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2004/11/22

落雁の思い出

 もう、随分、昔のことだ。お菓子というと、遠足の時のキャラメルやチョコレートが待ち遠しかった頃より、まだ以前のこと。

 普段のお八つというと、饅頭もあったけれど、煎餅が多かった。近所の小母さんの家に遊びに行くと、そこではお八つに饅頭を出してくれる。半ば、それが目当てで遊びに行ったような記憶がある。
 尤も、その家の兄ちゃんには、随分、遊んでもらった。割り箸で手作りの鉄砲を作り、輪ゴムを飛ばしてはしゃいだりした。時折、ギターをポロンと弾いてくれて、二枚目さんだったし、気立てのいいお兄ちゃんだった。
 でも、兄ちゃんは、高校に入って柔道部で先輩のシゴキに合い、腰を痛め、人生を棒に振ってしまったという噂を聞いた。そう、その頃には、兄ちゃんの家は、引っ越してしまっていて、何かの折に消息を聞くだけになっていたのだ。
 子供の頃に食べたお菓子というと、落雁がある。といっても、饅頭よりはるかにお目にかかる機会が少ない。
 その落雁には、甘いのか苦いのか自分でも分からない、半端な思い出がある。

 それは、法事の時だった。真宗王国の風土の郷里では、当たり前のようにして坊さんが法事などの時に檀家の家を回ってくる。
 その法事がやたらと多い。一周忌、三回忌は、もとより、七年目のなんとかとか、我が家で忘れていても、お坊さんは忘れないでやってくる。天災は忘れた頃にやってくるというけれど、月命日を坊さんは忘れることなく、檀家を巡る。
 要するに月に最低、一回はお坊さんが回ってくるというわけである。
 そんな日は、仏壇からは線香の匂いがプンと漂ってくる。日曜日、漫画の本を読んだりして、のんびりしたいのに、天気が良かったら、遊びに行きたいのに、「ヨシユキ、ちゃんと着替えてるんだよ、だらしない格好はダメだよ」なんて言われて、お坊さんが来たら、仏間に家族が集合するのだ。ボクも後ろのほうで畏まる。

 やったことのない正座なんかして、膝が大笑いするのを我慢して、お坊さんの読経が終わるのを待っている。父母も、神妙な顔をして読経している。手には、お経の文句を書いた紐綴じの冊子。
 ボクは、思いっきり退屈しているので、足の痺れを我慢しながら、日頃はしみじみ見たりしない、近所と比べるとこじんまりした仏壇を眺めたりする。親鸞さんの像の描かれた掛け軸が奥に鎮座している。釈迦さんの像を描いた掛け軸も並んでいる。灯心がチロチロ揺れている。
 手前には、いつも通り、仏供笥さま(ぶっけはん)とか呼んでいた、真鍮製の小さな器に炊き立ての白米が山盛りになっている。お供えが終わったら、昼食などの際に、お茶漬けにして食べてしまう。
 この供える御飯のことを、御仏供飯(おぼくさん)と呼ぶことを知ったのは、随分、年を経てからだったと思う。仏壇には、その時によって、ミカンやリンゴ、ナシなんかも供えられたりする。時には、数日間も供えられたままになっていて、それを仏さんのお下がりだと言って、食べるのだけど、腐ってないかと、幼心に心配したものだった。

 そう、いつだったか、母ちゃんに御仏供飯を食べなさいと言われ、嫌だと言ったら、叱られたことを覚えている。
 その時、父ちゃんに、「昔はな、御仏供飯というのは、ご馳走だったんだ。白米なんて、百姓は、口にできんかったもんだ。もう、御仏供飯が食べられる、白米が食べられるって、命日の来るのが楽しみだったもんなんだ…」と、ボク
を叱るというより、昔の光景を懐かしむように喋っていたのを思い出す。
 そうだ、これも、別の時に、父ちゃんが述懐するように、説明してくれたんだけど、お供えは、季節の食べ物や果物も供えるけれど、故人の生前好きだった食べ物も供えられるのだとか。そう、命日には、ご先祖様と語らいするのだ、なんてことも言っていたっけ。白米だって、お供えだから大事に食べたというより、お供えだってことを口実にして食べた…、そんな時でなければ口に出来なかったものだ…、なんてことも言っていたような記憶もある(どうも、曖昧だ。もしかしたら、父ちゃんにじゃなく、他の人に聞いたか、それとも何かで読んだ話が混じっているのかもしれない)。

