« 2004年12月 | トップページ | 2005年2月 »

2005/01/25

鳥の餌

[ナンセンス小説です。何故かアクセスが多いので、画像をサービスしました。 (07/10/25 記)]

 軒先からチュンチュンと鳴き声が聞える。きっとスズメだろうと覗いてみたら、何処かの男女がチュッチュしていた。
 羨ましいやら妬ましいやらで、いきなり窓を開けてコラッと怒鳴ってやったら、顎が外れた。
 二人は笑っていやがった。で、やっぱりチュッチュしながら立ち去っていく。

2007_0107070107tonai00231

 やっとのことで顎を元に戻して、公園へ散歩に出かけた。思えば、この頃、外出はトンと御無沙汰だと気付いたからだ。仕事が忙しかったこともあり、休日も、窓も締め切りなら、ブラインドも下ろしたまま、部屋では寝たきりの日々が続いていた。郵便受けも、訳の分からないチラシが一杯に詰まっている。
 引っ張り出すのも億劫だったのだ。
 これじゃ、誰も居ない家だと思われ、恰好の逢引の場所だと思われても仕方なかったのかもしれない…。そんなシオラシイ反省などして、ブラインドを紐で引き上げ、窓も開放して、部屋の空気を入れ替えることにしたのだ。
 なんだかまるで病み上がりみたいだ。

続きを読む "鳥の餌"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/22

テイスティング

 外は吹雪いている。こんな日に出かける用事がないということ、会う人など誰一人いないということ、訪ねてくる人もいないということは、なんてありがたいことだろう。
 窓のカーテンも開けきっている。窓枠には雪が儚く鋭く悲しく積もっていて、どんな額縁よりも外の世界を疎遠にしてくれる。
 それとも、縁取られ孤立した空間に落ち込ませてくれる。ガラス窓には凍て付いた氷がモンドリアンの描くブギウギより愉快な幾何学模様を形作っている。窓の外の景色が歪んでいる。まるで涙に滲む暗い海のように。
 窓に生まれやがて消えゆく氷と雪との巧まざる芸術。どんな天才も創るあたわざるレリーフ。ガラスさえもが水の変幻となりたがっているようだ。
 氷が雪が水の偶さかの位相に過ぎないとは信じられない気がする。窓を開けて手を差し出し、事の真相を確かめてみようか。
 部屋の片隅では薬缶のお湯がシュンシュン唸っている。この湯気があの雪の仲間だとは。部屋を満たし、やがて溢れた湿気が壁や窓の隙間から漏れ出していく。叶うなら、その分子たちに紛れ込み、世界を旅して回りたい。
 水は、きっと、光の仲間なのだ。いや、仲間になりたいのだ。光を嫉妬しているのかもしれない。水には時間という桎梏が運命のように付き纏う。
 けれど、光には時間がない。光は世界を経巡っているというのに、常に今なのだ。光は寄り集まって物質という恍惚の時をも味わえる。
 貯蔵庫には秘蔵のワイン。灯油を消そうか。室内の温度を確かめる。18℃。文句なし。
 今日は、白は試さない。赤に専念する。テーブルに赤ワインとグラスを持ってくる。勿論、水彩画用の白い紙を敷いてある。
 そう、白い紙を背景にしてワインの色を確かめるためだ。
 色を楽しむのだ。
(誰にも秘密にしていることがある。それは、ほんの一滴だけだが、ワインを紙に零すのだ。白い紙にワインの赤紫が滲んでいく。血の滴りのえげつない丸みとは違う、何処かか弱げな、形のない形を描く。そう、ハンカチに広がる血の涙の滲みにも似た、夢のような幻想にじっくりと眺め入るのである。)
 ウイスキーの琥珀色のあの濃密なる神秘。醸造の過程で無色透明のはずの原酒が琥珀に生まれ変わる瞬間の奇跡に、いつか立ち会いたい。そのウイスキーをグラスで傾ける時も、画用紙を用意して、色をトコトン堪能する。香りを嗅覚中枢に、脳味噌に漲らせる。
 でも、今はワインだ。
 ワインはグラスに三分の一ほど。静かに傾け、ディスクと呼ばれるワインの表面をまず、見透かす。透明でなければいけない。濁りがあってはならない。くすみが微かでもあったら、失格である。
 また、ディスクの厚みを確認する作業も大切な過程だ。
 ふむ、十分な厚みがある。熟成されたワインの証拠だ。コクのあることが保障されたも同然なのである。
 テーブルに脱ぎ捨てられたドレス、いや、ただの画用紙だった…、その白い世界を背景に色合いや色の濃さを観る。
 心は急(せ)いている。逸る心を抑えるのが大変だ。涙を見たいのだ。ワインの涙を。
 ワインをグラスをゆっくり回すことで、ワインを優雅に転がしてみる。すると、ワイングラスの壁面に縋りつくように残る微量のワインが見える。やがてはディスクに覆われたワインの海に流れ落ち混ざっていくのだけれど。
 その壁面に流れるワインをワインの涙と称するわけだ。時にワインの脚と呼ぶこともある。脚が若い女性の脚を意味するならいいけれど、脚だけでははっきりしない。だから、ワインの涙という呼称が相応しいに違いないと思う。
 
