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2004/11/22

赤い糸

 卒業式も終わっていた。
 中学校でなすべき儀式の類いも含め、何もかもが終わっていた。体育館から教室に戻り、あとは、先生
との最後の挨拶をして、みんな、お別れをする。
 みんな、先生が来るのを待っていた。校庭には、父母達の姿も見られる。
 でも、肝腎なことが終わっていない子達もいるのだ。
「慶のこと、好きなんだよ」そう、祐介が囁いている。
 中学校の卒業式の日のことだ。
 もう、クラスのみんなはそれぞれに進路が決まっている。進学校に進む者、専門学校に進む者、家業を手伝う者、一人だけ浪人を決めた奴もいる。
 胸に抱える思いも、それぞれだった。呑気に漫画の本を読んでいる奴もいれば、高校での生活を語り合っている連中もいる。
 でも、中には切羽詰った表情が誰の目にも分かる奴もいたりする。
 祐介は、慶子が他の男の子が好きなのを知っている。でも、そんなことを気にする祐介じゃない。現に目の前で慶子が武志に真っ赤なハートマークで封印された手紙をみんなの前で、堂々と手渡していた。みんな、そのあっけらかんぶりに、囃し立てるのも忘れていたくらいだ。今日は卒業式、無礼講の日なのだ。みんな、自分の切羽詰った思いを果たすことに懸命だったのだ。
 祐介は、そんな慶子の振る舞いなどに頓着せずに言い寄っているのだった。
 慶子はT高校という進学校に進む。成績も抜群で、自分に相応しいのは、武志しかいないと思っていた。
 一方、祐介は、家業を継ぐ…というのは、口実で、実際のところは勉強するのが嫌で嫌でたまらず、とっくに進学など放棄していたのだった。それより、今、やりたいことが大事。今は、目の前の女の子を追っ駆けることが全てなのだった。
 祐介は、思い込んだら、頭の中がそれだけで一杯になる性分だった。この前は、あの子、その前は、違うクラスの女の子、違う学校の女の子を追いかけて、その学校の生徒と喧嘩したという噂もあった。
 慶子は、祐介には関心がなかった。格好はいいけど、興味も違うし、住む世界が違うような気がしていた。はっきり言って、今ごろ、みんなの前で言い寄られるのは、邪魔なのだった。
 その上、祐介は、慶子に向かって、「慶」なんて、呼び捨てにする。祐介の癖なのだ。気に入った女の子がいると、もう、その子は自分のもののように思えてしまって、慶子さんとも呼ばないし、苗字を呼ぶこともない。オレだけの慶、というわけだった。
 その厚かましさがまた、慶子には、うんざりなのだった。ただ、育ちのいい慶子には、邪険に祐介を振ることが出来ないでいる。祐介は乱暴者だと分かっているので、不快そうな表情を見せつけるのが精一杯だった。
 彼女は視線を好きな男の子に向けたかったが、生憎、クラスが違うので、せいぜい窓から外を眺めたり、先生が早く来ないかと、ドアの辺りを眺めやったりしていた。
 そんな二人を教室の後ろでジッと眺めている女の子がいた。奈津美だった。中学三年になりたての頃、祐介が夢中になった女の子で、一学期の終わり頃までは、二人の仲良しぶりは、みんなの注目の的になっていた。
 奈津美は、祐介が好きだった。祐介にモーションを懸けられて、嬉しかった。むしろ、熱い視線を送って、祐介を誘い込んだのは、奈津美のほうだった。
 ただ、予想外だったのは、祐介の浮気振りが想像以上のものだったことだ。自分なら祐介を手中にできる。決して逃さないで、ずっと付き合っていける。そのはずだった……のに、夏が来る前に、あっさり振られた。振られたとは思えないくらい、呆気ない終わりだった。
 祐介にしたら、振ったとさえ思っていない。数ある女の子の一人に過ぎず、もともと祐介は、自分に近づいて来る女の子は、反って、退屈してしまう性分なのである。
 奈津美は、祐介のことが諦められなかった。いつかは自分のほうに戻ってくる。だって、あの日、「ナッツのこと、好きだよ」って、言ったのだから。好きだと言ったことより、自分のことを「ナッツ」だなんて、愛称で読んでくれた、その言葉が何よりの宝物だった。耳元での囁きは、今も奈津美の胸に木霊していた。胸を焦がして止まないのだった。
