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2007/03/21

疑心暗鬼

[「運動会の競争で参加者全員一等賞」という課題を与えられての創作の最終編です。]

 裕太は、教室に居ても、廊下で遊んでいても、校庭でみんなとサッカーをやっていても、塾に通っていても、何をやっても不安の念が薄れる時がなかった。
(みんな、内緒で、どうやっているんだろう)

 他の生徒たちの動向が気になってならないのだった。
 裕太は、クラスの仲間全員に聞いて回りたかった。一体、どうやっているのか、と。

 でも、そんなことを聞けるはずもなかった。
 みんな一等賞、みんな満点の制度が始まって数年になる。が、誰もがこんな制度など、くそっ食らえと感じている。みんな、叶うなら以前の競争を是とする社会に戻って欲しくてたまらないのだ。
 ほんの数年前までなら、運動会では競争があり、一等賞から三等賞、選外からびりっけつまで結果が明確に現れていた。勝って喜ぶ奴もいれば、負けて悔しがる奴もいる。中には、徒競走や騎馬戦などなければいい、運動会などなければいいと思っている奴もいた。
 みんなの前で歌うなんて、真っ平だと思っている奴もいただろう。

 でも、その結果が歴然としているから、内申書にどう記入されるか、凡そのことは予測できる。また、どう書かれても納得がいっていた。
 それがみんな一等賞に、誰もが満点となってからは、内申書にどのような基準で優劣が付けられているか、さっぱり分からなくなったのだ。
 みんな一等賞と生徒や父兄らを持ち上げておいて、それでいて、いざ内申書となると、ちゃんと優劣が付けられ、内申書が進路の振り分けの材料に使われてしまう。
 体育系や音楽などの実技系だけではなかった。数学や国語や社会などの学科も、試験は行われるのだが、名前さえ記入洩れしなければ、みんな満点がもらえることになっていた。
 実際、答案用紙には、ちゃんと百点と赤いペンでしっかり書いてある。

 裕太だって、最初のうちは、自慢したくてウチに持ち帰り、両親とか近所のみんなに見せて回ったものだった。
 なのに…。

 そう、内申書は、何故か内申書だけは、旧態依然というわけではないが、きちんと優劣の評価が下され、優等生から劣等性まで厳格に序列が定められているのだ。
 一体、どうやって?! 何を根拠に?
 裕太には何が何だか、さっぱり分からなかった。
(もしかしたら、採点されて生徒に返却される答案用紙には満点と書いてあるけれど、実は、こっそり先生方は従来通り採点しているのかもしれない…。)

 そんなふうな疑念に囚われる生徒や父兄もないではなかった。しかし、先生達の教員室での様子を盗み見ても、そんな様子は露も見受けられないのだった。

 分からないのは裕太だけではなかった。最初は試験の成績が文句の付けようがないと喜んでいた裕太の両親も、内申書が以前にも増して微に入り細に入って記入されていると知って、愕然としているのだった。
 試験も運動会の結果も、音楽の授業での楽器の演奏の上手下手や歌の歌い方の良し悪しも、すべてみんな満点とか一等賞とされているのに、それでは、どうやって、あるいは何を根拠に内申書に生徒の素行を観察し優劣を定めているのか。

 生徒も父兄達も、みんな疑心暗鬼になっていた。
 一体、どうやって我々を観察しているのだ。
 一体、誰が我々を評価しているのだ。

 生徒たちは、次第に一挙手一投足がぎごちなくなっていた。
 何処でどうやって眺められているのか知れないのだ。おちおち教室でオナラをすることも鼻をかむこともできなかった。お喋りも、当り障りのない話をヒソヒソと行うだけになっていた。
 トイレの個室に入っても(そう、大を気兼ねなくできるようにという配慮とか、プライバシーなどが問題になり、男の子の小水も個室で行うようになっていた)、 ○ンコどころかオシッコもでない生徒が現れていた。
 というのも、トイレでの用の足し方が観察されていて、そのマナー如何が内申書に反映されるという噂がまことしやかに囁かれているからだった。中には、トイレットペーパーの使用した長さなどが記録されている、一回に29cmまでなら合格だが、30cmを越えると失格だという情報も流されていた。
 これでは出る物も、引っ込んでしまう。

 しかし、かといってしないわけにはいかない。出る杭は打たれるが、出る○ンコは垂れるしかないのだ。だから、父兄が学校の傍に携帯トイレを持参して車で待機していて、生徒は人目を憚りながら、こっそりと用を果たす有り様だった。
 学校は、いまや冷凍庫みたいになっていた。生徒の覇気は皆目、見られなくなっていた。大声を発するのは、もう、将来ある進路への希望など諦めきった奴と相場が決まっていた。
 少しでも将来、いい学歴、そしていい会社へ進みたいと思っている連中は、出来そこないのロボットのように、ギクシャクした、借りてきたロボットの猫のような振る舞いしかしないようになっていた。