 不意に窓を叩く音がする。カチンという金属音…。否、氷の罅割れたような、何処か親しみのある音。
 ふと、遠い昔を思い出す。
 姉と喧嘩した夜のことを。
 あれは、近所の小母さんにもらった羊羹をめぐっての姉弟喧嘩だった。あまりに小さい切れなので、誰が食べるかで、奪い合いになったのだった。
 いや、その前に、羊羹は、もっとたくさんあったはずなのだ。けれど、あの日、学校で雪合戦をやっていて帰りが遅くなった。帰宅してみると、姉がいる。いないはずの姉が。確か、そろばん塾に行く日のはずなのに、なぜ、居たのだろう。
 でも、驚いたのは、炬燵板の上にあった羊羹だった。そうだ、小母さんはちゃんと箱に入った一本の羊羹を持ってきてくれたのだった。それを切り分け、皿に盛り、みんなで食べていた。父はいなかったので、母と近所の小母さん夫婦も一緒にということで食べていたらしい。
 残ったのが、小母さんの分の一切れ。事情は忘れたが、小母さんは全く手を付けないまま、旦那さんと一緒に帰っていった。
<事件>が起きたのは、それからだった。どうしてボクの分を取っていてくれなかったの。あんたは、今日は遅いはずじゃなかったの、と姉。姉ちゃんだって、今日は算盤じゃなかったの。今日は、雪がひどいから塾は休みにするって電話があったのよ。そういうあんたは、どうなのよ。学校の帰り、みんなで映画に行くって言ってなかったっけ。ボクは、言われてカッとなってしまった。約束を忘れていたことに、今になって気付いたからだ。雪合戦が楽しくて夢中になりすぎて、約束のことなど、きれいさっぱり忘れ去っていたのだった。ボクは…、ボクは…。そんなことより、羊羹、ボクだって食べたいよー。
 口喧嘩しているうちに気付いたのは、姉も帰宅したばかりで、羊羹はまるで食べていないことだった。姉も甘いものには目がない。
 けれど、ボクは、なんとなく姉がもう、既に食べているのだと思い込んでいた。思いたかったのかもしれない。姉が食べたのなら、残りはボクのものだと言い張れるわけだ。
 姉も食べると言い張った。姉の口の回転には敵わないけど、意地だけはボクも負けてはいなかった。母は呆れて、黙っていた。とうとう、バカらしくなったのか台所に引っ込んでしまった。
 ボクと姉は二人、延々と喧嘩し続けた。終いにボクは姉の口に負けそうになった。ついにはボクは情ないことに泣き出してしまった。ボクだ、ボクが食べるんだ、羊羹はボクのもんなんだ。姉ちゃんは他に食べるもん、あるだろー!
 そのうち、母が姉ちゃんを台所に呼んだ。泣きじゃくるボクを他所に、何事か話している。そのうち、姉ちゃんは喧嘩している最中より顔を真っ赤にさせた。「あんたは姉ちゃんなんだから…。」という一言だけが聞えてきた。
 そして、羊羹なんか、アンニャにあげるわよ! そう言い捨てて、目を真っ赤にして寝室に引っ込んでいった。
 母ちゃんも、臍を曲げきったボクを置きざりにして、台所で食器などを洗っていた。あんた、食べられ、と、一言、優しく言われたような気がする…。
 ボクは、居間で一人になった。炬燵板の上には、一切れの羊羹がある。目障りなほどに色鮮やかな焦げ茶色の羊羹。濡れているような、それでいて乾くことを知らないかのような濃密なる甘美の塊。
 ボクは、誰も居ない部屋で炬燵に座り込み、しばらくは羊羹を眺めていた。久しぶりに見る御馳走だった。お八つに羊羹が出たのは、いつのことだったか。
 喉から手が出るほどに欲しい羊羹。
 でも、手が出ない。
 出ないはずが、出てしまった。食べたかった。
 ボクは姉ちゃんが断念したこと、お袋に言い含められたことを幼いながら直感していた。
 でも、ボクの我が侭が勝った。勝ったけれど、気まずい。気まずいけれど、羊羹の魅力には勝てない。
 末っ子の甘えん坊の勝利。
 羊羹がどんな味だったのか、さっぱり覚えていない。
 覚えているのは、シーンと静まり返った居間の空虚感だけ。お袋も、いつの間にか台所から姿を消していた。姉のところに行ったのだろうか。
 そうだ、寝室で瀬戸物か何かが割られるような音がしたので、慌てて母ちゃんが飛んでいったのだった。
 味わうこと。一人で味わうこと。ボクは、あの日、一人で味わう楽しみを覚えてしまったのだ。
 