 奈津美は、祐介が他の女の子に言い寄ったりするのも、自分の気を引くための、いじらしい芝居に過ぎないと思っていた。
(そんなに無理しちゃ、ダメ。大丈夫よ、わたし、あなたの気持ち、分かってるの…)
 喉もとのボタンを外し、シューズの踵を踏みつけて、ラフを装う祐介は、乱暴振りを発揮すればするほど、奈津美には、自分がついていないとダメなように思えるのだった。
 祐介は、慶子に夢中だった。手に入れるのが難しいと感じれば感じるほど、燃えるのだった。(慶は、進学など思いも寄らない自分には高嶺の花。だけど、オレの孤独な魂を癒せるのは、お前だけ…。嫌だ、なんて言うのも、今のうちさ。)
 先生は、何故か、予定の時間が来ても、なかなか来ない。
 慶子は、今だけの我慢だと思っていた。
(今さえ、我慢したら、奴とは住む世界が違う。奴の姿を見ないで済む。好きな男の子と同じ高校で、夢のような日々が待っている。一緒に勉強して、大学だって、同じで…。)
 廊下には、他のクラスの男の子がいた。亮(とおる)だった。教室の中を覗いている。その熱い心の眼差しの先には、奈津美がいることを、誰ひとり知らない。眼差しは熱いけれど、何故か、真っ直ぐ、奈津美には向かっていない。とうとう今日という今日まで、思いを打ち明けられずに来てしまったことを悔いているのだった。彼は、奈津美の様子を伺ったり、窓の外の光景を眺めやったりしていた。
 校庭の隅には、青空を背景に桜の木々が並んでいた。ついこの先日までの雪も、ほぼ溶け去り、桜の蕾が今にも綻びそうだった。
 奈津美は、そんな亮のことは、まったく気付いていないのだった。恐らく、一生、気付かないのだろう。奈津美は看護師を目指して職業学校へ進むし、医者の息子の亮は進学が当たり前のように感じているだけだった。
 そんな亮の手には、手紙が握られている。手渡したい相手は、教室の中にいる。が、亮のポケットには、ある他の女の子から貰ったラブレターが突っ込まれている。受け取るも何も、下駄箱に入っていたので、捨てるに捨てられないのだった。誇らしくもあった。
 好きな女の子が他にいなかったら、取りあえずは付き合ったかもしれない…。
 その女の子は、比奈だった。比奈は、中学を卒業したら、もう、会えなくなると、今日こそは思いを打ち明けようと、思いの丈を手紙に書き、下駄箱に入れておいたのだった。
 比奈は、亮のことが中学に入った頃から好きだった。一目惚れだった。でも、好きでいるだけで、なんとなく満足なような気がしていた。毎日、学校で擦れ違える。二年になってクラスが違ってしまったけれど、そのほうが、亮が他の女の子と楽しそうにお喋りするのを見ずに済むので、ホッとしたものだった。
 比奈は、みんなの前では活発な女の子だったけれど、胸の中に秘めた思いは、大事に大事に守る清楚な女の子なのだった。
 そんな比奈を好ましく思っている奴がいた。それは、武志だった。学級委員や生徒会長も務めたりする、みんなの羨望の的になるような、優秀な奴だったけれど、女の子には晩生(おくて)だった。プラトニックなのだった。というか、人様の前では女の子と個人的に親しくしてはいけないという、妙なモラルに雁字搦めになっていた。そんな自分が嫌でたまらなかったけれど、自分でそのモラルを敢えて打ち破る度胸もないのだった。
 それだけに、学業に放送部でのクラブ活動に打ち込んで、鬱陶しい自分の性格を紛らわしていた。そんな自分に惚れてくれる女の子がいた、それも、男子生徒の憧れの的である慶子が!
 誇らしい反面、どうしたらいいのか、途方に暮れていた。

 赤い糸が無数に入り組み絡み合い、それぞれが見えるようでいて見えないのだった。赤い糸は、背中に結び付く。自分では見えない。下手に動けばほどけるか、他の人に絡まってしまう。
 卒業という日を迎えて、運命の赤い糸がどんなふうに繋がっていくのか、誰にも分からないのだった。
 やがて、先生が入ってきた。ザワザワしていた教室が、鎮まった。けれど、縺れた赤い糸は、ますます赤く燃えているのだった。


                              (04/10/28)

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