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2005/08/18

白いドレスの女

 あれはいつのことだったろう。忘れてしまった? それとも思い出したくない?

 久しぶりの長距離のお客さんだった。常磐自動車道の谷田部ICで降り、さらに走ること十数分。田舎道をお客さんの指図に従って幾度となく曲がったが、とにかく目的地に到着。
 しかも、支払いは現金だった。チケットだと、あとで不正のものだったりして、その負担が運転手に、というケースがありえるのだ。
 タクシー稼業で、唯一、気の休まるのは、長距離のお客さんを下ろして、自分の縄張りまで走る数十分という時間。高速だし、お客さんを求めて神経を擦り減らす必要もない。
 順調に走れば、3時前後には都内のICを降りることができる、はずだった。
 どうしたものか、オレは道に迷ってしまったらしいのだ。どう走っても、谷田部ICに着かない。どうも風景が違う。田舎の道をグルグル回っているうちに、それでも、谷和原ICを示す標識に遭遇した。
 よかった。このまま、真っ直ぐだ。谷和原ICは東京から見ると、谷田部ICの一つ手前だが、そんなことはどうでもいい。
 
 が、何故か、どれほど走っても谷和原ICどころか、高速道路にぶつかる気配がない。それどころか、段々、道が細くなる。細くなるどころか、いつしか舗装さえされていない道に突入してしまった。
 さすがに変だと感じたオレは、林道との分かれ道で方向転換して、さっきの標識のあるところまでもどることにした。土地感のない場所で迷ったら、下手に走り回らないで、少々走っても、分かるところまで戻ることが大切なのだ。

 が、Uターンしたはずなのに、尚更、細い曲がりくねった道になっていくのだった。しかも、雨。
 天気予報では空模様が怪しいとはいっていたが、こんな時に限って当たるのだ。降り出したら、あっという間に土砂降りになってしまった。しかも、音は聞えないが、稲光で空が一瞬、眩しく輝く。
 雨粒がフロントガラスを叩く。ワイパーも利かないほどの雨だ。ワイパーに弾かれた雨水がフロントを滝のように流れ飛ぶ。
 篠突く雨の闇の中ではヘッドライトも、墨を流した闇夜の行燈ほども役に立たない。しょぼくれたような光が申し訳程度に躊躇っているだけ。

 と、突然、何か白いものが驟雨の中に浮かんだような気がした。が、注視しても何も見えない。気のせいか…。
 道は蛇のように曲がりくねっていた。雨、闇、林、しかも、蛇崩れの道。
 路肩も定かでない道だったので、アクセルを吹かせるわけにもいかなかった。焦ってはいけない。どんな道も必ず終わりがある。何処かに繋がっている。いつかは広い道に行き当たる。それなりの経験を積んできたオレだもの、焦ることは何もないのだ。
 が、オレの神経を逆撫でするかのように、また、白いものが豪雨の闇夜の中に一瞬、浮かんでは消えていった。
 なんとなく、同じ場所をグルグル回っているような気もする…。
 だから、何度も白いものを見る羽目になってしまうのかもしれない。

 オレは、膝栗毛の浜松宿の話を無理にも思い出そうとしていた。宿に泊まると、亭主が女の幽霊が出るという話をする。それが気になって眠れないままに夜中になる。尿意に我慢がならず、恐々弥次と喜多の二人連れ立って厠(かわや)へ。障子を開け、雨戸を開けると、なにか庭のすみに白いものが、空中にふわふわ。しかも、腰から下が見えない。腰を抜かす二人。そこへ宿の亭主が駆けつける。亭主が調べてみたら、その白いものとは取り込み忘れた洗濯物の白い襦袢だった。道理でふわふわするし、足だってないわけだ…。