 シューという音が耳に障った。後ろで薬缶が沸き立っている。
 目の前には赤ワインがある。今はテイスティングを楽しむ時なのだ。
 さあ、続けよう。たった一人であることを味わうというテイスティングを。
 でも、面倒になって、ワインを一気に飲み乾してしまった。
 グラスの壁面に一杯の涙が流れるのを見たくなって。
 もう、姉も母もいないのだ。


 

[テイスティングは、「ワインテイスティングの技法」というサイトの、「第3章 ワインテイスティングを始める(実践編)」の頁を参照させてもらいました。]

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/14

冬の薔薇

 夢を見ていたようだった。そうに違いない。だけど、あまりに長い夢で、一つの場面や光景が記憶に鮮やかに刻まれるのではなく、何処か遠い世界を旅してきたような気がする。
 遠い世界。思い返すとセピア色に褪せてしまって、無理にも覗き込もうとすると、波の砂浜に染み入るように消え果ていく。
 あれは、あの人だ。あの人が現れたんだ。いや、あの人に再会した。夢なんかじゃない。本当に会ったんだ!
 そう思えてならなかった。
 部屋の中は水銀灯が煌々と照っている。
 虚ろに眺められてしまう壁の汚れ。埃を被った棚の上の書類。あの封筒の中には何が詰まっているのか、今では思い出すこともできない。
 冷え冷えとしている。蒲団に潜り込みたい。蛍光の灯りの白々しさが、寒さを剥き出しにしている。
 あの人は会いに来たのだろうか。それとも、いつだったかのあの人と一緒に居た風景が蘇ってきただけなのか。
 夢の中で、何を語らっていたのか。何を言い、何をあの人は応えていたのか。
 明かりを消してしまいたかった。でも、ウソっぽいほどの明るさを失いたくなかった。胸のうちに、やっと逃れたんじゃないか。あの日々とようやく縁を切ることが出来た。あの人を青い海に返して、それとも森の闇に沈めて、それで清算したつもりでいる。
 今更、現れて欲しくない。
 今のこの寂しさに吐きそうになっているとしても、それでも、一人を生きる。いや、生きるんじゃなく、命の灯火をそっと吹き消す。最後の吐息で蝋燭の焔を揺らす。魂を吐き出してしまう。肺胞を窒息させる。真っ暗な心を白熱する孤独で焼き切ってしまう。
 今、やっとそれがうまくいきつつある。あと、もう少しなのだ。
 化粧室のドアに掛かるワインレッドのバスローブ。セピアの世界で唯一、それだけが己の色を持つ。バスタブに一つ、また一つと伝い落ちていく深紅の滴たち。湯煙に香り立つ女の体臭と薔薇のフレグランス。
 あの日、あのあと、白いマンションを立ち去り、朝焼けの街を彷徨った。朝霧に全てを掻き消そうと思った。ボクだけのモノ。そう、あの人はボクだけのモノになったのだ。誰にも所有されない、姿も見えないモノとなった。なぜなら最後の姿を見たのはボクなのだから。
 何処をどう歩いたのだったろう。何処かのビルの谷間の更地に立っていた。杭が打たれ、ご丁寧にも鉄条網で仕切られている。そこがそんなに大切な場所なのか。聖域だとでもいうのか。
 不意に視線を感じた。突き刺すようだった。そう、まるで薔薇の棘のような眼差し。恨むような。あの人の末期の喘ぎと口から噴出す泡。
 出窓には、一輪の薔薇が飾ってあった。涸れ果てた深紅の薔薇。まるで遠い昔、冬の到来間近な或る日に田舎で見た野バラのようだった。萎れて見向きもされない薔薇。
 だけど、棘だけは、やたらと目立つ野バラ。
 ああ、そうだ、夢の最後でボクを刺したのは野バラの棘だったのだ。胸には、あの日のあの人と同じような深紅の薔薇が咲き零れた。ボクの命の灯火も流れ去った。
 やっと、ボクたちは一緒になれる。
 いや、なったのだ。長い長い夜の旅の果てにボクもあの人のいる白々とした世界へ迎え入れられたのだ。
 永遠に共に居る。そのためには、部屋の中を光で一杯にする必要がある。ボクの目を焼き尽くすほどに眩い光の洪水が要る。水銀の光の海に溺れる。鬱勃と蠢く心なんてものを抹殺する。
 それが分かるからこそ、ボクは、白けた部屋の中、天井を飽くことなく眺めつづけるのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/01/10

雪の古城にて(1)

