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2004/11/30

ディープスペース:バスキア!

「ディープスペース(2):バスキア!」


 オレは、街中をやたらと歩き回った。何かを求めて? それとも、何かから逃げるために?
 そのどちらでもあり、どちらでもない。
 オレは、壁の落書きを見て歩いた。他に見るものなど、何もなかったからだ。空の青? 公園の緑? 今更、都会で風景など眺めたって、何の新味があるものか。所詮は、作り物の自然、刈り込まれた、自然とは名ばかりの、冷たく乙に澄ました他人行儀な植木じゃないか。
 小奇麗で洒落たショーウインドー? 聳え建つ高層ビル群? 高速道路とモノレールと地下鉄と運河の立体交差する湾岸の眺望? 瀟洒な豪邸の居並ぶ高級住宅街? 昔ながらの佇まいを残す古びた住宅街? 
 ああ、そのどれもが反吐が出る。退屈の極みだ。今更、何十年も昔の漫画の中で夢見られたような光景を目にして、何を思えばいいのか。流線型のモービルが空間と格闘する姿は感動的だとでも言うのか。運河をゆったり走っていく旅客船が優雅だと、口を開けて眺めていろとでも。
 街中を行く顔の退屈なこと。が、その退屈さは自分の浅ましさを映し出している。そうだ、だからオレは歩く。
 居たたまれないわけじゃない。ジッとしていることに耐えられないわかじゃない。ここじゃない何処かに自分の居場所があるはずだと、うろついているわけじゃない。どこをどう歩いたって、自分がそこにくっ付いて歩くことは、もう、嫌
ってほどに分かっている。
 それは晴れた月夜の晩の月のようなものだ。まるでオレを見張るかのように、オレを見守るかのように、オレの心を見透かしているかのように、何処をどう歩いても、オレの空の一角に鎮座し、オレに影を与える。
 オレは影など要らない。要るのは、そう、ある種の感覚。ある種の空間。ある種の手応え。ある種の空白。ある種の欠乏。ある種の隈なき形。
 オレは、もしかしたらオレと似た奴を探し求めているんじゃないかと思ってみた。プラスとマイナス、凸と凹、男と女、断ち切られたアンドロギュノスの片割れ。
 違う。オレはただ、壁の落書きを探していた。何時だったか、夢の中で見たあの落書きを。
 それは、あまりに魅惑的だった。壁の悪戯書きに過ぎないと、夢の中でさえ気付いていたのに、それでも、オレはそのアートに惹きつけられた。魅せられるようにして、オレは、闇に突進していった。闇の奥に、沈黙の海の彼方に、それは密やかに佇んでいる。
 佇んでいる…。なのに、それは実は、灼熱に白く変色していた。オレの中の意識の渦巻きを中心にして猛烈な勢いで自転していた。周囲の空間との摩擦熱が遠く離れたオレの頭蓋さえ、赤熱しているのだった。
 オレは首を闇の割れ目に突っ込んだ。真っ赤な闇の透き間に顔を捻じ込むようにして突っ込ませたのだった。それでも、闇の海の奥の壁には届かない。オレは顔を歪ませ頭蓋を拉(ひしゃ)げて、さらにベロを思いっきり延ばして、壁に迫った。
 嬉しかった。壁にベロが届いたのだ! 舌の先に壁の焦がれて熱いような、それでいて凍て付くような、一体、実際のところはどうなのかまるで分からぬ感触があった。
 ほんの一瞬、小学生の頃、村祭りの夜に、近所のガキどもが集まって、そうしてその晩の犠牲となった女の子を丸裸にし、検分し、やがて指と目の先は向かうべき場所に向かい、割れ目を指で開き、兄ちゃんたちの真似をして、恐る恐るベロを突っ込んだ時の、あの眩暈のするような快感を思った。あのオシッコの臭いのした女の子は、眠った振りをしているだけだと、後で教えられた。

 引っ込めるべき? それとも、さらに舌先をナメクジのように壁を這わせるべきなのか。
 壁には、ジャン・ミッシェル・バスキアがスプレー塗料で描く、あまりに生々しい抽象画が刻み込まれていた。抽象的なのに、過度にエッセンスが直截に示されていた。吹き付けられた塗料の偶然性に酷似した、しかし怜悧なまでに計算され尽くした、深刻さと紛らわしいほどに近似した滑稽な悲しみが突きつけられていた。
 そこには妥協の余地がなかった。フォートリエが描く泥の中に埋められ遺棄された捕虜の骸がケタケタと笑っていた。真っ暗闇なのに、あっけらかんとした笑みが宙に浮いているのだった。
 その笑みは、オレが橋から投げ棄てた女の笑みに似ていた。えげつないほどの抽象性、それはつまりは魂の性格そのものではないか。見える者には見える。目を閉じても、耳を塞いでも、心を閉ざしてさえも、見える、そんな救いようのない見え方なのだ。
 柳の枝垂れる細い葉っぱの後ろであいつが立って、こちらを伺っている。オレの来るのを待っている。純粋なる形となったあいつ。魂だけが凝縮された、それは幽霊。
 そうだ! オレは、あいつから逃げ回っているのだった。夢の中に現れ出る奴から必死になって逃げ惑っている。奴は月よりも執拗にオレを追い掛け回す。雲が出ようが、雨が降ろうが、槍が降ろうが、恭順の印にと目の玉を抉り出そうが、胃の腑を裏返すほどに反吐を浴びせ掛けようが、そんなことに一切頓着することなく、オレの目の前に立って、そうして、恨めしげにジッとオレを眺め上げる。
 そうだ! オレは、街中に、あの夢で見たあいつの姿の刻み込まれているだろう、壁を探しているのだ。


                          (04/11/05 作)

[ 本作品は、あるエッセイを下地に、虚構作品という特権を生かして、さらに妄想の念を高めてみたものです。元のエッセイは、「エッセイ祈りの部屋」にあります。バスキアとは、ジャン・ミッシェル・バスキアのことですが、名前、あるいは彼の世界と本作品の内容とは、架橋しようのないほど懸け離れているものと思います。(04/11/30 記) ]

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