影踏み
冬の日の或る朝のこと、目覚めた瞬間、遠い日の長い影が脳裏に浮かんだ。
あまりに影の輪郭が鮮やかなので、手を差し出したら、軒先の氷柱のように掴むことができる、掴み損ねたら、影の刃に切り傷さえ負ってしまう…、そんな気さえした。
長い影は、長く伸びた人の形をしている、そう、人の影のはずだった。
でも、それは鬼だった。鬼の魂が地上の世界に投影されている。ボクは、あの日、鬼に追いかけられていたのだ。
何か怖いような、でも、その断片的な記憶の底を探ると、忘れてしまった、しかし本当は忘れてはならない何かがそこに潜んでいると直感された。
外は曇っている。時計で時間を確かめるのが億劫だった。ただ、朝というには、憚られるような遅い目覚めだということは、なんとなく感じる。部屋の中は薄暗い。
オレは、目を閉じた。粉々に砕け散ったガラスの破片を掻き集めようと思ったのだ。破片を繋ぎ合わせて、形にしたい。記憶の中のジグソーパズル。ともすれば、闇の雲に消え入りそうな記憶の欠片たち。
そうだ、それは、影踏みだ。あの日、ボクは、近所のみんなと影踏み遊びをしたのだった。
今時、そんな遊びをする子供なんて、いるのだろうか。
ルールは簡単だった。できれば、人数は最低でも3人はいたほうが、面白い。みんなでジャンケンして鬼を決める。鬼以外の人たちは、鬼役の人に影を踏まれないように、ひたすら逃げ回る。そう、だから、影の長い、秋から雪の降る冬までの間の遊びだ。
ああ、段々、思い出してきた。逃げる方は、鬼に影を踏まれそうになったら、そこらの雪吊りされた木立とか、作業小屋の陰とか、植え込みとか、とにかく適当なモノの陰に隠れて、自分の影を消し去る。そうしたら、鬼も影を踏めないというわけだった。
そして、少しでも影を踏まれた奴が、次の鬼になり、他のやつ等は逃げ回るというわけだった。
そうだ、日曜日の昼過ぎなんかに集まって、他の遊びをやり、もう、飽きたところで、この遊びをしたような気がする。年長の誰かが曰く、影が短いと捉まりにくくて、鬼役は大変だとか何とかという理由だったと思う。
影踏みは楽しかった。それに、人数さえ揃えばいいし、道具は何もいらないし、天気がよくて日差しさえあれば、するにでも始められる。なんといっても、楽しい。楽しい以上に、始めだすと夢中になってしまうほど、面白い。
鬼ごっこって、どうして、あんなに面白かったのだろうか。
誰もが鬼から逃げたいから…かもしれない。でも、誰もが本当は鬼になって誰彼構わず、理由などなく、追い掛け回したいという気持ちがあるからじゃなかろうか。
そう、理由なんて、要らない。訳も分からずに追う、追われる、逃げ回る、追い掛け回す、影を追っているだけなのに、踏まれるのは影だけなのに、だから踏まれたって痛いわけじゃないのに、でも、追うほうも追われるほうも必死になってしまう。
もう、真剣(マジ)だった。本気だった。
今となっては、オレには、でも、当時の遊びのルールの本当のところは覚えていないのかもしれない。
例えば、庭の岩の陰に隠れて自分の影を消し去ったとして、鬼はどうしたんだっけ。どうやったって、相手の影を踏めないじゃないか。
それとも、物陰に隠れるのはルール違反にしたのだったろうか。
ああ、そうだ、鬼を決めないで影踏みしたこともあった。誰もが、誰彼構わず、他人の影を踏む。踏まれた奴から脱落し、最後に残った奴が勝ちだった。影踏みのバトルロイヤルというわけだ。
段々、思い出してきた。たまに、みんな地べたに、うんこ坐りして、それで影踏みを試みたことがあった。これは足腰を使いすぎて、体力をやたらと消耗させて、すぐに遊びは止めになった。みんな疲れ果て、あははは、なんて訳もなく笑い合って、地べたに寝転がっていたっけ。
そうだ、当時、気付いていたのかどうか分からないけど、影踏みは、影が長いほうがスリルがあって面白いんだけど、影の長い昼下がりに始めると、あっという間に釣瓶落としの夕暮れが襲ってきて、鬼のも、そうでない奴のも、影という影が呆気ないほど宵闇に飲み込まれていく。
普段は影がどうなるなんて、気にしていないけれど、影踏み遊びをしていると、自分の影が闇に没していくのが分かって、遊びの終わりが近付いているという予感がしたり、それ以上に、闇の圧倒的な暴力のようなものを感じたりして、怖かった。
そうだ、ボクが一番、怖かったのは、ボクの影が日暮の時が近付くにつれ、やたらと長くなっていって、もう、とめどなく長くなり、それがまるで、闇の海から魔物の触手が伸びてきて、ボクの影をわし掴みし、掴むだけじゃなく、思いっきり引っ張って、ボクを影ごと、闇の海の底に引き摺り込もうとしていると感じた瞬間だった。
溺れる!
