図書館へ行こう!
今日、土曜日は図書館へ行く日だ。
図書館へ行く日は、どんな本に出会えるかと、期待で胸が膨らむ日。
でも、オレには憂鬱な日でもある。
何故なら、今やオレにはちょっとしたドラマの場になっているから。
ああ、図書館が見えてきた。
いよいよドラマが始まる。
一人きりのドラマが。
図書館のカウンターに向った。
目当ての子がいる。あの子が受付してくれたらいいな。
でも、オレが向う途中で、その子は手に何か持ち、受付のほかの子に、「席をはずします」とか、「これ、置いてきます」とでも言って、カウンターを離れてしまった。
仕方なく、オレは手が空いている人に返却の手続きをしてもらった。
カウンターには司書の方が何人もいる。
だから、その子がちょうど受付にいるとも限らない。
でも、たった今までそこにいた!
ニアミスだ。
目当ての子がいるからって、オレは図書館にそう頻繁に行くわけじゃない。せいぜい週に一度か二度。仕事もあるし、土日で他に用事がない時。
たまに週日で早く帰れた時は、ちょっと立ち寄るが、閉館の時間が七時で、三十分もいるかどうか。
オレは本の物色に時間を費やすのが好き。
なので、そんな時は、雑誌のコーナーであれこれ雑誌を覗いて、そうして遠目にあの子を探す。
いない。
いないのか、他の雑務をこなしているのか。
あの子がカウンターに立つ日は、どうやらルーティーンで決まっているらしい。
土日だけのようだ。
研修生?
日に何人が、まして週に何人が図書館に来るのか分からない。
オレのことを覚えているとも思えない。
オレは、ただ、あの子の姿が見られたらそれでいい。
まして、受付で本の返却や貸し出しの際にあの子が対応してくれたら、それで満足なのだ。必要なこと以外、何も喋るわけじゃないし。
本を物色する。何冊か手にする。
それからオレの緊張の時が始まる。
独り相撲というドラマの開幕なのだ。
カウンターに誰がいるのか。あの子は?
いる!
あ、でも、カウンターの後ろの小部屋に引っ込んでいった。どうやら、予約の本を探しに行ったようだ。すぐに戻って来て、その本を確認してもらい、貸し出しの手続きをする。
オレにも予約の本がある。手にしている本と合わせると、貸し出しの限度である6冊になる。となると、次に図書館へ来られるのは、半分の3冊を読んでからだとしても、一週間後になる。
ああ、やっぱり、あの子に受付してもらいたい!
お、あの来館者が去った。今がチャンス!
と、思ったら、彼女、カウンターを離れて、何処かへ。
返却された本を返却本を載せるキャスター付きの台車に載せに行ったのだった。
ってことは、すぐに戻ってくる!
オレはチャンスを窺っていた。ドキドキしている。
本を借りるだけなのだけれど、他の来館者たちが矢継ぎ早っていうわけじゃないけれど、それでもそれほど途切れることなくやって来るので、あの子の手がタイミングよく空くかどうか分からないのだ。
空いた! と思って、ツカツカと寄って行くと、オレの前に誰かがサッとやってきて、あの子はにこやかに対応する。
あの笑顔を見たい。あの笑顔で私も対応してもらいたい。
ただそれだけ。
でも、それが難しい。
あの子の手がふさがった瞬間にカウンターの前に立つと、他の方に手続きしてもらうことになる。
今日は予約の本があるので、いつもよりほんの僅かだけ、手間が掛かる。
こんな日は、あの子に限る。
オレは、カウンターをやり過ごし、興味もないコーナーをうろつく。何かの催事のパンフレットを覗いてみたりして。
ああ、段々、閉館の時間が迫ってくる。
となると、カウンターに向う人も増え、あの子がカウンターにいても、受付に立つ3人の一人となり、当る確率は減ってしまう。
焦ってくる。逸る気持ち。心臓の鼓動が高鳴る。
あ、今だ。今がチャンスだ。受付にエアーポケットに嵌ったように、ライヴァルがいない!
