<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>

<rdf:RDF
  xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
  xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
  xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
  xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/"
  xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
  xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/"
  xmlns="http://purl.org/rss/1.0/">

<channel rdf:about="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/">
<title>壺中山紫庵</title>
<link>http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/</link>
<description>国見弥一の「壺中山紫庵（こちゅうさんしあん）」です。季語随筆読書創作愚痴日記…富山情報も。創作は「壺中方丈庵」、ネットやリアルの絵画巡りエッセイやレポートは「壺中水明庵」へ！　 コメント、トラックバックは大歓迎。但し、一旦、留保の上、サイト主の確認の上で公開します。</description>
<dc:language>ja-JP</dc:language>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2008-05-12T10:59:51+09:00</dc:date>
<admin:generatorAgent rdf:resource="http://www.typepad.com/" />


<items>
<rdf:Seq><rdf:li rdf:resource="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_db17.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_3ded.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_5c58.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_2d3b.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/i_3265.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_9362.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_e9f8.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_b44f.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_a4a2.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_e78a.html" />
</rdf:Seq>
</items>

</channel>

<item rdf:about="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_db17.html">
<title>お地蔵さん……ん？（前篇）</title>
<link>http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_db17.html</link>
<description>「お地蔵さん」 　田舎の我が家の前には地蔵堂があり、その中には記憶では３３体のお...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;「&lt;a href=&quot;http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/essay/ojizou.htm&quot;&gt;お地蔵さん&lt;/a&gt;」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　田舎の我が家の前には地蔵堂があり、その中には記憶では３３体のお地蔵様が祀られてある。３３体という数は曖昧である。子供の頃に父か母に、それだけの数の地蔵さんが安置されてあると聞いただけで、その頃は、ふん、そう、で終わっていた。&lt;br /&gt;
　お地蔵さんの数がこれだけ揃っているのは珍しいのだ、とも、その時に聞いたような気がするが、関心のないガキの耳は素通りするばかりだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/05/12/080512ka1_2.jpg&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;080512ka1_2&quot; title=&quot;080512ka1_2&quot; src=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/images/2008/05/12/080512ka1_2.jpg&quot; width=&quot;240&quot; height=&quot;133&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;←　地蔵堂と思い込んでいたが、その実…。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　もう、十年以上の昔になるが、古い木造の地蔵堂は改築されてコンクリート製の立派なものになった。その際、地蔵堂の向きも、それまでは我が家に直面していたのがＡ家に正対する向きに変わった。&lt;br /&gt;
　老朽化の故に改築するのは分かるとして、何故、向きまで変わったのだろうか。地元の富豪で、蔵が三つあるＡ家の威光なのだろうか。&lt;br /&gt;
