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2005/04/30

紫苑の丘へ(断片)

 前橋駅前に降り立って見る風景は、東京暮らしの長い俺には、場末のような、しかし東京とは違う小奇麗さとだだっ広さがあって、戸惑うばかりだった。
 駅の正面には何かの風景写真で見たような山が望める。駅の案内板によると、赤城山だという。赤城山というと、国定忠治くらいしか連想できない自分が悲しい。
 駅のロータリーの先には、欅(ケヤキ)並木が続いている。欅の並木道というと、表参道とか、府中の並木道を思い浮かべてしまう。
 周囲の風景に呆然としているうちに、男女の二人連れの姿を見失って、焦りかけた。
 が、考えてみるまでもなく、別に彼らの後を追うのが目的ではなかったのだと、気が付いて苦笑してみたりして。
 来るには来たが、これからどうしたらいいのか、まるでアイデアが浮かばなかった。
 駅前の案内表示を眺めているうちに、土屋文明記念文学館という名前に目が向いた。高崎駅からバスで30分だという。前橋駅からだとどれくらいなのか、ピンと来ない。第一、土屋文明と紫苑と関係があるとも思えない(ないという根拠もないけれど)。
 前橋の何処かに紫苑の咲く場所があるのだろうか。とうとう、本当に行き詰まってしまった。この町に紫苑が咲く場所があるという保証などない。そもそも、仮に咲く場所が在っても、10月ともなって咲いているという保証など、何処にもない。
 ふと、紫苑が湿原の地に咲くという知識を思い出した。

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2005/04/23

春の雨は(2)

 あの日、あの公園でマミという女の子に出会って、二ヶ月が経っていた。
 気が付くと季節は梅雨。春の雨の朧さの中の淋しさが、今では鬱陶しさばかりが募っていた。マミとも、今では抜き差しならぬ関係になっていた。
 マミは、篠崎真美だとは、分かっている。でも、彼の中ではこの子はマミなのだ。何故だかカタカナのままで呼んでいた。
 何処か、腰が引けている、そんな気が、自分でもするのだった。用心しないと碌でもないことになる、多少は世間ずれした知恵が彼にそう警告しているのだった。
 彼はマミを中性的な、抽象的な存在のままに保っておきたかったのだ。
 いつでも逃げられるように? そうかもしれない。
 マミという子は不思議な女の子だった。もう、二ヶ月も付き合っているのに、未だに正体が掴めないのである。住所は分かっている。分かっているどころか、ほんの数回だけ、マミの家を訪れたことがあるのだ。
 が、それは、彼女の家に誰もいない時だった。もしかしたら、普段は誰もいないのかもしれない。マミが一人っ子で、鍵っ子でもあるのだから、考えてみると当然といえば当然の話なのだ。
 それなのに、敢えてマミの家にいかないのは、ただただ、彼が世間の目を恐れて、できるだけ近づかないようにしているだけなのだ。それに彼だって、自分では立派な社会人なのだと思っていた。仕事だってある。昼間から、そうそう呑気にマミと付き合えるわけもない。夜はさすがに彼も遠慮していた。

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2005/04/19

春の雨は(1)

 冬の日の冷たい雨でもなく、夏の日の浴びることを厭わない通り雨でもない、春の雨。そんな春のある日、今にもバラけそうな塊を抱えて、静か過ぎる街を歩いていた。
 傘を叩いては弾け散る雨の音に、近くの屋根や塀にぶつかっては飛沫となる雨滴の末期の悲鳴を聞くことはできない。
 ましてアスファルトに砕ける雨の雫の遠い叫びなど、誰が聞く耳を持とうか。
 傘を支え持つ左手。ふんわりとした塊をやっとのことで胸に押さえ込もうとする右手。頭には無残に雫の形を失いつづける惨劇の現場。裾の辺りは、もう、とっくの昔に歩くたびに跳ね返る水と雨とにずぶ濡れになっている。
 雨が早く上がって欲しい。けれど、もし、今、急に晴れ上がってしまったなら、途方に暮れるだろうことが予感できて、このままがいいのだという思いもないわけではない。何事に付け、中途半端で宙ぶらりんなのだ。
 ゴム風船よりも定まりない、胸に抱きかかえられた正体の知れない塊は、塊という表現を嘲笑うかのように、今にも空中へ飛散してしまいそうだった。未だに不定形とはいえ、局所の空間に集まっていること自体が、そもそも不可思議なのは、分かっている。
 一体、何の皮膜がそのゼリー状にブヨブヨする擬似的な生き物を囲い込んでいるのだろうか。あるいは、皮膜というより、ゼリー塊の表面が空気に晒されて質的な変化を起こし、内部の依然として液体状の集合体を取りあえずは一個の纏まりに見せかけているだけなのか。

