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2006/01/01

兄ちゃんの姫始め

 ボクと兄ちゃんは六つ年が違う。兄ちゃんがそろそろ小学校に上がろうかという頃、ボクが生まれたらしい。ボクは自分が生まれた日のことは覚えていない。母ちゃんに聞いたら、母ちゃんも知らないという。姉ちゃんに聞いたら、バーカ、覚えてる人なんているわけないじゃんて、笑われてしまった。
 悔しい。兄ちゃんにバカにされるのも癪だけど姉ちゃんに笑われるなんて絶対、我慢ならない。

 そのボクも小学校に上がった。これで立派な社会人の仲間入りだと誇らしく思っていたけど、学校へはいつも姉ちゃんが一緒。ボクはもう一人立ちできる年頃だというのに、本当に悔しい。
 ボクの力を誰も認めていないんだ。

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 学校の行き帰りは危ないからって、先生も母ちゃんも近所のニイチャンも言う。
 行き帰りが危ない? みんな何も知らないんだ。一番危ないのは家の中だってことを。家の中なら、いつ誰もが不在の時間となるか、ボクも知っているし、近所の連中だって知っている。
 犯罪は夜、行われる? とーんでもない。白昼堂々さ。
 大体、ボクだって、さんざん悪さしちゃったし、これからだってするよ!
 ま、悪さだから宣言することはないけど、止められないんだよね、これが!

 実を言うと、ボクにはもう一人、ニイチャンがいる。
 こっちのニイチャンは、ボクの兄ちゃんより三つ年上だ。ボクの兄ちゃんはボクをガキ扱いする。ランドセルを背負って通うボクを、無事で帰ってこいよ、なんてニヤニヤしながら言ったりする。
 その点、あのニイチャンは大人だ。ボクを一人前に遇してくれる。最後は自分で身を守るんだ、なんて真面目な顔をして忠告してくれる。
 身を守る知恵も力もない奴から最初に犠牲になっていくのさ…、とも。

 ボクだって、ガキじゃないんだ。何処にどんな危険があるか母ちゃんや先生たちよりは知っているのさ。

 さて、小学生となり、最初の冬休みも半ばが過ぎていた。
 年が明けて遊び呆けていたボクも、そろそろ遊びのネタに困っていたある日、ボクは耳寄りな情報をゲットした。兄ちゃんがひめはじめするというのだ。
 ひめはじめ…。
 ああ、なんてなまめかしい響きだろう。大人の世界の匂いがプンプンする。真っ暗闇の空にオレンジ色の光がパーと燃え上がるみたいだ。溜まったオシッコが出口を見失い逆流して頭の中に溢れ返り煮え滾っているみたいだ。

 小学校へ上がるという春のある夜、ボクは兄ちゃんに内緒話をされたことがある。
 それは兄ちゃんが保育所に通っていた頃のこと。
 兄ちゃんの夏休みも終わりの頃、ニイチャンが近所の悪ガキ連中を家に集めたことがあった。お盆の夜で、父ちゃんも母ちゃんも町内会の世話とかで家を出払っていた。
 ガキ連中の中には、男の子も集まっていたし、勿論、兄ちゃんもいたし、近所の女の子も呼び集められていた。姉ちゃんもいた! 
 夜中になって女の子たちが寝静まった頃、それは始まった…。

 でも、何をするわけでもない。ただ、寝ている女の子たちの布団をはぎ、着ている浴衣を脱がし、懐中電灯で秘められた部分を照らし出すだけだ。
 そんなわけがないと思って、兄ちゃんの目をじっと眺めたら、ま、指で割れ目ちゃんをなぞってみただけだよ、あんなに深そうな裂け目なのに、指は中に入らなかったよ、なんて、言い訳がましいことをぶつぶついう。物足りなかったのだろうか。それとも、ホントはもっと凄いことをやったのだろうか。
 ボクには分からなかったのは、女の子たちは寝ていて気づかなかったのだろうか、ということだ。気づいていたに違いない。でも、気づかないふりをしていたに違いないんだ。
 ああ、でも、これはボクの意見なのか、兄ちゃんがそう言い張っていたのか、今となってははっきりしない。

 ボクも大きくなったら、そんな祭りに参加できるのかな。疼くような思いでボクはその日を待ちわびた。
 でも、もうニイチャンはそんな悪さをする年頃は過ぎていた。
 兄ちゃんは悪さの音頭取りをするようなタイプじゃない。そもそも祭りの夜だろうと、子供たちだけの集まりを許すような雰囲気は町から消えている。
 ボクは肩透かしを食らったような気分だ。なんのために今日まで辛抱したというのだ!

 あれ、なんの話だっけ。
 そうそう、兄ちゃんがひめはじめするという噂だ。ボクは、その噂を姉ちゃんから仕入れた。兄ちゃんは隠し事をできない人間なんだ。特に兄ちゃんには妹に当たる姉ちゃんには、その浮かれた、でもどこか不安そうな表情で何かあると睨まれ、とうとう白状させられたのだ。
 その話をボクは姉ちゃんから教えられた、というわけだ。
 
 兄ちゃんがひめはじめする。
 一体、何をするんだろう。今更、中学生になって、夜、何処かに女の子を集めて懐中電灯で気になってならない部分を照らす、なんてわけもないだろう。
 大体、兄ちゃんがそんな計画を作るセンスがあるわけもない。
 姉ちゃんが兄ちゃんから探り出したところによると、どうやら段取りをニイチャンがつけたらしい。
 だったら、分かる!