　それとも、単に、我が家と地蔵堂の間の道が狭く（車は擦れ違えない）、それに対し、Ａ家と現行の地蔵堂の間の道のほうが、やや広く、車の通行量も人通りも多いからなのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　恐らくは後者の理由によるものなのだろう。堂の立派さより、向きが変わったことに、なんとなく我が家の没落（小生のような不肖の息子が出たため ? !）を象徴するようで、改築なった地蔵堂を帰省した際に眺めて、訳もなく僻んでみたりしたものだった。&lt;br /&gt;
　理由はどうあれ、そんなに安易に向きを変えていいものなのだろうか。我が家（西）に向いて地蔵堂が建てられてあったのにも、謂れがあったのではないのか。西方浄土とも言うではないか。当初の地蔵堂の設置の事情の知らない小生には、何も言えないのが歯痒い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/05/12/07_0201.jpg&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;07_0201&quot; title=&quot;07_0201&quot; src=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/images/2008/05/12/07_0201.jpg&quot; width=&quot;220&quot; height=&quot;165&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: right; margin: 0px 0px 5px 5px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;→　昨年１月末日、都内某所にて撮影。「&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2007/02/post_37e1.html&quot;&gt;夢うつつ気づかぬうちの月替わり&lt;/a&gt;」参照。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それにしても、（３３体かどうかは別にして）あれだけ多数の地蔵さんが祀られてあるというのは、やはり凄い、とは思う。何かの事情（洪水、道路の改修その他）があって、地元に散在していたお地蔵さんが集められ祀られたのだろうか。&lt;br /&gt;
　お地蔵さんではなく、地蔵と称した場合は、地蔵菩薩の略だという。広辞苑での説明の一部を引用すると、「釈尊の入滅後、弥勒仏の出生するまでの間、無仏の世界に住して六道の衆生を教化・救済するという菩薩。（略）日本では平安時代より盛んに尊信される」とある。&lt;br /&gt;
　広辞苑で「お地蔵さん」ないし「お地蔵様」で引いても、該当項目なしである。やはり、お地蔵さんというのは地蔵であり、地蔵菩薩の略と考えるしかないのか。&lt;br /&gt;
　けれど、単なる略ではなく、簡略化されると同時に、庶民性が高まったとは言えるような気がする。&lt;br /&gt;
　多くのお地蔵さんは、道端にあり、風雨に晒されたままであり、よくても、簡易な木の屋根が施されているだけである。石に彫られた顔も、優しげであり、子供の表情を思わせる。&lt;br /&gt;
　あるいは、本当に子供を模しているのかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/05/12/07_0106.jpg&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;07_0106&quot; title=&quot;07_0106&quot; src=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/images/2008/05/12/07_0106.jpg&quot; width=&quot;220&quot; height=&quot;164&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;←　昨年正月五日、都内某所にて。首がない！「&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2007/01/post_0a40.html&quot;&gt;芋銭さん牛久の魑魅を愛しけり&lt;/a&gt;」参照。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　小生は田舎を離れて久しい。もう、三十年になる。子供の頃の風習がどのようだったかは、大概、記憶は曖昧である。&lt;br /&gt;
　小生が田舎にいた頃…、物心付いた頃にはすでに朽ち始めていた地蔵堂で、年に一度は祭りのようなものが開かれていたような気がするが、あるいは夏祭りと混同しているのかもしれない。&lt;br /&gt;
　京都では、「&lt;a href=&quot;http://www50.tok2.com/home/myunclek/jizo.htm&quot;&gt;地蔵盆&lt;/a&gt;」が盛んだと聞く。&lt;br /&gt;
　富山にも「&lt;a href=&quot;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E7%9B%86&quot;&gt;地蔵盆&lt;/a&gt;」のような風習があったものかどうか、小生は知らない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　富山の地蔵さん、ということで、例えば下記のサイトを見てみると、やはり富山の一部にも地蔵盆の風習があったようである：&lt;br /&gt;
「&lt;a href=&quot;http://dokaikyo.or.jp/yomimono/matsuri/248_mtr.pdf&quot;&gt;農業・水と祭り 　『地蔵への信仰が原点』− つくりもんまつり −富山県福岡町／岡村　直樹&lt;/a&gt;」&lt;br /&gt;
　但し、地蔵盆というと、やはり京都やその周辺をメインにするようだ。&lt;br /&gt;
「&lt;a href=&quot;http://www2g.biglobe.ne.jp/~gomma/index.html&quot;&gt;めざせNATIVE 関西人&lt;/a&gt;」内で見出した説明を引用させてもらう：&lt;br /&gt;