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2005/04/11

メロンの月

 これもボクがガキの頃のことだ。ボクとしては思い出したくないのだけど、姉と喧嘩してしまったのだった。それというのも、メロンの分け方が喧嘩の種だった。
 ある日曜日、お袋の妹の家からメロンを送ってきた。我が家は大騒ぎになった。果物は、家でも苺やら葡萄やらキュウイなど、あれこれ採れる。トウモロコシだって採れるし、果物かどうか分からないけど、ジャガイモなんて、たっぷり採れて、お八つ代わりだった。
 が、メロンとなると、別格だった。というか、見たこともなかった。その頃は、我が家にテレビなどなかったし、ホントに実物どころか映像も見たことがなかったのだ。
 その噂にばかり名高いメロンは、箱からして豪華だった。何故か熨斗(のし)などされていた。何かのお祝いだったのだろうけれど、ボクは覚えていない。とにかく、香りが漂っていて、ボクは早く食べたくてならなかった。

 でも、こういう時って、えてして良くないことが続くんだよね。
 箱には、三個、入っていた。が、運悪く、近所の小母さんがやってきて、なんだかんだ、おしゃべりした挙げ句、一つ、もらわれていった。それ以来、ボクは、その小母さんのことが大嫌いになった。きっと、小母さん、臭いを嗅ぎ付けてやってきたに違いないんだ。いつもなら、玄関で片言喋ったら、他の門構えの立派なうちへさっさと行っちゃっていたのに、その日に限って居間に上がりこむんだから。

 残ったのは、二個。我が家は、父、母、姉、ボクの四人だから、計算上、一人頭、メロン半分ということになる。その意味じゃ、三個が二個に減ってよかったのかもしれない。
 ところが、そこにまた、邪魔者が遣って来た。うちを檀家だと思っているお寺のお坊さんが、法事でもないし、今日は来る日じゃないはずなのに、やってきたんだ。
 メロンは? ちゃんと隠してある? うん、ちゃんと台所の外だ。盥に浮かべ、その盥を井戸に沈めてある。しっかり冷やそうというわけだった。
 大人同士の退屈な話が延々と続いていた。ま、ボクにはどうでもいいことだし、漫画の本を読んでいた。といっても、何も買ってくれないので、父が昔、買ったらしいのらくろ二等兵とかいう漫画だった。父の習慣で、黒い表紙を張り、紐を通したりして、製本してある。なんだか、宝物みたいだった。
 ボクには、ちょっと退屈な漫画。もっとも、親父たちのお喋りほどじゃ、ないけれど。
 そのうち、やっとお坊さんが腰を浮かし始めた。とにかく話が長い。その間に、お袋は、小さな紙の包みを用意している。お坊さんの目が、さりげなくそちらに向いたのをボクは見逃していない。
 お喋りするだけで暮らせるなんて、いい商売だな、羨ましいな、ボクの将来はこれで決まりかな、なんて、思いながら、お坊さんの立ち去るのを待っていたら、最後にとんでもない<事件>が起きたのだった。お袋ったら、去り際のお坊さんに、縄紐で括ったメロンを手渡しているじゃないか! とんでもないこった。
 ボクが将来、なる仕事からはお坊さんは、外れた。人に恨まれてまでやる職業じゃないと思ったのだ。

 残るメロンは、一個だけ。まさか、このなけなしのメロンまで人に遣るはずはないだろう。これまで人に遣っちゃうんだったら、もう、親子の縁を切ってやる。親でもなければ、子でもない! ボクはそんな悲壮な覚悟を決めていた。
 メロンは、すっかり冷えているはずだった。ボクのほうはといえば、頭の中がヒートアップするばかり。数分毎に、井戸のほうを窺っていたものだった。うん、大丈夫、メロンは安泰だ。
  一個だけだけど、四人で分ければ、四分の一、まあ、贅沢とは言えないけれど、めったに口に出来ないものを口に出来るのだ、文句はない。
 とにかく、食べたい!

 が、その日は日曜日である。しかも、やたらとお客の多い休みだった。いよいよ、午後の四時過ぎだったか、五時前だったかに、「メロンを食べよう」というお袋の心地いい声が聞えてきた時だった、玄関の戸がガラガラと開いて、誰かの「こんにちは」という声が居間にまで届いてくる。
 今ごろ、誰だ?! って、お客が来るには、変な時間というわけじゃないのだった。ボクの知らない人だったけど、父の知り合いのようだった。お袋が、ちょうどいいところにいらっしゃいました、今、メロンを食べるところでしたの、一切れですけど、どうぞ、なんて言っている。
 何がちょうどいいところだ。最悪じゃないか。ボクは、お袋がお客さんに挨拶しなさいと言われた時、思いっきり、しかめっ面してやった。当然じゃないか! 誰が愛想など、振り撒くものか!
 が、姉は、ちゃんと、お客さんに、頭を下げ、こんにちは! なんて、言っている。なんだい、裏切り者。ボクは、危うく、姉の足を踏んづけるところだった。さすがに、お客さんの前なので、我慢した。ボクも結構、大人になったのだ。
 メロンを四つ切りし、さらに半分に切って、八つの切れっ端が皿に載っていた。薄いメロン。でも、薄くて、半透明なだけに、その淡い黄緑の実が美味しそうで、それだけに、その一切れを、いや、ついには無遠慮にも二切れをも口に運ぶ客の奴が、憎たらしくてならなかった。なんて、非常識な奴なんだろう。このメロンをなんと見る、なんて、啖呵を切りたいくらいだった。
 と、思ったら、客の奴、なんと、三切れ目を口にし、終いには、四切れ目をも口にしやがったのだ。四切れというと、つまりは、メロンの半分を奴が一人で平らげたことになる。残ったのは、四切れだった。
 といっても、父が一切れ食べたから、実際に残っているのは、三切れだった。 母は食べなかったように記憶する。遠慮なく、食べなさい、なんて、お袋が言った。だから、ボクと姉は、一切れずつ、食べた。美味しかった。
 これがメロンか! それまでの怒りが吹き飛ぶようだった。姉も黙って食べていた。

