水母・海月・クラゲ・くらげ…
小生は海に住む動物で海月が一番好きである。どんなところが好きなのか、自分ではよく分からない。
何だか掴み所がないし、ふわふわくねくねしているし、ただ波というか水流のままに流れているだけで、奴には意志の欠片もないように思える。そこがいいのだと思える人もいるだろうし、水槽や水族館で見ている分には刺される恐れもないし、ユーモラスな感じがあって、お気に入りだという人もいるだろう。
← 並河 洋/楚山 勇著『クラゲガイドブック』(ティビーエスブリタニカ) (画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より)
予め、念のために断っておくと、クラゲといっても、その一生はポリプから始まっていく変遷(メタモルフォーゼ)を経てクラゲとなる。
小生がここで扱うのはクラゲとなった段階のクラゲである。ポリプからストロビラ、そしてエフィラの段階のクラゲは、また、別の機会に譲る。
さて、半透明のクラゲ。なんとも幻想的というのか、この世ならぬ生き物とさえ感じられたりする。ぬらぬらしているし、形が定まらないようで、それもそのはず、奴らには、骨もない代わりに、脳もないのだとか。なんたって、体の95%以上、ことによると98%が水分なのだとか。これでは、水の流れに身を任せるしかないわけだ。
(人間は時の流れに身を任せるのが理想のようだが、彼らは時のみならず水の流れに身を任せている。我々人間は彼らに生き方を見習うべきなのかもしれない?!)
そんなクラゲだから、見ている我々には超然としているというか、悠然たる生き様というか、太古の香りそのままに悠久の昔から生き抜いてきた(少なくとも数億年!)、時や空間を平然と超えて生きていると感じられるのだろう、か。
『広辞苑』によると、「(1)鉢虫類の刺胞動物の総称」だそうだが(つまり、クラゲ類という分類はない!)、(2)として、「(クラゲに骨がないことから)確固たる主義がなくて、意見の常に動揺する人」という意味もあるという。
クラゲには骨も脳もないと書いたが、胃袋はある。また、繁殖力は逞しい。やることはやっているのだ。
もしかしたら、そうしたいい加減なようで、また、自分の意見は動揺常なきなのだけれど、ポイントは外さないその知恵というかシタタカサに小生は密かなる喝采を捧げているのかもしれない。
しかも、雌雄同体!
小生は『古事記』の特に冒頭部分の記述が好きで、折に触れて読み返すが、中でも、「次に国椎く、浮ける脂のごとくして、くらげなすただよえる時に、葦牙のごとく萌え騰る物により成りませる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅の神。次に天之常立の神。この二柱の神も、みな独神と成りまして、身を隠したまひき。上の件の五柱の神は、別天つ神ぞ。」のくだりが好きである。
この「くらげ」は、「久羅下(くらげ)」と記述されている。現代では、水母とか海月(乃至はクラゲ)と記述する。英語ではメドゥーサ(Medusa)、ジェリー・フィッシュ(Jelly-fish)だとか。
いつからクラゲは海月とか水母と表記されるようになったのだろうか。
と、その前に、気になる言葉が現れている。クラゲのことを英語では、メドゥーサ(Medusa)、とも表記するらしい。メドゥーサ(Medusa)って、「ギリシャ神話の、髪の毛がすべて蛇という怪物の名」のはずである。
あるサイトによると、クラゲでもポリプの段階のクラゲをメドゥーサ(Medusa)と呼ぼうと提唱している:
「クラゲのポリプを楽しむ」(ホームは、「MyAQUA」)
つまり、ポリプの段階のクラゲは、何本かの触手のようなものがゆらゆらしていて、それが無数の蛇がくねくねしている様子に似ているから、いつしか(多分、クラゲの嫌いな連中が)メドゥーサ(Medusa)と呼ぶことにしたのだろう(推測)。
→ 「悪魔画廊」
せっかくなので、妖しくも美しいメドゥーサ(Medusa)の姿を見てもらおう:
「メドゥーサ」(ホームは、「悪魔画廊」)
さて、話は戻る。
クラゲのように話があちこちのたうつけれど、話題が話題なので許されたい。