 不思議なのは、学校でほんの数人の生徒たちだけは、やたらと元気に活発に振る舞っていることだった。磐石というか、大船に乗っているかのように悠然と日常を過ごしている。時には学校だって平気でサボる奴もいる。別に落ち零れ組みたいに、将来を諦めている風にも思えないのだが。

 どうしてそんな奴等がいるのか…?
 ほんの一度だけ、裕太は、そうした奴等の一人に、どうして君は、平然と学校生活を送れるの? と訊ねたことがあった。
 問われた奴は、(何を愚かなことを)とでも言うように、裕太を冷然と見下ろすだけだった。
(失敗した! 今の言動は記録されてしまって、内申書に反映されてしまうに違いない…。なんてバカなことを聞いてしまったんだ、ボクは!)

 一方、何故か先生方は、のんびりとした日々を送っている。誰が見ても、のほほんと働いているとしか思えなかった。そりゃそうだ、採点という面倒な仕事から解放されたのだから。
 それに、校長先生を初め学校側の人たちも、そんなに血眼になって生徒を指導したり観察しているとは思えないのだった。
 愛想笑いの陰で、こっそり、覗き見しているのではと勘ぐってみても、やはり、先生方のお気楽ぶりは疑いようがないのだった。

 何故、先生方も校長先生も、お気楽で居られるのか。

 実は、そこには訳があった。

 内申書の内容は、つまり進路は、親の学歴や閨閥と会社の優劣や株価、そしてなんといっても親の資産の大小と学校への寄付金の多寡、政権与党への貢献度などで入学した時点で全てが決まっているのだった。
 つまり、親の身元調査が入学当初に行われ、その結果で内申書は自動的に記入されていくシステムになっていたのだ。
 だから、先生方は、先生の振りを装えばそれでいいのだった。生徒は生徒らしく、しおらしくしていればそれで十分なのだった。いや、少々なら虐めや万引きや授業中の居眠りやトイレでの粗相もOKなのだった。ほとんど放任状態だったのだ。

 が、そんな裏の事情を知る生徒や父兄はごく少数だった。
 知っているのは、制度作りに携わったほんの一部の与党の政治家や利害関係者、つまり、制度を作った時点での勝ち組みの連中だけだったのだ。
 裕太ら圧倒的大多数の生徒や父兄等は、疑心暗鬼のままに、私生活さえもガラス張りにされてしまったような生活を送るのみだった…。何をどうすればいいのか分からず、ただ闇雲にいい子になろうと懸命だった。
 その実、どんなに必死に頑張っても無駄さ、とエリートたちは嘲笑わらっているのだった。

 裕太や多くの生徒たちは、疑心暗鬼の念で日々汲々とするのみだった。
 ただ、祐太は思った。昔の学校生活って楽しかったろうな、と。

                       (04/01/31作)

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2007/03/20

みんな満点

[「運動会の競争で参加者全員一等賞」という課題を与えられての創作の続編です。]

 コホン、コホン。
 この前は醜態を晒して恐縮しておる。

 名誉挽回というわけではないが、本日はやや荘重な内容の話になるから、そのつもりで承るように。
 この前も言ったが、年寄りの話を聞くのは若者の功徳だぞ。功徳じゃなくて、くどいぞ、などと文句を言わないようにの。

 さてじゃ、わしが今日、話そうと思うのは、みんなが一等賞にちなむ問題じゃ。
 せっかくこの世の日の目を見そうな哀れな精子に愛の手を! と述べて、つい我が身のことに思いが及んで、締め事というか秘め事というか姫事に望んで、ちっとは発射できるか、心配だったこともあって、つい、何だか繰り言になるなんて、のお、力が入ってしまったんじゃ。

 でじゃ、みんな一等賞という発想法の愚かしさは、皆も分かっておるじゃろう。今更、わしがくどくど説明するまでもないじゃろうて。
 ま、しかし、そこは老婆心というか(それにしても、なんで老爺心がないんじゃろう?!)、万が一にも問題が何処にあるか分かっておらん奴もいるかもしれんし、ここにルル三錠じゃない、縷縷、説明しておく。

 つまりじゃ、運動会などで徒競走などをやってじゃ、まともに競争をすると、当然ながら一等賞の者から二等賞、三等賞とあって、まあ、ここまではいいとして、そのあとには選外というか、賞状も賞品ももらえない連中が続くわけじゃ。で、最後にアゴを上げてひーひーいいながらやっとのことでごールに倒れこんでくる可哀想な奴も、必ず居るというわけじゃのう。

