闇夜に躑躅の花の咲く
漆黒の闇の底を流れる深い河。そこに蛍の火のような灯りが舞い浮かぶ。風前の灯火。でも、俺には命の輝きなのだ。あと何日、こんな眩い煌きを堪能することができるだろうか。
……
だから、俺は蝋燭の焔よりもっと儚い、けれど、だからこそ切ない煙草の火を愛でることに集中できるのだ。
煙草の煙が舞い上がって、木立の透き間に差し込む街灯の光を一瞬、浴びる。
ふと見ると、路肩に焔が。煙草の火が植え込みの木の葉に燃え移ったのか。
違った。躑躅だ。街の灯に赤紫と咲いているのだ。
紫煙と血の涙とが混じり合って塊となっている。それが躑躅。
闇の中で夢幻に変貌する形。
何処までも続く魂の形。男と女の形。あの人の形。手の届かない夢の形。
俺は自分が今こそ本物の詩人になったような気がする。
愛撫というのは、薄闇の中に灯る蝋燭の焔という命の揺らめきをじっと息を殺して眺め入るようなものだ。嘗め尽くして、思わず知らず興奮し、息を弾ませた挙げ句の今わの命、そう、蝋燭の焔を吹き消してはならないのだろう。
そう、じっと、焔の燃える様を眺め、蝋燭の燃え尽きていくのを看取る。
それは、まるで二つの命が静謐なる闇の中で密やかに滾っているようでもある。熱く静かに、静かに熱く、命は燃え、息が弾む。肉体とはメビウスの輪だ。
お前というメビウスの輪のある面に沿って指をそっと滑らせていく、付かず離れずに。
やがて……闇の中に紅い花が咲く。
いつしかまるで違う世界にいる二人に気が付く。
見慣れないはずの、初めての世界。なのに慕わしく懐かしい世界。慰撫という沈黙の営みを通じて、人は自分の世界を広げ深めていくのだろう。何も殊更に声を上げる必要などないのだ。
なのにお前という奴は!
気が付けば蝋燭の火も落ちている。お前は命を燃やし尽くして、涎を垂らし小水まで撒き散らした無様な姿を晒している。けれど俺は、その時になって初めて真っ赤な闇の海の底にあって、お前の涸れた肉の内に真珠にも似た小さな命が生まれていたことに気付く。
蝋燭の焔の生まれ変わり? それともお前の呪いなのか! いまさら、どうなる!
首を括られたそれは意識が薄れていった。お前となり、やがて俺となっていった。俺とは、一匹の蛆虫に過ぎないのだ。否、空中を飛散する塵か花粉か埃の一粒。赤い闇に放たれた白濁の残滓。この世に偏在する浮遊塵なのだ。
何かが融けている。訳の分からない何かが、それこそ白蟻に柱が内側から貪られるように、お前の肉体が崩れ去り腐っていく。俺の心が砂となる。
人が死ねば土に還る。土と風と少々の埃に成り果てる。植物だってそうだ。腐って土に還ることもあろうし、動物に喰われて消化され動物の血肉になったり、あるいは排泄され土に戻る。一旦は血肉になった植物の構成要素も、当座の役割を果たしたなら、遅かれ早かれ廃棄されるか、あるいは食い食われる生き物の連鎖の何処かの網に引っ掛かるだけのこと。
食物連鎖の最終の網である人間に、途中の段階で他の成分に成り代わらない限り、植物も動物も至りつく。
喰うほうだろうが喰われるほうだろうが、所詮、同じことだ。やっぱり火にくべられて、夢と風と煙に化す。そうでなければ、灰となって土中の微生物の恰好の餌になるだけのことだ。
宇宙の永遠の沈黙。それはつまりは、神の慈愛に満ちた無関心の裏返しなのである。神の目からは、この俺もお前も、この身体を構成する数十兆の細胞群も、あるいはバッサリと断ち切られた髪も爪も、拭い去られたフケや脂も、排泄され流された汚泥の中の死にきれない細胞たちも、卵子に辿り着けなかった精子も、精子を待ちきれずに無為に流された卵子も、それどころか目合ってしまったそれさえも、すべてが熱く、あるいは冷たい眼差しの先に暗然とあるに違いないのだ。
俺はお前の末期の息に吹き消された蝋燭の焔。生きる重圧に押し潰された心のゆがみ。この世に芽吹くことの叶わなかった命。ひずんでしまった心。蹂躙されて土に顔を埋めて血の涙を流す命の欠片。
