今夜も兄ちゃんがやってくる
夜、ボクは近所の兄ちゃんに連れられて外に出た。
どこへ行くの?
もう、ボク、寝る時間なんだよ。
夜の町を探検しに…。
兄ちゃんは、そう、ポツリと。
どこまで歩いていくのだろう。もう、とっくに町外れに来ている。
見たことのない家、石垣、崖、曲がり角。
とうとう家など一軒もなくなっていた。
夜だから見えないのだろう、そう自分に言い聞かせてみた。
でも、目を凝らしても何も見えない。
見えるものというと、鬱蒼と生い茂る木々の枝葉。
それだって、本当は怪しい。
枝葉だと思っているけれど、何か巨大な怪物の横っ腹なのかもしれない。
ゴツゴツしてシワだらけの分厚い皮膚。
死んだ時のジイちゃんの手の平の感触。
家を出たときには天空に輝いていた月も影を失っていた。
雲に隠れただけ?
違う!
夜空は晴れ渡っている。星が満ち溢れている。数知れない流れ星たちが夜空を一瞬、切り裂いては消えていく。
流れ星って、天の傷?
もしかしたらボクの心の中を切り裂いている?
吹きさらしなのだろうか、ほっぺたを冷たい風がなぶっている。
崖っぷち?
これ以上、前へ進むのは怖い。
兄ちゃん、もう、歩くの嫌だよ。
兄ちゃんはだんまりを決め込んでいる。
ボクの声は風に吹き消される。
ねえ、兄ちゃんってば!
振り向いた…つもりだってけど、もう、後ろも前も分からないでいる。兄ちゃんの気配もない。
ボクは置き去りにされたの?
兄ちゃん!
ダメだ。声はロウソクの焔みたいにあっけなくしぼんでいくばかり。
兄ちゃん!!
声は段々、悲鳴みたいになる。
星明りが世界を満たしている。
気のせいか、星の数が増えているようだ。
兄ちゃん!
……。
兄ちゃんの姿は消えてしまった。
まるで兄ちゃんがボクに乗り移ったみたいだ……。
ボクは最初から一人っきりだったんだ!
ボクが悲鳴を上げるたびに、星の数が増えていく?
まさか?!
透明な闇が世界を埋めている。
星々の煌きがまばゆい。
その分、闇が深くなる。
ボクの体も真っ蒼な闇の海に沈んでいくようだ。
ボクは溺れるのだろうか。
息ができない?
怖くなって思いっきり息を吸ったり吐いたりしてみた。
大丈夫だ。
気が遠くなったりしないし。
でも、気絶したほうがいいのかもしれない。
いっそのこと、気を失ってしまって、そうして、ふと、目覚めた時に、ボクは暖かな布団の中にいる……。
夢なら醒めて欲しい!
目が闇に慣れてきたのか、闇にも濃淡があることに気づいてきた。
石炭の闇、黒曜石の闇、墨汁の闇……。
いつか見た目玉のない人の眼窩の闇。
歯の一本もない人の口の奥。
腹にえぐられた穴の深み。
兄ちゃん!
……。
誰か!
……。
とうとう星が天だけではなく、地の闇の海でも瞬き始めていた。
ボクの涙の粒?
ボクが一杯、涙を流したら、そうしたら、世界は星屑で一杯になって、光の粒で満ち溢れるんだろうか。
それだったら、ボクは思いっきり泣いてやる!
天も地も星の欠片で一杯になっていた。今では、足元にさえ無数の星屑がキラキラ輝いている。
なのに、光は孤独な輝きのままなのだ。
星は自分が光っているだけなのだった。
その光で世界を満たそうとはしない。
まさか、星は光を吸い込んでいる?
光…。
それはボクの悲鳴。
ということは、ボクの命を吸い込んでいるってこと?
ボクは恐怖で立ち竦んだ。
声も発することができない。
声を出せば、その分だけ、世界に星が満ちる。
その代わり、ボクの命がしぼんでいく。
ボクはどうしたらいい?
ボクは沈黙するしかなかった。
さすがに星の数は増えることはなくなった。
でも、ボクは一体、どうしたらいいのか。
……。
気がつくと、闇がまた一段と深まっている。
星の煌きが目に痛い。
それだけじゃない。
星々の周りには無数の小さな点が鏤められている!
ガラスの欠片?
粉微塵になった眼球?
水晶の粉?
ガラスの粉塵が天を地を埋め尽くし、ついには、ボクの頬にも首筋にも足にも腕にも降りかかってくる。
ああ、尖がったガラス粉が耳を目を鼻の穴を、そうして口をも一杯にしようとしている。
息をするたびに、透明な粉塵が肺の奥にまで届いていく。
肺の窓を埋めていく。
光の点はどうして増える?
息?
息のせい?
息しちゃいけないの?
ああ、でも、今では息ができない。
粉塵が肺の小さな部屋を窓を埋め尽くしているんだもの。
……。
息をしちゃいけない。
息ができない。
息が詰まる。
胸が痛い。
苦しい。
息が。
…が。
…。
……。
ふと、ボクは目覚めた。
疲れきっていた。
体が鉛のかたまりになったようだ。
骨がバラバラに、そして粉々になっている。
最後の気力で、やっとのことで骨の形を保っているだけ。
ああ、これで何度目の目覚めだろう。
寝入る前より疲れきって目覚めなきゃいけない夜は、ボクには拷問だ。
幾度も睡魔という名の兄ちゃんに誘い込まれ、藍色の闇の海に漕ぎ出し、ボートは転覆して、そうしてボクは一人、夜のガラスの海で溺れかける。
何度も何度も闇の海へ。
溺れかけては浜辺へと必至になって泳いで逃げる。
でも、浜辺は研ぎ澄まされた包丁の刃先だ。
ボクを脅す。もう一度、海へ行けと命じる。
切っ先は海を指すばかりなのだ。
ボクにとって夜とは、兄ちゃんに教えられたギリシャ神話のプロメテウスだ。
ボクが夜の闇の海に星屑をガラスの粉塵をちりばめてしまった罰なんだ。
拷問が死ぬまで続く…。
目覚めるのが怖い。ならば、眠らないでいるのがいいのか。
でも、今夜も睡魔という名の兄ちゃんがやってくる。
ボクには兄ちゃんの誘いをことわる力はない。
| 固定リンク
「小説(ボクもの)」カテゴリの記事
- メロディが鳴っている(2008.03.31)
- 滑り台(2008.02.10)
- ふでおろし(2008.01.29)
- 犬とコロッケ(2008.01.23)
- 誰かが見ていた(2008.01.19)
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/52847/12828580
この記事へのトラックバック一覧です: 今夜も兄ちゃんがやってくる:


コメント