 兄ちゃんがそわそわして落ち着かない。心、ここにあらず、だ。
 いよいよその日が近づいている証拠だ。
 姉ちゃんもボクに目配せする。ボクが兄ちゃんの隠し事を知っていると言うのは姉ちゃんとボクとの秘密だ。ボクも姉ちゃんも素知らぬ顔をしている。
 その日が今日だ、というのは滑稽なほど明らかだった。放課後、一旦、家に戻ったけれど、今から塾へ行くという。ちゃんと英語と数学のテキストの入ったバッグも肩に担いでいる。
 でも、ノートも筆記用具も机の上に置きっ放しなのを姉ちゃんは見逃さない。
 姉ちゃんは、兄ちゃんが出かけた後、兄ちゃんの後を追った。ボクも一緒だ。行き先は、何処だろう。
 後を追ってみると、行き先はどうやら塾らしい。変だ。本当に塾へ行くんだろうか。テキストを突っ込んだだけのバッグだし、勉強にはならないはずなのに。
 それでもやはり兄ちゃんは塾へ入っていった。やっぱり今日は塾?!
 塾といっても、民家の一階を塾にしている。塾がある日は、襖が取っ払われていて、玄関から八畳の間とさらに奥の四畳半の仏間が見通せるようになっている。
 ところが、その日に限っては、様子がまるで違う。まず、玄関の戸が閉まっている。ただ、鍵は掛けられていないようで、戸が小さく開いている。隙間から覗くと、玄関には兄ちゃんの脱いだ靴だけがポツンとあるのが見える。他には見当たらない。下足箱には家の人の靴しか入っていないはずだ。
 家の中が薄暗い。シーンと静まり返っている。
 兄ちゃんは?
 兄ちゃんの靴がある以上は、中に入ったのは間違いないはず…。

 取り払われているはずの襖は閉まったままだ。八畳の左脇の階段も、階段下の縁側に面する廊下も、雨戸が閉められていて、隙間から僅かに忍び込む一条の日の光が薄闇を濃くしているようだった。

 兄ちゃんは何処へ行った。塾はやってないのか。
 すると、姉ちゃんは玄関の戸に張ってある紙を指差した。本日は事情があり休みます。
 誰も来ていないということは、今日の休みは事前に通知されていたということだろうと姉ちゃんがボクに言う。

 どうする?
 入ってみようよ。開いてるんだし…。兄ちゃんの靴だってあるんだし…。
 
 ボクと姉ちゃんは家の中に入っていった。塾が開かれるはずの八畳の間を覗こうと、襖を開けてみた。やっぱり、誰も居ない。電気だって灯っていない。人気がない。
 でも、不気味だった。兄ちゃんが居るはずなんだ。人っ子一人いないなんてはずはないんだ!

 八畳の間を過ぎ、奥の四畳半へ続く襖も開けてみた。仏壇があるだけ。
 しばらくはキツネに抓まれたような気分だった。静けさが一層、深まったような気がした。
 すると、階段がギーと小さく鳴った。
 足音だ。誰かが降りてくる。
 固唾を呑んで見守っていると、それは兄ちゃんだった。
 なーんだ、やっぱり居たんじゃない!

 でも、表情が硬い。あの間抜けな兄ちゃんではなかった。
 しかも、足音は一人分だけじゃない。
 その後に、もう一人が続く。
 ニイチャンだ!
 なんだ、兄ちゃんは塾だと言っておいて、実はニイチャンと合う算段だったんだ。
 でも、ひめはじめは?!

 ボクらの呆然とした顔を見て、ニイチャンはニヤッと笑った。
 そして、ようこそ、われわれの姫始めの舞台へ、と言う。
 
 えっ、ここがひめはじめの舞台。
 どういうこと。
 姉ちゃんは逸早く直感したようだった。
 でも、もう、遅かった。兄ちゃんが姉ちゃんの後ろに立っている。前にはニイチャンだ。
 
 お前も参加するかと、ボクを見遣るニイチャン。

 意味が分からなかった。
 ボクが参加するって、どういうこと。
 兄ちゃんがボクを黙って押しやった。
 お前は出て行け!
 出て行けって、どういうことさ、なんて、口の中で言うだけだった。
 兄ちゃんのあんな鬼の形相は初めて見た。
 姉ちゃんは凍りついたように立ち尽くしている。

 ボクは訳も分からないままに玄関の外に追いやられた。
 玄関に鍵が下りる音がした。

[参考にならない参考:]
 題名は「姫始め」だけど、「ナンセンス小説」と、全くジャンルの違う掌編に、「姫始め」があります。

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コメント

正月が近づくと、この掌編へのアクセスが増える。
もう少し、愛でたいのを書いておくべきか…。

投稿: やいっち | 2006/12/30 17:40

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