2010/01/31

夢、それとも記…憶の世界

 今朝、長い夢を見た。
 うんざりするほど長い、長い夢だった。
 が、目覚めた瞬間、全ては潰え去った。
 胸騒ぎだけが夢を証していた。

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 夢は曖昧模糊たるものなのだろうか。
 違うのではないか。
 思い出し掴もうとするから、指の透き間から零れ去る、でなければ雲か霞と化す、あるいは地上に落下した豆腐のようになってしまうのだろう。
 夢の中では、全てが確然としている。
 何かが確かにそこにある。
 現実の中では叶わない、断言の世界がそこにある。


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2010/01/17

記憶の欠片

 この日、三度目の仮眠を取ろうとしていた時のことだった。

 ベッドに身を横たえ、目を閉じようとしたら、ふと、胸の痛みを伴って、何かの記憶の断片が脳裏を過(よ)ぎった。

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←  オレの足あとだけが点々と連なっている。

 あまりに像が鮮やかなので、自分が今、ホントにそこにいると思えてならなかった。
 誰かを待っている…、それとも、誰かを追っている…。
 あるいは、誰彼に逸れてしまっただけなのかもしれない。

 眠ることへの恐怖が、怯えがそんな遠い日の残像を呼び起し、睡魔への無為な抵抗を試みさせているのかもしれない。


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2010/01/05

真夏の夜の夢の旅

(前略)当時は国道さえ、一部は舗装されていなくて砂利道だったりする。
 道が分からないのだから、ひたすら国道に沿って走っているつもりなのだが、曲がりくねる砂利道を長く走っているうちに日が暮れてしまった。周辺も空も真っ暗闇。街灯などない。民家もなくて、しかも、道はドンドン山の中へと呑み込まれて行くようでもある。

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 どれほど走ったことだろう。不安も頂点に達していた。幸い、夏の雨に祟られることのなかったのは助かったと今でも思う。あれで雨に降られていたら、途方に暮れていたに違いないのだ。

 闇の道をよりによって一層、深い闇の世界へ分け入っていくような感覚があった。
 盛り上がるような黒い影。きっと鬱蒼と生い茂る森か林が黒い物塊となって自分に圧し掛かろうとしているに違いない。
 中古のバイクのヘッドライトは、懐中電灯じゃないかと思われるほどに頼りない。本当に照射しているのか、前に回って確かめてみたくなる。いっそのこと、懐中電灯で照らしたほうが余程、明るいのじゃないかとバイクに突っ込みを入れてみたくなる。
 でも、しない。突っ込んだ挙げ句、バイクに逆切れされても困る。下手するとバイクの奴、自棄を起こして、藪に突っ込むかもしれない。それでは薮蛇である。

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2009/12/16

クリスマス小風景

 クリスマスの飾り付けで色めく街中を人々が忙しげに、あるいは賑やかに歩きすぎていく。冷たい空気の中だけれど、そうした人たちには熱気が漂っているようで、寒ささえ、心の温みへの郷愁を誘う小道具のようだ。

 が、そうした活気に満ちた町の片隅を、時折、どこか寂しげな影が過ぎていくこともある。
 車の中で信号待ちをしていると、闊歩する連中より、何故かそうした影に小生は注意が向いてしまう。きっと、自分もそうした仲間だと感じているからだろう。

 そう、今年も小生は一人っきりのクリスマスを迎える。バレンタインデーも誕生日も、そうだったように。
 小生はもう、既にいい年齢を迎えている。今更、そんな賑やかなざわめきが自分を取り巻いてくれなくても、別段、寂しいとは思わない。
 でも、そのポツン、ポツンと見える影は、どこまでも寂しそうに見えてならないのだ。あの子達が、体を常に街灯やショーウインドーに背を向けるように努めているのが、痛いほど分かる。
 顔の表情を曝したくないのだ。

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2009/12/13

我がタクシードライバー時代の事件簿(番外編:夜間飛行)

夜間飛行を堪能する

 真夜中の高速道路を一路、都心を目指してタクシーを巡航させる。ほんの一瞬だけれど、ふと、「夜間飛行」という言葉が脳裏を過(よぎ)ることがある。
 この言葉、そして感覚が不意に浮上してくるのは、あくまで帰路である。往路では、まずそんな経験はない。
(中略)
往路は、上記したように、行灯が消えているので、タクシーも普通車も区別がない。少なからぬ車が黒っぽい塊と化して下りの道をひた走っているだけである。
 