受付に3人、いるけど、他の二人は俯いて事務処理をしている。あの子もカウンターの書類を整理しているけど、オレが前に立って、彼女が受け付けてくれるように仕向けるんだ。
気づかなかったら咳払いの一つも、ってことさ。
ツカツカツカ!
さりげない様子をして、彼女の前に立つ。三人の中の彼女の前に立つのは、たまたまというふりを装って。
手続きは呆気ないほど簡単に終わってしまう。パソコンという便利な、オレには忌々しいツールがあるからだ。
ああ、でも、今日は予約の本という取って置きの武器がある。
予約の件を告げると、彼女は書類を捲り、確認して、
「ああ、来てますね。ちょっとお待ちください」と、後ろの古部へ向った。
「はい」
オレは一言だけ。
今、オレたちは一緒の空間を生きている。同じ関心を共有している。
その本を手に彼女がカウンターへ戻ってくる。
オレのために、そう、今、彼女はオレのためにだけ、働いているのだ!
本が合計で六冊。しかも、予約の本が予想外に大きかった。ほとんど図鑑のような本なのだ。
オレは、用意してきたビニールの袋を取り出して収めようとするのだけど、入りきらない。
それどころか、ビニールの袋の底に穴が空いていることに、今、気がついた。
彼女も!
恥ずかしかった。よりによってこんなときに、穴が空いてなくたっていいじゃないか。
一冊はどうしても入りきらない。無理に突っ込むと、穴が裂けてしまいそう。
すると、彼女は、驚くようなことを言った。
「あの、袋、用意しましょうか?」
えっ? オレは間の抜けた、言葉にもならない声を発するだけ。
ほとんど、彼女の言ったことの意味を理解できないような顔をしていたに違いない。
「ちょっと待っててくださいね。」
そう言って彼女は後ろの小部屋へ。
手には、ややシワの寄った、古びた紙袋。
ちょうど六冊の本が納まって、手に持つに具合がいい。
すると、彼女はもっと驚くようなことを言うのだった。
「ああ、でも、それじゃ、袋が破れそうですね。」
オレはまたも、声にならない声でもごもごと。
彼女は、さっと小部屋へ行き、しばらくして、今度はもっと立派な紙袋を持って来た。表面がツヤツヤの丈夫そうな奴。
先ほどの古びた紙袋ごと、その美麗な紙袋に入れる。
彼女が新しいほうの紙袋を広げてくれて、オレがそこへそろりと納めていく。
その間、他の来館者がやってきたので、ちょっと脇にずる。カウンターに他の司書の方が来てくれて受付してくれた。
オレは余裕の気持ちで見守る。
ああ、こんなことがあっていいのだろうか。
彼女との共同作業じゃないか!
本は二重の紙袋に綺麗に収まって、何か素敵なプレゼントでも買い物した気分になった。
「ありがとう!」
今度は、ちゃんと言えた、ような気がする。
「御利用、ありがとうございました」と言って、彼女は他の来館者の対応に移った。
夕方の裏道をオレはルンルン気分で歩いて帰った。
ただの親切なのか。まさか、オレに気がある?
そんなはずはない。オレはうらぶれたサラリーマンに過ぎない。今まで一度だって女に持てたことがない。女に気があっても、気付かなかったことなら何度かあったようなのだが。
服装だって、汚れてはいないけど、草臥れたズボン。上はというと、よく見たらボタンが一つ取れているジャケットを羽織っているし。
彼女が目ざとい人なのかどうか分からないけど、でも、観察力は男とは違うのだろうから、気がついていると思ったほうがいいのだろう。
こんなことなら、もっといい服を着てくるんだった!
他の買い物も済ませ、家路を急ぐ。
真っ暗な部屋に明かりを灯す。
家に明かりが付いていることは、もう何年も経験していない。
たまにあっても、出掛けに消すのを忘れていた時くらいなのである。
寂しい心に明かりを灯すような気持ちで、玄関に入ると、焦っているかのようにスイッチをオンにする。
明るい部屋。いつもの一人きりの部屋。
オレを満たすのは白い光だけ。
ああ、でも、今日は気分が違う。
だって、あの子と、束の間とはいえ、共同作業をしたんだ、しかも、会話さえした!
