恋は秋の暮れに
あれはボクが中学三年の秋だった。
夏の暑さが、夢の世界のようになっていた。秋も深まりつつある頃だったと思う。
なぜなら、休み時間に校庭でソフトボールなどして遊び回って、チャイムに息せき切って教室に駆け込んでも、じんわり汗が滲むだけになっていたのだし。
帰宅部のボクは、教室の掃除当番になっていて、いつものように放課後、すぐに帰宅するというわけにはいかなかった。
確か、男女それぞれ二人の四人で掃除していた。
掃除はバタバタとやって、速攻で片付ける。で、終わったら、ボクには鬱陶しい学校を離れる。他の三人は、クラブ活動があって、いそいそと部室へ向う。
ボクだけ、特別な理由もないのに、でも、慌しく教室を出、家路を急ぐのだった。
その日も、そうなるはずだった。
なのに、部室へ行くはずの女の子が、一人、教室の窓際でグズグズしている。
いつもなら、気になって後ろ髪を引かれる思いをしつつも、黙って去るはずが、その日は、自分でも訳が分からないのだが、彼女のほうへ近付いて行ってしまった。
彼女は、窓辺に凭れて、校庭を眺め下している。嫌いという訳じゃないけど、ボクには他に好きな子がいた。なのに、彼女に惹かれたのは、何か引力のようなものを感じたからだったのだろう。
「何、見てるの」
彼女は、驚いたように振り返った。もっと驚いているのは、ボクのほうだった。声を掛けるつもりなど、まるでなかったのだから。彼女の目がまっすぐボクを見ている。なんてつぶらな目なんだろう! どこまで透明な瞳なんだろう!
ボクは、ドキドキしてしまった。
驚きの目。でも、拒否している風でもない。むしろ、ボクに傍に来て、モードさえ漂っているように感じられる。
ああ、あの日のボクの行動は、自分でも不思議でならない。
ボクは、魅入られるように、彼女の傍に向った。そして、いつもそうするかのように、二人並び、窓枠に肘を突いたりして、校庭を眺め下した。野球部やサッカー部の連中の喚き声、テニスのコートからのボールを叩く音、それらが耳にビンビン響いてくる。
数日来の雨が前日から上がって、待望の秋晴れがやってきたのだった。みんな、嬉々として練習に汗を流しているようだった。
そんな光景が、目に痛いほど鮮やかに眼前に広がっている。
ボクは、雨の日はともかく、晴れとなると、妙にセンチになってしまう癖があった。雨の日はみんなが傘を差して黙し勝ちになるけど、晴れの日は、表情も露わになり、ボクの寂しさを隠そうとする、引き攣るような表情も白日の下に晒されるような気になってしまうからだったかもしれない。
「キミさ、今日は、卓球部の練習、行かないの」
面と向って女の子にキミと呼びかけるのが、こそばゆい。名前を呼んだほうがいいのか、それとも、キミでいいか、自分でも迷っていたのを覚えている。
「わたしね、今日、体調が悪くて、休み、貰ってるの」
「体調が? ふーん」
ボクには、彼女が具合悪いようには全然、見えなかった。女の子特有の気紛れなのかと勝手に思ったりした。掃除している最中も、体のどこかに不都合があるとは、気付かなかったのだし。
でも、そんなことを言うわけにもいかない。
「佑クンは、クラブ活動はしてないのよね」
別に咎めるような口ぶりではなかった。けれど、ボクは、自分に何もやっていないことに負い目のような気持ちを抱いていたので、いきなりそんな話題になって、ドギマギしてしまった。
「ボクは、どうも、集団で何かをやるの、苦手だし。」
「ふーん、凄いわね。」
「凄い?」
ボクには、全く、意外な感想だった。何が凄いんだ?
「だって、クラブ活動って、内申書に繋がってるのよ。活動すれば、それだけ、点になるんだし。佑クンは、そんなこと、気にしないで、独立独歩なのよね。凄いって、思う。わたし、できることなら、クラブ活動なんて、したくないん
だもの。」
そうか、そうなんだ。そんな見方があるんだ。今までの僻むような思いは何だったのだろう。
「いや、ボクは、成績のことは諦めてるし。それより、のんびりやるさって、思っているだけだよ。」
そう言いながらも、オレは我が道を行くんだ! なんてオーラを漂わせようと、ちょっとだけ、背筋を伸ばしたりしていた。
もしかしたら、彼女、オレのことを…。
打ち消そうと思いつつも、そんな妄想が湧き出すのを、どうしようもなかった。
そうか! 彼女、体調が悪いってのは口実で、ホントはボクのことを待っていた?!
