たき火
「ただいまー」
玄関でそう、叫んでも薄暗い廊下の奥はシーンと静まり返ったまま。
ランドセルを玄関の隣の座敷に放り投げて、家の裏手に回ってみた。
昨夜、降った雪が日中の天気に溶けてしまって、納屋や土間の隅っこに点々と残っているだけ。
田んぼにもまだらに雪が残っていて、なんだか田んぼが真っ黒に見えてくる。
あれ、誰もいない。
父ちゃんは仕事だから仕方ないけど、ねえあんもおかんもいないのはどうして?
仕方なく、仏間の裏のぬかるむ砂利道を駆けて、ボクらのたまり場へ向かった。
だけど、そこにも誰もいない。
いつもはいるはずの近所の兄ちゃんは、今年の春は中学に上がるとかで、遊んでられないなんて。
お父さんの都合もあって、中学は他所の県だとかって…。
他のみんなは、何処へ行ったんだろう。
また、みんなして何処かに集まってゲームしてる?
ボクは原っぱの隅の土管に腰掛けて、暮れていく空を眺めていた。
そのうちに、きっと誰か来る。
でも、ボール遊びも何もできそうにないほど暗くなっても、とうとう誰も来なかった。
ひとりぼっち。おいてけぼり。
そうだよな。ボクなんかいなくたって、みんなそれぞれに楽しみがあるんだ。
じゃ、ボクにはどんな楽しみがあるんだろう。
遊んでもらうのが楽しみなのに、相手にされなかったら、ボクは途方に暮れるだけだ。
ああ、なんてボクってつまらない奴なんだろう。いなくたって、みんな大丈夫なんだ。
みんな…、あっちを向いている。そっぽを向いている。
ボクは土管に腰掛けていて、すっかり腰が冷えてしまった。
ボクは動きたいんだ。ただ、わーわーって、やりたいんだ。
すると、原っぱの隅に木の柵の残骸が落ちているのが見えた。
土管から降りて、拾い上げてみる。
それはちょうど刀ほどの長さの棒っ切れだった。
いい。刀だ。
ボクは宙を切ってみた。
ビュッ! ビュッ!
いい音だ。
でも、味気ない。
ボクは土管を叩いてみた。
カーン、カーンと耳に痛いほど音が響く。
でも、音はすぐに消えていく。宵闇が音を飲み込んでしまうみたいだ。
ボクは木偶の坊の自分を感じていた。
ボクは遊んでもらわないと何もできない奴なんだ。
ボクだけじゃない、みんなも。
そう、兄ちゃんがいなくなったら、ボクらはみんなバラバラになってしまう。
空を見上げてみた。空っぽすぎるような気がした。何もないんだ。石を思いっきり投げても、何処へも届きゃしない。誰も拾ってくれない。誰も、コラーと叱ってもくれない。投げたボールは、最初は勢い良く飛ぶけど、そのうち地面にパンッて落ちて、あとはトントンと転がり、やがて在り場所も分からなくなる。
一人じゃ、誰も投げ返してなどくれない。
ボクはたまらなく退屈になって、棒っ切れを放り投げてしまった。
いいんだ。投げやりなのはボクにお似合いなんだ…。
「おい、危なかろがいね!」
あれ? 兄ちゃんの声だ。どうして兄ちゃんがここに。今頃、勉強に忙しいんじゃ?
「そうだよ。こんなもん、投げる奴、あるがかよー」
チー坊の声だ。
そう言いながら、棒っ切れを拾い上げた。
「そやちゃ、そうやちゃ!」
カースケの声も混じってる。
ああ、みんなの声だ。
声だけじゃない、宵闇の中からみんなの姿が浮かび上がってきた。
「なんだ、こんなところで、何、やっとんがいね」と兄ちゃん。
兄ちゃんの顔がちょっとにやついている。
ああ、今にも泣き出しそうなボクの気持ちが見透かされた?