&lt;blockquote&gt;「&lt;a href=&quot;http://www.bk1.jp/product/00850231&quot;&gt;道祖神と地蔵&lt;/a&gt;」（大島建彦著・三弥井書店刊）によると、「関西方面の事例としては、京都の市中やその周辺で、八月二十三日の前後に、いわゆる地蔵盆の行事をおこなうことが思いおこされる。」とあります。一方で、「群馬県の前橋・高崎両市から、榛名の山麓の一帯にかけて、月遅れの盆の八月の間に、こどもや若者の仲間が、堤燈や万燈などをつらね、鉦や太鼓などではやして、和讃や念仏をとなえながら、地蔵の像をかついで、村中の家々をまわりあるくことが知られている」と、関東でも盆時期に地蔵に関する祭事が行われている（以下、略）&lt;/blockquote&gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（続く）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>伝統・民俗学</dc:subject>
<dc:subject>思い出話</dc:subject>
<dc:subject>旅行・地域</dc:subject>
<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>
<dc:subject>旧稿を温めます</dc:subject>

<dc:creator>国見弥一</dc:creator>
<dc:date>2008-05-12T10:59:51+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_3ded.html">
<title>「異端の画家か　絵金！」アップ</title>
<link>http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_3ded.html</link>
<description>「異端の画家か　絵金！」アップ！...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;「&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2008/05/post_928d.html&quot;&gt;異端の画家か　絵金！&lt;/a&gt;」アップ！&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>お知らせ</dc:subject>
<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>
<dc:subject>美術エッセイ</dc:subject>

<dc:creator>国見弥一</dc:creator>
<dc:date>2008-05-11T11:26:53+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_5c58.html">
<title>開かずの書棚を覗いたら（後篇）</title>
<link>http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_5c58.html</link>
<description>　結果から言うと、拍子抜けの感が否めない。 　プラトン全集、ショーペンハウアー全...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　結果から言うと、拍子抜けの感が否めない。&lt;br /&gt;
　プラトン全集、ショーペンハウアー全集、小泉八雲関連書籍、埴谷雄高関連書籍、ユングやメルロー・ポンティ著作、マルクスの『資本論』、ドストエフスキー全集（二種類）…などなど。&lt;br /&gt;
　思ったほど意外な本には再会できなかった。&lt;br /&gt;
　まあ、取り留めのない読書をしていた小生のスタイルは昔も今も変わらないということか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/05/09/2008_0509071003tonai0035.jpg&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;2008_0509071003tonai0035&quot; title=&quot;2008_0509071003tonai0035&quot; src=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/images/2008/05/09/2008_0509071003tonai0035.jpg&quot; width=&quot;160&quot; height=&quot;213&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: right; margin: 0px 0px 5px 5px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;→　ようやく開いたガラス戸（上段）。中の雑物は取り除いて撮影。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そういった蔵書より、居並ぶ本の上や隅っこ、何故か後ろ側に隠されるようにして（？）あったその他の雑物が興味深かった。&lt;br /&gt;
　小生が７８年に仙台から上京しアルバイト生活を送るようになった、そんな時期の生活ぶりを裏書きする諸々のものが少なからず見つかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　小生は１５歳の頃から（手書きの）日記をつけていて、その習慣は今も続いている。その&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2007/11/post_a17f.html&quot;&gt;手書きの日記は唯一の例外を除いては一切公開したことがない&lt;/a&gt;（見せるに値しない）。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　小生の日記の特徴は、一人暮らしを始めた１８歳以降、一貫しているが、家計簿を兼ねていること。といっても、集計はほんの一時期を除いてしていないのだが。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　要は買い物をした際の領収書は、入手した分に付いては日記の当該の頁に貼り付けるか挟むかして、とにかく全て保存していること。&lt;br /&gt;