 あれはいつのことだったろう。確か高校生の頃、友人と二人で小さな旅行をした。
 友人に誘われての日帰りの旅。ボクは友が恋をしていることを知っていた。
 なぜって、ボクは、彼の恋人に相談されたことがあるから。
 それは、ある秋の日の午後、空は真っ青に晴れ上がっていて、秋の高く透明な光を惜しげもなく降り注いでいた。
 ボクは、クラブ活動など一切しない帰宅組。といっても、真っ直ぐ内に帰ってもすることがない。なので、放課後も、校庭で練習に余念のない連中を、どうしてスポーツに熱中できるのか、などと漫然と思いながら眺めていた。
 羨ましいような、でも、面倒臭いような。仲間の輪に加わりたいような、でも、一人の気楽さを失う気には到底なれない。
 体育館のコンクリートの階段に腰掛け、テニスボールの音が遠くにあるコートから響いてくる。かと思うと、野球部の連中の、妙に喉を潰したような声が耳を障る。
 高い日。でも、一気に暮れる予感が、なぜというわけもなく漂っている。
 空っぽすぎるような空の高さに、ボクは眩暈しそうだった。
 すると、突然、女の子の声がする。
「そこ、坐って、いい」
 彼女などいないボクに声を掛ける女の子。嬉しさと驚きとで、声のほうを見遣ると、それはサッチャンだった。
 サッチャンなんて、馴れ馴れしい呼び方をするが、それはボクの友人がそう呼んでいるからで、ボクはというと、ただ、無愛想を装ったような声で、「どうぞ」と言うのが精一杯だった。
 ボクは、押し黙っている。何を喋ればいいのか、さっぱり分からない。冗談の一つも言えるような奴じゃないんだ。
 が、サッチャン、いや、紗代さんも、頷くボクにただ黙って隣りに腰掛けるだけ。
 その行為がとってもさまになっている。
 スカートの裾がふわっとして、女性が傍にいるという感覚が、風に乗って広がる。
 ボクは、スカートの裾を腕で折り込んで坐る彼女に、あれ、スカート、汚れちゃうんじゃないのか、などと頓珍漢な心配をしていたっけ。
 だって、男なら、立ち上がった際に、お尻等をパンパンと叩(はた)けばそれで済むけど、女性はどうなんだろう…。
 黙り込むボクに辟易したのか、それとも、ただ、喋るタイミングを待っていただけなのか、紗代さんは、ポツポツと語り出した。
「あのね、彼のことで相談があるの」
 ボクは失望もあって、思わず、「彼?」と聞き返してしまった。
「ええ。わたしのこと、聞いてるでしょ。わたしたち、付き合ってるの。」
 わたしたち…。なんて羨ましい言葉。それも、奴のいない場所で彼女が「わたしたち」なんて、当然のように言う。ボクにもいつかは、そんな女(ひと)が現れるのだろうか。
「ああ、聞いてる。知ってるよ。」
 といっても、ボクは、奴から彼女のことは詳しくは聞いたことがない。ただ、彼女がいる、それは紗代さんであり、下校も時間を示し合わせていることは知っていた。でも、どんな付き合いなのか、うまくいっているのか、そんな仔細など知る由もない。
