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2004/11/22

13号地

 気が付けばあの頃から十数年が経っている。
 時の過ぎるのは、早いのか遅いのか。
 オレはあの頃、よく、オートバイで埋め立て地へ行っていた。レインボーブリッジなど影も形もない。
 当時、住んでいた高輪から晴海へ向い、豊海を通り過ぎて、有明の辺りへ向かった。
 あの頃は、埋め立てが行われ、さていよいよ大規模な工事が始まる、その嵐の前の静けさといった雰囲気の漂う、茫漠たる荒野だった。
 鉄条網が延々と張ってある数知れない区画が、殺風景だった。千葉か何処かから運ばれた土の下からは、まだメタンガスが湧き上がって来る。
 そう、薄皮を剥ぐと、産廃やら投棄物、汚物、有害物質の分厚い層が現れる。人の愚かしさという証拠物件が、白昼堂々と埋められ隠されているというわけだ。
 だから、人が住むには早い。それでも、バブルが弾ける前で当時の東京都知事の夢のような計画も、近いうちには実現できるという感触が多くの人にあったらしい。
 ただ、計画が実行される前の、準備段階のようで、せいぜい、散発的に倉庫らしいものが建っているだけ。埋め立てられた、だだっ広い売却予定地の多くは、ススキなどが生えるのみで、当時のオレの空っぽな心には相応しい場所だった。 
 でも、オレにはそんなことはどうでもよかった。
 その捉えどころのなさが好きだった。
 そう、風が吹き抜けるだけの場所。方々に、申し訳のように作られた築山の公園の、そのわざとらしさがまた、妙に空々しくてオレに似合っている。そんな公園の一角に体を横たえ、移植されたばかりで、根付いておらず、何処か落
ち着きのない、ひょろひょろした木々たちに囲まれる。
 疎らな枝葉の透き間から、陽光が洩れ零れる。日溜りが、芝生のあちこちに生まれては、時の流れと共に場所を変え、あるいは姿を消していく。
 流れる雲。青い空。芝の青臭さ。土の匂いなのか、それとも湧出するガスの臭いなのか定かでない、形容し難い濃密な空気。吹き渡る風も、さすがに埋め立て地の生々しさを飼い馴らすには、力不足のようだ。
 時々、軍服姿を気取っているのか、迷彩色の制服に身を包んだ男たちが、手に武器を持って現れては消えていく。持っているのはエアガンだ。敵味方に分かれ、戦争ゴッコをやっているのだ。いきなり目にした、貧相な男に一瞬、たじろいで、慌てて目を背け、何処へともなく去っていく。
 オレは一人ぼっちだった。誰にも会うことはない。誰ひとり、会いに来ることもない。一人きりの生活が何年も続いていた。乾涸びたような心を持て余していた。失ったものを埋める術を見出せないでいた。
 築山の天辺から見下ろすと、剥げた土地を埋め尽くすススキの原が見えたりする。目を閉じると、何時とはしれない遠い昔、一面のススキの原を歩き通したことを朧に思い出す。
 あの時、オレは一人だったのか、それとも誰かと一緒だったのか。
 いずれにしても、たとえ一人でいたとしても、心は今ほどに空虚だったはずはない。

 東京湾13号埋め立て地。
 そこに来るのは、土日と決まっていた。サラリーマンだったオレは、休みの日に来るしかない。何もない空白の土地は、土日となると、オレのような物好きな奴とか、暴走族とかが走り回るだけの、閑散極まる巨大な空白地となる。
 週日ならば、港湾関係とか工事関係者の車や人影がそれでも垣間見られるのだろうけど。
 オレは、会社では窓際族どころか、瀬戸際族になっていた。誰のせいでもない、自分の不器用さのせいだった。人間嫌いというわけじゃない。ただ、人付き合いが苦手なのだ。一番、苦手なのが、恋、というわけだった。
 好きな人は他の奴のところに行ってしまっていた。オレには追いかける気力も元気もなかった。
 いや、それはオレの失恋の半分の理由でしかない。オレは恋から逃げたのだ。
 彼女に振られた形だけれど、その前にオレが彼女との恋が実りそうだと気付いた瞬間、サッと身を引いてしまった。彼女にしたら、肩透かしを喰らったようなものだったろう。取り残されて、狐に抓まれた思いだったに違いない。
 オレは逃げた。
 が、逃げたとさえ、言えない。オレは、女を突き落としたのだ。いざという時、いよいよというという、その瞬間に裏切ったのだ。オレは好きで好きでたまらない彼女を振ることで、自分を投げ去ったのだ。自分を投げ棄てることで、女を地獄の一丁目に置き去りにしたのだ。
 復讐? そうなのかもしれない。でも、何に対する復讐なのだろう。彼女への? そんなわけはない。自分への? そうかもしれない。でも、オレ自身が分からないでいる。
 この世への復讐なのかもしれない。
 オレという存在を根底から否定しさることで、この世を睥睨しようというのだ…ろうか。
 しかし、それも嘘だ。
 確かなのは胸のうちの、どうしようもない空白。脳裏に刻まれた深い裂け目。覗き込んでも、裂け目の深みを知ることはできない。ぺんぺん草も生えない、枯れ果てた砂漠。風に吹かれて砂の文様が悪戯に変幻しているだけ。
 薄っぺらだった。自分の存在が一次元、せいぜい二次元世界に過ぎなかった。
 血肉どころか、厚みの片鱗さえも見出せなかった。心が、ぺったんこだった。押し潰され、さしづめ、押し花にされた心だった。花の、草の、茎の、葉っぱの形の名残があるようでいて、その実、命とは無縁だった。平面世界で叫び声
を上げてみても、四角四面の中を這い回る、出来損ないの下絵だった。ただのデッサンだった。失敗してクシャクシャに握り潰された紙屑だった。
 いや、クシャクシャにさえ、なれないでいる。
 吐き出したいほどの空しさ。生きる前に死んでしまった心。湧き出でる何物もない空井戸。肉の塊の透き間で呻吟する心。オレの心は、生まれ出ずる以前に、裏の宇宙に漏出してしまった。日の光を忌避してしまった。逃げ去った。
裏返されてしまった。
 オレは探さなければならないのだ。当てもない何処かへ歩いていかなければならない。闇の世界を彷徨する。声なき咆哮を上げなければならない。砂漠の何処かに素手で、この指で、この爪で井戸を掘らないといけない。虚空に穴を開けるのだ。貫通させるのだ。何を貫通させる? そんなこと、知ったこっちゃない。ただ、闇雲に穴を穿つのだ。
 ああ、あの決意。あれから十数年。オレはその決意の幾許かを果たしたろうか。分からない。
 でも、今も旅の途上にあると信じていることだけは間違いない。逃避という名の旅の途上に。


                                  (04/08/20)

(「東京湾13号埋め立て地」なる頁は、かつての東京湾13号埋め立て地の光景などを知るにとても参考になる。 (08/09/21 追記))

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