　保存癖が徹底しているというのか、それとも捨てられないだけなのか、領収書は無論のこと、美術展や映画館などの入場券（判を押されているか、半券になっている）、アパートの契約書、古い通帳（何十冊）、手紙・葉書類…。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/05/09/2008_0509071003tonai0038.jpg&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;2008_0509071003tonai0038&quot; title=&quot;2008_0509071003tonai0038&quot; src=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/images/2008/05/09/2008_0509071003tonai0038.jpg&quot; width=&quot;160&quot; height=&quot;213&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;←　書棚の下段（久しく開かなかった右側）。プラスチックの容器の中に細々と、フリーター時代のものが。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　東京暮らしの最初の十数年くらいまでは、せっせとダンボールに詰めて田舎に送付していたので、今から二十年ほど前までのものは大概は残っているやもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今から二十年ほど前から以降のものは？&lt;br /&gt;
　ずっと同じ習慣（性癖というべきか）は保っていたので、つい最近まではあった！&lt;br /&gt;
　そう、今年二月末の帰郷（引越し）の際に部屋にあった雑物はほとんどを捨て去った。図録を含め蔵書さえ手放したのだ、瑣末なものなど引越し荷物に加えられるはずもない。&lt;br /&gt;
　何しろ、この二十年の手紙・葉書類も捨てたのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　まだ、断言はできないが、住所録も見当たらない。&lt;br /&gt;
　住所録は温存したつもりだったのだが、間違って捨ててしまったのか、引越し荷物のダンボール箱の何処かに埋れているのか。&lt;br /&gt;
　三月になって旧友から携帯で引越しの挨拶の葉書を出せよ、なんて言われたが、誰にも出せない！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/05/09/0805091.jpg&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;0805091&quot; title=&quot;0805091&quot; src=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/images/2008/05/09/0805091.jpg&quot; width=&quot;250&quot; height=&quot;139&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: right; margin: 0px 0px 5px 5px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;→　せっかくなので、焦げ茶色のガラス書棚の中など。中の蔵書は十年ほど前に収納したもので、小生にとって目新しくはない。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さて、古い書棚からはいろんな細々したものが出てきた。&lt;br /&gt;
　例えば栞（しおり）。&lt;br /&gt;
　小生は美術展のチラシと栞を集めるのが趣味と言えば趣味かもしれない。チラシは美術展に行った際に入手し、栞は当然ながら本を買い求める際にゲットする。&lt;br /&gt;
　が、数十枚の栞を見ていて思い出が蘇った。&lt;br /&gt;
　このほとんどは、フリーター時代、バイト先で女子社員に貰ったものだったのだ。休憩の時だったか、仕事の最中のお喋りでだったか、小生が栞を集めている、なんてポロッと漏らしたのを覚えていてくれたのだろう、その社員さんが何十枚かを持ってきてくれたのだった！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　栞もチラシも、このところの手元不如意で共に蒐集が頓挫したままなのが淋しいが。&lt;br /&gt;
　でも栞が数十枚出てきたのは嬉しい、チラシも栞も引越し騒ぎにも紛れることなく三十年の間に集めたものを死守しているから、目出度く新旧の栞やチラシたちが合流と相成るわけだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　上でアパートの契約書などと書いているが、同時に東京暮らしを始めて間もない頃の年金手帳が出てきた。&lt;br /&gt;
　自分で殊勝にも年金に加入するはずもないから、バイト先の仲間に言われたのか、親に言われたのか。&lt;br /&gt;
　これで（多分断続的な納入だろうが）国民年金の加入歴は３０年に及ぶかもしれない（未確認）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そのほかわけの分からないモノが種々雑多出てきた。&lt;br /&gt;
　でも、金目のものだけは出てこない！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/05/10/080510.jpg&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;080510&quot; title=&quot;080510&quot; src=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/images/2008/05/10/080510.jpg&quot; width=&quot;140&quot; height=&quot;192&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;←　一部だけ公開。学生時代に使っていた簡易髪切り、爪切り、バイクの免許証入れ（仙台の自動車学校で貰った）、万年筆とスペアーのインク、インク消し、シャープペンの替え芯、ピンセット、印鑑入れ、部屋代の手帳、ナイフ！　&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　…出てくるはずもないが。&lt;br /&gt;