ボクは、暴走する妄想を押し留められなくなっていた。
彼女のことが輝いて見えてきた。そういえば、彼女の笑窪、可愛いじゃないか。睫が長い! 髪がサラサラしていて、思わず触りたくなる。胸がちっちゃいのだって、これから先、膨らむ楽しみがあるってことだし。
ボクの勝手放題な思いは、ドンドン、膨らむばかりだった。
ボクは、人の目を真っ直ぐ見詰めながら話す人が好きだ(そのことに、初めて気がついた)。そして、彼女がそうだった。窓枠に凭れながらも、話す時は、小首をかしげるようにしてボクの目をジッと見入ってくる。
ああ、なんて、瞳が綺麗なんだ。彼女の全てが好ましくてならなくなった。彼女こそ、全身からオーラが湧き漂っている。
ボクたち(ボクたち! なんて、いい響きだ!)は、秋の風景を眺めていた。
秋の空の夕焼けは、ボクたちの胸の中を焦がすほどに燃え上がっていた。それも、何を喋るというわけもない間に、あっという間に暮れていった。
校庭や遠くにポツンと聳えるビルや、見晴るかす山々などを眺めていた。宵闇の透明に輝く濃紺を背景に、地上世界のモノたちの描き出す黒いシルエットの輪郭が鮮やかだった。
ボクは、陶然としていた。好きな彼女のことは呆気なく遠ざかった。ボクは、どうして今の今まで、彼女の魅力に気が付かなかったのだろう。青い鳥は、間近にいたっていうのに。
とうとう、すっかり暮れてしまった。最後まで練習に打ち込む野球部の連中も、グラウンドの整備も終わり、道具類を背負って、部室に引き上げていった。
その中には、学校で、ただ一人、ボクが親しくしている奴もいるはずだった。普段は、練習に明け暮れしているけど、土曜とか日曜には、どちらからともなく誘い合っては、映画に行ったりするの仲だった。
もうそろそろ、見回りの先生もやってくる時間だ。
さすがに、窓を閉め、教室を出る時間だ。
ボクは、これから先、どうしたらいいのか、分からないでいた。女の子と二人きりなんて、保育所時代以来なのだし。
(一緒に帰ろうか…)
でも、なんて、声を掛けたらいいんだろうか。でも、いきなり初日から、一緒に帰宅するってのも、拙いのかな。でも、もう、暗いんだし、彼女を適当なところまで送るという口実もあるな…、そんな思惑がまたまた真っ赤な焔となって、ボクの脳味噌も胸も腰の辺りをも焼き焦がさんとしていた。
宵闇を二人で歩く! ああ、夢にまで見た日が、とうとうやってきたのだ。この日がいきなり、足音もなく、不意打ちで、予告なしで。
抜き打ちのテストより、ドキドキする!
胸が高鳴っていた。ここは男のボクのほうが、彼女に一緒に帰ろうと誘うべきなんだ。
ボクは男なんだから、ボクが気を利かして、誘ってあげるべきなんだ。
いよいよ乾く唇をこっそり舐め、音を殺して唾を飲み込み、彼女に声を掛けようとした瞬間だった。
「これ、お願い」
そう言って、ボクの手に何かを握らせて、彼女は、走り去っていった。
(あれれれ、どうなってるんだ。オレは振られたのか。でも、手には手紙が…ある!)
ボクは、どうしようない有頂天な気持ちを、どう抑えたらいいのか、分からなかった。ボクにこんな日がやってくるなんて。閉め切られた家に思いがけず、青い鳥が迷い込んだ。でも、間違いなく、ボクの目の前で青い鳥は、可愛い姿
を見せ付けている。どこか恥ずかしそうな、小さな背中を見せて、飛び去ったけれど、でも、逃げ去ったんじゃなく、ちょっと姿を隠しただけなのだ。
その証拠が、この手紙だ!
ボクは、嬉しすぎて、手に握っている手紙をすぐには開いてみることはできなかった。教室は暗いし、どこか街灯のある場所へ移動するんだ。そこで、ゆっくり、彼女からの手紙を読むんだ。冷静にならないとダメだ。こんなときこそ、落ち着いて、事態を把握し…、などと訳の分からない述懐を持て余していた。
教室を出る間際、彼女とボクがいた辺りを眺めやった。
あそこに、ボクたちが確かに居た!
窓外には一番星が煌いていた。月のない夜だったから、一層、星の瞬きが目に沁みた。恋の的を星の光の矢がまともに射抜いている。
ボクは、ともすれば走り出しそうな自分を懸命に抑えていた。逸る気持ちがボクを飛び上がらそうとする。それこそ、舞い上がりそうな気分だった。ついに、この日が来た。ボクにも、来るべき日が来たのだ!
ボクは、ある公園に向った。そこはボクのお気に入りの公園だった。葉桜の並木にポツンと、金木犀が植えられていて、甘酸っぱいような、鼻を突く臭いが漂っていた。金木犀の脇には、公衆便所がある。
ボクは、金木犀は、公衆便所の臭い消しのために、植えられていると睨んでいた。
でも、今は、金木犀のことなど、どうでもいいんだ。
ボクは、街灯の下に立った。とうとう、ボクは女の子の胸一杯の思いの丈を綴った手紙を読めるんだ。神様は、見るべきものは見ている。目立たない、成績も中途半端なボクだけど、でも、胸の中では、社会のことなど、あれこれ考
えたりしている、このボクだってこと、天は見逃してはいないんだ!
いよいよ寒くなり、雪だって舞って来そうな季節。冬の到来。ボクは、冬休みには、二人で城址公園の辺りを散歩する光景を思い浮かべていた。いつだったか、学生服姿の中学生の二人が仲良さそうに歩いているのを見かけたことがある。羨ましくてならなかった。ボクは嫉妬していた。
でも、もう、いいんだ。今度はボクたちがみんなを羨ましがらせる番なんだし。
いつの間にか皺くちゃになっていた手紙の皺を伸ばして、さて、中を開こうと思った瞬間だった。表には信じられない文字が躍っていた。
「琢磨君へ」
琢磨って、奴のことじゃないか! ボクの名前は祐介だぞ! 琢磨って、ボクの唯一、親しくしている野球部の奴のことじゃないか!
(そうだったのか。彼女、奴が野球部の練習が終わるまで、ずっと見守っていたんだ。だから、こんな時間になったんだ。それに、ボクが奴と親しいってこと、知ってたんだな。そして、このボクに手紙を託したんだ…。
裏面は、真っ赤なハートマークで封印してあった。
その中には、ボクには窺い知れない女の子の気持ちが封じ込められているはずだった。
(04/10/17)
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