あれは夢ではなかった
それはそれは華やかな応援だった。最初に目に飛び込んできたのは、オレの好きなポルタ・バンディラとメストリ・サラの二人。
ポルタ役の女性は体も大きいけれど、人柄が素敵。それ以上に笑顔がいい。
いや、あんなに笑顔が輝いているのは初めて見た気がする。
カメラはパンしてバテリア陣をも映し出してくれる。
パレードの際は彼らは華やかな衣装に身を包んで小気味いい、そして豪快なリズムを刻む。
→ ポルタ・バンディラ&メストリ・サラ(「Charlie K's Photo & Text」所収の「2007 Liberdade New Year Party」より)
だけど、今見る彼らの衣装ときたら、オレは一度だって観たことのない豪華なもの。パシスタなどのダンサー陣が背負って踊る羽の飾りを全身に纏っている。
羽毛の海から顔だけがやっと垣間見えるほどだ。
体のキレがいい。
申し訳ないけど、あんなに微細なビブラートを利かせた音の生きた演奏ぶりなどオレは正直、聴いたことがない。
リズム感が抜群に鋭い。
タンボリンのカッカッカという音はサンバの通奏音。スルドの中低音。パンデイロの軽快な、単純そうでいて複雑な打音は変調を来たした心拍音か。ガンザの奏でるシャカシャカという音は浜に打ち寄せる波の音だろうか。クイーカの奇妙奇天烈な、あやうく神経を逆撫でされそうな、それでいて何故か心地いい擦過(さっか)音。ショカーリョは身振り手振りも自在。カバキーニョのメロディアスでリズミカルな弦の音は遥かな森の歓喜の叫び、それとも沖合いに見え隠れするボートの櫓(ろ)の咽び泣き。
まるで…、まるで違うチームの誰かたちではないのか。
いや、浅草には出てこないような奴だ。
大体、彼らは応援に来ているだけのはずではないか。
主役は番組上は、画面にほんの一瞬だけ写った歌手か誰かのはずなのに、チームの連中は完全に彼を食っている。圧倒してしまっている。
ああ、なんて凄い演技なんだ。
オレは、もう、何十回とパレードを見てきたけれど、あんな音の生きている、弾けた演奏や演技なんて観たことがないぞ!
ただ、実際には彼らは応援ということで、特設のスタンドに犇(ひしめ)くようにして立って演奏したり踊ったりしている。窮屈そうだ。もっと場所を与えてほしい。思いっきり飛んだような、観るものを漲(みなぎ)る生命感で圧倒する、野性的な迫力を発散させてやってほしい。
弾けるんだ!
でも、ダンサーは?
ポルタとかメストリ役のダンサーペアはいるけど、選ばれたダンサーであるパシスタさんたちの姿が見えない。
カメラが捕らえ切れないだけなのか。
観たい。オレの焦がれるダンサーの、生きる歓びを抑えきれないといった軽快で優美でもあるダンスを見たい。
カメラマンの奴、どうして肝心な箇所を映してくれないのだ。
ああ、こんなイベントが今日という今日にあったとは。
オレは内部情報は洩らさず入手していたはずなのに、オレはチームのメンバーなのに、今日、こんなイベントがあることを知らなかったのか。
いや、知らされていなかった。
全員が集まってのイベントなのに。
仲間外れ…。
オレの何が悪かったのか。
ふっと画面が消えていった。汗と熱気と音の洪水が嘘のように消え去ってしまったのだ。
それも、蝋燭の焔が吐息に吹き消されたように、呆気なく。
嘘だったのだろうか。虚像だったのだろうか。
分からない。
あのオレの焦がれるダンサーだって、まるで映っていなかった。あそこに、あの場所にいたはずなのに、まるでオレにだけは姿を決して見せはしないと、チームのメンバーとカメラクルーとが示し合わせたように、テレビ画面からは彼女の姿は映っていないのだった。
(食い入るように見詰めているオレに見えないってことは、テレビを観る誰にも見えないってことに考えがまるで及ばなかった!)
夢だったのだ。
いや、違う! 夢なんかじゃない。
あれは、本当だったんだ。
現実にあったことなんだ。
ただ、オレには触れ得ない世界だということ。
オレは部屋を抜け出した。居ても立ってもいられなかったのだ。
何処行く宛てはなかった。真冬の夜の町を月が照らしていた。オレの影だけが蠢(うごめ)いている。
ああ、あの彼方には何かがある。誰かが居る。あの人がオレを待っている。
いや、オレのことなど待っているはずはない。そんなことはどうだっていい。
ただ、オレは生身の現実に触れたかっただけだ。
オレの鼓動を感じ取ってほしいだけなのだ。
オレだって生きているんだぞ!
オレは歩いた。歩き続けた。気がつくと、天頂にあった月は見知らぬ町の軒先を掠めるほどに低くなっていた。それは路地裏の軒先にぶら下る、巨大な橙色の朝露だった。
やがては卵の黄身も朝焼けの空に掻き消えていくのだ。
← 朝焼けを浴びるその身は露と消え
何処にも世界の果てなどないのだった。オレがどんなに懸命に歩いてみたって、際限なく町が現れ道が続き電信柱が居並ぶのだった。
茫漠たる場末の町。
次第に町が目覚めていく。人影が町を行き交う。バイクの音。自転車のブレーキ音。どこかで犬が吼える。話し声。アイドリングする車。雑踏と喧騒が世界を埋めていく。生活が始まる。
ワンワン、ガヤガヤ、キーキー、ブーンブーン、ズドンズドン、カーンカーン、パンパン、パホパホ、ピーピー、ゴボゴボ、ゴーゴー…。
オレだけが寡黙だ。発する音がない。声が出ないのだ。
喧しく賑やかな音の洪水。
なのに、波の瀬音が遠い。遠すぎる。
一瞬、オレは昨夜の夢の一場面を思い出した。そうだ、夢で見たのはこの世界のことだったんだ。
そしてオレは…、オレは観客。一人きりの観客。
あれは夢ではなかった。オレの生身の現実そのものだったのだ。
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