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2007/02/06

あの場所から

 あれはオレが学生だった頃のこと。
 あの頃のオレは荒れていた。訳も分からず、ただむしゃくしゃしていた。
 だからって、あんなゲームに興じることはなかったのに。
 でも、あの頃は、そうせずにはいられなかったのだ。

 あの頃、オレは自分が醜いと思い込んでいた。オレが持てないのは顔が醜いせいだと自分で決め付けていた。
 その自覚は骨髄に徹するもので、物心付くころには、運命よりも確かなものとして受け入れていた。
 だから、思春期になっても、何をどうするという思いなどまるで浮かばなかった。

 オレは一人を愛する。独りを感受する。独りきりを堪能する。
 喩え独りきりだって、世界は貧しいわけじゃない。
 むしろ持て余すほどに豊かだとさえ言える。
 断言できる。
 オレだからこそ、断言できるのだ!

 が、受験戦争を切り抜け、学生となってしまうと、オレはどうにも空しい思いに苦しめられている自分を持て余していた。今更、独りを怖がってどうする。孤立無援など、慣れているはずじゃないか。
 でも、吹き抜ける風の辛さをどうにも出来ないでいた。

 五月病に罹る奴もいる、そんな頃だった。オレはあるゲームの面白さに目覚めたのだ。
 オレの地元に比べると遅い桜の開花も、さすがに終わっていたっけ。
 
 それは、ゲームだったのかどうかは分からない。
 ただ、自分なりのルールと段取りがあって、それが面白いほどに嵌るのだった。

 オレはまた、ゲームのターゲットになる女の子を見つけた。
 女の子たって、何も幼女っていうわけじゃない。オレにはロリータ趣味などない。
 同じキャンパスの女子学生だ。
 でも、未だ恋に擦れていない子、それとも恋する相手を見つけ出せていない子のことを女の子って勝手に呼んでいるだけだ。

 その子はテニスコートにいた。
 というより、オレが講義の帰りにキャンパスの長い、くねった坂道を下ってくると、途中にテニスコートがあり、曜日と時間さえ合えば、その子が必ずいることにいつしか気づいたのである。
 そうして、とうとうオレは決行することにした。
 あの子なら間違いない!
 オレには確信があったのだ。
 もう、ターゲットを絞ることにも慣れてきているオレなのだ。

 オレはゲームする。それは愛のゲームだった。
 オレの孤独が生み出した、オレだけのゲームなのだ。
 名付けると恋は盲目という、我ながら気恥ずかしい題名となってしまう。
 でも、恋は盲目というのは、言い得て妙な呼称なのである。
 恋は盲目なのだ。
 恋に陥ったなら、fall in loveしたなら何もかもが見えなくなる、世界の景色が一変する。

 そう、オレの顔さえ見えなくなる。醜くなくなる。
 否、オレの顔が武器になるのだ。

 オレはその日から毎日のようにテニスコートへ立ち寄った。
 無論、あの子がいる日に限る。
 白いテニスウエアの彼女がいる。
 溌剌とプレーする彼女。
 スコートが眩しい。スコートでは隠し切れない足が眩しい。

 オレはテニスコートの金網に張り付く。
 張り付いて彼女を見る。
 ただ、ひたすらに、一心に、彼女を見る。
 男連中など無視する。他の女の子も一切、眼中にない。
 
 ただ、あの子を熱く見る。彼女だけを見詰めている。

 段々、あの子がオレを気にしだす。
 他のメンバーもオレの存在に気づかないわけがない。

 だが、オレはあの子だけを見詰め続ける。

 或る日、テニスコートの数メートルはあろうかという金網を越えてテニスボールがこちらのほうへ飛んできた。
 オレの中の何かがいよいよだと囁いている。
 あのテニスボールはわざと飛んで来たものに違いないのだ。

 オレは、いそいそとボールを拾い、ボールを取りにきた男子に投げて渡す。
 男子学生は、何かオレに話しかけたそうな素振りだが、オレは無視する。
 いや、無視はしない。
 むしろ、オレのほうこそが、話しかけたそうな素振りを見せる。

