蜃気楼の欠けら
バスが魚津にあるまいぼつりん博物館の駐車場に着いた時は、ボクはフラフラだった。
ボクはバスに弱いのだ。
バスの排気ガスに酔うのか、揺れるバスに弱いのか、ボクには分からない。
乗ってものの十分もならないうちに、それこそ、まだ発車していないうちにでも、バスに乗ったというだけで、酔う。
酔っているような気分になる。
酔わないと、かえって自分が変なのかもと心配になるほどだ。
だから、遠足なんて、大嫌いなのだ。
先生が何か言っている。
バスを誘導し終えたバスガイドさんが降り口のところで、立っている。乗り物にも弱いけれど、見栄っ張りでもあるボクは、足元がふらつかないよう、懸命に降りた。
ああ、きれいなおねえさん。
でも、ボクは、言ってらっしゃいというガイドさんの声に返事も出来なかった。
酔っていたから、それとも、恥ずかしかったからなのか、考えないことにした。
気分が最悪のボクだったけど、ボクの目線の先にはあの子がいた。ボクが保育所の時代から好きなあの子を見逃してなるものか。
バスの中では、随分と離れた席になってガッカリだった。
その実、吐き気でげっそりしている、かっこうの悪い自分を見られなくてホッとしていた。
大体、同じクラスだし、席だって斜め前にあの子がいるんだ。バスの中くらい、我慢するさ。
…帰りも同じ席なんだろうか。離れたままなんだろうか。
今日は梅雨だというのに、びっくりするほどの快晴なのだ。
一緒に、バスの窓から風景を眺めたい…。
明日は遠足という日も、先生はまいぼつ林のことをさかんにしゃべっていた。
教室の後ろにまいぼつ林のでっかい写真を貼ってくれていた。
ずっとずっと昔の林が海に埋もれ、ほとんどそのままの形で今に残ったのだとか。
びっくりしたのは、博物館が1954年に出来たってことだ。
…つまり、ボクらが生まれた年に、一緒に生まれたってことじゃないか。
もしかして、だから、観に行くの?
でも、ボクが一番、驚いたのは、海面が上昇して林が海の底に沈んだという先生の説明だった。黒板に白のチョークでなにやら難しそうな図を描いて、熱心に説明している。
説明の言葉など、ボクの頭上を飛び去るばかりだった。
海が上がってくる!
だったら、ボクたちもいつか、海の底に沈んじゃうのだろうか。
先生に聞きたかった。
クラスで成績が最下位を争うボクが聞けるはずもなかった。
ただ、先生の顔をじっと見つめるだけだった。
六台のバスが止まっていて、みんながいっせいに博物館の中に入っていく。
もちろん、クラスごとに固まって中に入っていく。あの子の姿も見える。
あの子はいつも先生の間近にいる。勉強熱心で、きっと、いい学校へ行くんだろう。
ピアノを習っていることもボクは知っている。
何故って、あの子のうちとボクのうちとは歩いて十分もかからない。水曜日と金曜日は、学校が終わると、あの子はすぐに帰る。うちにピアノの先生が来るんだ。
だから、そんな日はボクもまっすぐ、その子のうちのほうへ。
あの子の家の前の細い川の土手に立つ木を背に、いつもボクはレッスンが終わるまで聞いていた。
そう、あの子は先生のお気に入りなのだ。
それに比べると、ボクは、先生にもあの子にも相手にされない。
うん? そうだ、先生は時々、ボクのことを叱ってくれる。
その時がボクは、一番、複雑な気持ちになる。
お父さんもお母さんもボクのことをほったらかし。一年と二年の時も、担任の先生はボクを無視していた。悪さしても、叱りもしない。で、時々、お母さんを呼び出しては、この子は何もやる気のない子ですね、なんて言っているんだ。
だから、小学三年から担任になった今の先生は叱ってくれるだけ嬉しい。
この世界でボクのことを気に掛けてくれる人がいる!