 二人はそれぞれにテニス部であり、華道部で、帰宅組のボクには、二人が連れ合って歩く姿も、一度か二度、目にしたことがあったかどうか、だった。
 ボクは、暗くなる前に帰る…。少なくとも、学校は去る。公園をぶらついたり、繁華街をうろついたり、映画館を梯子してみたり、時間をどう潰すかということで頭が一杯なのだった。
 こんなボクと奴は親しい気でいる。ボク等は親友だとさえ思っている。いつぞやは、打ち明けたいことがある、近いうちに相談に乗ってくれ、などとも言われたりする。
 ボク等。それは、わたしたちと同じほどに、ボクには縁のない言葉なのに…。
 どうして、みんな、自分たちのことを複数形で表現できるんだろう。家族。友人。ああ、そういえば、ボクも友人と言っている。友とも。でも、それはそう表現できる相手が、ボクにだっていることを自分に示したいからに過ぎない気がする。弱いからなんだ。
 だったら、他の人も弱いからボク等とか、わたしたち、なんて言うのだろうか。
 遠い世界から声が聞えてくる。ボクは不意を打たれたようで、一瞬、度を失った。
「あのね、彼ね、最近、冷たいの。なかなか付き合ってくれないの。」
 それがどうした、などとは言えない。ボクは、先を促すように彼女の顔を覗き込む。ややカールした長い髪が顔の半分を隠している。美人だ。唇が素敵だ。肌が白い。胸元が蝶々結びされたリボンでしっかり隠れている。でも、喉元の白さまでは隠せない。ああ、これが奴の彼女なのだ。わたしたちの片割れなのだ。離れていても、二人の間には、目に見えない糸で結ばれている。赤い糸、ピアノ線より細く、それでいて伸び縮みする糸、そう、離れるほどに糸はピンと張り詰めて、二人を引き合う力が増す。
「彼ね、今は、ボク等は、受験生だから。離れていた方がいい、なんて言うの。ねえ、わたしって受験勉強の邪魔なの。男の人って、そんなふうに考えるものなの。」
 そんなことは分からない。第一、ボクは受験生じゃない。第二に、ボクには彼女がいない。よって、奴の発想法など、分かるはずがない!
 ボクは、そう言ってやりたかった。妬みもあるし、悔しいし、二人の仲を引き裂きたいし。どうしてボクじゃなく、奴なのかを彼女に問い詰めたいほどの気持ちだ。
「男にとって、進路の決まる今って、大事なんだよ。彼も必死なんじゃないか。決して、キミのこと、嫌いなわけじゃないと思うよ。」
 本当だろうか。奴に真意を確かめたことがあるのか。いい加減なこと、言って、あとで取り返しがつかないってことはないのか。でも、ボクも、いい格好しいになりたかった。知ったかぶりを言って、彼女の前で男になりたかった。
 ボクは、その後、彼女とどんな会話をしたのか、覚えていない。口から出任せを言ったとまでは思いたくないけれど、さりとて、責任の持てる発言や忠告をしたとも思えない。
 やがて、小さく「ありがとう」と言い、覚束なげな足取りで去っていく彼女の後ろ姿を見ることになった。
 彼女は、お尻を払うこともなかった。なんとなく、ガッカリした。お尻の辺りが、テラテラしていた。それが彼女について覚えている最後の印象なのだった。
 