あの子がオレのために、袋を探しに行ってくれた。それも、二度までも!
そうか、自分としてはせいぜい週に一度だけど、思えば行くのは土日がメインだから、彼女からしたら、自分がいる時には必ず来る男、ということになるのかもしれない。
さりげなく、カウンターに向うけれど、あの子の前に立つのを狙っているのがバレバレだったのかもしれない。
なので、チャンスを窺っていた…。
何のチャンスかは別にして。
でも、浮かれたような気分はそれまでだった。
本を取り出すため袋を見て、愕然としてしまったのだ。
袋が破れてしまったから?
違う。
心ひそかに、袋にメッセージを書いたメモでも期待していて、それがないことに気づいてしまったから?
そんなこと、期待するわけがない!
二つの袋のそれぞれに意味深なものを感じたのだ。
その頃、ある食品会社の不祥事が問題になっていた。
食品の製造過程で本来は捨てるべき賞味期限切れの牛乳が材料として混入されていたとか、製品には基準を超えるウイルスが発見されたものもある、しかも、そのことを会社の首脳部が承知していながら、対策を取らないで、何ヶ月も放置していたことが露見したのだった。
なので、その会社の製品であるお菓子類、特にケーキの販売は中止に追いやられていた。
そう、外側の美麗な紙袋は、お菓子の店の袋だったのだ。
さらに、内側の、最初にくれた古びた紙袋は…。
やはり、何かの店の紙袋なのだけど、その店の名前がオレと同じ名前なのだ!
彼女、オレの名前を知っている?!
ああ、名前は、カウンターで受け付けているのだから、調べる気にならなくても、分かるのは不思議じゃない。
そうではなく、オレの名前と同じ会社名の入った紙袋があったということが不思議なのだ。
偶然?
そうとは考えられなかった。
紙袋を二度にわたって用意してくれたのだし。
そもそも紙袋が都合よく、二枚もあるってことが不思議。
しかも、当時、世情を騒がせていたケーキの店の紙袋と、オレの名前の入った紙袋とを引っ張り出してくる。
賞味期限切れ。ウイルス。販売中止。女に相手にされない、うらぶれた中年男。
考えすぎ?
そもそも、そんな分厚い本を何冊も借り出すかどうかは不明だったはずだ。
確かに予約の本は図鑑みたいにでっかかったけれど、その本だけだったら、持参してきたビニールの袋に楽に収まっていたはずなのだし。
でも、大概、貸し出し限度の六冊を借りるのが習いのオレの習慣を彼女が気づかないわけがない。
やはり、オレへのあてつけなのだろうか。
否、あてつけなのだ。
でも、どうしてそこまでする必要がある。
オレが何をした?
分からない。
全ては紙袋の表面の記号の話に過ぎないのかもしれないし。
オレは、浮かれ気分が一挙に暗転してしまって、どうしてそんな手の込んだ真似をするのか、オレが何か彼女にへんな真似をしたというのか。
あるいは、オレの存在そのモノが気に喰わないという意思表示なのか。
ああ、やっぱり、分からない。
オレは落ち込んだ気分をどうしようもなかった。
もう、あの図書館へは行かないほうがいいのだろうか。
オレに来るなってことだろう?!
……でも、鬱めいた気分で何時間か過ごしたあと、オレは考え直すことにした。
とにかく、意図的じゃなかったのなら、オレの気のせいだと思うしかない。
気のせいじゃなく、まさに意図的だったのだとしたら、不快な人物としてだろうとしても、とにかく彼女の心の中に一瞬にしろオレが居たってことじゃないか!
そうなんだ。オレが彼女の心の中に居たんだ!
オレは悲恋の主人公になった気分だった。
決めた!