ボクには返す言葉が見つからなかった。
「よお、どうだよ、みんなでたき火、しないか」
「たき火?」
「そうさ、たき火さ。ヨッチがさ、お前のかあちゃんと一緒に柿の木の枝を落としてたがやし。」
兄ちゃんはねえあんをヨッチと呼ぶ。二つ、ねえあんが年下なんだ。
「あれ、今から燃やすんだって。」とチー坊。
「そうよ。どうせなら、お前んとこのドラム缶で燃やすより、たき火のほうが楽しかろがいね。」
ボクが返事もしないうちに、
「おい、カースケ、チー坊、みんなしてヨッチのところへ行ってさ、枝、貰って来い。」
と兄ちゃん。
貰って来いとは、とにかく持って来いってことだ。
「枯れ枝とか木のきれっぱしがあったら、何でも持って来いよ。あ、それと新聞紙か何かもな。マッチも、誰か、せしめて来られや!」
とうとう原っぱに枯れ枝の山ができた。あっという間だ。
ねえあんまでが柿の木の枝だけじゃ足りないと、原っぱでせっせと枯れ枝集めしていたんだ。
ねえあんが兄ちゃんを見る目。
「盛大にやるぜ。みんなで原っぱで遊べるのも今年限りやしな。中学へ上がったら、勉強しろって、うるさくてさ。たき火で豪勢に祝おうぜ。」
何を祝うのか分からないけど、ボクはワクワクしていた。
(叱られるんじゃないの)なんて問いは、喉の奥に飲み込んだ。
すると、まるでボクの疑問が聞こえたかのように兄ちゃんが、
「へん、どうせ、叱られるのはオラやちゃ。どうってことないさ。誰か来たら、みんな、逃げな」
ボクには兄ちゃんが頼もしくてならなかった。兄ちゃんはボクらのボスなんだ。ヒーローだ。
「それにしても、集めすぎたかな。これじゃ、キャンプファイアーだぜ。ま、いっか。記念のパーティだ! さ、始めるぞ。マッチはどうしたがよ?」
まるでその言葉を待っていたかのように、ヨッチが、ねえあんがマッチを兄ちゃんに渡そうとする。
「ヨッチ、お前、燃せ!」
「えっ」と、一瞬、たじろいだけど、ねえあんは素直に従った。
マッチを擦り、新聞紙に火を点ける。
闇の中にねえあんの横顔が浮かび上がった。兄ちゃんがねえあんの仕草を見守っている。
そうじゃない、ねえあんの顔を見ている。
ボクは、やっと、そうかと気づいた。たき火は口実だったんだ。兄ちゃんがねえあんを呼ぶための…。
もしかして、兄ちゃん、ねえあんのことが好きなんじゃ…。
もしかして、ねえあんも、兄ちゃんのことが好きなんじゃ…。
「おーおー、燃えてきたぜ。燃え上がってくるぞー。いいなー、こうだちゃ。こうでなくっちゃな。」
カースケもチー坊も、オレンジに燃え上がる炎を見て興奮している。
ねえあんも、兄ちゃんも、そしてボクもたき火に見入っていた。
冬の寒空に真っ赤な炎が一人、立ち向かっているみたいだった。
ああ、ボクにもあの炎が欲しい。
でも、もしかして炎が欲しいって思ってるのは兄ちゃんかも。
カースケもチー坊も、たき火に蹴りを入れる真似をしている。
「ちきしょー、敵は手ごわいぞ!」
ゲームでもしてたんだろう。たき火を敵に見立てているんだ。
みんなの顔が紅潮している。
みんなの気持ちが一つになっている。
なのにボクは訳もなく寂しかった。みんな燃えて灰になってしまう。消えていってしまう。燃えるだけ燃えたら、灰が残るだけなんだ。
兄ちゃんは他所の県に行っちゃうし、ねえあんは塾とか付き合いとかで忙しくてボクの相手などしてくれないし、カースケもチー坊もファミコンとかに夢中になっている。
燃え盛るたき火を前にボクは、まるで闇夜に取り残されたみたいな気分を味わっていた。
でも、違う。寂しいのは兄ちゃんのはずだ。打ち明けられないで去っていく。ヒーローのくせして、弱気なんだ。
ねえあんだって…。
「あー、くそ! サツマイモか何か、ありゃよかったがに。失敗したー。」
「何か、探して来よか?」と、ねえあん。
「なーん、いいがやちゃ。そう、思っただけだちゃ。」
「思っただけけ?」
「いいが。」
「ホントにそれでいいがけ。」
「いいがって言っとろがいね!」
兄ちゃんは、怒ってヨッチを睨む。閻魔様の顔。
ねえあんの顔がこわばってる。
でも、二人とも段々、表情が崩れていって、ついにはまるで泣きべそをかいているようになって…。
パチ、パチ!
たき火はますます勢いを増して燃え上がっていた。
燃えている。けれど、燃えたあとには灰が残る。みんなチリヂリバラバラになってしまう。今日の日は二度と来ない。
いっそのこと、たき火の中に飛び込んじゃえばいい。枯れ枝を灰にするんじゃなくて、自分が灰になっちゃえばいい。
ボクはそう思った。
でも、そう思っただけだった。
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