 で、ゲットクソの奴が惨めじゃないか、負けた奴が可哀想じゃないか、勝ち負けがあるなんて、差別に繋がる。虐め問題がこれだけ社会問題となっている最中、学校が先頭を切る形でそんな虐めの元を作ってどうする、学校はじゃ、みんなが仲良く生活する場なのじゃ、というわけで、運動会があっても建前上、競争をやっても、そこはそれ、ちゃんと按配してみんなが平等な結果を得られるようにするというわけじゃのう。

 わしは、この考えに大賛成だということは、この前も言った通りじゃ(じゃないと、わしのなけなしの精子が可哀想じゃないか! なんとか一匹くらいはチンタラしていても秘め事の奥所に辿り着かせて、で、とにかく口をパッカリ開けている姫君の元に…、のう、お主もわかるよのお、男子ならばの)。

 ところがじゃ、世の中には分からず屋もいるわけじゃ。

 頑張った奴が一等賞にならなくてどうする、だとか、みんな仲良く一等賞なんてバカなことをやっているから日本はダメになるんだとか、学校は、世間の荒波を避ける場であると同時に、社会の厳しさの一端を少しは学ばせる場であるべきだとか、まあ、分かったようなことを言う連中がいるものぞい。
 なるほど、勉強はできなくても、運動はできる奴もいる、そういう奴には、せめて運動会で一等賞などを取らせて、日頃の劣等感を少しでも鬱憤晴らしさせてやらないと、などと、知れたようなことを言う奴もいるようじゃ。一つの理屈かもしれん。

 が、わしに言わせれば、馬鹿な考えじゃ。成績もいい、運動会も一等賞、役員をやらせても有能という奴もいるじゃないか。
 逆に言うとじゃ、何をやらせてもダメな奴も居るって事じゃよ。勉強もダメ、運動もダメ、歌もダメ、絵は下手くそ、ウチに帰っても親は仕事で相手にされないとか、の。

 そこでじゃ、わしは考えた。中途半端はいけない、と。
 つまりじゃ、運動会でみんなが一等賞というだけではいけないのだと、の。

 ん? 分かったと、ん? みんながゲットクソ賞になって、負ける悔しさ惨めさを学ばせる?
 お前はバカか。わし以上のバカじゃな。
 そうではない。わしが考えたのは、みんなが満点ということじゃ。

 まだ分からんのか。察しの悪い奴ぞえ。
 運動会では競争をやっても、みんなが一等賞であるように、勉強でも、試験をやっても、その結果はみんなが満点ということにするのじゃ。

 不思議とは思わんか。わしに言わせれば不思議と思わん、世間のほうが余程、不思議じゃぞ。
 運動会では、負ける奴がいたら可哀想だから、みんな一等賞にしておいて、それでいて勉強のほうは旧態依然と○だ×だとチェックしていって、零点そして赤点から満点までばらつかせる。で、成績順で鼻高々振りを決めておる。
 この片手落ちは何じゃ! 不合理ではないか。理屈に合わんじゃないか。わしなど、幾度、赤点や零点を取ったことか。それもじゃ、試験問題に真剣に取り組んだのに赤点じゃぞ。情ないったらありゃしなかったぞい。

 コホン。また、遠い思い出が蘇ってしまった。何しろ出来の悪いわしじゃったが、こんなに立派に更正できるのじゃ。お前も心配することは何もないぞ。
 ということで、試験をやっても結果はみんな満点じゃ。こんな夢のような話はないじゃろう。

 運動のほうはみんな一等賞で試験は点数を厳しく付ける、ここに陰謀の臭いを嗅ぎ取らないと嘘じゃぞ。
 このみんな一等賞なんてのは、どうせ、頭のいい奴(頭だけのいい奴)の父兄の考え出した陰謀に決まっておる!

 つまりじゃ、内申書重視が叫ばれている中、学科の試験はなんとかなっても、運動の成績が悪いと何かと不都合じゃ。そこで体育も音楽も一等賞ということにして、体育系実技系の科目の成績を糊塗しようというのじゃな。体育系の得意な奴の鼻っ柱をへし折ってしまうという一石二鳥の効果を狙った巧妙な罠じゃ。
 腹黒い魂胆が隠されておるのじゃ。負けた奴が可哀想だ云々というのは、ただの美名じゃ、表向きの話じゃ。全ては内申書にどう反映されるかの問題なのじゃ。

