« 2005年8月 | トップページ | 2005年10月 »

2005/09/25

駄句拾遺9-4

 名月に模したる団子今いずこ
 ぶすの実の無骨なさまの奥床し

 満月に思うは饅頭だよウサギさん
 名を呼ばれ何か妖怪お呼びじゃない?
 月ウサギ我が住むところ宇宙なり!

 古(いにしえ)の風に吹かれて赤く咲く
                (2005年9月19日 午前)


 今日は何故かお月さんの姿がまるで見えなかった。半分は、それが楽しみで夕方、買い物に行くんだけど。ま、この数日、見てきたから、いっか。
 それにしても、いずみさん、トンボ採りの名人なんですね。小生も、ガキの頃、捕まえたことはあったけど、手だけで捕まえたのは数えるほど…。
 その要領で、お月さんも掴まえることができたら凄いけど。
 
 お月さん裸身晒して風邪ひくな
 秋の風吹くならよどみ払ってよ
                 (2005/09/19

 月よ月心の透き間照らすなよ
                 (2005年9月19日 夜半近く

 草の花誰が見ずとも咲く命
 生きているただそれだけと草の花
 名はあれど咲かなければ草の花
 風に揺れ光浴びてる草の花
               (September 20, 2005


 月よ月心の隈より目の隈消して!
               (2005/9/21

 健診で心も診られりゃ困ります
               (2005年9月21日 午後


 君は誰聞く野暮ゆえに愛しさも
           絡む蔦がごと秋の夜長し
               (2005年9月21日 夜半近く)

 十六夜に誘う我が手の指寂し
               (2005/09/22

 一人きり風船の恋抱き締めて
               (2005-09-24未明


 夜長とて時計の刻み変わらざる
 行く川の変わらざりしを知る夜長
 虫の音の途切れざるよな夜長かな
 壁の穴覗き続ける夜長かも
 求め合い焦がれ続ける長き夜
 あくがれて深き淵見る夜長かな
 病み伏して明けることなき夜長かな
 眠れずに夜明け迎える夜長かな
 真綿にて夜長の首を括りたし
                (September 24, 2005


(↓手作りのクッキーを見て…:)
 揚げたてを食べてみたいな見るだけじゃいや!
                (2005-09-25


 捻る句の乱れるさまも散らし寿司
                (アップ時)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/09/18

駄句拾遺9-3

 我が道の寂しき景色花野埋む
 角々の鉢見目を閉じ花野かな
 野路の秋人影追える我なるか
 花野とは遠くにあって思うもの
           (September 12, 2005

 山々の緑の海の目に眩し   
 秋めくも夏の名残も居座れり
           (September 13, 2005

 秋の蝶行き暮れてなお舞う命
 秋の蝶わが恋ふ人の文ならん
 ふらふらと迷えるごとく舞いたくもあり
           (05/09/13)


 皿洗い腰をかがめて疲れ果て
 洗いつつ知るは背丈の差かも
 ふらふらと自転車漕ぐは我なりし
           (September 14, 2005)

 自転車を漕ぎ損ね天の花野行く?!
 漕ぎ疲れ夢見心地の花野かな
 漕ぐわれを陽の当たる人と思うべし
 誰もみなわれを見しと思えば楽し
 ペダル踏む足取り軽く今を生く
            (September 14, 2005)

hanatate
 花は造花だけど花立ては母の手作り。不自由な手で、みんなに手伝ってもらいながら作ったとか。竹のように見えて実はチラシ。クルクル丸めたんだとか。表面にはニス。

 手作りのもどかしさも活けし花   
 手の皺も織り込まれての花立てか 
  
 料理すると経験のなさが露呈する。それでも少しはメニューを工夫。食卓を賑やかにする。今日の富山は雨混じりの曇天。風もやや強い。過ごしやすいのが助かる。
   
 定番にひと品添えて愛込めて   
 傘差して自転車乗るまた楽し
           (September 14, 2005

 愛してるこのひたむきさを如何せん
 思いつめ気が付きゃ人生終わりだよ
           (2005/9/14

 秋の空眺めて知るは恋心
         背伸びする手の届かぬ高さ

 澄める空我が想いまで透かしける
           (05/09/14?

 三日月の途切れる先のもどかしき 
 糸ほどの絆もまぶし我ならん
           (2005/09/15

 曼珠沙華見蕩れ過ぎると彼岸かも
 曼珠沙華萌える想いをどこまでも
 秋の日の夕陽を呑みし花ならん
           (2005年09月16日

 どこまでも尽きることなき鉄路かな
           (2005年09月17日


 捻る句の拙なるさまも堂に入る
                  (アップ時)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/09/17

相合傘

 授業が終わった。みんなワイワイ言いながら帰っていく。ボクも帰る。何も用事がないし。
 ボクはグズグズしている。雨が降っているからだ。傘がないからだ。
 みんなどうして傘を持ってるんだろう。
 誰だっけ。男はさ、傘なんて持たんもんなんだぜ、なんて言ってたのは。
 そう、あいつさ。

 あいつ、いつも真っ先に傘の中、帰っていくんだ。友達の傘に飛び込んでさ。
 そうだよなー、そうすりゃ、傘なんてなくなって、平気だよな。
 ま、あいつのことだから、ずぶ濡れになったって、格好がいいんだよな。
 ボクがやると、どうして惨めに見えるんだろう。気のせい?

