やじきた問答(6)
「やじきた問答(6)」
弥次郎(以下、「やじ」と略する)と北八(以下、「きた」と略する)
との、或る日の問答です。
久しく喧嘩ばかりで、まともなお喋りなど、とんでもないという雰
囲気でしたが、さすがに、最近になって仲直りも果たせたようです
…。が、なんだか、今回は、しんみりした雰囲気が漂っています:
やじ:最近よ…
きた:さいきん? 細菌? ああ、なんだか最近、流行ってるらしい
な。梅雨だしな。黴菌の季節だしな。
やじ:流行ってるかどうか知らねえけどよ。
きた:ああ、白髪ね。霜降り頭だあな。しゃあ、あんめいよ。年だも
の。
やじ:おめえ、何の話、してんだ?
きた:白髪だろ。
やじ:どこから白髪の話になったんだ?
きた:だから、てめえが白髪が何とかって言ったじゃねえか。
やじ:白髪が…。馬鹿だね、知らねえけどよって言っただけじゃね
えか。
きた:虱(しらみ)だと。なんだい、藪から棒に。そりゃ、オレッチは
よ、頭は洗わないよ。
やじ:ひええ、てめえ、風呂、入らないのかよ。
きた:入るさ。だけどよ、頭は洗わないことにしてるのさ。
やじ:なんで、頭、洗わねえんだ? (と北八の頭を見遣る)
きた:じろじろ見るなって。別に髪が薄くなったこと、気にしてんじ
ゃねえぞ。
やじ:ま、無理すんな。触らぬ髪に祟りなしって言うしな。
きた:どうも、癇に障るな。
やじ:それを言うなら髪に触るな、だろうが。
きた:てめえも拘る奴だな。てめえにゃ、関係ねえだろうが。とにか
くよ、確かに頭は洗わねえけどよ、虱はさすがにいねえぞ。
やじ:いねえぞって、確かめたこと、あんのかよ。虫眼鏡で調べたっ
てえのか。
きた:そんなもん、頭が痒いかどうかで分からあな。
やじ:へん、面の皮も厚けりゃ、頭の皮だって厚いって道理で、虱が
巣食ってたって、おめえじゃ、気が付かねえってこと、あるんじ
ゃねえか、え?
きた:何、言ってんだ! 何なら、見せてやろうか、オレッチの頭。
やじ:いいよ、見たかねえよ、そんな汚ねえもん。
きた:だから、汚ねえはやめとこうって。
やじ:そうじゃなくえ、不衛生なもの、見せるなって、言ってるんだ、オ
レは。
きた:いんや、どうあっても、見せる。オレッチの沽券に関わるからな。
やじ:股間に触るって?
きた:いや、沽券に関わるって言ったんだ。
やじ:苔が集(たか)ってるって?
きた:誰が苔がどうしたって、言ったってんだ。沽券だよ、沽券!
やじ:虱は股間に巣食うよな。
きた:股間は救いようがねえだろう。
やじ:確かにな、それはお互いさまだあな。ん? で、何の話だっけ?
風呂に入るかどうかだっけ?
きた:そう、オレはちゃんと風呂に入ってるって…、そうじゃねえだろう。
やじ:おえめが突然、虱がどうしたとかって言うから変になったんじぇ
ねえか。
きた:だって、てめえが白髪に虱がどうしたとかって、言ったじゃねえ
か。
やじ:オレが虱の話を持ち出したって、とんだ言いがかりってもんだ。
きた:だって、白髪が虱でとかって…。
やじ:知らねえけどよって、言っただけじゃねえか。
きた:なんだ、知らねえを、白髪とか虱とかって、聞き間違えただけか。
かなり、無理があるな。
やじ:そうよ。ちゃんと知らないとかって、最初から言えばいいんだ。
きた:それにしても、知らねえを白髪とか虱とかって、ちょっと無理、あ
るよな。ま、見逃しておくけどよ。
やじ:内緒だけどよ。どうも、最近、書き手の奴、インスピレーションが
湧かなくて辛いとかって、こぼしてたぜ。
きた:ととと。なんだ、そのインチキがションとかって。
やじ:立ちションじゃねえやな。インスピレーションだよ。ん? てめえ
にゃ、横文字は鬼門だったっけな。
きた:何、言ってんだ、オレッチはよ、横文字は得意さ。横森良造って
えくらいだからな。現に横書きで喋ってるじゃねえか。オレが苦
手なのは、カタカナよ。
やじ:だっけか?