 それからしばらくして…。でも、しばらくとは言いながら、どれほどの間が空いていたのかは分からない。でも、秋の真っ盛りに彼女の相談を受けたのが、今度、奴に相談を持ちかけられたのは、冬の気配が漂ってきそうな頃合いになっていたことは覚えている。
 男同士の、つまらない話だった。
「お前、オナニー、やってるか。」
 ざっくばらんを装うのが奴の常套手段だった。単刀直入に話を肝心なところへ持ち込む。おっちょこちょいで、時にひょうきんで、でも、真面目に進学のため、勉学にも励んでいる。糸の切れた凧のように、目標を見失っているボクとはまるで違う世界へ、ドンドンと踏み込んでいく。
 その度に、ボクは置いてけ堀を食らってしまう。進学も恋も男の世界も。
 当惑しながらも、ああ、やってるよ、と答えるしかなかった。うそを言う必要もない。
「オレ、激しくてさ、日に何度もだよ。お前はどうだ。」
 そんなこと、なぜ、オレに話をするのか…。と不審に思った瞬間だった。なんだ、奴、受験する身だから、今は二人はあまり付き合わないほうがいいってのは、つまりは、彼女が傍にいると、欲求不満が募って辛いからなのか! と勘付いた。
「オレか、オレは、やっぱり、そうだよ。仕方ないじゃないか。多いのは自然なんじゃないか。」
 オレは、何故か、この話題にビビッテしまって、一般論に持ち込もうとした。
「男は、でも、きっと女もだろうけど、若い時期は、欲望がムンムンしているものさ。お前が多いったって、別に変じゃないよ。」
「そうか。」そう、呟いて、奴は安堵したように見えた。
 ボクは、聞きかじりの哲学者か誰かの言葉を持ち出した。倫理社会か何かの教科書に書いてあった言葉だった。
「お前さ、昇華って知ってるか。」
「昇華?」
「ああ、浄化とも言うけど、ま、原語だとカタルシスなのかな。」
「カタルシス?」
「行き場を失ったような、遣る瀬無いような欲望とか本能とか衝動とか、ま、ストレスって奴をさ、単純に行動に、つまりさ、性欲だったらあHとかさ、オナニーに耽るんじゃなくて、芸術とか文学とか音楽とか、そういった高尚なものへの表現行為に転換することさ。」
「ふうん。それっていいな。」
 ボクには何がいいのか、分からなかった。口から出任せなのだ。自分にはまるで出来もしない理屈に過ぎない。仮に出来たって、何年も何十年も掛かるかもしれないのだし。
 その後、何か、お喋りを続けた。何を語らったのだろうか。
 それから、しばらくして、奴から、どうだ、雪の古城公園なんか、散歩してみないかと誘われたのだった。
 奴は、どのように彼女のこと、オナニーを昇華したのだろうか。
 そんなこと、できるはずもないのに。ボクはとっくにめげてしまって、その世界に溺れてしまっているというのに。
 まさか、奴、ボクが昇華しているとでも思っているのだろうか。
 列車を降りると、古城のある町は、ボクたちの町より雪が降り積もっていた。
 長靴で歩道を歩くと、雪に靴がごぶって、ギュッギュッとか、キュッキュッといった雪道特有の音が聞えてくる。雪が踏み固められる音なのか、それとも、固められる際に、雪の層の中に篭っていた空気が漏れ出す音なのか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2004年12月 | トップページ | 2005年2月 »