そう、「いつからクラゲは海月とか水母と表記されるようになったのだろうか」という疑問である。
クラゲ(海月、水母)…。
あまりに美しい表現である。嫌いな人には、奴らには勿体無い、何か他の生物に与えるべきであり、奴らには原点に戻って、久羅下(くらげ)で身分相応じゃないか、と思う方もいるかもしれない。
ネットは便利なものである。「小説、詩、エッセイなどから、魚や水生動物を集めた辞書型水族館」と銘打ったサイトがある。その名も、「本のおさかなさん」という、おさかな引用集サイトである:
「本のおさかなさん」
この中の、「クラゲ、海月、水母」の項を見てみると、清少納言の『枕草子』(清少納言「枕草子 九八」、『新版 枕草子 上巻』角川書店)に見出される引用例が「海月」なる表記としては一番古いようである。
ちなみに、その箇所を再引用すると:
(宮)「いかやうにかある」と問ひきこえさせたまへば、(隆家)「すべていみじうはべり。『さらに、まだ見ぬ骨のさまなり』となむ、人々申す。まことにかばかりのは見えざりつ」と、言高くのたまへば、(清少)「さては、扇のにはあらで、海月のななり」と聞ゆれば、(隆家)「これは隆家が言にしてむ」とて、笑ひたまふ。
ああ、そういえば、そういうくだりがあったな、こんなユーモラスな叙述に出会って初めて古典を読んでよかったと思ったな、なんて、感慨深げな方も、おられるのでは。
ところで、「クラゲ、海月、水母」でネット検索をしていたら、下記のサイトをヒットした:
( http://nature.shizugawa.miyagi.jp/main/column/column1_11.html ← 既に削除されている)
この冒頭に、「海月、水月、水母、鏡虫、久良介。すべてクラゲを意味する言葉です」と書いてある(なぜ、久羅下が抜けているのか不思議だ。暗気(くらげ)でよく見えなかったのだろうか)。拙い! 「水月、鏡虫、久良介」と、調べる範囲が一気に広まってしまった。
もう、小生の調査続行の意志を挫くに十分な壁というか障害である。
一方、水月や鏡虫…、これまた何て美しい表現なんだろう…。
でも、ここまで来たので、もう少しだけ。
下記のサイトも参考になる:
( http://capasrv1.powerbroad.ne.jp/uo-cha/recommend/200309_2.html ← 既に無効になっている?)
このサイトによると、「海月」、「水月」、「鏡虫」というのは、日本語の言葉であり、「水母」というのは、中国語だという。
ついでながら、Medusa(メデューサ)は学名であり、「ギリシャ神話に登場する魔女の名。髪の毛が蛇でできており、その目を見た者は石にされてしまうという伝説がある。」に加えて、「クラゲの触手の形状や、毒を持つ性質が例えられたと考えられる。」とある。
そうだ、毒(!)の有無が大きいのだ。
ところで、更にネット検索をしていたら、下記のサイトをヒットした:
「食あれば 楽あり 小島 武夫 公家も好んだクラゲのコリコリ」
このサイトによると、クラゲについては、「海鏡、石鏡、海折(かいせつ)、凝月とも書く」という。
拙い! ますます手におえなくなった。
但し、この「食あれば 楽あり」(小島 武夫)というサイトには、「クラゲの語源は、海の中をクラクラと浮遊しているので、その「クラ」から来た」とか、「暗やみにいる化け物のようだから「くらばけ」がクラゲになったという説」、あるいは、「「暗ぐれ」「輪笥(くるげ)」「繰上(くりあげ)」などの説」もあると紹介してくれている。
小生は、「暗気(くらげ)でよく見えなかったのだろうか」なんて呑気なことを上のほうで書いていたが、案外、「暗がり→暗気→クラゲ」が的を射ている可能性もあったりするのかもしれない。あるいは、昔の食にうるさい人が、「食い気」とか「喰らう気分」とかから、食い気を誘う食べ物ということで、「食い気 → 喰らう気分 → 喰らう気 → 喰ら気 → クラゲ」になったとも考えられないではない。
この世の中、何があっても不思議ではないのだ。
もしかしたら強く言い張ったほうが勝ちってこともありえないではない…と思ったり。
