何処へ消えた?
これはオレがまだ、現役の泥棒だった頃の話だ。
かねてより、物色していた物件があった。共稼ぎの夫婦の家だった。当然ながら、二人とも、日中はいない。先に帰ってくる女房も、早くても五時半過ぎの帰宅だ。旦那の帰宅時間までは把握出来ていない。まあ、夕方以降ということだろう。
午前の十時を二十分ほど回った刻限だった。
主婦達の、ゴミ出しや掃除、その他の家事が一段落し、近所も一時的に閑散とする時間帯を狙って、家に忍び込んだ。
どうやって鍵を開けたかって。それは内緒。営業上の秘密さ。ま、何も道具なんてなくたって、それこそピンの一本もあれば、大概の家は入れるのさ。
案の定、家には誰もいなかった…、いないはずだった。
オレは、父親がゴミを片手に、慌しく出勤するところも、母親が割烹着の格好で、歩いて十分ほどの総菜屋にパートの仕事をするために向ったのも、近くのビルの外階段から覗いて確認していたのだ。
なのに、薄暗い家の中に人の気配がする…。商売柄、人の影には敏感なのは言うまでもない。
(気付かれたか…。大丈夫か…。)
オレは、廊下の突き当たりの隅で石になっていた。静寂。オレの心臓の高鳴りだけがドクンドクンと、やたらと煩い。 不意に柱時計がボーンとなった。十時半。
床を踏む音はまるで聞えない。しかし、誰かいる。オレには分かる。勘だけれど、狂いなどありえない。鴬張りの廊下じゃあるまいし、廊下が鳴くわけがないのだが、廊下がキュッキュッ泣いている。誰かが風呂場と思われる辺りからやってくるのが感じられた。
すると、しばらくして小さな男の子の姿が現れた。どうしてガキが?! 二人暮しじゃなかったのか?!
ガキは次第にオレのほうにやってくる。廊下の隅っこの長持の陰に身を潜めているけれど、見つかるのは時間の問題だ。あまりに予想外で、ちゃんとした隠れ場所を確保する余裕などなかったのだ。
(くそっ、どうする?)
逃げるに逃げようがなかった。こうなったら開き直るしかない。
動悸が、苦しいほどだ。ガキ一人、殴るかどうかして、逃げればいい…。泥棒はしても、人に手は上げないのが信条だったけれど、今回ばかりは仕方ない…のか …。万事休すだ。
とうとう男の子は、オレの前に立った。不覚にも、つい目を閉じていたオレは、恐る恐る目を開けた。が、男の子は、そこに誰もいないかのように、そのまま過ぎ去っていった。
回りの様子など眼中にないかのようだった。
ガキは襖を開けて座敷に入った。そこには黒い大きな物体があった。目を凝らして見詰めてみると、その物体の正体は、どうやら巨大な冷蔵庫らしいと分かった。
座敷に、しかも、あんなにでかい冷蔵庫!
ガキには重そうなドアを開けると、庫内から灯りが洩れる。気のせいか、冷気がこちらまで漂ってきている気がする。ガキの顔はドアの陰になって表情を窺うことは出来ない。背中ばかりが白熱灯の光に照らされ丸く見える。
突然、ガキは、「見つけた!」と叫んだ。
オレは、黙れ、声を上げたら、まずいじゃないかと叱ってやりそうになった。
ガキは、庫内の奥に上体を突っ込んでいる。感じでは、手を思いっきり伸ばしているようだ。が、なんだか様子がおかしい。手が抜けないようなのだ。一体、何をしているのか。オレには分かるはずもなく、もどかしかった。ガキは懸命に手を引っ張り出そうとしている。
そのうちに、庫内の何かを引き摺り出そうとしているのだと分かってきた。
ガキは、なんだかブツブツ呟いている。(こんなところに隠れちゃ、ダメだよ)と言っているように、オレには聞えたけれど、断言はできない。
(かくれんぼなんだから、見つかったら、あきらめなくちゃ)とも、言っている?
そのうちに、ドスンという小さな、しかし妙に鈍い音がした。とうとう何かを畳の上に出すのに成功したのだ。
一体、獲物は何なのか。
身を乗り出して確かめたいという衝動を辛うじて制した。
(かくれんぼは終わりだよ)という声が聞こえたかと思うと、不意にまた、パタンという音。
どうやら冷蔵庫の扉が閉められたらしい。
が、男の子の影が見当たらない。
死角になったのだとしても、気配くらいはあるはずだ。なのに、家の中の、人の体に由来する微妙な空気の変化の源は、どう探ってみても、オレの辺りにしかない。
つまり、居るのはオレだけだということだ。
ガキは何処へ消えた?!
どれほど身を潜めていたのだろう。一時間? まさか! せいぜい数分のはずだ。泥棒の仕事は、安全・的確・迅速が旨なのだ。無用な長居などするはずもない。
ただでさえ、予想外の出来事に窮しているというのに。
オレは、何も盗らないで逃げることにした。
が、ガキが何を冷蔵庫から取り出したのか、確かめたいという欲求には勝てなかった。空いている襖から座敷の中を覗き込んでみた。
何もない! 誰もいない!
ガキは何処へ消えた?!
それとも、間違って冷蔵庫に閉じ込められてしまったのか?!
オレは軍手をした手を冷蔵庫の扉の取っ手に懸け、思い切って開いてみた。
開いた瞬間、大量の水が畳の上に零れてしまった。幸い、オレの足までは水は飛び散らなかった。
恐る恐る中を覗くと、庫内の下段に油紙で包まれ麻縄で括られた丸っこい物体が室内灯に照らされているのを発見した。
さすがに荷を出して、紐を解く余裕などない。正体を確かめるなんて論外だ。
もう、時間がない。不審なことだらけだったが、逃げるしかないのだ。
数日して、新聞に小さな記事が載っていた。
その共稼ぎ夫婦が自首した。自分たちの子どもを殺したというのだ。
何でも、留守中に家に泥棒に入られ、よりによって冷蔵庫の中まで荒らされ、庫内に冷凍していた子供が見つけられてしまった、だから、二人で相談し、観念して自首することにした、そう記事には書いてある。
体罰を加え、衣服で一杯の箪笥に押し込んでおいた、でも、ある日、気が付いたら子供は死んでいた、とも。
近所の人の話では、子供は病気で隣町の病院に長期入院していることになっていたとか。
泥棒? オレのことか。けれど、オレは何もしてないぞ。未遂だ。発見したのはガキなんだぞ。
オレは掴まっていない。だから、真相は誰にも漏らしていない。
真相…?
そうだ、あのガキが何処から来て何処へ去ったのか、オレには未だにさっぱり分からないでいるのである。
(04/04/22 記)
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