ボクには生まれて初めての経験だった。
一度など、頬っぺたをつねってくれたっけ。
でも、あの子が叱られているボクを見ている、見てバカにしている、なんて思うと悲しくなる。
出来の悪いボク。バスに弱いボク。
ボクはどうしたものか。
気が付いたら、みんなかなり先に行っている。
ボクは一人きりだった。
ボクは、まいぼつ林に口をあんぐりだった。
海水に浸かったまいぼつ林の写真。
ガラスの向こうには、でっかい樹の根っこ。無数のタコの足が絡み合っている。大地にしっかり根付いているはずが、海の底なのだ。タネや昆虫も昔のままに残っている。
ってことは、ボクもいつか知らない間に海の底にいるってことなんだろうか。
そのことに気付いた瞬間、ボクはバスに酔ったことも、あの子を追いかけることもすっかり忘れてしまった。
ボクとまいぼつ林の沈む海とを隔てるガラスの壁。
ボクの目には、根っこの怪物の横たわる部屋には目に見えない海水が一杯に溜まっているように思えた。
今にもガラスが割れそうな気がする。
気のせいか、海水におされて、たまらずガラスがピシピシ鳴っているような気もする。
いや、きっと、そうなんだ。
ガラスが割れて、海水があふれ出し、樹の根っこが生き返って、ボクらを襲う…。
そのことに気付いているのはボクだけなんだ。
ああ、大声を上げてみんなに教えてあげようか。
それとも、先生に…。
でも、その前に、あの子に言わなくっちゃ!
その必要はなかった。
みんな博物館の外に出てしまっていた。
影も形もなかった。
ボクは取り残されていたんだ!
いつだってそうだ。ボクは置いてけ堀を喰らっちゃうんだ。
薄暗い館内でボクは呆然としていた。
仕方なくボクは博物館の中にあるシンキロウを紹介するコーナーに向った。
いいんだ。一人ぼっちだって。ボクにはボクの…。
シンキロウの話も先生がしてくれたのを思い出した。でも、よくわからなくて、カゲロウとかユゲのようなイメージと区別が付かなかった。マボロシだけど、ちゃんと目に見えるマボロシ。ユウレイよりは確かなマボロシ。マシュマロみたいなシンキロウ。
ボクのようだ。ここにいる。でも、いない。だーれも、いない。一人ぼっちだと、いないも同然なのだ。だって、誰も見ていないボクなんて、いるってどうやって言える?
いないほうがいいのかも。
いっつも、びりっけつ。オジャマ虫のボク。
ボクのクセがまた出てきた。どうせ、オジャマ虫なら、消えてしまおう! このまま、どっかへ行っちゃえばいい! ちょうど、中は暗いから、消えたって誰も気付かないし。
そうさ、ボクはシンキロウさ。
すると、シンキロウの部屋のショーケースがピカッと眩しく輝いた。同時に、風が吹いてきた。
違う。
風じゃなかった。
あの子だった。
天使だった。
出口の分厚いカーテンを開けてあの子が颯爽とこちらに駆けてくる。
後光が差している!
先生が呼んできなさいって、言われちゃったと、あの子。
嬉しさと驚きで立ち尽くしているボク。
なんて、でっかい目なんだろう!
何してんの?
早く、早く。みんな、待ってるのよ!
う、うん!
あの子と二人、しゃべったのって、何日ぶりだろう!
できるなら、手を引いて引っ張ってって欲しかった。
先になって駆け出していくあの子の後姿が眩しかった。
なんて足が速いんだろう。
まるで追いつかない。
出口に向うあの子は光の子だ!
博物館の外は眩しかった。日光がサンサン。
さっき、二人っきりだったのが夢のようだ。
太陽が感激を蒸発させてしまった。
ボクはまた、金魚のウンコみたいに、みんなの後ろにくっ付いて歩いた。
先生は、シンキロウが見えるかもしれないと昨日から何度も言っていた。
冬のシンキロウは珍しくないけど、春のシンキロウはめったに見られない。
今日は、条件がバッチリなんだとか。
ユウレイって、そんなに都合よく見えるものなの?
でも、博物館だって、ボクと同じ年に生まれたものだし、その中でほんの短い間だけど、二人っきりになれた。夢やマボロシじゃなかった!
だったら、シンキロウだって見えるかもしれない。先生って、正しいことを言うはずだし。
生臭い匂いが漂ってきた。
海だ!
ゴミが一杯、波打ち際や浜辺に落ちている。ワカメみたいなのや魚の腐りかけたのが、木の欠けらやプラスチックやビニールのゴミと混じっている。
海もいいけど、ゴミだらけの砂浜を歩くのも楽しそう!
また、ボクの癖が出て、砂浜を何処までも歩き出そうとしていた。
そのときだった。誰かが、シンキロウだ! と叫んだ。
シンキロウ?!
春のシンキロウだぞ!
ボクは慌ててみんなの目線を追った。目の先の海を目を凝らして眺めた。
でも、なかなか見えない。
先生のほうを見た。すると、先生は双眼鏡を覗いている。
双眼鏡を使わないと見えないの?