 ボクは一階の玄関へ通じる廊下の隅っこに立っていた。みんながドンドン、雨の中に消えていく。夏の終わりの雨。ボクの大好きな雨。軒下なんかに入ってさ、泥んこの道に水溜りができていくのを、ジーと見ている。
 いつも、水溜りが巨大になって、道一杯になって、そうして町中にあふれ出すのを楽しみに見てるんだけど、ダメ。たいてい、そのうちに雨が小降りになって、町が水浸しになるっていうボクの願いは叶えられない。
 ボクもだけど、雨の奴も根性なしだ。

続きを読む "相合傘"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005/09/12

駄句拾遺9-2

 秋の月待ち焦がれての月見かな
 這い回る車の先に月一つ
 有明の月の影追う孤影かも
 今朝の月寝入る前でも今朝の月
 月々の支払い溜めて息詰まる
            (September 09, 2005

 美の潜む自然の妙の奥深さ
            (2005/09/08

 毎日を汲々と生きる我悲し
            (September 10, 2005)

 蚯蚓(みみず)鳴くオイラにもっと光をと
            (September 11, 2005

 夏の雨濡れたってすぐ乾く
 夏の雨シャワー代わりに浴びていく
 火照りける体を癒す雨ならん 
 雨よ雨行い直すからひどくしないで
 雨さんよ我が身はいいけどカメラ濡らさないで
 ダンサーさん視線の先に何見てる?
            (2005年09月11日

 秋の日の恋の思いの届かぬ高さ
 瓜(うり)食(は)んでメロンと思う切なさよ
            (05/09/09)

 秋めくもその先長い残暑かな
            (05/08/21)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/09/08

シャボン玉の夢

 ある日、ボクは気づいた。ボクと出会う人がみんな石になってしまうことに。
 裏通りを歩いていたら、お兄ちゃんの姿を見かけた。いつもボクと遊んでくれる兄ちゃん。弱気なボクを励ましてくれる兄ちゃん。
 その兄ちゃんに「こんちわ」って声をかけたら、チラッとボクを見ただけで、何の表情も見せないで、黙って行き過ぎてしまった。
 まるでボクがありふれた動物か何かで、ゲエーとか、ギャーとかって鳴いたから、どんな動物か見たけど、つまらない奴なんで、興味がまるでわかないみたい。
 ねえ、兄ちゃん、ボクだよ、ボク。
 何か心配事があるのかな。ボクのことを構う余裕も無いのかな。
 ボクは、一言でいいから声をかけて欲しくて、兄ちゃんのあとに付いていった。
 気付いている。ボクがあとから追いかけていることが分かっている。
 なのに、振り向きもしない。足を緩めようともしない。
 歩いているうちに汗ばんできてしまった。息が弾む。苦しいほどになった。
 でも、歩き続ける兄ちゃん。
 ボクはとうとう我慢がならず、駆け出して、兄ちゃんの前に出てみた。
 そうしたら、さすがに兄ちゃんだって、ボクのことに気付いてくれる。「おお、なんだ、お前かよ」って、気さくに応じてくれる…。
 最後の元気と勇気を振り絞って、兄ちゃんの目の前に立ってみたんだよ。
 だけど、兄ちゃんは、路肩のお地蔵さんでも眺めるみたいに、黙りこくったままだった。
 それどころか、石ころでさえない。兄ちゃんの目はボクを透かして、あらぬほうを見ているだけ。

続きを読む "シャボン玉の夢"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005/09/04

公園にて

 或る日、タクシーの車中でこんなことを思っていた。

 その日は予報では午後から晴れるはずだったのに、午後の一時半過ぎから小糠雨が降り出し、それがついにはすっかり土砂降りの雨となってしまった。
 一時は空も明るくなってきた感じがあったのに。
 走り疲れた。いつもの公園の脇に車を止めよう。
 車中には読む暇などないと思いつつも、正岡子規の『仰臥漫録』(岩波文庫刊)を持ち込んでいる。猛烈な痛みに耐えつつ、窓外の四季の変化を過敏なほどに嗅ぎ取ろうとしている。
 己の終わりの時を意識すると世界の中のどんな風物も感覚を直撃する棘を立てているかのような鮮烈さを以って人の感性を駆り立てる。煽るようにして何事かを感じさせる。予感させる。枯れ葉でさえもが梢を離れる瞬間に悲鳴を上げているように思える。

 枯れ葉散る間際の声も雨に消ゆ

 ひらひらと風に舞いながら、束の間の浮遊感を味わい、でも実は、舞っているのではなく風に弄ばれているのであり、浮遊感なんてものじゃなく、己の意志など無き物にされていると感じているだけであり、やがては土の上に散り敷かれ、行き交う人に踏みつけにされ、吹き寄せられ、あるいは掃き寄せられ、死骸や朽ち葉の山の一欠けらにされてしまうまでの束の間の酩酊感に酔っていたいだけ…。