ボクは周りのみんなに助けを求めた。
でも、周りには誰も居ない。
そう、みんなとっくに帰路についてしまったのだ。ボクだけは遊びに夢中になり、逃げ回りすぎて、鬼も捕まえきれず、気が付いたら、一人、長い影を引き摺って、それとも、長い影に魅入られて、見知らぬ土地に居る自分を見出したというわけだった。
そこは、やたらと広い田圃のようだった。見渡しても、藍色の闇に彼方の様子を望むことはできない。我が村の作業小屋に似ているような、でも、やはり違う小屋や、泣きじゃくるような鳴き声のするニワトリ小屋なんかがあるだけだった。
ボクは、村の何処かの郵便ポストの傍に立ち尽くしていた。
よく見ると、傍には、バス停があり、雨宿りのためなのか、待合所らしい小屋があった。ボクは、その小屋のベンチに腰掛けることにした。灯り一つ、あるわけではなかった。遥か遠くに、誰の家なのだろう、窓の灯りが小さく見える。あそこへ行ってみようか、ボク、迷子になったんです…って、言ってみようか。
ボクは泣きべそを掻きそうだった。
どうして、ボクを放って、みんな帰ってしまったんだ。
晩秋の夜は、寒く、幸い木枯らしは吹いていなかったけれど、ボクの胸には見捨てられたという悲しみの木枯らしが吹きまくっていた。いいんだ、ボクなんて、どうなったって。
その時だった。聞き慣れた声が響いた。気のせいなんかじゃなかった。
「あんにゃ、そんなとこで、何、しとんがいね!」
姉ちゃんの声だった。
ボクには、声も出なかった。なんだか、恥ずかしくて、迷子になったとも言えなかったし。
姉ちゃんは、肩にいつもの赤紫色のディズニーのバッグを担いでいた。
「姉ちゃん、何処、行くが?」
ボクは、やっと、言葉が出た。
「何処、行くがって、帰るところだがいね。」
「帰る? 何処、行っとったがね。」
「算盤だちゃ。塾だにか。もう、遅いから、帰らんまいけ。」
ボクは、なんとなく、気が抜けたような感じだった。あの恐怖はなんだったんだろう。姉ちゃんのあまりの呑気な顔、声。
それに、姉ちゃんが算盤塾に行っていたってことも、初耳だった。
ボクは、姉ちゃんと影踏みしながら帰りたいと思った。幸い、雲間から月明かりが洩れて来ていた。
「姉ちゃん、影踏み、やろう!」
「いややちゃ、もう、遅いし」
「やろ!」
「しょうがないねー。じゃ、わたし、鬼、あんにゃ、逃げられ。」
ボクは、逃げた。今度は、真っ直ぐ、家に向かって。
(04/12/15 作)
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コメント
懐かしい作品。
最近、「影法師」という言葉が話題になり、そこからの連想で「影踏み」という言葉、そしてこの作品を昔、書いたことを思い出した。
結構、佳品だと思う。
投稿 やいっち | 2007/12/23 22:15