天の川幻想
「天の川幻想」
あれは、もう、十年ほどの昔のこと。オレが会社を首になる直前の頃のことだった。
とはいっても、オレは自分が間もなく首になるなど、夢にも思ってはいなかった。
確かに、窓際族どころか、瀬戸際族、それとも、喫煙場所を奪われた奴等と同じ、外階段族だったことは、痛いほど自覚していたけれど。
オレは、仕事のプレッシャーに負けそうだった。身も心も悲鳴を上げていた。ただ、自分の中の何かだけが、ギリギリのところで踏み止まっていた。
けれど、一体、何を思い止まっていたのだろう。何を頑張っていたのだろう。負けちゃいけないと、懸命に言い聞かせていたけれど、何に対して負けてはいけないと思っていたのか、当時のオレには分からなかった。
そして、今も分からない。
その頃、訳の分からない眩暈に苦しんでいた。ちょっとでも体を急な形で動かすと、もう、眩暈が生じ、意識と体が分離してしまったような、体はこっちにあるのに、意識のほうは、最初に体があった場所に置き去りにされていて、意識と体が引き裂かれたような感覚を覚えるのだった。
ついで、異様な吐き気が続く。ガキの頃、遊園地のコーヒーカップなどの回転遊具に乗せられ、悪ガキに滅茶苦茶に回転させられ、ようやく遊具の回転が止まってくれても、意識がグルグル巡って、気持ちが悪くてたまらない、そんな時の吐き気に似ていた。
幽体離脱とでも言うのだろうか。魂が脱け出て、勝手に何処かへ飛び去ってしまって、残っているのは、魂の抜け殻に過ぎないのだった。
が、もっと猛烈な吐き気で、胃の腑の中身を吐き出せば済むようなものじゃなかった。体を裏返しにでもしないと、どうにも納まりがつかないような嘔吐感があった。
素粒子を構成するクォークたちは、魂と肉体とは、どんな高性能の遠心分離機に架けられても、高度なエネルギーのビームを照射されても、決してクォークは単独の裸な姿を晒すことはない。
魂と肉体もそうだった。無理無慙に引き裂かれようが、逆に両者は目に見えない膠で引っ張り合ってしまう。その矛盾する緊張状態が厳しいほど、メニエル病にも似た症状は激しく、吐き気は凄まじいのだった。
症状がひどくなるのは、何故か目覚めの時だった。もう、そうなることは分かっているので、目が覚めても、ベッドから何気なく起き上がるようなことはない。目が覚め、脳裏の映像が落ち着いており、頭蓋と脳味噌とが密着し、意識が脳味噌の中を彷徨ったりしないよう、脳味噌という意識の溶液をオレの中の監視人が、そう、ニトログリセリン液であるかのように慎重に扱っているのを確認する……。
それで、なんとか起き上がる態勢が出来上がっている…はずなのだが、それこそ、ヒヨコのクシャミほどのショックがあるだけで、もう、全ての用心は御破算になる。意識が猛烈な回転を始めてしまう。
いや、一体、何が回転しているのか、自分では分からない。部屋が回転しているようにも感じられる。オレの周りを部屋の壁が窓が本棚がカレンダーがカーテンが、額が、電話機が、天井の明りが、とにかく目にしえるありとあらゆるものがオレの中の何処かの中心を軸にして回転し、視覚に捉えられるものが、脳の処理能力を遥かに超えるスピードと情報量となって脳に詰め込まれるものだから、脳がパニックを起こしてしまう。計算で生じる熱がコードやコンセントで過熱してしまって、オーバーヒートしてしまう。焦げてしまう。近くにある埃を種にして燃え上がってしまう。
嘔吐したい。けれど、前夜から何も食べていないから、吐くモノなど、何も胃にはない。胃液さえ、吐き尽くしている。胃壁の肉片を剥がしてでも、嘔吐物の代替をさせてやるしかない。できることなら、体を裏返してしまいたい。吐くモノが何もないのだと、天に向って証明してやりたい。
絶望感。徒労感。疲労困憊。
そんな夜と朝を幾度となく繰り返した。
会社にも何処にも、オレの窮状を訴える相手など、一人もいなかった。あの事件の真相を当の本人であるオレに確かめようとする奴は、一人としていなかった。オレの親友さえ、オレの言葉を求めない。噂がオレなんかより、遥かに説得力を持っていたのだった。
(どうして、オレに真実を確かめない?! これじゃ、欠席裁判じゃないか!)