 白いものを雨の闇夜に見たからって幽霊のはずがない。幽霊の正体見たり枯れ尾花だ。
 そう言い聞かせてソロソロと走り続けた。
 が、また、白いものがふわーと浮かび上がってくる。今度は間違いない!
 よせばいいのに、車を路肩に止めてしまった。雨が車の屋根を煩いほどに叩く。稲光が次第に頻発する。雷鳴も聞こえてくるようになっていた。
 オレは魅入られたように、藪の中から現れ出でる白い何かを見つめていた。
 それは女だった。白いドレスを着た女だった。長い髪が腰まで垂れている。文字通り濡れ羽色の髪が顔にも垂れている。街灯などあるはずもないし、髪で顔が隠れている、ヘッドライトの向きだって藪を向いているわけじゃない。なのに、女の顔が幽かに光っている!
 オレの勘違いじゃなければ、女は必死の形相に見えた。しかも、足はあるけど、裸足だった。
 良く見ると、ドレスの裾も襟元も引き千切れたようにボロボロだった。自分で着たというより、誰かに頭から被せられたような、ちぐはぐした感じがあった。
 女はオレの元へと走り寄ってきた。
 女の手はドアの取っ手に届きそうだった。

 オレは、背筋が凍り付いて、気が付くとアクセルを吹かしていた。

 あの女に似ている!
 いつだったか、捨てた女に。オレのものにしたつもりが、虜にされたのはオレの方だった。オレの手中にあるはずの女は、いつしか髪で体で汗で脂でオレを泥沼に引きずり込んでいった。都合のいい女だからと骨の髄までしゃぶるつもりが、骨抜きにされたのはオレの方だった。当時はオレも羽振りが良かったのだ。なのに、気が付くと、何もかも無くしてしまっていた。命さえも奪われそうだった。
 オレは逃げた。そう、女を捨てたんじゃない、オレは逃げたのだ。
 けれど、あの女は何処までも追いかけてくるのだった。女の執念をオレは思い知った。
 
 その女が、まさか、こんなところで?!
 分からなかった。
 オレは逃げた。あの女から、やっとの思いで逃げ切ったのだ。今更、掴まってなるものか!
 もう、プロのドライバーという意識など、すっ飛んでいた。滅茶苦茶に走った。そうして、逃げ惑っていたら、いきなり目前にインターチェンジが見えた。助かった。逃げ切れる。高速にさえ入ってしまえば、女だって、いや、幽霊だって、追いつけるはずもない。
 雨だ。真夜中どころか、2時を回っているはずだ。雨と雷のせいか、車など、対抗車線にも見えないほど疎らだ。

 オレはアクセルを親の仇とばかりに踏み込んだ。雨粒は癇癪玉のようにフロントガラスの上で弾け散った。雷鳴が天の怒号か女の金切り声のように轟いていた。雨は、オレの車を責め苛んでいた。車の中にさえ、吹き込んでくるようだった。
 オレは、普段なら速度計を確かめ、燃料系をチェックし、時間を確認し、サイドミラー、バックミラーで後ろや周辺の状況をしつこいほどに把握しながら走る。

 が、そのときばかりは、後ろを一切、見ないで走った。ただただ真っ直ぐ前を向いて、追うのはヘッドライトにやっと浮かぶ路面の白線のみ。耳にするのは、ゴーという耳を劈(つんざ)く轟音のみ。雨粒の屋根を叩く音なのか、車のエンジン音なのか、タイヤの悲鳴なのか、雷なのか、それとも、心臓の鼓動なのか、とにかく一切合切がごちゃ混ぜになっていた。
 途中、路面が荒れていたのか、一瞬、車体が揺れたような気がした。
 その後、さらに何かショックを後ろの方で感じたが、確かめるわけにもいかなかった。
 それもこれも、気のせいなのだ。オレは、心の目と耳を塞いでいた。今はただ、魔の領域から逃れ去ることだけ。それで精一杯。

 次第に雷鳴も遠ざかっていった。雨も気のせいか小降りになりつつあるようだった。ガタガタと車体が鳴るような音を覚えるが気のせいに決まっている。
 料金所のオヤジの怪訝そうな、何か言いたそうな顔が不思議だったが、忖度するゆとりも何もなかった。
 ようやく、首都高速の中央環状に達し、オレの好きなインターチェンジで降りた。
 そして、お気に入りの公園の脇に車を止めた。