そう、そうした一切さえもが神の眼差しの向こうに鮮烈に蠢いている。
蛆や虱の犇く肥溜めの中に漂う悲しみと醜さ。その悲しみも醜ささえも、分け隔ての無い神には美しいのだろう。
俺は融け去っていく。内側から崩壊していく。崩れ去って原形を忘れ、この宇宙の肺に浸潤していく。凍てついた蝋燭の焔たるお前! お前は偏在しているのだ。何処へ逃げようとお前が居る。
遠い時の彼方の孔子やキリストの吸い、吐いた息の分子を、今、生きて空気を吸うごとに必ず幾許かを吸い込むように、お前はどこにも存在し、お前の息で俺は噎せ、窒息する。
お前の俺への不毛なる愛は、宇宙に満遍なく分かち与えられる。宇宙の素粒子の一つ一つにお前の悲しみの痕が刻まれる。
そう、お前は最早、死ぬことはないのだ。仮に死んでも、それは宇宙に偏在するための相転移というささやかなエピソードに過ぎないのだ。
俺の愛の深さを思い知っただろう! そうなったのも俺のせいじゃないか!
躑躅の花という蝋燭の焔の結晶は真っ暗闇の中で何を浮かび上がらせるのだろうか。
そもそも闇の中で無数に照り映える紅い花が何かを照らし出したとして、それが何か意味を持つのだろうか。
誰もいない森の中で朽ち果てた木の倒れる音というイメージと同じく、誰も見ていない闇夜の地蔵堂に立てられた蝋燭の焔の影も、ある種、夢幻な世界を映し出していると、ほとんど意味もないレトリックを弄して糊塗し去るしかないのか。
せいぜいコンクリート地獄の下に埋められた髑髏の在り処を躑躅は知らせるだけ。
ここに命の成れの果てが埋まっているよ!
俺は亡霊となって闇夜の道を行く。
オレンジ色の灯りの漏れ零れる古びた建物が見えた。病院だ。それもとっくに廃墟と化したはずの。
真夜中の病室。隣り合う人たちも、ようやく眠りに就いている。眠り…。永遠の眠りに。
骨だけの看護の人も先ほど見て回って行ったばかりである。そんな中にあって、夜の深みに直面して、何を思うだろうか。過ぎ越した遠い昔のこと、それともあるかないか分からない行末のこと、もしかしたら信じている振りを装ってきた来世のこと。
せめてもの望みは、消え行く魂の象徴としての、吹きもしない風に揺れる小さな焔なのかもしれない。
焔とは魂の象徴。だとして、それは一体、誰の魂なのか。お前の魂! と叫んでみたいような気がする。不安に慄き、眩暈のするような孤独に打ちのめされ、誰一人をも抱きえず、誰にも抱かれない幼児(おさなご)に成り果てた俺の救いとなるはずの魂なのだ!
お前の名を開けることのない闇夜のそこに向かって叫びたい気がする。許されるなら、体の自由が利くのなら、今すぐにもベッドから飛び出して、非常灯からの緑色や橙色の薄明かりに沈む長い長い廊下を駆けて行きたいと思ったりもする。
何だ? 病人は俺だったのか? 俺一人だったのか?!
できはしないのに。そんなことができるくらいだったら、とっくの昔にやっていることなのだ。
胸の内の情熱の焔(ほむら)は誰にも負けないほどに燃え盛っている。そんなことが信じられた遠い昔。今となっては、誰彼に気兼ねし、気がついたら俺の焔は燻ったままに、肉体の闇からあの世の闇へと流されていく。俺が流し去ったお前の水子のように。
一体、何のための人生かと思い惑う。ヘーゲルが言うように、ミネルヴァの梟は、黄昏がやってきてはじめて飛び立つのか。賢人でさえ、かのように言うのだ。凡愚の徒なら、末期の闇を見詰めるこの期に及んでやっと哲学する重さを感じるのも無理はないのだろう。
何があるのか。何がないのか。何かがあるとかないとかなどという問い掛けそのものが病的なのか。
闇の中、懸命に蝋燭の焔を思い浮かべる。そう、魂に命を帯びさせるように。それとも、誰のものでもない、命のそこはかとない揺らめきを、せめて自分だけは見詰めてやりたい、看取ってやりたいという切なる願いだけが確かな思いなのだろうか。
まさか? 俺がそんなに殊勝なわけがない!