もう、大分、小生、めげてしまった。くらげなすただよえる弥一である。行き当たりバッタリで書くから、こうなってしまうのだけど。
← 『クラゲの神秘』(記録、DVD、日本クラウン) (画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より)
海月というのは綺麗すぎる表現。
月の光が海に照り、月の形の影が海に漂い、あまりに海が月に見惚れすぎたものだから、ついには、海に月の精が舞い降り、海月という命の塊へと結晶したのかも。
全く逆に、満月の夜、月が何気なく下界の海を見遣ると、そこには眩いばかりに美しい影が。見入っているうちに、或る日、それが我が姿なのだと悟る。そして、凪の時の水鏡のような海に映る我が月影に見惚れ、いつしか海月へと結晶してしまったのかも。
月は案外、ナルシストなのかもしれない。
水鏡…。mirror(鏡)は、語源的に奇跡(miracle)に近いような気がする。
水面に映る自分の姿や顔。もしかしたら池面の影が自分を映していると気づいた時、人が人になったのかもしれない。そのことに気づいた瞬間の驚きは、今のわれわれには想像を絶するものがあったに違いない。幻想であり幻影なのだけれど、でも、自分の似姿でもある影。
それとも、誰かの流した涙の粒が、海に溶けきれずに漂い続けて、いつしか海の月に変容してしまったのか。
海月というのは、そうしたさまざまな瞑想遊戯の世界へ誘ってくれる。
ある方に、「不識天月但観池月」という言葉を教えてもらった。読み下すと、「天月を識らずして但池月を観ず」となる。池に映る月を愛でているけれど、実は、それは月の影に過ぎず、幻影ではない本物の月は天にこそある。愚かな人間にはそんな真相を識るのは難しい…。
クラゲの形は、水の泡を思わせる。小生のクラゲの漢字表記の源流を求めてのネットの旅も水泡に帰したようである。
(04/03/07記)
クラゲ関連サイト:
クラゲ全般について:「クラゲ - Wikipedia」
綺麗な画像で見るなら:「水生生物雑記帳 クラゲ目次」
見惚れる画像の数々:「クラゲ写真館」
いかにもクラゲ水族館らしく、幻想的:「くらげ水族館」
ちょっと覗いてみる>:「海月書林 ○。くらげしょりん」
こんな雲になりたい…:「くらげ雲」
こんな映画、観る?:「しびれくらげ」
くらげ饅頭を食す?:「エチゼンクラゲの饅頭」
クラゲと脳や筋肉、消化などについて:「京都にて クラゲについて。」
クラゲ関連の拙稿:
小生のクラゲ賛美!:「クラゲなす漂へる…」
寺田寅彦の随筆!:「寅彦忌…海月(くらげ)なす湯殿の髪の忘れえず」
[本稿は、04/03/07に作成し、ホームページにアップ済みのもの。リンクその他を手直しし、本サイトにアップしたものである。]
[「ゆぅるりゆらゆら 水揺りかご - 徒然なるままに」にて素敵なクラゲの姿を拝見。やっぱり、クラゲ、好き! (08/06/30 追記)]
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コメント
「ついには、海に月の精が舞い降り、
海月という命の塊へと結晶したのかも」とは、
なんと甘く美しい表現!
――実は抒情派ですね?
投稿: 加藤思何理 | 2007/04/05 08:55
海中をゆらゆら漂う海月を見るともなしに見ていると、幻想的な気分に陥っていく。濃厚な非現実感の純粋結晶が舞っているようです。
海水へ姿の見えない何物かが飛び込んだ。
空中にあっては全くの透明体。風さえ柳のしなるように避けていく。
そいつが或る日、海に飛び込んだ。
自殺? それとも、ただの気紛れ?
海中にあっても、そいつの姿は見えない。
でも、形は分かる。海に沈んだときの水流、次々に変幻する泡の行方。
やがて、ついにそいつが姿を現す日が来た。
でも、良く見ると、やはりそいつは姿を日の下に晒したくなかったのだろう。
人の目に見えたそいつは、そいつと思ったそれは、実はそいつが海中で泳ぎ漂ううちに身に纏った透明な衣だったのだ。
そいつが波に、海に、泡に刻み込んだそいつの記憶だったのである。
命は目に見えない形。海月はそのことを象徴してくれているようです。
投稿: やいっち | 2007/04/05 10:38