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2004/11/28

ディープ・スペース(1)

「ディープ・スペース(1)」


 闇の宇宙を漂うものがある。フワフワプカプカ浮き漂っている。
 浮いている。漂っている。上も下も横も何も座標となる軸がない以上は、落ちていようと昇っていようと同じ事。
 もしかしたら、ただひたすらに迷い続けているだけなのかもしれない。
 絶対零度に常に最接近している光なき空間。前も後ろも分からない以上は、時間があるともないとも言いようがない。
 フワフワプカプカだなんて、言ってみたけれど、柔なようでいて、ゆったりのんびり宛てもなく彷徨っているように見えて、その実、無辺大の圧力に押し潰され、これ以上は不可能なほどに平らな体躯に圧延されてしまっているのかもしれない。
 闇が凝縮し結晶し光が常に透明なる結晶の中心部へと内向するかのような空間。凍て付き結晶し圧力に粉砕され、それらの素粒子よりも微細となった欠片たちが、さらにまた闇の凝縮力で固められてしまい、また、結晶へと純度を高めてしまう。
 その繰り返しの果ての、結晶よりも結晶らしい闇の宝石。
 滑(ぬめ)った柔らかな深紅の密室。闇と光との遭遇の場。天より舞い降りたる銀の糸。その糸から一滴の雫が伝い降り長き眠りに憩う巨大な黄色い楕円体を濡らす。楕円体の内部と外部とのシンパシーが成った時、無機質なる楕円体は滋養と慈愛に満ちた有機体となったのだ。
 奥襞への慕情。萌芽である完璧。そう、完璧なのだ。物語は、そのゆらめく珊瑚の環礁の中で夢見続けることで、完結するはずなのだ。
 が、絶対的なる密室空間は、突如、その正体を現し、蠕動し収縮を繰り返す煮え滾る地獄の釜と成り果てる。一個の形のない完全体を焔の舌先で押し出そうとする。一歩一歩、外部へと押しやっていく。決して後戻りを許さない。命を賭して、体力の限りを尽くして、断固、体外へと向わせる。
 胎内にも似た空間が分けもなく牙を剥き始めたのではない。秘壁に萌芽した楕円体が壁に附着し、やがて固着しようとでもいうように、食い込み、潜り込み、秘室の壁の滋養分を吸い上げ始めたからなのである。
 つまりは、母体にとっては楕円体は異物であり、敵であるという正体が露見してしまった。そうである以上は、自らを守るためには、徹底した忌避と排除という営為も、やむを得ざる仕儀だと言えるのかもしれない。
 肉の襞の表面に生い茂る絨毛(じゅうもう)は受精卵にとって、外へ向かう分には天使の来臨であるかのように優しさを装いつつビロードの感触で滑らせ流していくが、ちょっとでも後戻りの徴候を見せると、繊毛は無数の微細な刃の林となり、玉子を膾(なます)のように切り刻もうと待ち構えている。
 生まれ出でたなら忘れ果てるはずの刀林地獄幻想の端緒は、ほんの数個の細胞の塊の段階で細胞の核に忘れられるとしても消え果ることのない傷として刻み込まれていたのだろう。
 真っ赤な闇の中での肉襞との不即不離の絡み合い、異物でありつつ母体である閉じられた空間から、ブヨブヨとした肉と脂に満ち満ちた紅い闇の隧道の折り畳まれた中壁に全身隈なく愛撫され慰撫され時に無理なほどに撓められつつ、変幻を繰り返しながら原始の細胞群の固まりは、やがて、全く異質なる時空間に遭遇してしまう。まるで手応えがないような、限りなく透明なる闇の海。
 無際限に透明でありながら、時空の原質的素粒子に満ち満ちている。闇の無辺大の圧力と物質の活動の余地をほとんど奪い去ってしまう、ほぼ絶対零度の時空の圧倒的な力で以って、破砕されては、やがてまた同じ時空の爆発的な重力によって微細な破片となった微粒子のなれの果てどもが掻き集められ、凝縮され結晶化される……そんな繰り返しの果てしなく続く静寂の宇宙。
 音さえも呑み込まれ、破砕され、あるいは引き裂かれ、時に押し潰され、無数の素粒子の微動に、それとも時空そのものの波動に吸収されていく。そう、逆巻く波間に投じられた涙の雫のように砕ける飛沫の白い霧に掻き消されていく。
 残るのは、鼓膜を突き破り脳髄を揺るがす時空の震えだけ。
 時と空の綾なす四次元に渡って伸び広がっている闇の宇宙に命の原質の塊は畏怖する。恐怖する。が、同時に歓喜する。狂喜する。柵(しがらみ)の一切ない、縦横無尽の活動の許される、我が侭勝手なる世界への旅立ち。望みが、すなわち夢であり、夢の実現であり、具現化された夢の結晶が、すなわち我である世界。
 同時に実に重い荷重を担わせられるのか、まるで分かっていない、ツルツルな表面の命の固まりは、深紅の闇を放出されるかのように、それとも、鳥の舞い立つように飛び出し、凍て付いた宇宙のど真ん中に落ちる、昇る、滑る、飛ぶ、駆け上がる、跳ね飛ぶ、転げ落ち昇る。
 が、気がつけば、貯えていた僅かなエネルギーが、呆気なく消耗し、漏出し、拡散し、楕円体も凍結してしまう。無数の細胞群も、細胞の中身までが冷え切って、ついには細胞組織が原型を留めないほどに破壊されてしまう。
 所詮は、無数の微粒子の欠片の凝縮された結晶の霧の中に飲み込まれていくだけのことなのだろう…か。


                               (04/10/25)

[本シリーズ作品は、ホームページに掲載している、「ディープタイム/ディープブルー」の姉妹篇です。キーワードは、クラゲかも?! 以後、数回、同系統作品が続きます。]

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