 ボクは、祖父も祖母のことも、ほとんど、覚えていない。物心付いた時には、祖父はいなかったし、祖母は辛うじて居たらしいけど、茶の間で祖母の膝に抱かれていたような微かな記憶があるだけである。祖母の衣服が衣文掛けに掛けられていて、線香か抹香臭いと感じたことを覚えている。
 だから、仏壇に向っても、今一つ、ピンと来ないのだ。
 今から思えば、ボクがガキの頃ということは、父母にとっての父母、祖父母が亡くなって、そんなに年数が経っていないわけだ。ということは、父母が仏壇に向っていても、単に神妙だったのじゃなく、ボクには想像もできない感懐があったに違いないのだ。
 ボクは、そんなことにも思い至らないロクデナシだったのだ(今もかもしれないけど)。

 そうだ、段々に思い出されてくるけれど、お坊さんが来る日が嫌いというか、憂鬱だったのは、その日の食事が、妙に質素だったこともあった。肉類も玉子もない。魚もない。ボクの嫌いな野菜がたっぷりで、味噌汁だって、煮干が使
われない。味がいいわけないのだ。
 何故、そうだったのかは、中学か高校生の頃になって、やっと分かった。そう、命日は、お斎(とき)の日とも称するくらいで、精進の日なのだ。生臭系は敬遠されていたのだ。
 でも、ガキの頃のボクに分かるはずもない。それとも、父母に説明されていたけど、右の耳から左の耳に素通りしていたのだったろうか。
 読経が終わってからも、憂鬱な時間が続く。お坊さんが、さも当然の如くに茶の間にやってきて、ボクには退屈な談話の時が始まる。世間話。聞いていても、とにかく面白くない。もしかしたら、話の中で、祖父母の話題も出たかもしれないのに、ボクは、まるで聞いていなかった。

 ボクの眼中にあるのは、仏壇のお供えのことだけだった。そう、落雁のことが気になってならないのだった。
(帰れ! 帰れ! 早く何処か別の檀家へ行っちゃえ!)
 ボクは、胸の中で、一心に祈っていた。祈りというより、呪文を唱えていた。退散することのみをひたすら願っていた。
 その頃は、まだ茶の間にテレビもなかった。漫画だけが家の中での楽しみだった。といっても、まだ借りるまでには至っておらず、家にあったのは、誰が買ったのか分からない、「のらくろ」や「サザエさん」の類いだったと思うけれど。
(ああ、漫画の本を読みながら、お菓子を食べたい!)
 お菓子とは、落雁のことだ。仏壇に供えられたいた、落雁。
 今から思えば、和三盆糖で作られたような高級な落雁などはなかった。後年、自分で落雁などを買えるようになって、一口、齧ってみて、その品の良さに驚くと共に、懐かしさの感じがまるで漂ってこないことに落胆もしたものだ。
 ボクが食べた落雁は、そんな余所行きのような、乙に澄ました和菓子ではなかった。砂糖か、それとも何かの穀物粉を捏ね固めた砂糖菓子に過ぎなかった。
 でも、それが、ボクが恋い焦がれていた落雁だったのだ。