きた:で、書き手がどうしたって? 毛虱が痒くて、頭を掻いてるってか。
やじ:ああ、それもあるかもしれねえな。会うと、いつも、頭、掻いてる
からな。それも、股間をボリボリやった手で頭、掻くんだからな。
で、その手で原稿まで書くってえんだから、奴の文章の臭えこと!
汚えこと!
きた:おっと、汚えことはやめとこうぜ。
やじ:おお、そうだったな。それでさんざん、揉めたんだからな。
きた:で、そのエスカレーションがどうしたって。
やじ:エスカレーターじゃなくて、インスピレーション! 分かんねえ奴
だな。
きた:なんでもいいから、先、続けな。
やじ:うん。奴、オレ、とんでもない間違いをしたかもって、嘆いてたぜ。
きた:とんでもない間違い?! 何を今更じゃねえか。奴がこんなもん、
書くってこと自体が間違いだってこと、分かってねえのかな。
やじ:それを言っちゃあ、おしめえよ。可哀想じゃねえか。
きた:それもそうだな。苦し紛れなのは、分かりきったことだしな。奴も
生活があるから、何かしら、でっち上げねえと、生活が成り立た
ないんだろうし。で、奴の言う、とんでもねえ間違えってえのは、
何だ。
やじ:奴、名前を間違えたって、ぼやいてたんだ。
きた:名前、自分の名前を? じゃ、誰の名前と混同してたんだ?
やじ:じゃ、なくてよ。よりによって、オレの名前らしいんだってんだから、
情ねえじゃねえか。
きた:え? 自分の名前と虚構の登場人物の名前を間違えたって?
それじゃ、最初から全部、やり直しじゃねえか。
やじ:そうなのよ。
きた:で、どう、間違げえたって、奴、言ってるんだ?
やじ:オレの名前、知ってるよな。弥次郎ってんだ。
きた:知ってるぜ、それくらい。馬鹿にすんなって。
やじ:いや、馬鹿にするとかじゃなくてよ、奴が言うには、その弥次郎
って名前が勘違いらしいんだ。
きた:弥次郎が勘違いしたって。おめえ、何か勘違いしたのか、また。
でも、いつものことじゃねえか、お前が間違えるのは。
やじ:オレが勘違いしたんじゃなくて、書き手が弥次郎でトチったって
ことさ。
きた:でも、書き手と弥次郎は、建前からして、別人格なんだろう。
やじ:そりゃ、そうさ。
きた:どうも、言ってることが見えねえな。
やじ:あのよ、奴、自分じゃ、相当、教養があると自惚れてやがんだ。
きた:ああ、それは、みんな、言ってる。奴の教養なんて、高が知れて
るってえのに。でも、ま、可哀想だから、みんな、凄いですねって、
奴の重い体をよいしょして持ち上げてやってんだけどな。
で、奴の教養がどうした?
やじ:オレとてめえの名前は、奴が尊敬している十返舎一九の「東海
道中膝栗毛」から戴いているってこと、知ってるよな。
きた:そんなこたあ、言われなくたって、誰でも分かるさ。盗作、盗用
は奴のお手の物だからな。
やじ:し! それを言うなって。奴、自分が江戸時代の古典を諳んじ
られるって、それだけが奴の唯一の自慢の種さ。それもな、ここ
だけの話だけどな、奴が諳んじられるのは、「東海道中膝栗毛」
の中身の話じゃねえぞ、驚くな、タイトルと登場人物の名前を間
違いなく言暗唱できるってえ、それだけなんだから。
きた:ゲ! 呆れるね。でも、いいじゃあねえか。可愛いじゃねえか。
膝栗毛の意味も知らない奴らしいや。噂じゃ、今度、「公開道中
乳繰り毛」を書くとかってな。やめときゃいいのによ。
やじ:それが、そうでもないらしいぜ。
きた:どういうことだ。
やじ:奴、「東海道中膝栗毛」の肝腎の登場人物の名前を勘違いして
たらしいんだ。
きた:登場人物の名前? 弥次さん・喜多さんだろう。誰だって知って
らあな。
やじ:それがよ、奴、弥次郎と喜多八だと思い込んでいたらしいんだ。
きた:あちゃ!