 じゃからこそ、わしは主張するのじゃ。理科も算数も国語も社会も、みんな満点じゃ。答案用紙に名前さえ書けば、紙面に漫画を書こうが、先生の悪口を書こうが、用紙で飛行機を作ろうが、鼻をかもうが、精子を受け止めようが、みんな満点じゃ。
 そして、みんな東大へ推薦入学じゃ。だって、そうじゃろう、みんな平均点が満点なんじゃなから、東大など文句無しで推薦で一発合格じゃ。
 えっ? 定員があるから出来ない相談だと? つくづくお前は愚か者よのおー。みんな満点に決めたんじゃから、全国の大学の名前をみんな東大にすればいいことじゃろが。簡単なことじゃ。東大北海道分校、東大山形分校とか、の。

 そうすればじゃ、このアイデアをもっと早く誰かが気付いておったらばじゃ、そうしたら、わしも東大卒じゃ(正確に言うと、東大付属高校付属中学付属小学校付属保育所卒だが…。細かい話は抜きじゃ。東大・卒と書いても、紙面の都合で途中を略しただけで、嘘は書いておらんのだからの)。
 わしも学歴詐称もなんぞせずに済んだのじゃがなあ…(遠い目)。

 どうじゃ、なんだかワクワクしてきたじゃろうが。お前も遊んで暮らしても東大卒の学歴が約束されるのじゃぞ。
 そうなれば、後は人間性の問題だけになる。そうなれば、みんな、わしを見習い尊敬するようになるのは間違いない!
 その日が一日も早く来たらんことを祈るのみじゃ。
 ん? 昨夜の姫始めの首尾はどうだったかだと? わしの面前でそんなことを聞く奴があるか。
 惨め始めに決まっておろうが!
                         (04/01/30作)

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2007/03/12

姫始め

[「運動会の競争で参加者全員一等賞」という課題を与えられての創作です。]

 わしはな、昔から憂えておることが一つある。
 と、その前に、一言断っておくが、わしの話はくどいぞ。この年になると、若者を捉まえて話を聞かせるしか愉しみはないからの。
 ま、何事も辛抱が肝腎ぞ。若い者は年寄りの話を聞くのが功徳じゃて。

 さて、わしが憂えておること、それは、無数の精子の運命についてじゃ。お前も知っておるじゃろうが、男子たるもの一度の射精の際に発射される精子の数は病気でもない限り、数億匹という膨大な数にのぼる。
 その気の遠くなるような数の精子どもが卵子目指して一斉に困難な旅に出るのじゃ。
 そのさまは、そう、産卵のためのサケの大群の溯上の光景さながらじゃ。
 尤も奴等はメスじゃが、この際、オスとかメスとかが問題じゃない。その健気というか悲愴というか、産卵のため、そして子孫を残すための凄まじいまでの闘いの姿。
 それを見て涙しないものがあろうか。

 それも季節は冬も間近の頃の話じゃ。そろそろ厳寒の季節を迎えようとする渓流を傷付きボロボロになりながら遡り、やっと産卵を終えたときには力尽き、静かに川床に横たわる。そのサケを狙って熊どもがやってくる。
 熊が憎たらしいかって。とんでもないことじゃ。熊は熊で生きるために懸命なのじゃ。たっぷり脂肪を蓄えて真冬の山を乗り切る。自然の摂理を思うだけよ。

 余談じゃが、わしのダチに試験管に射精し、その液をプレパラートに移して、顕微鏡で一匹一匹、精子の数を数えた奴がいる。奴が中学生になったかどうかの頃のことじゃそうな。奴は、そもそも精液の中に精子がいること自体を疑ったというのじゃな。で、実際に覗いてみたら、精子がいるわいるわでビックリしてしまい、到底、数える気にはなれなかったと言っておった。

 ま、わしは奴のことを知っているから、その話は眉唾物と思っておる。何故って、大体、奴は同級生の女の子のスカートは熱心に覗くが、顕微鏡を覗き込むなど、ありえないと睨んでおる。
 それに、奴は確か、両手両足の指の数より多い数は、たくさんと、十把一絡げという頭脳の持ち主だ。まあ、飛ばして出来た障子の染みの数でも数えるのがオチじゃったろうて。

 さて、精子の話に戻ろう。

 男というもの発射する快感に騙されて、それこそ数えきれないほどに無駄球を撃ってきたものじゃて。わしも若い頃は、日に三度四度五度と発射したものじゃった。その勢いがわしの自慢じゃったのじゃ。
 嘘じゃないぞ。若い頃はションベンも威勢がいいが、精子の飛びっぷりもなかなかのものじゃった。ピューと飛んで、勢いだけで障子紙など突き抜けたものよ。二メートルは飛んだな。それが今では、垂れ零れるだけじゃ(遠い目…)。
 いかん、いかん、わしの自慢話をしようというのじゃない。