 呪文を唱えていても、なかなか坊さんは退散してくれない。そんな坊さんが憎たらしくてならなかった。もっと、子供の心の分かる坊さんになりなよ、なんて、忠告してやりたいくらいだった。
 茶の間のテーブルの上には、お下がりの落雁や果物類が並んでいる。我が家には、何故か饅頭が置いてない。嫌いな訳じゃなかったろうけど、買って食べたいと思うほどじゃなかったのだろう。それに、饅頭は、何かのお返しに、近
所のあの小母さんのところから、しばしば貰えることになっている。
 でも、落雁は、誰もくれない。命日の法要などでもないと、目にできないのだ。
 実は、ボクは内心、戦々恐々としていた。万が一にも、お坊さんがこの貴重な落雁を持って帰るようなことがあったりしたら……。そんなことを思うと、退屈の極みの茶の間から席を立つわけにもいかないのだ。ボクが見張っているしかないのだ。

 そのうちに、タイミングを見計らうように、母ちゃんが、小奇麗な封筒を坊さんに差し出す。坊さんの頬が一段と紅潮する。でも、貰うことを恥ずかしがる様子は微塵も見られない。酒が回ってきて、頬が赤いくせに、お酒は貰わない建前になっていますとばかりに、帰り際になって盃などを裏返したりしている。
 これ以上、飲んだら、次の家で飲めなくなる……のじゃなく、読経が出来なくなるというわけだろうか。
 坊さんが、やっと重い腰を上げた。ボクも、不器用な愛想笑いを浮かべてみる。でも、目は落雁に釘付けになっている。お坊さんの手の動きから目を放さない。
 間違っても、袂に落雁をヒョイとばかりに収めたりしないよう、警戒を怠らないでいた。
 ボクが一番、緊張する瞬間だった。命日の日の印象で、ボクが鮮明に覚えている、ほとんど唯一の瞬間でもあったような…。
(そうだ、坊さんは、封筒だけ、持って帰ればいい。お腹には、お酒もしっかり、納まっているし、もう、十分じゃないか)

 しかし、ボクの、退散しろよ目線があまりにあからさまだったのだろうか。坊さんは、ボクの目線の先にある落雁を見て、小さく微笑んだ。いや、微笑んだのじゃなく、ニヤリとしたんだ!
 そして、やおら、手を座卓の上に伸ばし、落雁を手にしてしまったのだ。
 万事休す。ああ、ボクの命運が尽きた!
 お坊さんは、しばらく、手の平でセロファン紙に包まれた落雁を弄んでいた。
(ああ、ボクの落雁が遠ざかっていく!)
 ボクは、泣きたい気分だった。期待が大きかっただけに、落胆も激しかった。
 すると、信じられないことが起きた。耳を疑った。
「ぼう、これ、好きか?」
「ぼう」、とは、ボクのことだった。きっと、坊主という意味だったろうけど、ぼうずでは、お坊さんが言うには、憚られたのだったろうか。それとも、坊やだったのか。その坊やも、呼び捨てになり、失礼に当たるから、「ぼう」と呼びかけたのかもしれない。
「はい」
 ボクは、ビックリして、「はい」なんて、答えてしまった。そんな自分が情なかった。
「仏さんのお下がりだから、しっかり味わって食べるんだよ」
「…はい」
 ボクは、なんだか、屈辱的な気分だった。あれだけ、退散を願った相手に、同情されている、説教されている、なんて、惨めなんだ…。
 お坊さんは、意気揚揚と、去っていった。背中には、もう、ボクのことなど、すっかり消え去っていると書かれていた。
 ボクの手には、落雁がしっかり握られていた。線香の匂いに混じって甘ったるい香りが漂ってきた。
 ああ、落雁!
 ボクは、落雁をおいしく食べた。頭からは、祖父母のことも、お坊さんのことも、屈辱感も消え去っていた。
 望みが叶った、それだけで満足なのだった。


                                 (04/10/21)

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 これもボクがガキの頃のことだ。ボクとしては思い出したくないのだけど、姉と喧嘩し [続きを読む]

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