それでも、生真面目なオレは、与えられた仕事をこなしていた。終いには、何もしないで机に向っているという難行苦行にさえ、耐えつづけた。これ以上、オレに何をしろというのか。
そして、或る日の朝、会社へ向うと、朝礼の後、オレは常務に別室に呼び出された。
そして、解雇の申し渡し。
一瞬、何を言われているのか分からなかった。世界が真っ暗になった。
が、不思議なことに、次の瞬間、ホッとしている自分が居た。これで肩の荷が降りるという安堵感が体全体に満ち満ちていくのを、呆気に取られる思いで、しかし、貧血で真っ青だった体に血が注ぎ込まれて、やがて体に血の気が蘇り、ポッポとしてきたような気さえしていた。
オレは、首になったショックに震える体をどうしようもなかった。事務室に戻っても、同僚の誰とも目を合わせる勇気がなかった。また、合わせる相手もいなかった。誰もがオレの解雇を喜んでいるのだ。ほくそえむ奴等など、誰が見てやるものか。
事務室に戻った時、一人、女と何故か目があった。その目の中に、予め事情を知っているわよ、どうよ、という思いを嗅ぎ取ったような気がしたが、気のせいだったのだろうか。
解雇が通告された夜だったろうか。オレは数年振りに平安なる眠りを経験した。明日のことを思い煩うことなく眠りに就くとが、こんなにも豊かで穏やかで心躍るものだったとは!
オレは、何だかそのまま眠るのが勿体無くなってしまった。
(ああ、いつでも、眠れる!)
オレは、今度は感激の余り、眠れなくなった。体をどう不意に動かしても、体の動きに意識がぴったり寄り添っている。吐き気など、ウソのように綺麗さっぱり消え去っていた。オレはオレであり、外界は外界であり、それぞれがそれぞれの持ち場で、分を弁えて落ち着き払っていた。
踊るような、湧き上がるような喜びに、もう、我慢がならなくなった。
(眠れないなら、いいんだ!)
散歩に出かけることにした。
それは、前から行きたいと思っていた場所だった。この町に越してから間もない頃に、その場所のことは知ったのだが、すぐに会社での仕事が忙しくなり、日曜日も出勤だったり、そうでなくても、疲れきって、寝たきりの生活に陥ってしまっていた。そのうち、その場所のことは、すっかり忘れ去っていた。
その場所を、今、思い出したのだ!
あそこへ行くのだ。乗らなくなって久しい自転車を団地の自転車置き場から持ち出した。錆び付いていて、埃塗れで、普通なら乗るのを躊躇うようなママチャリだけれど、そんなことは気にならなかった。
漕ぐ度にギーギーなる自転車を駆って、あの森へ急いだ。
オレの居場所があそこにある。オレのことを待っていてくれる鎮守の森がある。鳥居を潜って境内を通り、神社の奥へ導く石段を登っていくと、神社の本尊である森の中へ自ずから潜り込んでいくことができるのだ。
自転車を鳥居の脇の石灯籠か何かの脇に乗り捨てて、オレは石段を上っていった。
神社の入り口近くに僅かにあった明りは、石段の途中で力尽きたかのように、薄らいでいった。その日は、晴れていたけれど、月は新月なのか、姿を見せていなかった。星が瞬いていた。その星達が、石段を登るごとに数を増していくのが、手に取るように分かった。
(オレの星達よ、待っていてくれたんだな!)
オレが越してきた小さな町の外れにある神社の境内のさらに奥まった場所にある石段。一段昇るごとに、何か躍動感のようなものを覚えていた。ワクワクする感じ。初めてお祭りに行くような、初めて映画館に入るような、期待感で胸が一杯の、あの日の自分に戻ったような感じ。
神社は、町外れにあり、小高い森を背にしていた。その森も、さらに背後にある一層高い山に続いている。
石段は、やがて玉砂利の道に変わっていた。闇夜の静寂の中で、踏み締める砂利の擦れる乾いた音が、耳に響いていた。その砂利道も、いつしか、剥き出しの土の道になっていた。生い茂る草に蔽われ、一歩一歩確かめないと、すぐにも道を踏み外しそうだった。闇の中、茫々と生える草の感触ばかりがオレの足元に感じられていた。
あまりに足元にばかり注意が奪われてしまうので、夜空の様子を伺う余裕もなくなっていた。もっとも、頭上をも覆い尽くす枝葉と闇とが、天蓋を塞いでいただろうから、星屑一つ、拝めなかったろうが。