 でも、それだけである。

 ただ、その際には、オレの顔を印象付けることは忘れない。顔が肝心なのだ!
 さも、オレは自分のこの顔の故に女の子を、そして恋を初めから縁遠いものと諦めている、そんな素振りを、そんな悲しげな雰囲気を色濃く、いや、ある意味、あからさまに漂わせないと意味がないのだ。

 オレは、何処か後ろ髪を引かれるようにしてコートの中に戻っていく学生を、恨めしそうに斜(しゃ)に見詰めるのだ。
 そうして、溜め息の一つも吐(つ)いてみせる。
 
 やがて、コートでは練習や試合が再開される。
 オレは金網に顔をくっ付け、また、彼女をジッと見詰め続けるというわけである。

 一時間もコートの金網に張り付いていただろうか、オレはいかにも意気消沈したとばかりに、そう、悄然たる雰囲気を背中に漂わせつつ、コートを静かに去っていくのだった。
 

 ああ、実際、あの子は可愛かった。コートで輝いていた。或る日、講義を受け終えての帰り道にテニスコートの脇を通りかかったとき、一遍に好きになってしまった。
 いや、好きになったのではなく、とにかく、これだ、この子だと直感してしまったのだ。

 そうした日々が一ヶ月も続いたろうか。
 その日は、テニスの練習のない日だった。
 オレは、キャンパスを後にして、いつものようにアパートへ歩いて帰ろうとしていた。ゆっくり歩くこともあって、徒歩だと一時間余りの道のりだった。
 キャンパスとアパートのある町の間にはH河があって長い橋を渡る必要がある。
 その橋の袂(たもと)に林となっている一角があった。林といっても、木々が疎らに立っているだけで、中には児童用の公園が整備されていた。
 
 その林の中の公園に近づいたとき、オレは胸騒ぎした。
 いよいよだった。
 木々を透かして女の子の姿が見えたのだった。
 もう、これ以上はないというくらいにめかしこんだ、あの子の姿が見えたのだ。
 
 あの子の胸中が手に取るようにオレには分かった。これまでだって何度となく目にした光景なのだ。
 彼女は恥ずかしさと緊張とで胸一杯なのだった。
 オレを待ち伏せしていたのは明らかだ。
 明らか以上に、他に彼女がそんな場所で突っ立っている理由などあるはずがない。
 それは、オレが一番、よく知っている。
 罠に架けたのはオレなのだから。
 その恋の罠にあの子はまんまと引っかかったのだ。
 
 顔の醜いオレ。だから恋など縁(えん)も縁(ゆかり)もないものと諦めきっているオレ。
 諦めているだけじゃなく、いつしか、どうせ縁がないのなら、せめて縁の濃そうな連中を苦しめてやりたいと思い始めてしまっていたオレ。
 オレの惨めさの、ほんの一端くらいは味わうがいいのだ…。

 彼女は、きっと苦しんだに違いない。わたしに恋している人がいる。その人は(オレのことだ!)一途(いちず)にわたしを想っていてくれる。
 でも、あの人は(オレのことだ!)、コンプレックスに苦しんでいる。コンプレックスの故に恋を打ち明けられないでいる。

 あの人でいいの?
 あの人でいい!
 あの人であっていけないはずがない。
 わたしは、あの人を大切に想う。
 
 いえ、わたしこそ、あの人の苦しみを救ってあげられる…。

 何日も、幾晩も悩み続けたに違いないのだ。
 そうした一切がオレには手に取るように分かる。
 
 否、林の中に木の幹に隠れるようにして、恥ずかしさを堪えながら立っている彼女を見た瞬間に確信したのだ。
 恋は実った。
 実ったなら、あとは熟して落ちて、腐らせるのみだ。

 オレは平然を装って、そのまま歩いた。
 彼女の顔が真っ赤なのが分かった。長い髪に隠れていても、恥ずかしさで一杯なのが分かる。後光のような輝きがそれを証明している。
 横を向いて立ち尽くす彼女。
 思い切ってこちらに向うべきか、いや、向うつもりでいたはずなのだ。
 そして胸に抱えている何かを差し出すつもりでいたはずなのだ。
 それは手紙なのか何なのか、そこまでは分からないのだが。