 で、大概は寒風吹き荒ぶというか、目的地などどこにもない真昼の闇夜に飛ばされておしまいじゃ。ま、手の平とか、雑誌から千切った写真とか、何処かの壁とか。中には砂地に突き立ててとか、中に適当な穴を開けたこんにゃくとかな。こんにゃくは温めるのはいいが、温度を間違えると大変じゃ。チン先が脹れ上がって、一週間は使い物にならなくなるからな。何事も、人肌の温もりが肝腎なのじゃな。

 さて、たまにははるかな彼方だとはいえ、目的地に繋がる紅い闇の世界にまともに飛び出すこともある。

 そう、まず、そうした機会に発射されるかどうか自体が、運命よの。
 運が左右するのじゃ。十回に一度どころか、下手すると何百回に一度じゃな。
 しかもじゃ、お、今度こそは目的地に行けるかもと思ったのも束の間、半透明のゴムの膜に遮られて、つい目の鼻の先の熱い血肉に触れられず仕舞い。
 哀れよのー。
 まあ、入り口のそのまた入り口の光景を眺められただけでも御の字かもしれんのー。

 さてじゃ、これからが本番だ。
 って、これから本番をするってことじゃない。話が山場に差し掛かったという意味じゃぞ。

 なに? 話がくどい?!
 最初にわしの話はくどいと言うておいたじゃろうが!
 この程度のくどさに辛抱できんようじゃ、女子に持てんぞ。
 女子と付き合うには珍宝が…、もとい、辛抱が肝心じゃ!
 珍宝滅却すればホトまた涼し、じゃ。

 カァーーーツ ペッ!
 
 ……すまん、すまん、を入れるところが、痰が出おって。
 年じゃ、許せよ。

 さて、珍宝じゃ、じゃない、辛抱だ、じゃない、ホト……でもない、本番……じゃない、ん? 本番と言ったのはわしか。
 本番じゃなくて、本題じゃ!

 お前は精子は精巣で作られることは知っておるな。生まれたばかりの精子はの、運動能力もない、やわな存在なのじゃ。精巣上体という部分を通る過程で運動能力を身につける。
 発射オーライ、というわけじゃな。精子がたっぷり溜まった時の、あのなんともいえない、うずうずする感じ、若いお前なら分かるじゃろう。居ても立ってもおれんよな。
 体の内側で擽られているような奇妙な感覚じゃて。

 立っておられん。そりゃそうだ。あそこが突っ立っておっては、立つのも容易じゃないわいな。
 わしも、若い頃は、歩くのが難儀だったものじゃ。ついつい前屈みで歩いたり、鞄で前をさりげなく覆ってみたり、数学の問題を思い浮かべて世俗を忘れようとしてみたり、その気を散らすのに懸命だったものじゃて。

 さて、思いっきり引かれた弓で弾き飛ばされるようにして、無数の精子は飛び出す。元気溌剌。生気煥発。精子闊達。女子貫徹。射精貫徹。なんだか、支離滅裂じゃのお。どうもわしは四字熟語という奴が苦手じゃ。女子熟女は好きじゃがの。
 ま、とにかく闇雲に突っ走っていくと言いたいのじゃ。

 が、精子本人達は無鉄砲に走っているようでいて、実は、ちゃんと道筋があるらしいのじゃな。どうやら、卵子というか女御どのが目には見えない餌やら臭いやらを精子どもの鼻先に突き付けておるようじゃ。
 その不可視の餌が、また、芳(かぐわ)しいというか、まぐわしいというか、ますます精子どものカリを立てるというか、駆り立てるんじゃな。我こそは一番乗り! 我こそは一番の逞しさ! 我こそは日の本一の天晴れなカリ…、じゃない、槍男(やりおのこ)ぞ! というわけだ。

 ま、なかには競争に逸れるものもおる。最初から見当違いの方向へ彷徨ってしまうんじゃな。迷子なのか。それとも方向音痴なのか。方向音痴な精子ほど、哀れな奴はおらんのじゃなかろうか…。

 余談だが、精子どもの戦いの姿を見ておると、つい、運動会のことを連想してしまう。
 実は、本題はここからなのじゃがの。

 この頃は、運動会での競争というか駆けっこというと、誰もが一等賞になるように、つまり誰もが嫌な思いをせずに済むように、傷付くことのないように、学校側の配慮たるや、大変なものじゃ。
 それもこれも子供を預かっておるのじゃし、親御さんの非難が怖いし、子供が親より大切という世の中じゃからな。
 このことに疑問を持つ方も多いと聞く。確かに無条件で賛成はできんというのも、無理からぬ話じゃ。

