姫始め
[「運動会の競争で参加者全員一等賞」という課題を与えられての創作です。]
わしはな、昔から憂えておることが一つある。
と、その前に、一言断っておくが、わしの話はくどいぞ。この年になると、若者を捉まえて話を聞かせるしか愉しみはないからの。
ま、何事も辛抱が肝腎ぞ。若い者は年寄りの話を聞くのが功徳じゃて。
さて、わしが憂えておること、それは、無数の精子の運命についてじゃ。お前も知っておるじゃろうが、男子たるもの一度の射精の際に発射される精子の数は病気でもない限り、数億匹という膨大な数にのぼる。
その気の遠くなるような数の精子どもが卵子目指して一斉に困難な旅に出るのじゃ。
そのさまは、そう、産卵のためのサケの大群の溯上の光景さながらじゃ。
尤も奴等はメスじゃが、この際、オスとかメスとかが問題じゃない。その健気というか悲愴というか、産卵のため、そして子孫を残すための凄まじいまでの闘いの姿。
それを見て涙しないものがあろうか。
それも季節は冬も間近の頃の話じゃ。そろそろ厳寒の季節を迎えようとする渓流を傷付きボロボロになりながら遡り、やっと産卵を終えたときには力尽き、静かに川床に横たわる。そのサケを狙って熊どもがやってくる。
熊が憎たらしいかって。とんでもないことじゃ。熊は熊で生きるために懸命なのじゃ。たっぷり脂肪を蓄えて真冬の山を乗り切る。自然の摂理を思うだけよ。
余談じゃが、わしのダチに試験管に射精し、その液をプレパラートに移して、顕微鏡で一匹一匹、精子の数を数えた奴がいる。奴が中学生になったかどうかの頃のことじゃそうな。奴は、そもそも精液の中に精子がいること自体を疑ったというのじゃな。で、実際に覗いてみたら、精子がいるわいるわでビックリしてしまい、到底、数える気にはなれなかったと言っておった。
ま、わしは奴のことを知っているから、その話は眉唾物と思っておる。何故って、大体、奴は同級生の女の子のスカートは熱心に覗くが、顕微鏡を覗き込むなど、ありえないと睨んでおる。
それに、奴は確か、両手両足の指の数より多い数は、たくさんと、十把一絡げという頭脳の持ち主だ。まあ、飛ばして出来た障子の染みの数でも数えるのがオチじゃったろうて。
さて、精子の話に戻ろう。
男というもの発射する快感に騙されて、それこそ数えきれないほどに無駄球を撃ってきたものじゃて。わしも若い頃は、日に三度四度五度と発射したものじゃった。その勢いがわしの自慢じゃったのじゃ。
嘘じゃないぞ。若い頃はションベンも威勢がいいが、精子の飛びっぷりもなかなかのものじゃった。ピューと飛んで、勢いだけで障子紙など突き抜けたものよ。二メートルは飛んだな。それが今では、垂れ零れるだけじゃ(遠い目…)。
いかん、いかん、わしの自慢話をしようというのじゃない。
で、大概は寒風吹き荒ぶというか、目的地などどこにもない真昼の闇夜に飛ばされておしまいじゃ。ま、手の平とか、雑誌から千切った写真とか、何処かの壁とか。中には砂地に突き立ててとか、中に適当な穴を開けたこんにゃくとかな。こんにゃくは温めるのはいいが、温度を間違えると大変じゃ。チン先が脹れ上がって、一週間は使い物にならなくなるからな。何事も、人肌の温もりが肝腎なのじゃな。
さて、たまにははるかな彼方だとはいえ、目的地に繋がる紅い闇の世界にまともに飛び出すこともある。
そう、まず、そうした機会に発射されるかどうか自体が、運命よの。
運が左右するのじゃ。十回に一度どころか、下手すると何百回に一度じゃな。
しかもじゃ、お、今度こそは目的地に行けるかもと思ったのも束の間、半透明のゴムの膜に遮られて、つい目の鼻の先の熱い血肉に触れられず仕舞い。
哀れよのー。
まあ、入り口のそのまた入り口の光景を眺められただけでも御の字かもしれんのー。
さてじゃ、これからが本番だ。
って、これから本番をするってことじゃない。話が山場に差し掛かったという意味じゃぞ。
なに? 話がくどい?!
