蓮っ葉な奴
「蓮っ葉な奴」
学校からの帰り道だった。土砂降りの雨だった。でも、寒くはない。
まだ、夏の暑さの印象が残っている頃だったからか、雨降りは反って嬉しかったような気がする。
雨だというのに、ボクは、まっすぐウチに帰る気になれないでいた。
そう、ちょっとした言い争いが心に蟠っていたのだ。むしゃくしゃしていた。どう見ても、ボクのほうが負けている。
でも、ただ、負けているんじゃなくて、ボクにはもっと言いたいことがあったのに、言い分の十分の一も口に出せないまま、その場の雰囲気に呑み込まれてしまって、口を噤むようになってしまったのだ。
ボクの足は、ウチじゃなく、ちょっと離れたところにあるお寺に向っていた。
それなりに由緒のあるお寺らしいけれど、当時のボクには、なんとなく足が向かなかった。
というのも、その寺には蓮の池があって、その池の水がまた、濁っているので、それだけで敬遠したくなる気になってしまう。
でも、本当の理由は、お寺の住職さんが嫌いだったからだった。
お寺が嫌いというより、池の周辺でうろうろしていると、危ないからとか言って、すぐに追い出されるので、そのお坊さんと出くわすのが嫌だったのかもしれない。
それなのに、あの日は、蓮の池を見たくてならないのだった。
きっと、雨が降っていたら、お坊さんも引き篭もっていて、わざわざ本堂の裏手にある池を見回りにもこないだろうという、根拠のない勘が働いていたようにも思う。
なんとなくだけれど、お坊さんがボクを追い出したがるのは、池の蓮を愛でに来る人たちの邪魔になると思っていたからだとも考えられていたし。
学校で、何が原因で口喧嘩になったのか、肝腎な点を覚えていない。
むしろ、喧嘩のための喧嘩であって、奴とはウマが合わなかったのだ。成績優秀で、間違いなく県でも進学校と言われる高校に入るだろうという奴と、そこそこの高校にも受かるかどうか、危うかったボク。
奴と議論を始めると、まるで敵わない。奴はとにかく捲くし立てる。いろんな理屈を持ち出す。ボクの主張のちょっとした矛盾を突いて、どうだ、とばかりに得意がる。
でも、それはいつものことだった。
悔しかったのは、いつもと違って、そこにボクの好きなあの子がいたからだった。あの子は、議論には加わらなかったけれど、奴の理路整然とした語り口、語り始めたら、それこそ湯水のように、有名な人の言葉なんかを引用して、自分の主張を権威付ける。
ボクには、彼女が奴に陶然としているように思えた。ボクの無様な、ポツポツという水鉄砲の語りに比べ、奴は機関銃だった。マシンガンだった。得意の絶頂になって頬が紅潮するのだった。紅潮するのだけれど、逆に奴は、眉を顰めて見せて、俺は深く考えているんだよと見せつける。その眉の顰め方がまた、ボクにはわざとらしくて吐き気を催すほどだった。
けれど、彼女には、奴の素振りが秀才風で、魅了されているようだった。
一方、ボクは悔しさで頬が紅潮していた。
頭の中には、違う、違う、お前の言っていることは間違っているという、直感に過ぎないかもしれないが、自分なりにボクのほうこそが、正しいのだと思えて、しかも、そのことを説明できなくて、苛立つばかりで、二進も三進もいかないのだった。
時には、気がついたら、さっきまでボクが主張していた点を奴が、さり気なく自分の主張の中に取り込んでしまって、さも、最初から自分の意見だったかのように装ったりした。
あれ、それって、ボクがさっきまで言っていたことじゃないか…。
が、奴は知らん顔だった。澄ました顔で、ボクの意見を自分の意見だったかのようにして、今度は、逆の立場からボクの言っていることを論破し始める。
それは、やり方を知り尽くしたオセロゲームのようなものだった。あるポイントを抑えておけば、どう相手が足掻いてみても、気がつくと最後には、勝ってしまう。逆転して、相手を旧知に追い込んでしまう。ボクが勝つはずだったのに、ボクの論拠だったはずなのに、形勢は相手に味方するばかり。
奴にはスポーツでも敵わない。勉学でも口でも敵わない。終いには、論争の場に際会したあの子は奴に靡いていってしまう。あの子とは、やっと学校の帰りに一緒になったりすることができていたのに。
ボクは何もかもが奪われたような気分だった。挙げ句、昼過ぎから降り出した雨が、土砂降りになっていて、ボクには涙雨だった。日が未だ長く、秋というには躊躇われる。それなのに、四時前だというのに、空は暗かった。ボクの胸の中のように真っ暗だった。
いっそのこと、傘なんか、おっぽり出して、ずぶ濡れになって帰ろうか…。
あの子は、一緒に帰ろうって、約束していたのに、六時間目の授業が終わったら、つつつとやってきて、用事があるから、一緒に帰れないの、なんて言って、教室を出ていってしまった。
きっと、奴のところへ行くんだ。