 が、わしは賛成なのじゃ。
 何故かって言うと、そもそも子供に限らず、人間はみんな似たり寄ったりのようでいて、実はみんな生まれたときの条件も、まして育つ環境も違うのじゃ。それをじゃ、運動場のグラウンドで同じ線からスタートします、条件は同じです、あとは競争です、ということで順位がついてしまうというのは、理屈に合わん。
 土台がはじめから違うのだから、優劣がついて、早い遅い、うまい下手があって当然で、順位が付けられるほうが出来レースに思われるのじゃ。
 競争をしたかったら、有志が集まってやればいいことじゃ。誰もがみんな生活の条件が違うのじゃから、戦う舞台も評価の基準も違って当然。
 つまり、順位をつけるための一つだけの物差しなど、ありえんということだ。

 さて、生きている子供については、このように多少は塩梅もできるが、精子となるとの…。
 嘆かわしいばかりじゃ。
 あの一個だけの卵子を目指して数億もの精子が目くじら立てて命を賭けて突き進む。

 そうしてやっと卵子どのの鎮座まします玉座近くに辿り着いても、それで終わりというわけじゃない。
 そこまでやってきた精子は、せいぜい数十匹か百匹程度なのだから、そのどれとも卵子どのは、苦労を労う意味でも、一度ずつくらいは、交わってやればいいものを、勿体ぶりおって、卵子の回りには顆粒細胞なぞという、精子にとってはバリヤーとなる膜を張って、寄せ付けないのじゃよ。

 このバリヤーで卵子どのは精子の値踏みをするんじゃろうな。

 おうおう、あちきとやりたがるおのこが一杯。いきり立って、哀れそのもの、どれどれ、イケメンはいるかな、若く逞しいのはどれかな、なんてな。

 しかも、御丁寧にこの細胞群というバリヤー以外に、透明帯というバリヤーもあるらしい。
 まあ、聞くところによると、卵子の保護と、異種の精子が来たら困るので、精子の種別をする機能を持っているらしい。異種の精子も元気な奴だったら、ここまで来れるということか。昔から異種との交わりはよくあったという何よりの証拠なのかんもしれんな。わしも人間の女子(おなご)ではダメでも、他の獣だったら…。病気に掛かった鳥でもいいから焼き捨てる前にわしに貸してくれんものか…。

 おお、いかん、いかん、わしとしたことが、本音が過ぎた。

 わしはの、これでもれっきとした男子じゃからの、本当のところは分からんのだが、無数の精子の侵入と接近を待つ卵子の気持ちは、どんなものなのじゃろうか。女王蜂の気分なのじゃろうか。自分をめがけて血気盛んな若い男の大群が我こそはと、自分一人を目指して険しい崖をよじ登り、怒涛の激流を遡ってくる…。
 この選ばれた存在という感覚は、心底痺れるものがあるのじゃなかろうか、のう。

 その分、一旦、男を、もとい、世界で只一つだけの精子を迎え入れた瞬間からは、長く辛い日々が待っておるのじゃから、無数の男というか精子を睥睨するという女王様の快感という、それくらいの余禄はあってもいいのかもしれん。

 が、わしが憂えるのは男どもじゃ。いや、精子どもじゃ。
 わしは、無謀というか過保護というか、意味などないと言われるかもしれんが、無数の精子どもに卵子とのまぐわいの喜びを知ってもらいたいのじゃ。弱いもの、運の悪いもの、力のないもの、メスたる卵子の示した道をうまく辿れない愚かもの、そんなものには卵子と結びつく資格などないのかもしれん。
 それは分かる。
 厳しい競争を勝ち抜いてこそ、勝者と呼べるのだし、その苛酷さこそが自然の摂理だと、わしも重々分かっておるのじゃ。
 が、それでも、わしの悲願として、数億の精子どもにも一瞬でもいい、まぐわいの喜びを! と願わずにはおれんのじゃ。精子一匹に卵子一個とのご対面のチャンスを! と切に望まれてならんのじゃ。
 運動会の競争で参加者全員一等賞という発想に賛成のものなら、わしのこの悲願も賛同されるのではなかろうか、のお。
 ということでわしも今から姫始めじゃて。一匹くらいは飛ぶじゃろか。

                          (04/01/27作)

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2007/03/07

The love song of a bird ?!(続)

君、Crowしたんだね。
さあ、Cuckoo(ここ)に Swan(座ん)なよ!
Booby(ボク)がDuckしてあげる。
君のPochard(ぽっちゃり)したHawk(頬)が素敵!
Dipper(ジッパー)降ろすからね。
ボクのCock(ここ)がHarrier(張り上が)ってるよ!
ボクのCock(ここ)が henだ。
断られたら、 chicken(縮ん)じゃう!
断るなんて、Kittiwake(聞き分け)のない子だね。
断ったら、Bee-eater(ビンタ)だぞ!
ああ、乙女のFinch(ピンチ)だね。
Lark(泣く)んじゃないよ。
Myna(みんな)が見てるじゃない。
Tit(ちっと)くらいいいじゃない。
さあ、Martin(町に)行こう!
Sparrow(素晴ら)しいAccentor(明日)が待ってるぜ。


(註)鳥の名前は下記参照
鳥種名(英名/和名/学名)対照表

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The love song of a bird ?!