 タコグラフの時計を見ると、3時過ぎ。なんだ、案外と早く帰れたじゃないか。
 女の事は忘れるんだ。あれは夢だ。気のせいだ。悪夢だ。昔の女のことを気にしすぎているんだ。
 雨だ。そうだ、雷の気紛れなのだ。
 自動販売機が目に付いた。コーヒーを飲もう。一服しよう。一服ったって、煙草を燻らすわけじゃない。まあ、溜め息というか吐息というか、安堵の息を胸一杯、スーハー、してみるだけのこと。
 と、その時になって初めて、半ドアのウォーニングランプが赤く点灯していることに気が付いた。見ると、後部のドアが半開きになっていて、しかも、後部座席がずぶ濡れになっている。
 あの女だ。あの野郎、ドアを開けやがったんだな。御蔭でシーツが台無しじゃないか。これじゃ、もう、営業どころじゃない…。

 その日の夕方、オレはやたらと長いような、それとも膠(にかわ)を無理にも引き伸ばされたような、ベタベタとした眠りから覚めた。脂汗でグッショリ濡れていた。
 疲れは抜けきっていない。昼間の眠りは、たださえ浅い。まして、悪夢のあととあっては、夢の中でどんな目に遭っているか知れたものじゃない。
 夢、そうだ、あれは夢だったのだ。

 しばらくベッドで愚図っていたが、買い物にも行かなければと、起き上がることにした。そう、オレは独り者なのだ。とりあえず、夕刊を取ってきた。やはり、外出する気になれず、ベッドに倒れ込んで、仰向けになって新聞を読み始めた。
 オレは頑固なほどに新聞を隅々まで読むのが習い性になっている。それも一面から最後のテレビ欄までを順序良く。
 仕事柄、お客さんの話題に付いていく必要もあるからと始めた習慣だったが、今では癖になっていた。

 最後の社会面を捲ったとき、オレの目は釘付けになった。
 そこには小さく事故の記事が載っていた。
 要約するまでもない短い記事。常磐自動車道で女性が轢死。年齢は25歳前後。車から落ち、後続の車に轢かれた模様。女性には強姦されたらしい痕跡がある。女性の身元は不明。警察は事件として立件の模様…。

 あの女はレイプ犯から逃れてきたのか?! オレに助けを求めたのか?! オレは逃れたつもりだったが、女はオレのタクシーに乗ったのか?!  女を高速道路の何処かで振り落としてしまったのか?!
 分からない。何もかも分からない。オレは眠ることにした。眠ることで忘れることにした。
 あれから、何年、経ったのだろう。オレは警察からは逃げ切った。けれど、女からは…。
 オレは、あれからずっと眠り続けているような気がする…。


[ 本稿は季語随筆「白いドレスの女」(August 10, 2005)より、小説部分のみ転記したものである。タクシーもので怪談仕立て(?)のものをというリクエスト(?)に応えて書き下ろした。 (05/08/17 補記)]

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コメント

珍しく夜更かしのオリオリです
3日ほど前夢を見ました
立て続けに親戚が事故にあう夢・・・
まどろむだんなに声をかけ
車の事故の夢を見たから、運転には最新の
注意を払うように忠告した
また寝てしまったらいい忘れそうだったから・・・
そして本日 旦那の従兄弟のトラックがタクシーと衝突Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン
やっぱり 正夢!!
私は霊感が強い女です
そして赤いドレスの女です
http://www.147-net.jp/demo/piano/piano_demo.mpg

投稿: オリオリ | 2005/09/24 23:37

オリオリさん、世の中には現実にも夢の中にもドラマが満ちている。そしてその両者が交錯し合っている?!

http://www.147-net.jp/demo/piano/piano_demo.mpg
↑しっかり聞かせてもらいました。ブログでの情感を抑え気味にゆったり聞かせてくれるピアノの曲調と演奏とは違って、パセティック!
白いドレスの女、赤いドレスの女…、次は黒いドレスの女が…?

ちょっと違うけど、小生が以前書いた「雨音はショパンの」を思い出してしまった:
http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/essay/sound-of-rain-or-piano.htm

投稿: やいっち | 2005/09/25 13:57

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