　ただ、切手シートが多少ある！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　これは当然のことだが、１５歳から二十歳までの日記・手紙・葉書の類いは一切出てこない。&lt;br /&gt;
　高校時代の日記は卒業の際に燃やしたし、大学に入って二年目までのものは二十歳の帰省の折にそれぞれ自宅のドラム缶ですべて焼却したのだ。&lt;br /&gt;
　一番熱かった時期の心の記録はもうこの世にはない。&lt;br /&gt;
　従って、開かずの扉をどれほど開いても現れてはこない。&lt;br /&gt;
　記憶や思い出という書庫には、あるいは焼け焦げ断片となった目には見えない記録が残っているような気がするのだけれど。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>思い出話</dc:subject>
<dc:subject>恋愛・心と体</dc:subject>
<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>
<dc:subject>駄洒落・戯文・駄文</dc:subject>

<dc:creator>国見弥一</dc:creator>
<dc:date>2008-05-10T14:21:52+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_2d3b.html">
<title>開かずの書棚を覗いたら（前篇）</title>
<link>http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_2d3b.html</link>
<description>　家には古い書棚がある。曇りガラスの開き戸のある立派なもの。 　別に年代物だとか...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　家には古い書棚がある。曇りガラスの開き戸のある立派なもの。&lt;br /&gt;
　別に年代物だとか値打ちがありそうだとか、そんなことじゃなく、単に古いってだけ。&lt;br /&gt;
　その証拠（？）にそもそも扉（戸）が開かない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/05/08/0805081.jpg&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;0805081&quot; title=&quot;0805081&quot; src=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/images/2008/05/08/0805081.jpg&quot; width=&quot;140&quot; height=&quot;251&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;←　久しく開かずのままだった書棚。特に右側は戸が全く動かなかった。何とか開けてみたら…。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　読書家で本に限らず物を大切にする父が、小生が物心付いた頃にはあったから、５０年ほど前（？）に買ったものらしい。&lt;br /&gt;
　小学何年生の頃だったかは覚えていないが、その中にはエラリー・クイーンなどの推理小説など文学全集や文庫本がびっしり詰まっていた、という記憶…印象がある。&lt;br /&gt;
　小生が郷里を離れ学生時代も過ぎた頃、父母は田圃の規模を縮小した際に、元は土間だった場所を寝所（兼書斎）に作り変えた。&lt;br /&gt;
　父の古い書棚の蔵書の大半は、寝所などに組み込んだ書棚へ、あるいは整理・処分となったようだ。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　小生がフリーターだったかサラリーマンになった頃、いつものようにバイクで帰省し、小生の寝起きする奥の部屋の隣に昔と変わらず鎮座しているその古びた書棚の戸を何気なく開いてみたら、中には小生の本がびっしり詰まっていたのだった。&lt;br /&gt;
　小生が東京で暮らして買い溜めた本を、狭い部屋には置ききれず、捨てるのも忍びなく、ダンボールに詰め込んでは田舎に送っていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そのダンボール箱はそのまま開梱しないで蔵に置いておいてくれればいい、電話ではそう伝えておいて。&lt;br /&gt;
　自分では、だから東京から送った本はダンボール箱に入ったまま蔵に蔵置されているものと思い込んでいた。&lt;br /&gt;
　それが、ある時、親切にもダンボール箱が開かれ、その古い書棚などにきちんと収納されていることに気付いた、というわけである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ちょっとショックだった。&lt;br /&gt;
　何故なら田舎に送付したダンボールには本や雑誌だけじゃなく、せっせと書き溜めてきた日記も同梱していたから。&lt;br /&gt;
　父や母のことだ、間違いなく読んでいる！&lt;br /&gt;
　以来、小生は手書きの日記は、もともと下手な金釘流の字だったけれど、それをさらにさらに崩して自分でも判読がほとんど困難な字に変えたものである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　古い書棚、その＜事件？＞があった頃より更に年月が経ち、本が収納しきれなくなった。ダンボールは開梱されないまま蔵へ。&lt;br /&gt;
　しかも本が収納しきれなくなったばかりでなく、いつしか戸が開けづらくなってしまっていた。&lt;br /&gt;