どれほど曲がりくねった道を歩いたことだろう。とっくのうちに、神社の信仰の本体である山など、突き抜けているはずだった。そう、背後の森の中に踏み込んでしまっているはずだった。
それでも、オレは歩くのをやめなかった。こんな機会が二度と来るとも限らないのだ。まるで雲の中に居るかのような浮遊感があった。疲れなどまるで感じない。闇夜の恐怖も覚えない。漆黒の闇に、自分の手さえ、窺い知れないでいるのに、それでも、夢魔の気配など、掠りもしない。
闇の中で磨き抜かれた瑪瑙か黒檀の表面を触っているような、しっとりした肌合いがあった。冷たいような、それでいて人肌特有の温みもあり、木目の細かな闇の綾織の生地の風合いに陶然としそうだった。オレは闇の絵巻の中の点景になっているのだった。
仮に、ずっと際限なく変幻する闇の相貌をのみ、肌で感じつづけるだけだったとしても、オレは不安を覚えないのは勿論のこと、退屈もしなければ、むしろ、生れてから経験したことのないような充実感をこそ、味わい続けていたに違いない。
それほどに闇は濃密であり、豊穣であり、平安に満ちているのだった。
オレは、しかし、不安というわけではないが、歩きながら、半ば自棄になっていた。
(なるほど、首が決まり、あの焼けたトタン屋根の上の飛び跳ねてばかりの、居たたまれない、絶えず尻に火がついたような生活からは逃れられる、それはいいとして、今、歩いている道が、まるで闇の海にドンドン深く潜り込んでいくようで、後門の狼からは逃れられたけれど、もしかしたら前門の虎が大きく口を開けて待っているのじゃないか、龍の顎門(あぎと)に向ってむざむざ呑み込まれに行っているんじゃないのか…。)
(これじゃ、不安の念と何処が違うのか、訳が分からない。ただ、昨日までの煮え湯を呑まされている生活から脱出されるということを、単純に過大評価しているだけじゃないか、歩いている今の道だって、未知に続く危うい迷い道かもしれないという思いを逸らそうとしているだじゃかないのか、そうではないという証拠も保証も何処にもないだ…。)
そんな疑念が過っているのだった。
が、一瞬は疑念に囚われたけれど、それは杞憂に終わった。不意に開けた場所に行き当たったのである。闇に慣れて来たのか、闇の世界にも七色ほどの微妙な、しかし、直感的には明らかな違いがあることに気付いてきたのである。
それはまた、恐らくは、体に吹き付ける風の違いとでも言い換えていいのかもしれない。
吹き付ける…、ちょっと強すぎる表現かもしれない。やんわりと、というのさえ、まだ、きつい。何か体の周辺にあって、体の移動と一緒に付かず離れずだった空気が、ここでは、ゆっくりと流れ漂う大気の対流のようなものがあって、その大きな気の流れに浸かっているとでもいうような、広がりの感覚を直覚していたのである。
しかし、それはむしろ、広がりという空間よりも、実は、本当に闇の世界の脱出口、仮にオレが虎の口に呑まれているのだったら、その喉の奥から吐き出される瞬間を迎えていたのだった。
そこには、光があった。なぜなら、そこには影があったのだ。全く影のない世界、自分の影さえも溶け去っていて、ともすると存在感を欠如していたオレ。
そのオレに影が生れて来たのだ。影の再生だった。蘇ったのだ。光と影の世界。
目は遥かな山々の稜線を見分けていた。空に雲がある。雲があることは、墨のような黒さで分かる。真っ黒なのだけれど、綿飴のような柔らかさもそこはかとなく感じ取れる。
山や森の稜線と雲の峰峰の描く輪郭が夜空を背景に痛いほど見事に刻まれていた。
(ああ、夜空がこんなにも明るいなんて!)
そうだ、オレは今、零れるような星屑の空の下に居る。夜空を心置きなく眺め上げるなんて、なんて久しぶりのことだろう!
空には、もう、怖いほどに星々が満ち溢れていた。地上世界の峰峰ギリギリまで、星が鏤められている。星の数
があまりに多いので、星座など、見極めようがない! 大小の瞬く星屑から、比較的大粒のダイヤモンドを拾い上げ、関連付け、そうしてやっと、あれが射手座だ、そうだ、あれがさそり座だと、判別できる。
星屑は、あまりに天蓋に満ちているので、剥がれ落ちた星の欠片が地上世界目指して落ちてくる。流れ星。いや、そんなものじゃない。星の雨だ。星屑の激しいシャワーなのだ。銀の雨が降っているのだ。自らが光を放つ星の雨粒が際限なく地上に降り注いでいるのだ!