 そして胸に抱えているものが何だったのか、とうとう一生、分からないままに終わったのだった。

 オレは、恥ずかしさを堪え、オレを待ち受ける彼女の傍に近づいた。
 彼女の胸の中の心臓がピンク色の巨大なハートとなって彼女の代わりにオレに襲い掛かってくるようでもあった。心臓の鼓動を感じた。胸の高鳴りは気が遠くなるほどだった。
 
 ああ、一体、あの時、胸の高鳴りは彼女とオレの一体、どっちのほうが激しかったのだろう。

 オレは、しかし、ゲームの仕上げに掛かっていた。
 
 そうだ、オレは、彼女の前を平然と、そう、石ころの前でもそこまで平然とはしないだろうほどに、静かに通り過ぎて行った。
 気のせいだったろうか。その瞬間、彼女の、「ああ!」という嘆きの声が聞こえたような気がする。
 いや、聞こえたのだ。
 でも、オレは聞かなかったことにした。
 ここで聞いてはゲームが完了しない。ゲームセットにならない。
 オレの勝ちで終わらないのだ。

 鉛のような足。粘りつくような背中。真昼間だというのに、彼女の周辺は月のない闇夜より真っ暗になっていた。世界の穴に落ち込んでいく。
 断崖絶壁から真っ逆様だ。
 オレの味わっている世界に引きずり込んでやった。

 それで全てが終わったか。
 とんでもない。
 まだ、仕上げが残っている。追い討ちをかけるって奴だ。
 オレは彼女の通学路を知っている。知らいでか!

 彼女と同じ道を使って大学へ向う。彼女はオレに気づく。そして振り返り振り返り、足早に歩く。逃げるように。

 まだ、後日談があるのだ。
 オレがある夏の日、海へ向った。
 一人になりたくて。いつも以上に独りになりたくて。海を見ていると、オレの独りきりの世界が、まさに世界と同調するように思える。
 その頃には、さすがに彼女のことは綺麗さっぱり脳裏から消え去っていた。
 一仕事終えたような気分だったかもしれない。
 だからこそ、勝利の美酒を海の潮を被って飲み乾したかったのだった。
 
 浜辺にどれほど長く立っていたろうか。
 さすがに宵闇の気配が漂い始めていた。オレは帰ろうと、海辺の松林へ向った。一瞬、影が過(よ)ぎったような気がした。
 気のせい?

 オレは林の中の道を抜けようとした。すると、不意に女が現れた。
 女は、ビキニを身に纏っていた。
 が、その肉はブヨブヨにたるんでいるのだった。
 
 まさか、あの女?!
 間違いなかった。あの女だ!
 顔に面影がある。
 ただ、体はまるで別人だった。
 
 オレが彼女をこんなにした?!

 オレは、また、彼女を前を黙って通り過ぎた。
 これはゲームにはないはずだった。とっくにゲームオーバーのはずだった。
 オレは、またも、彼女を置き去りにした。
 恐怖の念で一杯だったのだ。
 怖かったのだ。
 
 醜さを共有する?! という疑心暗鬼の念が湧いていたのも事実だった。
 そう、今こそ、わたしとあなたは一心同体…。

 くそっ、同情されてたまるか!
 あてつけがましいじゃないか!

 ああ、違う。そうじゃない。
 何が何だか分からない。
 オレは、本当は恋が、愛が怖かったのだ!


 あの日に戻れるものならば…。
 あの場所からやり直したい…。

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コメント

思ってた結末から 外されました~。
やいっちさんなら 「彼女がめかしこんで待っていたひとは別のヤツだった・・結局オレのひとり相撲・・」みたいな感じで終わるのかと思ってた(^^)
恋愛のカタチは色々だから 物語になる。こういう女の子もアリなのかな?

投稿 なずな | 2007/02/06 09:54

なずなさん、なるほど、そういう終え方もあるね。
ただ、ひとり相撲の恋(そう、本当は恋だったのに、<オレ>は勝手に彼女を罠に嵌めたんだ、で、振り切ってやったんだと…)だってのは、当っている。
この作品の狙いは、<オレ>が彼女を実は愛していたんだと、後になって気づくだろうことを予感させる点にあるのですが、なかなか描ききれなかった。
創作も恋もなかなか難しいものです。

投稿 やいっち | 2007/02/07 07:26

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