メデューサ
公園の脇にタクシーを止めた。
最近にしては珍しく忙しく、回送にして、路上から逃げるようにして、ある役所の建物の裏手にある公園に車を潜り込ませたのだ。
車から降りると、足がふらつく。何時間も緊張を強いられる中で走って、下半身の感覚が一時的に麻痺している。
誰も見ているわけもないのに、オレは、与太ついた無様な姿を見られはしなかったかと、つい、辺りを見回してしまった。
誰もいない。
いるはずがない、昼下がりの裏通り。役所の連中もさすがにこの時間帯は、検査や事務に忙しいはずだ。団地からも離れている。幼稚園児のよく遊びに来る場所だけど、まだ、遊べる時間には間がある。
が、植え込みの中にオレは視線を感じた。
ホームレスか。
しかし、そんなわけがない。彼らの視線は、柔らかいのだ。屈折している。眼差しが直線を描いて人にむけられることはない。むしろ、彼らは、存在を消し去っている。いや、存在を、ではなく、存在感を、かもしれない。
自分はここにいる。世の片隅から世界を睥睨している。間違っても、見下されたりはしない。させない。
そのためには、存在感を消し去るのが一番なのだ。
けれど、刺すような視線を感じたのは間違いなかった。
オレの視線への感覚は鋭い。何故なら、オレこそ、植え込みの中のやつ等より存在感が薄いからだ。そこにいるのに、誰も気付かれない人間だからだ。眼差しに餓えているのに、誰彼に気付いてもらいたいのに、誰もが、オレが透明人間であるかのように呆気なく素通りしていく。
オレはビルの陰に澱む風より、陰気なのだろうか。
それとも、本能がオレを消し去っている? この世に存在していることを、本当は恐怖している?
目には見えない、けれど、オレの心の裸眼には白熱した針金より凶暴な視線が見える。
直視など許さない光の横暴をこれ以上、受け止めていると、焼き焦げてしまいそうだ。
与太ついていた体以上に、オレの感受性のほうこそが実は脱力感に見舞われていた。痺れ切ったオレンジ色の体に次第に不透明感タップリの肉体の闇が戻ってくるように、オレの眼差しにも白濁した世界の変幻を見分ける能が蘇ってきたようだった。
晴れ渡った空ゆえに影が深く、そこにいた女の子は、闇に呑み込まれているのだった。夜陰に紛れるように、女の子は、世界から身を隠していた。怯えきったような目。
オレを見て、怯えているというのか。何故?
しかし、すぐにオレの勘違いだと分かった。あの子は、この世界に怯えている。立ち竦んでいる。居場所を見つけられないでいる。逃げ惑って、ホームレスのやつ等にさえ、見つけられなかった安住の地をやっと今、手にしている。
その隠れ家に偶然、オレは居合わせてしまったのだ。
女の子の頬は、赤く腫れていた。殴られた痕だということは、歴然としている。
(誰に殴られたの?)
オレは、そう、声を懸けたかった。
でも、そんなことが許されるわけもない。知らない小父さんに声を懸けられても、知らん顔をしていなさい。返事をしちゃ、いけません。
まして、胡散臭いようなオレじゃ、警戒するのも当たり前だ。
オレは、女の子の放つ、ただならぬ雰囲気から逃げるようにして、公園のトイレに向かった。オレは息抜きがしたいだけなのだ。路上というタクシーにとっての闘いの場から、公園という塹壕に身を潜めに来たのだ。ただ、それだけなのだ。
なのに、オレは背中に粘りつくような、それとも、縋りつくような、そう、ちょっと間違えたら後ろ髪の引かれるような感覚を感じていた。オレは、あの女からやっと逃げられたのだ。今更、あのメデューサの長い蛇のような髪に絡み取られてたまるものか。女の嫉妬に煮え滾る目に、心が石になってしまう、あの恐怖を再現する…、こんな場所でどうしてそんな憂き目に遭わなければいけないのだ…。
トイレから出て手を洗って、ついでに顔も洗ってみた。まるで、顔を洗ったら出直せるかのように。悪夢から目覚めることができるかのように。
そんなことなど、出来はしないことは、あの女との事で、さんざん、思い知ったはずなのに。
オレと女の子とは素粒子の中のクォーク同士のようだった。離れれば離れるほどに、互いの存在を強烈に引き合う。けれど、オレに何ができる。
女の子の目は、何処までも透き通っていた。悲しみの湖の底がちょっと腕を延ばせば届くようだった。けれど、決して、底に辿り着くことはできない。誰もが溺れてしまう。オレも、あの子も。
心は濁っている。恐怖に竦んで真っ暗闇の只中にいるはずなのに、今、彼女の目が澄んでいるのは、最後の最後のギリギリの期待があるからだ。この世を信じたいという切なる思いがあるからだ。
今なら、まだ救えるかもしれない。オレは、何の根拠もなく、直感した。
けれど、あの子は、家に帰るのだろう。家とは名ばかりの地獄に。家が地獄だったら、この世のどこにあの子の居場所がありえよう。
オレは、踏み潰された虫けらから目を背けるように、目を背けた。
処刑場に引き摺られていく罪人を見るより哀れだった。罪人でもないのに、どうして処刑されるのか。生きていること自体が罪だったから? 罪? あの子の罪? 誰の罪を引き受けているのか。
オレは、ほんの少し、夢を見ようとした。あの子が地獄に居るのは、オレのせいなのだ、オレが改悛して、あの子に懺悔し、そうして胸の底を断ち割ってでも、罪滅ぼしとばかりに、二人、闇の道を歩いていく…。
所詮、夢なのだった。冬の日差しに雲散霧消する、淡雪のような、綿菓子のような夢なのだった。オレは一人、立ち去っていく。あの子も、一人、ずっと一人を生きていく。
あの子は、壊れる間際にいる。瀬戸際で、溺れそうになって、息も絶え絶えになっている。今なら、手を差し出せば救えるかもしれない。
でも、このオレが助けて、どうする。拉致と呼ばれ、誘拐と呼ばれ、変態呼ばわりされるだけじゃないか。胸の底の真率な気持ちなど、誰が顧みるものか。
気が付くと、彼方にあの子の後姿が見えた。親に手を引かれて。そう、徒刑場へと引き摺られていく。段々、小さくなっていく。まるでこの世から掻き消されていくように。
あと、ほんの数日もしたら、あの子は、この世から消える。肉体は居残っても、心は死ぬ。
それが分かっているのに、臆病者のこのオレも逃げ去っていく。
何も見なかったのだ。だって、公園では、何一つ、生じやしなかったじゃないか。オレは夢を見ただけなのだ。地獄は、あっても、何処かの団地の一室の、そのまた片隅にあるだけ。
やがては、地獄も断末魔に終わる。
青い空、白い雲、緑の葉、長い影。今のオレに目にできるのは、それだけなのだ。
さあ、もう一度、路上という闘いの場へ、戻ることにしよう。
(04/12/12 作)
[メデューサ(Medusa)とは、ギリシャ神話に登場するモンスターです。クォークとは、物質を構成する基本粒子で、現在の宇宙では素粒子の中に封じ込められており、単独で存在することはないとされる。「ちなみにクォークという名称は、モデルの提唱者の一人Gell-Mannにより、ジェームズ・ジョイスの小説『フィネガンズ・ウェイク』中の鳥の鳴き声「quark」から取って付けられた(「ウィキペディア」より)のは有名。]
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