Owl(オー)! 君はなんてCuckoo(格好) Eagl!
Owl(ボク)は君にFlamingo!
君にRobin!
君はSparrowしい!
ちょっと Cuckoo(ここ) Swallow(座ろ)!
さあ、Goose Gooseしないで!
さあ、Larkにして!
CraneボクのGull Falconになっておくれ!
どうしてnightingaleの?
さあ、Parrot(笑って)おくれ!

Owlの心はHawk Hawk だ!
Owlは君をIbisてる!
Owlは君にHeron Heronだ!
君はPigeon(美女)だ!

あれ、Dove(どこ)行くの?
ああ、Pigeon(逃げ)ないで!
彼氏にSwift(嫉妬)しちゃうよ!
Pelican(エリカ)!

(註)鳥の名前は下記参照
鳥種名(英名/和名/学名)対照表

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2007/03/04

何処へ消えた?

 これはオレがまだ、現役の泥棒だった頃の話だ。

 かねてより、物色していた物件があった。共稼ぎの夫婦の家だった。当然ながら、二人とも、日中はいない。先に帰ってくる女房も、早くても五時半過ぎの帰宅だ。旦那の帰宅時間までは把握出来ていない。まあ、夕方以降ということだろう。

 午前の十時を二十分ほど回った刻限だった。
 主婦達の、ゴミ出しや掃除、その他の家事が一段落し、近所も一時的に閑散とする時間帯を狙って、家に忍び込んだ。
 どうやって鍵を開けたかって。それは内緒。営業上の秘密さ。ま、何も道具なんてなくたって、それこそピンの一本もあれば、大概の家は入れるのさ。

 案の定、家には誰もいなかった…、いないはずだった。
 オレは、父親がゴミを片手に、慌しく出勤するところも、母親が割烹着の格好で、歩いて十分ほどの総菜屋にパートの仕事をするために向ったのも、近くのビルの外階段から覗いて確認していたのだ。

 なのに、薄暗い家の中に人の気配がする…。商売柄、人の影には敏感なのは言うまでもない。

(気付かれたか…。大丈夫か…。)

 オレは、廊下の突き当たりの隅で石になっていた。静寂。オレの心臓の高鳴りだけがドクンドクンと、やたらと煩い。 不意に柱時計がボーンとなった。十時半。

 床を踏む音はまるで聞えない。しかし、誰かいる。オレには分かる。勘だけれど、狂いなどありえない。鴬張りの廊下じゃあるまいし、廊下が鳴くわけがないのだが、廊下がキュッキュッ泣いている。誰かが風呂場と思われる辺りからやってくるのが感じられた。

 すると、しばらくして小さな男の子の姿が現れた。どうしてガキが?! 二人暮しじゃなかったのか?!

 ガキは次第にオレのほうにやってくる。廊下の隅っこの長持の陰に身を潜めているけれど、見つかるのは時間の問題だ。あまりに予想外で、ちゃんとした隠れ場所を確保する余裕などなかったのだ。

(くそっ、どうする?)

 逃げるに逃げようがなかった。こうなったら開き直るしかない。
 動悸が、苦しいほどだ。ガキ一人、殴るかどうかして、逃げればいい…。泥棒はしても、人に手は上げないのが信条だったけれど、今回ばかりは仕方ない…のか …。万事休すだ。

 とうとう男の子は、オレの前に立った。不覚にも、つい目を閉じていたオレは、恐る恐る目を開けた。が、男の子は、そこに誰もいないかのように、そのまま過ぎ去っていった。
 回りの様子など眼中にないかのようだった。

 ガキは襖を開けて座敷に入った。そこには黒い大きな物体があった。目を凝らして見詰めてみると、その物体の正体は、どうやら巨大な冷蔵庫らしいと分かった。
 座敷に、しかも、あんなにでかい冷蔵庫!

