浪曲「みみず医者」(弥一版)
[ 本稿は、季語随筆「寒月」中から、浪曲「みみず医者」の部分を抜粋したものである。
本編を読まれれば分かるように、タクシーでの営業中、「NHKラジオ(第2 浪曲十八番だったか)で、富士琴路という方の「みみず医者」を断片的にだが、聴けたので」、それを記憶に基づいて、メモしてみたもの。よって、「以下、かなり無精庵流に脚色された「みみず医者」であることを最初に断っておく。それでも、読まれるのならば、読む方の責任で、どうぞ」ということに相成るわけである。
この無精庵方丈記は創作のブログサイト。だから、ちゃんとした富士琴路という方の「みみず医者」であるならば、載せるべき筋合いのものではない。悲しいかな、未だにネット上でも、また図書館などでの文献でも、あるいは録音テープの形でも、本来の形の浪曲「みみず医者」を確認できていない。ひたすら、小生の怠慢の結果である。
以下、この創作のサイトに掲げるのも、恐らくは(ほぼ全く)創作というかデッチアゲに近い浪曲の話になっているに違いないと思うからである。なんといっても、小生、自分の記憶力に全く自信がない。このことは学生時代を通じて、日々実感してきたし、実績も(成績も)その事実を悲しいほど、悔しいほど裏書きしてくれている! このような事情を斟酌の上、以下のお話をどうぞ。
浪曲なので、その名調子で高座(浪曲の場合も高座と呼ぶのだろうか)の上で話されていると想像で補いつつ、読んで欲しいと思うけど、ま、贅沢な願いでしょうな。 (05/10/09 アップ時注記)]
ある藪医者(あるいは偽医者だったか)は、すっかり酒に溺れて、当然ながら医道のことなどすっかり御無沙汰。患者も来ないし、女房には来ても治療などできないから、みんな断れと言い渡している始末。
その医者のもとに或る日、老婆が治療の依頼にやってくる。女房は、亭主に取り次ぐ。
なんだ、オレがいると言ってしまったのか、仕方ない奴だな、と、老婆の前に立つ。
見て欲しいというのは、お前か。オレは、もう治療などできない。見ての通り、薬もない。帰れ。
けれど、老婆は必死に食い下がる。見て欲しいのは、ワシじゃねえ、ワシの亭主だ。熱が出て、どうにも直らない。なんとしても、見て欲しい。薬が欲しい。
医者は断るが、とうとう、老婆の懇願に根負けする。
分かった、薬をやろう、だが、高いぞ。
高いとは、いかほどで。
一両じゃ。
一両!!!
それでもよかったら、作って進ぜる。
老婆は、分かりました。それで結構です。お願いしますと言う。けど、今は持ち合わせがないので、用意して、また来ますと言って、去っていく。
請け負って…。薬の宛ては充(あ)てはあるんですか、と女房。
一両を吹っかければ、あの老婆は来るはずがない、と医師。
が、一時(いっとき)ほどして、老婆がやってきた。
やっとのことで集めたので、細かいカネですが、あると思います。どうぞ、あとで数えてみてください。
困ったのは、医師のほうだった。来るはずがない、そう、医師は高を括っていたのに来てしまったのだ。
医師は悩む。そもそも、まともな治療法も分からない。薬の調合など、皆目見当も付かない。
ふと、遠い昔、医師の先生だったか誰かに熱さましには、ミミズが効くと聴いたことを思い出した。
が、さて、ミミズをどう処方したらいいものか、分からない。塗るのか貼るのか煎じるのか。
(要所、要所に三味線が入るし、浪曲師の富士琴路の独特の節回しと唸りが入って、話はいよいよ佳境に入っていく。「塗るのか貼るのか煎じるのか」は、まるで聴衆である自分に直接、問い掛けられているような錯覚にさえ陥ってしまう)
医師は、腹を括る。もう、どうにでもなれ、という心境である。ミミズを擂り潰し、辛うじて残っていた何かの薬剤と混ぜ合わせて、即席の薬の調合と相成る。
そうやって、ようやく出来上がった薬を老婆に渡す。老婆は、くどいほどに礼をして薬を抱え、去っていく。
行ってしまった。明日には結果が分かる。その結果次第では、オレはもうお終いだ。女房にも、覚悟をしておけと言う。
覚悟とは?