最初にわしの話はくどいと言うておいたじゃろうが!
この程度のくどさに辛抱できんようじゃ、女子に持てんぞ。
女子と付き合うには珍宝が…、もとい、辛抱が肝心じゃ!
珍宝滅却すればホトまた涼し、じゃ。
カァーーーツ ペッ!
……すまん、すまん、喝を入れるところが、痰が出おって。
年じゃ、許せよ。
さて、珍宝じゃ、じゃない、辛抱だ、じゃない、ホト……でもない、本番……じゃない、ん? 本番と言ったのはわしか。
本番じゃなくて、本題じゃ!
お前は精子は精巣で作られることは知っておるな。生まれたばかりの精子はの、運動能力もない、やわな存在なのじゃ。精巣上体という部分を通る過程で運動能力を身につける。
発射オーライ、というわけじゃな。精子がたっぷり溜まった時の、あのなんともいえない、うずうずする感じ、若いお前なら分かるじゃろう。居ても立ってもおれんよな。
体の内側で擽られているような奇妙な感覚じゃて。
立っておられん。そりゃそうだ。あそこが突っ立っておっては、立つのも容易じゃないわいな。
わしも、若い頃は、歩くのが難儀だったものじゃ。ついつい前屈みで歩いたり、鞄で前をさりげなく覆ってみたり、数学の問題を思い浮かべて世俗を忘れようとしてみたり、その気を散らすのに懸命だったものじゃて。
さて、思いっきり引かれた弓で弾き飛ばされるようにして、無数の精子は飛び出す。元気溌剌。生気煥発。精子闊達。女子貫徹。射精貫徹。なんだか、支離滅裂じゃのお。どうもわしは四字熟語という奴が苦手じゃ。女子熟女は好きじゃがの。
ま、とにかく闇雲に突っ走っていくと言いたいのじゃ。
が、精子本人達は無鉄砲に走っているようでいて、実は、ちゃんと道筋があるらしいのじゃな。どうやら、卵子というか女御どのが目には見えない餌やら臭いやらを精子どもの鼻先に突き付けておるようじゃ。
その不可視の餌が、また、芳(かぐわ)しいというか、まぐわしいというか、ますます精子どものカリを立てるというか、駆り立てるんじゃな。我こそは一番乗り! 我こそは一番の逞しさ! 我こそは日の本一の天晴れなカリ…、じゃない、槍男(やりおのこ)ぞ! というわけだ。
ま、なかには競争に逸れるものもおる。最初から見当違いの方向へ彷徨ってしまうんじゃな。迷子なのか。それとも方向音痴なのか。方向音痴な精子ほど、哀れな奴はおらんのじゃなかろうか…。
余談だが、精子どもの戦いの姿を見ておると、つい、運動会のことを連想してしまう。
実は、本題はここからなのじゃがの。
この頃は、運動会での競争というか駆けっこというと、誰もが一等賞になるように、つまり誰もが嫌な思いをせずに済むように、傷付くことのないように、学校側の配慮たるや、大変なものじゃ。
それもこれも子供を預かっておるのじゃし、親御さんの非難が怖いし、子供が親より大切という世の中じゃからな。
このことに疑問を持つ方も多いと聞く。確かに無条件で賛成はできんというのも、無理からぬ話じゃ。
が、わしは賛成なのじゃ。
何故かって言うと、そもそも子供に限らず、人間はみんな似たり寄ったりのようでいて、実はみんな生まれたときの条件も、まして育つ環境も違うのじゃ。それをじゃ、運動場のグラウンドで同じ線からスタートします、条件は同じです、あとは競争です、ということで順位がついてしまうというのは、理屈に合わん。
土台がはじめから違うのだから、優劣がついて、早い遅い、うまい下手があって当然で、順位が付けられるほうが出来レースに思われるのじゃ。
競争をしたかったら、有志が集まってやればいいことじゃ。誰もがみんな生活の条件が違うのじゃから、戦う舞台も評価の基準も違って当然。
つまり、順位をつけるための一つだけの物差しなど、ありえんということだ。