それでも、銀の河の飛沫のほんの一部に過ぎない。大概の夜空だったら、そんなにも激しい流星のシャワー状態だったら、夜空の星が今にも底をついてしまうのではと余計な心配をしていたかもしれない。
でも、この星が山を為す夜空であれば、心配するほうが愚かだ。
ああ、星座を探し出すなんてことは意味をなさないのだった。なぜなら、天には天の川がゆったりとした巨大な横っ腹を堂々と見せびらかしているのだから。
いや、見せびらかすなんて、愚かな表現だ。下界の誰彼に見られるなんて、まるで気になどしていないのだろうから。
無数のダイヤモンドの粒たちの帯、夜空に散らばったまま舞い降りてくることのないダイヤモンドダストの筋、あああ、牡牛座や双子座の辺りにまで、天の川の流域が広がっているじゃないか!
それだけに、デネブの辺りだろうか、星屑の疎らな、天の底なし沼とでも名付けるしかない暗黒地帯の闇の深さが不気味だった。そうか、あの辺りは、もともと星の姿が見当たらないのが当たり前だったのだ。こんな冴え渡った夜にさえ、星の煌きが失われているのだから。
天の闇に呑み込まれてしまったのだろうか。それとも、逆にいつの日かの星々の誕生の胎動が密やかにひめやかに起こっているのだろうか。
オレは背筋が凍りつくほどに感激していた。自光する、決して溶けない氷がオレの背中に詰め込まれたようだった。 オレさえも光り輝けとでもいうのか!
これだけ星星が空恐ろしいほどに永遠の煌きを誇っているなら、仮に地上世界に霧が少々立ち込めていても、星を愛でる邪魔には到底ならないのだ。霧で星が見えないなんていうのは、地上の人工の光に妨げられて星が見えないことを糊塗しているに過ぎないのだ!
そのうち、オレは奇妙なことに気が付いた。空には月がないのに、どうして影が出来るのだ、おかしいではないかと思われてきたのだ。
秋も深まって、体がゾクゾクするほど寒い。しかも、これだけ空気が乾いているし、町の明りなど、四囲を見渡しても、欠片もない。無論、月影などあろうはずがないことは、月だけが友のようなオレだもの、とっくのうちに確かめてい
る。
なのに、どうして影が。星屑があまりに多いから? 流星の洪水が朧にでも光源になり、それこそ天然の巨大な行燈になってオレを照らし出している。
それはおかしい。だって、天には満遍なく星々が満ち溢れている。仮に星の煌きの総体が光源なのだとしたら、影は真下に出来るか、オレの体を軸にして淡いながらも丸い形の影とならなければおかしい。
が、影は月光ほどではないが、明らかにオレの影だと分かる形を為している。
そうだ、紛れもない。天の川だ。天の川の光だけで地上世界の万象を浮かび上がらせることができる。天蓋の端から端まで見渡す限り繋がっている天の川。その光の帯の眩さが凄まじいので、それこそ帯状の形となった月光になって、地上世界を照らし出し、そしてオレに影を与えてくれているのだ!
オレは、遠い昔、それこそ、オレがガキだった頃のことを思い出していた。中学の頃まではオレは北陸のとある山里に生まれ育っていた。冬ともなると雪が降り止まない。吹雪になることもあれば、それこそ雪が降っていなくても、風が吹けば地吹雪となって地上世界の生き物たちを凍えさせる。
それでも、たまに、穏やかな日がなくはなかった。そんな日は、雪の欠片が舞い降りてくるのをゆったりと待ち受けることができた。口を開けて雪の花びらを飲み込んだりした。天蓋から汲めども尽きせぬスノーシャワーが降ってくる。
雪原に横たわり、蒼穹より舞い落ちてくる雪という光の結晶を眺めていると、ふと、自分が地上世界に横たわっているはずが、雪のベッドに載せられたままに、天に吸い上げられていくような錯覚を覚えることがあった。雪が舞い降りるのではなく、このボクが天に飲み込まれていく。吸い込まれていく。ふんわりと舞い上がっていくのは、ボクのほうなのだ!
今、オレは、そんな感覚を味わっていた。天を振り仰いでいる自分は、星のベッドに抱かれながら、天に召されていくのだ。オレは選ばれし者なのだ。オレは選ばれ天の星の一欠けらとなる。そうして初めてオレは心底からの平安を得ることができるのだろう。
オレは、星の原を何処までも歩いていった。天を仰ぎながら、ひたすらに雪の原の彼方を目指した。オレは行かなければならない。何処とも知れない世界へ向わないといけない。オレは召命されているのだから。
やがて、オレは雪原の地平線の臨界点にまで達した。目の前にあるのは崖のようだった。但し、天に達する崖なのである。
その崖は飛び降りるなら、地上に落ちるのではなく、天に召されていくはずだった。そこには、きっと、あの人が待っている…。
オレは、今こそ、星になる!
そして、オレは、崖を飛んだ!
(04/10/11 作)
[参照:「国見弥一の銀嶺便り(光害とか、コクリコとか)」]
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