あの薬は似非(えせ)だ。多分、呑めば、結果は最悪のことも考えられる。その時は、オレも覚悟を決める。出るところへ出て罪を告白するつもりだ…。
祈るような、長い長い一夜を医師(と女房)は過ごす。老婆の亭主は死ぬかもしれない。そうなったとしても、これまでの博打に現を抜かしたオレが悪いのだ。
翌日(翌朝)、老婆がやってきた。医師が出迎える。
結果はどうだった。
冷えました。
えっ、冷えたか。そうか、やっぱりダメだったか。
やっぱりダメだったと申しますと…。
だから、冷えたってことは、体が冷えた…、死んだってことだろう。
いーえー、何をおっしゃいます。冷えたってのは、熱が冷めたってことでごぜえますよ。
何?! つまり、熱が下がったってことか。
そうでごぜえますだ。だから、今日はお礼に参ったというわけでごぜえますだ。
助かった! 医師は、心底から安堵する。
(おわり)
以上、うろ覚えなので、会話も話の流れもいい加減である。話の概容は間違っていないと思うのだが。特に結末のつけ方などは、話の上で重要なのだが、はっきり覚えていない。是非、本物の講釈を窺ってもらいたいものである。
ところで、さて、この「みみず医者」という話。勝手な裏読みもできる。あるいは話を女房の秘話という形で作り替えるのである。
例えば、女房と老婆が結託していたら、どうだろう。つまり、医師である亭主の博打熱に困り果てた女房が一策を案じたとしてみるのだ。そもそも、医師が患者など受け付けないと言っているのに、女房が勝手に患者を、つまり老婆を取り次いでしまうのがおかしい。
女房は医師である亭主に困る老婆を会わせる。眼目は、患者は老婆ではなく、老婆の亭主なのだという点にある。医師は、体もよれよれで亭主を看に行くことなど、しない。あくまで老婆の話で患者の容態を窺うだけである。このことも、医師の女房は熟知している。
だから、誰か知り合いの、但し、亭主の医師にはまるで顔見知りではない老婆に、言い含めるわけである。老婆が一時(いっとき)の間に用意した、方々から掻き集めてきた一両のカネというのも、医師の女房が遣り繰り算段して用意したものだろうとは、容易に推測できる。
老婆が亭主の熱が下がりました、と、翌日(翌朝)報告するのも、当然である。最初から患者などいなかったし、熱に魘されてもいなかったのだから。
この、まさに死ぬか生きるか(患者が、ではなく、医師を、である)の瀬戸際に立たせることで、女房は医師を立ち直らせようと計った、という話を作り上げることもできそうな気がする。別に医師が医療の道に携わらなくてもいい、博打や酒に溺れる毎日から足を洗ってもらえれば、それでいいのだし。
但し、そのためには、亭主が酒に溺れる日々に実は自分でもうんざりしていることを女房が嗅ぎ取ること、老婆と、話をしっかり示し合わせておくこと、それに仕掛けるタイミング、さらには、前提として女房の亭主への愛情が何よりも不可欠なのだが。
そんな苦労をする奥方というのは、きっと多いのだろう。内助の功。小生は独身なので、そんな内助は、ないじょー、の不幸である。悲しい!
話が長くなりすぎた。肝心の季語「寒月」に絡む話題には入れなかった。ま、お月様も御照覧、御笑覧である。また、機会を設けて、ということで、おあとが宜しいようで。てけてんてん。
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