さて、生きている子供については、このように多少は塩梅もできるが、精子となるとの…。
嘆かわしいばかりじゃ。
あの一個だけの卵子を目指して数億もの精子が目くじら立てて命を賭けて突き進む。
そうしてやっと卵子どのの鎮座まします玉座近くに辿り着いても、それで終わりというわけじゃない。
そこまでやってきた精子は、せいぜい数十匹か百匹程度なのだから、そのどれとも卵子どのは、苦労を労う意味でも、一度ずつくらいは、交わってやればいいものを、勿体ぶりおって、卵子の回りには顆粒細胞なぞという、精子にとってはバリヤーとなる膜を張って、寄せ付けないのじゃよ。
このバリヤーで卵子どのは精子の値踏みをするんじゃろうな。
おうおう、あちきとやりたがるおのこが一杯。いきり立って、哀れそのもの、どれどれ、イケメンはいるかな、若く逞しいのはどれかな、なんてな。
しかも、御丁寧にこの細胞群というバリヤー以外に、透明帯というバリヤーもあるらしい。
まあ、聞くところによると、卵子の保護と、異種の精子が来たら困るので、精子の種別をする機能を持っているらしい。異種の精子も元気な奴だったら、ここまで来れるということか。昔から異種との交わりはよくあったという何よりの証拠なのかんもしれんな。わしも人間の女子(おなご)ではダメでも、他の獣だったら…。病気に掛かった鳥でもいいから焼き捨てる前にわしに貸してくれんものか…。
おお、いかん、いかん、わしとしたことが、本音が過ぎた。
わしはの、これでもれっきとした男子じゃからの、本当のところは分からんのだが、無数の精子の侵入と接近を待つ卵子の気持ちは、どんなものなのじゃろうか。女王蜂の気分なのじゃろうか。自分をめがけて血気盛んな若い男の大群が我こそはと、自分一人を目指して険しい崖をよじ登り、怒涛の激流を遡ってくる…。
この選ばれた存在という感覚は、心底痺れるものがあるのじゃなかろうか、のう。
その分、一旦、男を、もとい、世界で只一つだけの精子を迎え入れた瞬間からは、長く辛い日々が待っておるのじゃから、無数の男というか精子を睥睨するという女王様の快感という、それくらいの余禄はあってもいいのかもしれん。
が、わしが憂えるのは男どもじゃ。いや、精子どもじゃ。
わしは、無謀というか過保護というか、意味などないと言われるかもしれんが、無数の精子どもに卵子とのまぐわいの喜びを知ってもらいたいのじゃ。弱いもの、運の悪いもの、力のないもの、メスたる卵子の示した道をうまく辿れない愚かもの、そんなものには卵子と結びつく資格などないのかもしれん。
それは分かる。
厳しい競争を勝ち抜いてこそ、勝者と呼べるのだし、その苛酷さこそが自然の摂理だと、わしも重々分かっておるのじゃ。
が、それでも、わしの悲願として、数億の精子どもにも一瞬でもいい、まぐわいの喜びを! と願わずにはおれんのじゃ。精子一匹に卵子一個とのご対面のチャンスを! と切に望まれてならんのじゃ。
運動会の競争で参加者全員一等賞という発想に賛成のものなら、わしのこの悲願も賛同されるのではなかろうか、のお。
ということでわしも今から姫始めじゃて。一匹くらいは飛ぶじゃろか。
(04/01/27作)
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コメント
毎年、年末が近付くと、「姫始め」をキーワードにネット検索して「兄ちゃんの姫始め」をヒットする人が多い。
ありがたい。
けど、小生としては、こっちも脚光を浴びてもらいたい!
「姫始め」でネット検索するって、一体、目的は何なのjか、訊いてみたいな。
具体的な段取りや方法? 風習としての歴史? 季語? まあ、でも、皆さん、お盛んですな。
投稿: やいっち | 2007/12/30 20:08