そうだよな、オレなんかより、奴のほうがずっと将来性もあるし、颯爽としているし、そもそも、オレなんかがあの子と口を聞けただけでも、何かの間違いだったのだ…。
ボクは雨の勢いに負けて、傘を差して学校を出た。
傘もなく、ずぶ濡れになって、孤独な気持ちを抱えて、人気のない道をトボトボと歩く……、そんな光景を描いて、センチな気分に浸って、そうして、もう、トコトン、憂鬱になってやる、誰が慰めても、ボクの悲しみを慰められるはずもないし……、そんな光景を脳裏にありありと描いたというのに、いざ、雨を前にして、ボクは、傘を手放すことができなかったのだった。
なんだか、奴に負けたより、雨の中、傘を差して一人歩きだしてしまった自分の優柔不断さが惨めに思われた。
これじゃ、何をやっても、ダメな奴ってことじゃないか。
蓮の池の前に立った。池の周囲を散歩する人が、日除けというのか、それとも、今日のような雨を避けるためなのか、ちょっとした庇のある東屋とも呼べない柱だけの建物があった。
傘をやっと手放すことができた。
それまで、傘に無数のパチンコ玉がぶつかるようで、煩すぎて分からなかったけれど、雨音に急に注意が向いた。
激しい雨が、池を叩きつけていた。爆ぜる水の音が耳に痛いほどだった。水面を叩いて弾ける音より、蓮の葉を叩いて破裂する水音のほうが分厚く、低く聞え、雨音の違いが歴然としていることに驚いた。
人っ子一人いなかった。ボクだけの池だった。池一杯、蓮の浮いている、周囲百メートルほどの池だった。
その時になって、以前、奴と「蓮と睡蓮」の違いについて議論したことがあったことを思い出した。よりによって、こんな時に、不愉快だった。最初、蓮と睡蓮の違いを強調したのは奴のほうだった。
そもそもが同じ科なんだし、それほど違わないんじゃないのとボクが言い始めたから、奴は違いが大きいと言う。で、次第に奴の語り口に負けて、確かに違いもあるよね、とボクが折れると、今度は、でも、所詮は蓮の仲間同士なんだよと、さりげなく論旨を変えてくる。
要するに、どんな議論をやっても、奴はボクの主張の逆を、主張の甘さを突いているのだった。
その蓮が目の前にある。雨に降られて、でも、蓮の分厚い肉は、びくともしないで池に浮いている。
池の水は、いつも以上に濁っているようだった。それとも、いつも、こんなふうに濁っているのだったろうか。たまにしか来ないボクには変化が分からない。
その濁った水に蓮の葉が浮いている。それこそ泥水のようになった池に、体全体を漬からせ、それでも、緑の葉を浮かばせ、小奇麗な花を咲かせているのだった。
奴との議論で、奴が、「ハスは、葉や花が水面から立ち上がるが、 睡蓮は、葉も花も水面に浮かんだまま」なのだと、何処で仕入れたか知れない知識を得意げに披露してたのを思い出した。
そうか、奴は睡蓮なんだ。そして、あの子も、睡蓮に憧れる女の子に過ぎないんだ。
そして、ボクは蓮。泥水の中に頭まで浸かり、それなりに花だって咲かせるけど、その花も時に茶色の水に浸ったりして、人には見えない。あの子には、見えるはずもない。
ボクは、蓮のことを思った。それとも、植物のことを思ったのだろうか。大概の植物は泥水ではなくとも、土に咲くのが普通のはずである。水分は、土中から根っ子というストローで栄養分と一緒に吸い上げるわけだ。
つまり、理屈の上では、泥水も土でも、似たり寄ったりの環境で多くの植物は育つのである。
蓮は、つまりは、そんな植物の典型の一つに過ぎない。ただ、たまたま池の面に浮いているから、そんな植物の生態を白日の下に晒して見せてくれるに過ぎない。
そこまで思ったら、蓮だって、他の多くの植物に比べたら、睡蓮なのだと思われてきた。
睡蓮が、花も葉も、まるで泥水を毛嫌いするかのように、体をえびぞりにして、葉を花を誇らしげに咲き乱す。そう、自分の血肉が、出自が、汚れた泥水の世界とは、全然、縁も縁(ゆかり)もないかのように、すまし顔に高貴ぶる。
蓮も、池の面に浮いていて、なるほど、泥水の面に寝そべるように葉や花を咲かせるから、泥水を啜る様子が、あからさまだけれど、多くの植物は、そんな泥の中での根っ子の足掻きなど、見せたりはしないのだ。
ボクは、蓮の上に、チョコンと坐っている蛙に気がついた。人間ならサッカーのボールほどに大きいだろう雨粒を頭や背中に受けても、平気な顔だった。
むしろ、雨に叩かれるのを喜んでいる風にさえ、見受けられた。
ああ、艱難辛苦をものともしない。それだけじゃない、嬉々としてさえいる。
ゲロゲロと、快哉の声を上げている。
雨の中、傘を差すか、差さないかで悩んだボクには眩しいほど、颯爽としている。
ボクは、蛙にさえ、負けたと思った。
いいんだ、ボクはボクの道を行くんだ。あの子が、あんな奴に心が傾く蓮っ葉なあの子なんて、いなくたって、平気だ!