 でも、皿には一切れ残っている。
 少なくとも、ボクには、その場に、凄まじい緊張が生じているように思えた。一体、誰が手を出すのか…。
  その一切れを前に、空々しい会話が<弾んでいた>。白々しい時が流れていった。とっくにメロンは、生温かくなっているに違いない。でも、そんなことは問題じゃない。
 そのうちに、「遠慮なく、食べなさい」なんて、誰かが言い出した。そんな科白を吐いたのは、誰あろう、客の奴だった。客の目はボクに向けられていた。
 てめえに言われたくねえよ! って、言えたら、どんなにスカッとしたことか。
 ボクは、まるで客に指示され許可されて食べているようで、味などまるで分からなくなっていた。もやもやした気分が、ボクの胸を暗くしていた。憎たらしい客の言いなりになる自分…。最悪だった。

 いつ、どのようにして、その客が帰っていったのか、ボクはまるで覚えていない。ただ、気が付いたら、村の鎮守様の境内でブラブラしていたことは間違いない。すっかり、辺りは暗くなっている。人影など、あるはずもない。
 そこへ、姉がやってきた。心配して来てくれたのだ。
 が、それから、何故か喧嘩が始まった。お客にどうしてメロンなんかを遣るんだ。他に茶菓子だってあったじゃないか。それをよりによって、メロンを出してしまうなんて、母ちゃん、どうかしてるよ。姉ちゃん、どうして、あんな奴に挨拶なんて、するんだ…。
 ボクは駄々を捏ねていたのだろう。姉に怒っていたわけじゃなかったんだろう。でも、憤懣をぶつける相手は姉しかいなかった。
 とうとう、口喧嘩が、取っ組み合いの喧嘩になってしまった。ボクは、当時、四つか五つ、姉とは三つ年が離れている。まともにやったら敵わないのだけど、ボクは、ヤケクソになって暴れていた。ボクのあやふやな記憶だと、姉が、私だって悔しかったんだから…とか、言っていたような気がするけれど、それは後で仲直りしてから言っていたのかもしれない。とにかく、ボクは、手を振り回し、足をバタバタさせ、暴れ者になっていた。

 いつの間にか、お袋がやってきたようだった。ボクは、気が付いていたけれど、なんだか恥ずかしくて、一層、喚き立てていた。今更、冷静になんて、なれるはずがなかった。
 突然、お袋が、「メロン!」と、一言、発した。
 ボクは、あまりに素っ頓狂な言葉に、呆気に取られ、呆然と、お袋のほうを見た。お袋は、夜空を仰いでいた。姉も、ボクも、お袋の視線の先を追った。
 すると、そこには、新月から数日も立たないような薄い薄い三日月があるのだった。
 梅雨の中休みとかで、五月晴れのように爽やかな日だったから、湿気もなく、空の星も眩いなら、十六にも切り分けたメロンより薄いような三日月も、輪郭も鮮やかに浮かんでいるのが印象的だった。
 あ、メロンだ! ボクも思わず叫んでしまった。
 姉も、メロン、メロン、なんて、訳もなくはしゃぐように口走っていた。
 誰が言い出したか、メロンの月だということになった。
 そうだ、メロンの月だ。
 なんだか誤魔化されたような、救われたような、宙ぶらりんの気持ちのまま、メロンの月に見守られて、ボクたちは家路を急いだのだった。 

(04/06/21 作)
[ある作品とTBで繋げるため、HPからブログへ転載しました。 (05/04/11 記)]

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2005/04/10

春宵花影…

 影がちらついて離れなかった。
 昼間の喧騒に紛れていた何かが、夜の帳(とばり)が降りると、やにわに蠢きだす。
 それは、生きること自体の不可思議への詠嘆の念に近い。
 この世に何があるのだろうとしても、とにかく何かしらがあるということ自体の不可思議への感動なのだ。この世は無なのかもしれない。胸の焦慮も切望も痛みも慟哭も、その一切合切がただの戯言、寄せては返す波に掻き消される夢の形に過ぎないのかもしれない。
 そうだ、蠢いているのは、あの人の影などではない、ただただ、春の夜の悩ましいまでの妖しさのゆえに過ぎない…。そう言い聞かせた。
 そうだ、それで十分なのだ。他に何もない。朧なる春の霞に誑かされているだけのこと。
 今夜も眠れるはずがない。たとえ夜通しになろうと、春の夜という幻の世に導く隧道(ずいどう)を歩き通そう。

 春の夜の妖しさゆえにあくがれて

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