やじ:で、弥次郎をもじってというか、親しみを込めて弥次さんだし、喜
多八さんじゃ、難しいから、北八とした上で、きたさんと呼ぶこと
にしたらしいんだ。
きた:だったら、それでいいじゃねえか。オレは名前なんて、全然、拘
らねえぞ。北八でも、東八でも、環八でもどうでもいいやな。おめ
えの名前だって、弥次郎だろうが、やじろべえだろうが、次郎吉
だろうが、オレはどうでもいいやな。ちゃんと付き合ってやるぜ。
やじ:次郎吉は、ちょっとな。盗人だし、市中引き回しのうえ最後は品
川の鈴ケ森刑場で獄門だったって話だし。そういや、香西かおり
さんのニュー・シングルが、『人生やじろべえ』だってな。
きた:どうして、ここに香西かおりが出てくるんだ? 頭の臭さで、かお
りつながりか?
やじ:そいつあ、かおりさんに失礼だろうが。いや、ただ、オレが好きだ
からよ。それに、おめえが、やじろべえなんて言うからじゃねえか。
きた:ったく。でも、言っておくがな、おめえさんよ、香西かおりのファン
らしいけど、新曲はもう、『白い雪』になってんだぞ。
やじ:げげ。やばい! オレとしたことが。
きた:それにしても、小説の登場人物の名前を勘違いして覚えている
なんて、奴らしいな。
やじ:まあな。オレとしては、名前を間違えて付けられたってことに、ち
ょっとばかり、癪な気持ちもあるけど、ま、奴が付けたんじゃ、この
程度かなって諦めてるけどな。
きた:じゃ、作者の奴も諦めればいいのにな。
やじ:ところでよ、奴が十返舎一九を尊敬しているのは、どうやら、作
品の中身とかって、そんな高尚な理由じゃねえらしいんだ。
きた:ってえと?
やじ:十返舎一九が、原稿料だけで生活を維持できた最初の職業作
家だってえいう、それだけの理由なんだから。
きた:だろうな。想像できるぜ。
やじ:なのに、自分は名前さえ、勘違いしてしまった。ああ、これじゃ、
印税生活も夢の夢だって、嘆いているってえわけさ。
きた:そうか、奴の嘆きってえのは、そんなとこか。
やじ:ただな…。
きた:ただ、なんだ。
やじ:ここまで来て、オレ、ふと、思い出したんだけど、「東海道中膝栗
毛」の登場人物の名前って、弥次郎兵衛と喜多八じゃなかった
っけかって。
きた:弥次郎兵衛と喜多八?! ん? そういや、そうだったな。
やじ:でも、落ち込んでる奴に、今更、あなた、間違ってないですよ、な
んて言えないじゃねえか。
きた:そりゃ、そうだ。でも、なんだ、それじゃ、書き手が勘違いしていて、
登場人物のほうが正しく状況を理解しているって、一体、どういう
こった? 訳が分からんぞ。
やじ:それが、いかにも奴らしいエピソードってことになるのかもな。
きた:あーあ、だな。登場人物してるのが、情なくなるな。ま、オレたち
ゃ、大人だし、奴の調子に合わせておくさ。
やじ:ま、勉強嫌い、人嫌いじゃ、土台、印税生活なんて、無理なこと
さ。
きた:な、奴だって、名前を無精庵って自称してるくらいだから、少しは
自覚してるんだろうな。
やじ:それがそうでもねえから、哀れじゃないか。無精庵の無精はよ、
最初、無性にの無性を使うはずだったんだ。つまりよ、無性にカネ
が欲しいって意味でな。でも、さすがに正直すぎるってんで、無精
で誤魔化しらってえ噂だぜ。
きた:あーあ、奴、身の程を知って、駄洒落問答でも繰り広げていりゃ、
お似合いってものなのにな。
やじ:だから、俺たちがここにいるんじゃねえか。
きた:あ、そっか?! 俺たちは奴の玩具ってえわけか。やになってき
たな。
やじ:だから、やにきたを洒落て、やじきた問答ってえわけさ。
きた:がっかりだな。
やじ:所詮、こんなもんよ。
(04/06/27)
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