やっぱり、来週も図書館へ行こう!
| 固定リンク
「小説(オレもの)」カテゴリの記事
- 昼行燈107「強迫観念」(2024.07.30)
- 昼行燈106「仕返し」(2024.07.29)
- 昼行燈98「「ラヴェンダー・ミスト」断片」(2024.07.14)
- 昼行燈96「夜は白みゆくのみ」(2024.07.09)
- 昼行燈94「ヴィスキオ」(2024.07.02)
コメント
わはは・・・!
ごめん、笑っちゃったよ!
いかにもやいっちゃんらしくて、さ。
確信犯だよね、この文章。
オチもよかったよ!
投稿: 志治美世子 | 2007/01/15 09:21
えへへ、読まれちゃいましたね。
うぶでおぼこなオレの独り相撲の悲恋(?)物語。
でも、意外な(?)部分は事実に基づいている!
投稿: やいっち | 2007/01/15 12:27
御作を拝読、楽しませてもらいました。
てっきり「怖い」お話だと思って読み始め、
いつ現実が横滑りして恐怖の世界に突入するのかとハラハラしながら行を追い、
途中でその気配を一瞬感じたものの(『やはり、オレへのあてつけなのだろうか。否、あてつけなのだ。でも、どうしてそこまでする必要がある。オレが何をした?』の部分)、
無事に最後の句点に辿り着いて、ホッとしました(笑)。
「オレ」のこういう心境、私にも(かなり)覚えがあります(遥か昔のことですが)。
先週、ロラン・バルトの「恋愛のディスクール・断章」を読んでいたのですが、
その中のいくつかの記述と御作がechoを交わし合っていて、
興味深かったです。
ところで、
『彼女が新しいほうの紙袋を広げてくれて、オレがそこへそろりと納めていく。』という箇所、
なかなかエロティックですね。
これは「オレ」の潜在的な願望を表すための作者の意図的な仕掛けですか?
それとも、単に私の眼がリビドーで曇ってるだけ?
投稿: 石清水ゲイリー | 2007/01/15 12:57
石清水ゲイリーさん、コメント、ありがとう。
書きながら、どんな展開にするか迷っていました(書きながらストーリーを考えるのはいつものことですが)。
怖い路線にするか、あっさり撤退するか。
実は、サンバレポートにも書いたのですが、時間の制約があって敵前逃亡するような内容に:
http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2007/01/2007newyearpart_b7a6_1.html
『彼女が新しいほうの紙袋を広げてくれて、オレがそこへそろりと納めていく。』という箇所は、書き手たる小生が楽しみつつ書いていたところ。
さすが慧眼です。
そこまで読み取ってもらえると作者冥利に尽きます。
ちょっと似た作風でリビドーを掻き立てそうな作品があります(かなりあからさま?):
http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/essay/memai.htm
なお、二つの紙袋の件は事実なのです。これが着想の元になっています。
投稿: やいっち | 2007/01/15 13:59
楽しく、そしてちょっぴりペーソスも。
やいっちさんの少年のようなうぶで可愛い一面と、たまたま(私にはそう思えますが)彼女が好意で差し出してくれた紙袋、子供時代ミルキー大好きだった洋菓子屋の袋だった。
それに傷つくふりをするやいっちさん、彼女の好意そのものと感じますが?
気を取り直して、図書館へ行くことを決められハッピー。
また、彼女が係りだといいですね。
やいっちさんの旺盛な読書力の源を垣間見た思いです。
投稿: tibisato | 2007/01/16 10:59
tibisato さん、コメント、ありがとう。
小生は、実話はエッセイに(無精庵徒然草)書くことにしています。
無精庵方丈記は、あくまで創作の部屋です。
なので、本作も実話ではありません。
創作を楽しむのがこの部屋の主旨なのです。
雰囲気を楽しんでもらえたら嬉しいのです。
<オレ>も年齢不詳です。中年になってこんなじゃ、おかしいよね。
でも、ま、いっか、の世界ですな。
投稿: やいっち | 2007/01/17 16:34