 ガキには重そうなドアを開けると、庫内から灯りが洩れる。気のせいか、冷気がこちらまで漂ってきている気がする。ガキの顔はドアの陰になって表情を窺うことは出来ない。背中ばかりが白熱灯の光に照らされ丸く見える。

 突然、ガキは、「見つけた!」と叫んだ。
 オレは、黙れ、声を上げたら、まずいじゃないかと叱ってやりそうになった。

 ガキは、庫内の奥に上体を突っ込んでいる。感じでは、手を思いっきり伸ばしているようだ。が、なんだか様子がおかしい。手が抜けないようなのだ。一体、何をしているのか。オレには分かるはずもなく、もどかしかった。ガキは懸命に手を引っ張り出そうとしている。
 そのうちに、庫内の何かを引き摺り出そうとしているのだと分かってきた。

 ガキは、なんだかブツブツ呟いている。(こんなところに隠れちゃ、ダメだよ)と言っているように、オレには聞えたけれど、断言はできない。
(かくれんぼなんだから、見つかったら、あきらめなくちゃ)とも、言っている?
 そのうちに、ドスンという小さな、しかし妙に鈍い音がした。とうとう何かを畳の上に出すのに成功したのだ。
 一体、獲物は何なのか。
 身を乗り出して確かめたいという衝動を辛うじて制した。

(かくれんぼは終わりだよ)という声が聞こえたかと思うと、不意にまた、パタンという音。
 どうやら冷蔵庫の扉が閉められたらしい。
 が、男の子の影が見当たらない。
 死角になったのだとしても、気配くらいはあるはずだ。なのに、家の中の、人の体に由来する微妙な空気の変化の源は、どう探ってみても、オレの辺りにしかない。
 つまり、居るのはオレだけだということだ。
 ガキは何処へ消えた?!

 どれほど身を潜めていたのだろう。一時間? まさか! せいぜい数分のはずだ。泥棒の仕事は、安全・的確・迅速が旨なのだ。無用な長居などするはずもない。
 ただでさえ、予想外の出来事に窮しているというのに。
 オレは、何も盗らないで逃げることにした。

 が、ガキが何を冷蔵庫から取り出したのか、確かめたいという欲求には勝てなかった。空いている襖から座敷の中を覗き込んでみた。
 何もない! 誰もいない!
 ガキは何処へ消えた?!
 それとも、間違って冷蔵庫に閉じ込められてしまったのか?!

 オレは軍手をした手を冷蔵庫の扉の取っ手に懸け、思い切って開いてみた。

 開いた瞬間、大量の水が畳の上に零れてしまった。幸い、オレの足までは水は飛び散らなかった。
 恐る恐る中を覗くと、庫内の下段に油紙で包まれ麻縄で括られた丸っこい物体が室内灯に照らされているのを発見した。
 さすがに荷を出して、紐を解く余裕などない。正体を確かめるなんて論外だ。
 もう、時間がない。不審なことだらけだったが、逃げるしかないのだ。

 数日して、新聞に小さな記事が載っていた。
 その共稼ぎ夫婦が自首した。自分たちの子どもを殺したというのだ。

 何でも、留守中に家に泥棒に入られ、よりによって冷蔵庫の中まで荒らされ、庫内に冷凍していた子供が見つけられてしまった、だから、二人で相談し、観念して自首することにした、そう記事には書いてある。

 体罰を加え、衣服で一杯の箪笥に押し込んでおいた、でも、ある日、気が付いたら子供は死んでいた、とも。

 近所の人の話では、子供は病気で隣町の病院に長期入院していることになっていたとか。

 泥棒? オレのことか。けれど、オレは何もしてないぞ。未遂だ。発見したのはガキなんだぞ。
 オレは掴まっていない。だから、真相は誰にも漏らしていない。
 真相…?
 そうだ、あのガキが何処から来て何処へ去ったのか、オレには未だにさっぱり分からないでいるのである。
                          (04/04/22 記)

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2007/03/03

ホラかい?

 

ホラかい?
ホラーじゃないよな。

ホラ……。

それは難しいね。
だってほら、法螺貝を吹くにゃ、肺活量が要る。
ホラを吹くにゃ、ユーモアと批評精神の両方が必要。
それにね、ホラを吹くって言うけど、本来は、ホラじゃなくってホウラだったんだよね。それが何故か音が略されてホラになっちゃった。
もともとは、「「法螺を吹く」とは「仏の説法」のこと」だったの:
大谷大学 読むページ 生活の中の仏教用語  法螺

つまり、遠くの人にも(言い換えると我輩のような凡愚にもってことだよ)説法が届くようにってことなの。
理想って、大概、実現しないから、理想を口にする人って、海底、言行不一致でホラ吹きで終わる。
悲しいね。

小生思うに、最近の一番のホラは、安倍首相の「美しい国を作る」って宣言だね。そんな国、実現して欲しくない。ってか、無理。一つ(一人)の価値観や尺度で見て美しい国って、ヒットラーの発想だ。
安倍首相にユーモアがあるかどうかは分からないが、彼の宣言は、恐怖感を覚えさせる、とんでもないブラックホラだ!
               (2007年02月25日04:08)

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