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2007/04/22

トーストとミルクとホセと

 久しぶりの休日なのに、タケシは朝から不愉快だった。
 夜来の雨がやまないから?
 違う。
 不快のタネはメールだった。コーヒーを片手にパソコンに向かい受信トレイを開くと、来るわ来るわ、迷惑メールの嵐だったのだ。
 係長という立場にあって、タケシは休日返上の日々が何年も続いていた。
 ようやくの思いで取れた休みなのである。

 この前、大方のスパムメールは「送信者を禁止する」機能で片付けたはずなのに、また、増えている…。

 チェッと舌打ちしながらも、片っ端から「送信者を禁止する」機能で処理していく。
 案外とこの処理が楽しかったりする。
 世の中の汚物を始末しているような、妙な快感を感じているような気がしていたのだ。安価なゲーム機で敵を打ち落とす感覚にどこか似ていた。

 こんな単純作業を続けているうちに、ふと、タケシは思い当たることがあった。


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2007/04/17

路上に踏み潰された蛙を見よ

 その時を境に私は変わった。昨日の私は消滅し新しい私は居場所を天に変えた。

 私は全てを見ようと決心した。私とは非在の焔。それとも存在の無。
 違う! 私とは、地上世界を厭悪する天の破壊的衝動。
 裸の女を見た。着衣を剥ぎ取られ心どころか肉までが剥き出しだった。肉の塊となった女は私をそそった。私までもが肉の塊となっていた。
 そうだ! 元始のお前になるがいいのだ! 元始の私がお前を奪ってやる。見ろ! 天覧する奴がいる!

 水を呉れだと。水はたっぷり注いでやったじゃないか。何も涙の川と洒落ているわけじゃない。地上世界を殲滅した光は、大地の水を干上がらせ、天へと巻き上げた。
 あの黒い雲が見えないのか。今にも洩れ零れそうなほど、今にも溢れそうなほど、水を満々と湛えているじゃないか。
 あれこそが、水の塊だ。渇望の的だ。今まで天の恵みを湯水の如く垂れ流しておきながら、この期に及んで何を我が儘を吐くのだい。

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2007/04/05

水母・海月・クラゲ・くらげ…

 小生は海に住む動物で海月が一番好きである。どんなところが好きなのか、自分ではよく分からない。
 何だか掴み所がないし、ふわふわくねくねしているし、ただ波というか水流のままに流れているだけで、奴には意志の欠片もないように思える。そこがいいのだと思える人もいるだろうし、水槽や水族館で見ている分には刺される恐れもないし、ユーモラスな感じがあって、お気に入りだという人もいるだろう。

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← 並河 洋/楚山 勇著『クラゲガイドブック』(ティビーエスブリタニカ) (画像は、「Amazon.co.jp 通販サイト」より)

 予め、念のために断っておくと、クラゲといっても、その一生はポリプから始まっていく変遷(メタモルフォーゼ)を経てクラゲとなる。
 小生がここで扱うのはクラゲとなった段階のクラゲである。ポリプからストロビラ、そしてエフィラの段階のクラゲは、また、別の機会に譲る。

 さて、半透明のクラゲ。なんとも幻想的というのか、この世ならぬ生き物とさえ感じられたりする。ぬらぬらしているし、形が定まらないようで、それもそのはず、奴らには、骨もない代わりに、脳もないのだとか。なんたって、体の95%以上、ことによると98%が水分なのだとか。これでは、水の流れに身を任せるしかないわけだ。
(人間は時の流れに身を任せるのが理想のようだが、彼らは時のみならず水の流れに身を任せている。我々人間は彼らに生き方を見習うべきなのかもしれない?!)

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2007/04/03

「光陰矢の如し」の周辺

 先日、またまた光陰矢の如しという諺が浮かんだ。但し、小生のことである。そんなに深い感懐に浸ってのことではない。
 念のために断っておくが、またまた…浮んだのである。たまたま…浮んだのではない!

 ま、確かに今年も既に早くも8月を迎え、この夏をなんとか乗り切ると、秋が待っている。秋が来ると、秋の日は(笑福亭)鶴瓶落とし…じゃなかった、釣瓶落とし、一気に冬が来て、債権者達が大口を開けて待つ師走がやってくる。
 つまり、今年も終わりになるのである。

 しかし何もそんなに急ぐことはないだろう。

 この歳になると確かに歳月の過ぎるのがやたらと早く感じるものだが、しかし、同時に体力の衰えもあり、年を越せるかという前に、そもそも夏を乗り切れるかどうかだって怪しいのである。
 時間の過ぎるのが早いと嘆く前に、とにかく日々を生き延びるのが先決だというわけだ。

 さて、しかし、小生、繰り返しになるが、そんな含蓄深い人生訓の類いをここで述べようと思ったわけではない。滋味ある読み応えのある文章だという自信があったら、エッセイの部屋に書く!

 実は、光陰矢の如しという諺を聞くと、前々から、すぐに碌でもない駄洒落が浮かんでならないのである。言うまでもない。そろそろ吐き出しておかないと、憤懣が溜まりすぎ、欲求不満のあまり、脳味噌が腐ってしまいそうな気配さえ、漂ってきたのだ。
 そう、小生が連想してならない駄洒落の数々とは、光陰が荒淫に繋がり、荒淫やりすぎの如しとか、荒淫サルの如しとか、まあ、そんな類いである。

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