 それが、夜半過ぎの帰路となると、様子は一変する。

 そう、一般の車は数えるほどだし、トラックも少ない。時に、高速道路上を走っているのは岐路を急ぐタクシーだけだったりする。そして、そのタクシーのバラけた群れは、それぞれの車の上の行灯に灯りが灯っている。

 夜半を回った高速道路を都心を目指してひた走る。すると、夜の闇の中を朧に光る黒に近い灰色の幅広い帯がまっすぐに走っている。帯には路肩や車線を示す白いラインが描かれている。防音壁がまた夜の川を土手のように闇にどこまでも続いていく。

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2009/11/28

赤い闇

 初めに何があったのだろう。
 何一つ、覚えていない。

 忘れてしまった?
 それとも、最初から記憶の網に掛かっていなかった?
 ある言い知れない不快感。
 いや、不快の念というより、ある種の裂け目。
 引き裂かれる痛み。
 …痛みさえ、覚えることのできない痛烈な捩れ。

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2009/10/18

母と息子の「カラス なぜなくの」談義

「からす なぜなくの」 「それはね、からすは山に かわいい七つの 子があるからよ...

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2009/10/13

カラスのことあれこれ

 小生の気のせいかと思っていたら、どうやら実際に東京ではカラスの数が減ってきているようである。なんらかの形で数えられているのかどうかは知らないが、そういう話を耳にするようになってきた。

 そういえば、いつだったか、東京都知事の石原慎太郎氏が、東京のカラスの数が減っているという話をしていたような。いつだったかの談話で、都内の白いハトは、カラスの跋扈のため駆逐され、黒っぽいカラスばかりが目立つようになったのだとか。

 そうか、小生は、東京のスモッグなどのせいでハトが薄汚れているのだとばかり思っていた。とんだ勘違いだったのだ。

 余談だが、過日、両国にある東京江戸博物館に行った際、博物館を出て、近くに止めておいたスクーターのところへ戻って、ヘルメットを被ろうとしていたら、カラスが、トコトコ歩いている。驚いたのは、背中などの模様の美しさ。虹の七色のような色が明瞭に発色している。

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2009/09/23

ディープブルー

「国稚(わか)く浮べる脂の如くして、くらげなすただよへる時、葦牙(あしかび)の如く萌え騰(あが)る物に因りて…」

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← 本作は、この絵に触発されて創作したものの一つです。絵は、なずなさんの手になります。同氏は、こんな作品が生まれようとは、夢にも思わなかった、不本意と思っている…かも。

 夢の中にいる。夢だと分かっている。間違いなく夢に違いないのだ。そんな世界がありえるはずがないし。
 でも、この世界から抜け出せない。上も下も右も左も、どっちを向いても、水である。水に浸されている。口を固く閉じているつもりだけど、つい油断して口を開けてしまう。すると、口の中に水が浸入してくる。水が口中だけじゃなく、喉にまで入り込み、内臓をも水浸しにしてしまう。

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2009/09/09

秋茄子と言えば

秋茄子と言えば」(本稿は駄文です!)

 例えば、中森明菜さんが、明菜’sなんていう自分のブランドを作ってみるとか(当然、シンボルはナスなんでしょうが)思うのは、可愛げ気があるけど、かの中世の神学者・哲学者、トマス・アクィナス(Thomas Aquinas)などを思い出す、なんて言うと、教養をひけらかすようで、ちょっと気が引ける。
 まあ、駄洒落はともかく、秋茄子と言うと、秋茄子は嫁に食わすなという昔からの言い伝えというか、諺がある。
 意味合いは、一頃は、「秋茄子はとっても美味しいので嫁には食べさせるのはもったいない」とか、「秋茄子は種が無いので嫁に子供が出来ない事を気遣う」などという意味なのだと、言い習わされたりもしたものだが、クイズなどによく採り上げられ、今では、「ナスは、体を冷やすので食べ過ぎるのは体に良くない」ので特に嫁には食べさせないほうがいいのだという思いやり乃至は知恵の含まれた諺だと理解されてきている。

 泉鏡花に『雁われの秋茄子は所帶の珍味』という極めて短い作品がある。

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