きっと、魂を見詰め、見守る意志にこそ己の存在の自覚がありえるのかもしれない。
風に揺れ、吹きかける息に身を捩り、心の闇の世界の数えるほどの光の微粒子を掻き集める。けれど、手にしたはずの光の粒は、握る手の平から零れ落ちていくばかり。
せめて、銀河宇宙の五線譜の水晶のオタマジャクシになって、輝いてくれたなら。
星の煌きは溢れる涙の海に浮かぶ熱い切望の念。
蝋燭の焔もいつしか燃え尽きる。漆黒の闇に還る。僅かなばかりの名残の微熱も、闇の宇宙に拡散していく。
ああ、でも、躑躅たち。お前たちだけは闇に在っても紅い花であってくれるはず。
命の化身、あいつの化身。
それでも、きっと尽き果てたあいつの命の焔の余波は、望むと望まざるとに関わらず、姿を変えてでも生き続けるのだろう。
躑躅となって。髑髏の眼窩に咲く花となって。俺を恨みがましく凝視する躑躅。
一度、この世に生まれたものは決して消え去ることがない。あったものは、燃え尽きても、掻き消されても、踏み躙られても、押し潰されても、粉微塵に引き千切られても、輪廻し続ける。
輪廻とは、光の粒子自身には時間がないように、この世自身にも実は時間のないことの何よりの証明なのではなかろうか。
愛とは永遠の業火なのだ。
何もかもを焼き尽くす劫火なのだ。
お前という亡霊を追って歩いているうちに、橙色の灯りを遠くに見つけることがある。あれが目的地だ! なんとなくそんな気になってしまう。いつしか、あの謎の影の奴を見失ってしまって、当てどなくうろつき回っていたのが、やっとそこに筋道が出来たような気がした。
はるかに遠いあの弱々しげな蝋燭の焔に会いに行くのだ。蛍の光にも似た命の、末期のささやかな慄きに触れに行くのだ。そのために生きているような、そんな気さえしてくる。そう感じつつ、夢中になって、今にも絶え入りそうな、朧な光の揺らめきに向かっていった。
気がついたら、風前の灯火のター坊の家の前に立っていた。ボクより夢の世界への旅に熱中して熱を出し、ついには肺炎になって逝ってしまったター坊の家の前に。
ご免よ、俺の犠牲になったんだよね。俺の代わりに先にあいつに逢いに行ってしまったんだよね。
躑躅となった蝋燭の焔は何故に優しく感じられるのだろう。路傍に無数に咲く躑躅たち。
われわれ…、いや、俺のような気弱な人間は眩しい世界など、ひたすらに遠い。せいぜい、躑躅の花のゆらめきを愛でるのみ。
ああ、最後の最後まで嘘ばかりだ。俺とは芽吹くことのなかった水子じゃないか。この世の光を見ることなくして埋もれてしまった髑髏だ。骨の欠片だ。種のない花だ。
だからこそ、髑髏の眼窩に潜り込み、躑躅の花を道しるべに闇の道を辿り、この世の裏側を見つめ続けるしかない。
そうだろ、そうだよね、まっさらな衣装のお前。
今夜も俺の臥所になってくれるよね。
参考:
「蝋燭の焔に浮かぶもの」
「躑躅(つつじ)と髑髏と」
| 固定リンク
「小説(幻想モノ)」カテゴリの記事
- 昼行燈118「夢魔との戯れ」(2024.09.05)
- 昼行燈101「単細胞の海」(2024.07.19)
- 昼行燈96「夜は白みゆくのみ」(2024.07.09)
- 昼行燈95「海月」(2024.07.05)
- 昼行燈93「ハートの風船」(2024.07.01)
コメント