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2007/11/13

ウブ

 本作は、「Mystery Circle 11/23締め切り出題 SMC 参加見送り作品」です。
 時間的な都合もあり、参加の意志を表明する機会を逸し、参加は叶わなかった。
 なので、創作上の縛りは、勝手に「数えきれない程の抵抗を試みた」を話の前後に付すことに。
 ただ、テーマ上の課題である「同性愛」 は盛り込めなかった。

ウブ

 記憶が蘇ろうとするたびにわたしはあらん限りの抵抗を試みた。
 それこそ、これまでだって数えきれない程の抵抗を試みたのだ。


 あれは若衆宿という奴だったのだろうか。いや、違う。もっとずっと幼い子たちが集められていたように思う。
 記憶が曖昧だ。

 ああ、この期に及んでまだためらっている。忘れられない出来事だったじゃないか。
 一度限りのことでもなかったはずだ。
 思い出したくない…のかもしれない。
 思い出してはいけないことなのか。

 わたしは何度となく若衆宿に連れて来られた。生贄として。
 でも、あの頃のことは喋りたくない。言葉にならない。
 忘れようとして忘れかけた頃に、フラッシュバックする。
 
 今、わたしは男に調教されようとしている。
 大丈夫だよ。優しく教えてあげるからね。

 陳腐な科白(せりふ)。
 可笑しくって笑い出しそうになる。
 でも、笑う場面じゃない。
 懸命に堪える。
 すると、お腹がヒクヒク痙攣する。
 男にはわたしが敏感で指先が体をなぞっただけで反応しているように見えるらしい。
 
 おお、おお、白いお腹が震えている。
 指先が冷たいのかい?
 感じるのかな?

 男のなぞる指をわたしは新雪の丘のシュプールのように想い描く。
 白くまっさらな斜面を粉雪が舞う。
 スキー板の描くラインはどこまでも滑らかだ。
 丘を登り、時に裏のコブコブを飛び越え、青い空に躍り上がったと思ったら、またわたしの脇腹に着地する。
 わたしの背中へは指を回さない。

 じらしているつもりなの?

 そんな手には乗らない!

 でも、体をよじってみせる。
 半端な触り方じゃなく、もっともっと体が求めていると思えるように。

 指のシュプールは一瞬、肌にうっすらとピンクの筋を描く。
 が、すぐに消える。
 なぞったあとなど掻き消される。
 跡形など残らない。

 あるのは触れたという感覚。
 触れられたという記憶。
 
 世界は刹那の夢のよう。
 決して積み重なることのない淡雪の海。

 わたしは雪の原に消えていく。
 男の真っ赤な、それでいて冷たい欲情に紛れていく。
 そうしてわたしは消え去る。

 わたしは触れられる瞬間だけ、生きている。
 接した指、触れる手の平、圧迫する腹、絡みつく腕と足、むんとする体臭、ほつれ乱れる髪。粘りつく唾液。

 さあー、わたしをどう料理するの?
 
 料理する腕前を見てあげる。
 ウブなわたしを調理して御覧。
 
 五歳や六歳の頃に教え込まれた愛より深い情熱を、あなた、持っている?

 十三のわたしはウブを夢見る。
 ウブなわたしを男は信じている。

 不安そうな眼差し。
 男にはその眼差しほどに食指をそそるものはない。

 わたしは、あの頃、たっぷりと、いやというほど思い知った。
 不安そうな顔は火に油を注ぐようなものなのだと。

 何も知らないわたし。
 わたしを調教し、自分好みの女に仕立てようとする男。

 わたしは体をよじる。固く閉じていた口をためらいがちに開いてみせる。熱い息を漏らしてみせる。

 体をわざと固くして見せる。
 体を海老のように丸まらせて見せる。
 
 まっしろな背中が男の目に映る。そう、新たな雪原の発見だ。未踏の雪の原がどこまでも広がっている。湾曲した丘に背骨が雪山のコブコブに見える。
 脂の十分には乗っていない体。
 それが男にはたまらない。

 固く固く体を閉じる。
 男はわたしの背中に優しく語りかける。
 さあ、大丈夫だよ。
 体を開いて御覧。
 もう一度、お腹を見せて御覧。
 折り曲げたわたしの体の中に腕を挿し入れ、お魚を三枚に下ろすようにわたしを開く。
 煌々と照る蛍光灯の灯りがわたしを輝かせる。
 
 あの頃、わたしをオモチャにした近所の男たち。小学生や中学生の男の子たちが、畳の部屋に横たわるわたしを取り囲んでいた。
 わたしは眠ったふりをしていた。
 最初は何かの間違いだと思った。お祭りの夜の何かの儀式の一つなのだろうと思った。
 わたしだけ若衆宿に連れて来られて、みんなして優しくしてくれて。
 やがて部屋の明かりが消されて、わたしはお兄ちゃんのそばで眠った。
 周りにはお兄ちゃんの年上の男の子たちが寝ていた。

 一体、何時ごろだったのだろう、真っ暗な部屋が不意に真っ赤に染め上がった。
 けれど、目を開けても闇のままだった。
 真っ暗闇なのに、頭の中が真っ赤だった。
 それとも、真っ白だったのだろうか。

 そのうち、部屋の灯りが点いた。
 わたしは布団の上に裸で横たわっていた。
 男の子たちが周りに立ってわたしを見おろしていた。

 わたしは貝になっている自分を感じた。
 蛍光灯が眩しいほどなのに、わたしには何も見えなかった。
 
 ただ、男の子たちの中にお兄ちゃんもいた。

 お兄ちゃん、どうしたの?
 