もう、自棄だった。
不意に目元が潤んできた。雨滴のせいじゃなかった。目の辺りが熱くなっている。鼻水さえ、流れ出している。
ボクはビックリした。えっ、ボクって、そんなに今、悲しんでいるの? と戸惑ったほどだった。慌てて周囲を見回した。泣いているところを誰かに見られたんじゃないかと、心配になったのだ。男たる者、涙を他人に見られてなるものか!
幸い、人影はまるでない。
悲しいから泣くんじゃない、泣くから悲しいんだ……、誰かに教えてもらった有名な言葉が浮かんだ。……ああ、これも、奴からだ!
いいんだ、今は誰もいない。涙が流れたいのなら、勝手に流れればいいんだ。
ボクはセンチな気分に思いっきり浸ってしまった。
どうせ、オレなんて、勉強もできないし、クラブ活動も、仲間づきあいも苦手な落ち零れだ。やっとできたはずの彼女も、呆気なく奴に靡いていったし。
それならそれで、思いっきり泥水に漬かってやる。首までどころか、頭まで泥水に沈め、耳の穴にも鼻の穴にも、口にだって泥水を浸透させる。
目玉にだって、泥水が懸かれば、こんな恥ずかしい涙も出ないだろう。
それにしても、空が暗い。雨が激しすぎる。空の彼方を眺めて、黄昏ようにも、周囲が朧な薄闇に包まれていて、気持ちが中途半端になって行き場を失っている。
蓮の池から、ボクは、とうとう離れられなくなった。この場を去る切っ掛けを失ってしまった。さすがに厚い黒雲にさらに宵闇が重なってしまい、さらに周りの暗さと肌寒さとが相俟って、ボクはセンチな気分にさえ、浸れなくなっていた。
蓮の池が、闇に没していこうとしていた。が、不意に橙色の明りがホッと灯った。本堂も点燈され始め、その明りが漏れてきているのだった。
気に食わない和尚さんさえ、慕わしいような気がした。
池面に橙色の光が、揺れ動き、崩れ折れ、見え隠れし、千々に乱れた。なんだか、死にきれない狐火、それとも迷い出た人魂、夢の中の蛍火、炬燵の穴の中の熾き火を想った。
が、不思議なことに、池の対岸で無数の光が固まり始めるような光景を目にした。
乱れ散ったはずの光がどうして一個の形に収斂するはずがあるのか?!
まさか、人影? 一瞬、ボクは幽霊が現れたのかと思った。
でも、その幽霊は、傘を差している風にも見える。
錯覚、なのだろうか。
目を凝らしてみた。
そこには、女の子が居た。
そう、ボクの彼女がいるではないか。
ねえ、どうして約束の場所に来なかったの!
紛れもなかった。あの子だ。ボクの彼女の声だ。
約束……、脳裏を駆け巡るものがあった。そして閃いた。
ああ、昼休みのボクと奴との議論の最中に彼女がやってきて、今日はクラブ活動がないから、一緒に帰るのよ、と言われていたんだった。そうだ、六時間目が終わって彼女が来たのも、念を押しに来たのだと、やっと気がついた。
ボクは、議論に興奮して、すっかり忘れていたのだ。
どうして、でも、茜ちゃんがここに?
ばーか、タクちゃんが一人きりになる時は、ここだって、いつも口癖みたいに言ってたじゃない! もう、世話、焼けるんだから!
ボクは、そんな独り言にさえ、気が付かないでいた。
でも、いい、そんなことは、いいんだ。ボクは今、彼女と一緒にいる。
雨水にドップリと打たれて、そして、二人して咲き揃っているんだから。
ああ、それにしても、蓮っ葉なのは誰よりもボクのほうなんだ。
(04/10/16 作)
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