレは戸惑っていた。
 女はいきなりオレの家にやってきて、絵のモデルになると言い張るのだ。
 女はとんでもない勘違いをしているに違いない。

 勘違いの発端は、吹く風に夏も終わりに近付いていることを予感させる或る日、近所のカフェでのこと。

 週日の午後で、客はオレだけ。前の日も画集を見ながらヌード画を描いていた。

 我ながら上出来だったこともあり、つい、誰かに見てもらいたくなり、店が暇そうな時間帯を狙って、近所のカフェへ繰り出した。
 案の定、暇そうな主人は、グラスなどを白い布で拭っている。
 要するに何もすることがないのだ。

 チャンスだ。
 カウンター席に座り、オレは徐(おもむろ)にデザイン帳をカウンターに置いた。
 主人はオレの何気なさそうな表情に隠された…あからさまなサインを見逃すはずがない。

 昨日もヌード、画いてたの?

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