クラスの仲間たちもみんな沖合いを見ている。何も使っていない。
ボクは必死になって海の彼方を見た。
一瞬、白っぽいものが見えたような気がした。
違った。沖に停泊している外国船だ。漁船も漂っている。
海がユラユラしている。時折、海面が鏡のように滑らかに見えたりした。海の青なんだか、空を映して青くなっているのか分からないような気がした。
あの、鏡の面のような細い帯がシンキロウなのだろうか。
みんなワイワイ騒いでいる。
みんな見えているみたいだ。
ボクにだけ、見えない?
ボクはくやしかった。
勉強はできないけど、目は悪くないはずなんだ。本を読む目はないけど、教室の窓の外のポプラ並木は飽きるほど眺めてきたボクなんだ。
……。ダメだった。
帰る時間が迫ってきていた。先生が時計を気にしている。
あの子は?
あの子も満足げな顔をしている。きっと、見たんだろう。
ああ、またしても、ボクは、のけ者だ。びりっけつだ。帰りのバスで、みんなが自慢げにシンキロウの様子を語り合うのが目に見えるようだ。
こうなったら、どうでもいいや。帰りはバスの中でゲロ吐いて気分が悪いってことにする。もう、我慢などする必要もないや。
そのときだった。奇妙なものに気付いた。浜辺に白っぽいものが浮んでいたのだ。何かゴツゴツしたような、変わった形をしていた。軽そうな感じ。何かをかたどったような規則正しい部分と、千切れたような部分とがあった。
あれは…。
あれは、何だろう。
氷の塊のようだけど、もっとずっと軽そう。
眺めているうちに、ハッとひらめくものがあった。
もしかして…、あれは…、沖合いのシンキロウの欠けら?
シンキロウって、真っ白に光り輝く宮殿みたいに見えるって、先生か誰かが言っていたし。
海に純白の宮殿が沈んでいく、最後の瞬間に宮殿の壁か柱か塔の一部がはがれて落ちて、それがこっちまで流れ着いてきたんだ!
拾おう!
でも、ダメだった。みんなにせかされて拾うよゆうはなかった。
あの子がまた、ボクをにらんでいる。
まるでお荷物だっていう顔だ。
ああ、ボクはのけ者。
でも、いいんだ。
だって、ボクは見たじゃないか。宮殿を。欠けらかもしれないけど、あれほどはっきり見た奴って、ボクだけじゃなかろうか。
そうだ、きっとそうだ。ボクだけなんだ。
今日という今日は、何もかもがボクのためにあったんだ!
帰りのバスの中でボクはボクだけの夢を楽しんでいた。他の奴らがシンキロウがどうしたなんて言っていても、どうでもよかった。
あの、純白の輝きを、もう少しで手にできるほど間近で目にしたんだ。
ああ、いつか、ボクのその栄光の事実をあの子に伝える日が来るだろうか。
来る!
来るに違いない。
そう、信じながらボクは吐き気に耐えていた。
[本作は、「棕櫚の樹や麦の話と二毛作」に戴いたコメントなどをヒントに掌編に仕立ててみたものです。]
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コメント
お得意の「ボクもの」で来ましたね。
それにしても蜃気楼(の欠けら)という題材をこんなに素早く調理されたとは。
そして、その味わいはといえば、
繊細で些か屈折した、甘味もあれば苦味もある、
だが素材の持ち味を丁寧に活かしたいつもながらの弥一テイスト。
堪能させて貰いました。
そういえば芥川に「蜃気楼」という小品があったことを想い出しました。
今夜あたり、焼酎のお湯割りでも飲みながら読み返してみようかな。
ところで私も、
以前魚津に行った折に「埋没林博物館」に立ち寄りましたが、
ある種の感動を覚えましたね。。
投稿 石清水ゲイリー | 2007/04/10 22:39
石清水ゲイリーさん、コメント、ありがとう。
結構、創作、楽しませてもらいました。
一つの事柄も、ほとんど常に明るい面、暗い面の両方がある。
子供の頃には希望や夢に溢れていた事実も、分かってみたら、ガッカリだったりする。
それでも、単なる勘違いに思い入れタップリだった自分がいたという事実だけは、微動だににしない。
両義性も含めて、過ぎ去ってしまった現実は、どんな過去も(見る角度でどんな解釈も可能な)純粋結晶となってそこにあるような気がします。
芥川の晩年の傑作「蜃気楼」は、ネットでも読めますので、念のために覗いてみたのですが、蜃気楼は蜃気楼でも、沙漠を彷徨う民が幻影としてのオアシスを見るような意味合いだし、作風があまりに違うので、参考にならなかった(これはこれとしていいんだけど):
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/147_15135.html
埋没林は博物館のも凄いけど、いつだったかテレビで見たけど、海底の埋没林の光景が凄い!
投稿 やいっち | 2007/04/11 08:35