 自由とは誰とも絆断つことか

 寝床に縛り付けられて見馴れたはずの部屋の様を改めて末期の目で眺める。古びてかび臭い桟、壁の罅割れや襖の滲み、擦れた畳、手に馴染んだ湯飲み茶碗、狭い台所の黴や汚れ、その全てに生きた証が擦り込まれている。
 漱石も子規も小生には曽祖父より古い世代の文人たちだけど、明治の混乱期にあって、懸命に文学とは生きるとはを考え表現してきた。
 考えてみると、いつの時代も混乱期であり転換期であり先の見えないという点にあっては同じ事情なのだろう。努め、求め、試み、悩み、迷う限りにおいては、誰にも先のことなど分かりはしないのだ。

 あくがれて誰しも惑い道を行く


 また別の日には、タクシーを止めて、こんなことを思った。

 品川区のとある公園の脇に車を止めている。車に給油し、最後の一走りをする前の一服。といっても、タバコを燻らしているわけじゃない。持参のボトルのお茶を一口飲んで、あとはただちょっと冷たい風に吹かれ、ぼんやり夜空を見上げているだけのこと。
 年が明けたと思っていたら、気が付くと、もう、今年は一月も残っていない。
 もう、季節は冬なのだろうか。
 普通なら冬なのだろうけど、今ひとつ寒さが本格的とは言い難いし、といって秋が終わりという感じもしない。季節の分かれ目が曖昧なのだ。木々に目を遣ると、葉っぱは随分落ちて去ってしまって、健気に枝にしがみついている残り少ない葉っぱが寂しげ。

 残る葉の揺れる寂しさ日暮れ時

 この頃ともなると空気も乾いているし、日中、風があったせいか、空を眺めると、街灯が多く決して暗いとはいえない公園の脇で眺めているにも関わらず、瞬く星の数が多い。
 東京でもこんなに星を愛でることができるんだと、なんとなく驚いてみたり。
 何をするでもなくいつものように通り過ぎていくこの年なのだけど、それでも、乏しい脳と能を絞るようにして、あれこれと書き綴ってきた。少しは本も読んだ。何かに付けて感じることもなかったわけでもない。
 それに、今年の夏は、一つの転機を自分に与えてくれた。こんな(といっても自分でも分からないでいる部分が多いのだが)契機が自分に来るとは思いも寄らなかった。だからといってどうなるという予測もない。
 というより立てようがない。

 胸騒ぎただ湧き立つを如何せん

 今は、自分を何処へ導いていくのかしれない波に身を任せ、あるいは時に敢えて潮の流れに乗り、きっとより豊かな実りの世界へと、流れのままに生きていくだけだ。人との出会いというのは、実に有り難きものだと今更ながらに思う。
 願わくは、小生と出会った人たちにも、ほんの少しでもより豊かな世界へと導かれるのであって欲しい。出会いが互いに素晴らしいものであって欲しい。星々に骨身に凍みるほどに見つめられて、ただただそう願うだけである。

 あくがれや募るほど深き闇の底

 さて、読みかけていた正岡子規の『仰臥漫録』を月曜日未明に読了。これで何度目の読破となるか分からないが、読むたびに子規の鬼気迫る苦しげな息を感じる。どんな状況に追い込まれても、それを書き留めねばいられない文豪というより文業の凄まじさ。
 妹をさえ、えげつないほどに描いてしまう。

 命とも引き換えなのか鬼の書く

 そういえば、つい先日の9日は、夏目漱石の命日だったはず。その日、高浜虚子著の『子規・漱石』を読了した。漱石を同時代の人として見、付き合った虚子の文章を読むことで、少しでも漱石や子規を身近に感じたかったのだ。彼らの時代を精一杯生きた。でも、子規は勿論、漱石も小生より若くして亡くなっている。そのことを思うと、比べるのが生意気と思いつつも、我が身が淋しくなる。
 自分なりのやり方で頑張っていくしかないんだろうけど。

 我は我呟く口の空しかり

 きっと誰にもまだまだ分からない先が待っているのだと思う。なぜなら、人の目には冴えない自分であっても、何かを求める気持ちと恥ずかしくて人には言えないけれど何かへの焦がれる気持ち、憧れる思いが募っていることを感じるからだ。
 今年もあと少し。でも、人生の先があと少しかどうかなど、誰にも分からない。まして来年のことなど、何が分かろうか。迷い。その中でより可能性のあるほうへ歩いていけたらいい。今はそう、思うだけ。
 誰のためでもない自分の為に…。
 いや、ただ歩く。それが全てなのだ。
 さて、そろそろ仕事に戻ろうか。

 歩いてるただ歩いてく孤影かも

[ 本稿は、「年末に思う(我が日記より)」(03/12/16)を元に、俳文に仕立ててみたものです。 (05/09/04 アップ時付記) ]

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年8月 | トップページ | 2005年10月 »