 わたしはそう呟いたような気がする。
 でも、きっと、声にならなかったのだろう。
 何か呻き声のように思えただけかもしれない。
 
 男の子たちは優しかった。
 立っていたはずが、いつの間にかしゃがみこんでいた。
 わたしを見る目、目、目。

 ああ、お兄ちゃんは何処?

 そこにいるのね。

 わたしを助けてくれないの?
 
 何故、突っ立っているだけなの?

 わたしはむき出しになっていた。
 わたしは腸(はらわた)までさらけ出している。

 男の子たちの指がわたしのからだを最初は遠慮がちに、でも、段々、好き勝手に触るようになった。場所など選ばない。
 飽きると体を裏返し、背中やお尻も触りまくった。

 ありとあらゆる場所に手が伸びてくる。
 わたしの体に無数の手が生えている。

 まるでセンジュカンノンみたいだと誰かが言ったのを覚えている。

 そうか、わたしは観音様なんだ。男たちの観音様なんだ。
 だから、わたしは呼ばれたんだ。

 男の子たちの手は何処までも伸びてきた。
 そのうち、一番年長の男の子が言った。
 
 見たいだろう? あそこ!

 あそこ…。

 あそこって言ったっけ。覚えていない。

 誰かが凄いって言う。

 何が凄いの?

 わたしには分からない。
 
 裂け目だ。

 まるで切れているみたいだ。
 
 何処まで深いんだろう?

 そうだ、その時、年長の男の子が見てるだけじゃ分からないぞって言ったんだ。

 さあ、こうするんだ!

 あいつは電気スタンドを持ってこさせた。
 みんながしゃがみこんで眺めているので、男の子たちの体が邪魔で蛍光灯の灯りが陰になって見えないらしい。
 あいつは冷静だった。もう、何年も同じことをやってきたんだろう。
 指で亀裂の土手をなぞっていた。大人になるとこの辺りに毛が生えてさ、卑猥になるんだぞー。

 そのうち、指で亀裂を押し広げ始めた。
 乾いた土手に指が擦れる音がカサカサッて鳴ったような気がする。気のせい?

 スタンドの灯りを翳して中を照らし出そうとする。
 
 見えないだろう。深いんだ。何処までも深いんだ。体の奥の奥まで深いんだからな。

 わたしはじっとしていた。貝となったわたしを開くことなどできるはずもない。
 誰もわたしの中に潜り込もうなんてしない。

 わたしだけじゃない、みんなこんな経験してきたの。あの姉ちゃんも? 母ちゃんも?
 恥ずかしさで死にそうだった。

 違う!

 わたしはあの日、死んだんだ。
 貝になっただけじゃない。中味が干からびてしまったんだ。
 

 男の子たちが去ったあと、わたしはお兄ちゃんのそばで声を殺して泣いていた。涙が流れた。
 どうせなら、あそこに涙が流れてくれていたら、きっと痛くはなかったはず。
 わたしが涙を流して泣いたのは、あの頃で終り。あれが最後。
 もう、干からびてしまったんだもの。

 蛍光灯と電気スタンドの灯りで肌が乾ききってしまった。きっと、心も乾いてしまって、風化して、粉々になって何処へともなく飛ばされていったんだ。

 わたしの肉体。
 それは砂のかたまり。
 形だけの肉体。心はあの若衆宿の天井の片隅で縮こまったまま。
 いつしか取り壊されてしまった。同時にわたしの心も崩れ去ってしまった。

 でも、記憶だけが残っている。わたしというかたちだけのはずの存在の何処かに潜んでいる。わたしは蛍光の虚ろな輝き。わたしは心のない霊。樹液の流れない観葉植物。壁を伝って這う涸れたツタ。

 男の手が這う。男の顔が巨大になる。吐く息が縺(もつ)れ合う。

 わたしは一層、ウブな女になっていく。何も知らない女の子。男の描くがままの女になる。
 あの日々の亀裂が谷底で雪に埋まっている。男の手はわたしの谷間にまで届くだろうか。あの日々がなかったものになるだろうか。
 まさか!

 こいつがダメなら相手を変えるまでだ。
 体を熱くなる。固くなる。転がる石ころになる。転がされたっていい。錆や垢が殺がれるのなら。

 ジタバタ暴れてみた。抗ってもみる。

 男の情欲が高まるのが痛いほど分かる。


 おじさんに任せとけば、大丈夫だよ。

 大丈夫なものか!
 男の肉の海に溺れる、真似をする。
 いや、溺れさせてくれるなら大歓迎だ。
 
 不安げな表情を装う。その実、体の勝手な反応に戸惑っている風を装う。
 すると、男は一層、情欲に駆られる。女の肉に男が溺れる。わたしを貪ろうとする。
  
 わたしはそんな男をじっくり見ている。
 あの日々の奴らのマジに真剣な顔、顔、顔を見つめているような気になる。

 男が知る限りの手を繰り出すたびにわたしはあらん限りの抵抗を試みた。
 それこそ、これまでだって数えきれない程の抵抗を試みたのだ。

 そう、そのほうが男が喜ぶと知っているから。
 そしていつかウブな自分に還れると思うから。

                            (終り)

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