　そもそも家自体が老朽化したこともあ。小生が居住する部屋は畳が波を打っているし、廊下には天井の透き間から風どころか枯葉などのゴミや埃が吹き込み舞い込んでくる。出入りする戸もぴったり閉めることはできない。&lt;br /&gt;
　古びた書棚のある部屋の畳みも同様。&lt;br /&gt;
　だから長年のうちに書棚もそれ自体の経年変化も加わって歪んできてしまったのだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/05/08/0805082.jpg&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;0805082&quot; title=&quot;0805082&quot; src=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/images/2008/05/08/0805082.jpg&quot; width=&quot;140&quot; height=&quot;251&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: right; margin: 0px 0px 5px 5px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;→　こちらの書棚も相当に古くからある。ちゃんと開くので、中にどんな蔵書があるか大よそは把握している。ただ、周辺に荷物が山積みなので、この数年は覗いていなかった。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さて、昨夜のことである。&lt;br /&gt;
　小生は読む本に窮していた。手元不如意で新刊は買えない（帰郷して先日初めて目出度くも一冊本を買った！）。富山の図書館事情が悪い（蔵書が淋しかったり、工事中だったり）。&lt;br /&gt;
　で、帰郷してからは引越し騒ぎで蔵書の大半を整理した、その嵐を掻い潜って辛うじて残った、主に箱入りの本をちびりちびりと読んで読書欲を誤魔化している。&lt;br /&gt;
　それもそろそろ読み尽くし、いよいよ読む本に窮してきてしまったというわけである。&lt;br /&gt;
　こうなると、開かずの扉を是が非でも開けなければならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　小生の居住する部屋の隣の部屋というのは仏間である。&lt;br /&gt;
　その仏間の一角に古い書棚がある。&lt;br /&gt;
　父母も寝静まった夜中、仏間の灯りを点け、書棚の前に立った。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　書棚の戸が開かないと書いたが、片側の戸が半分ほどは何とか開けられる。&lt;br /&gt;
　説明が遅れたが、書棚は上下になっていて、それを積み重ねている。&lt;br /&gt;
　且つ、それぞれの書棚は左右に仕切られている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　なので、書棚の向って左側の半分の、そのまた一部は垣間見ることがこれまでも出来ていた。&lt;br /&gt;
　昨夜はいよいよ全開に挑戦、というわけである。&lt;br /&gt;
　記憶を辿ると、書棚の右側は、あるいはこれまで自分では一度も開いたことはなかった。&lt;br /&gt;
　そんなことにも今更ながら気付かされた。&lt;br /&gt;
　日記が下側の書棚の左側前方部に何冊も並べられていることに衝撃を受け、爾来、自分の中で開かずの扉扱いになっていたようでもある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/05/09/2008_0509071003tonai0032.jpg&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;2008_0509071003tonai0032&quot; title=&quot;2008_0509071003tonai0032&quot; src=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/images/2008/05/09/2008_0509071003tonai0032.jpg&quot; width=&quot;160&quot; height=&quot;213&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;←　曇りガラス戸の書棚の全体。赤茶けて見えるのは、父の煙草のせいか、もともとの木目の色合いなのか分からない。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そっか、右側は、上下の書棚共に記憶では全く開けたことがなかったのだ。&lt;br /&gt;
　多分、いくらなんでも日記を発見した時には右側にだって、何が安置されているか、興味津々で、開けようと頑張ったに違いない。&lt;br /&gt;
　が、当時既に簡単には戸が滑らないようになってしまっていたのだ。&lt;br /&gt;
　だったら、いいや、開けない！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そんな頃から何十年が経ったことだろう。&lt;br /&gt;
　二十年か。&lt;br /&gt;
　読む本がない。&lt;br /&gt;
　一冊だけは分厚いのを買っていて、あと一週間は読了できないはず。&lt;br /&gt;
　でも、寝床で読む本はないし、いずれにしても新刊は読み終わる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　切羽詰った状態だった。&lt;br /&gt;
　開けるしかない。&lt;br /&gt;
　どんな本や雑誌が安泰なままに我が手、我が目に触れられることを待っているのか。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>思い出話</dc:subject>
<dc:subject>恋愛・心と体</dc:subject>
<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>国見弥一</dc:creator>
<dc:date>2008-05-09T11:19:18+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/i_3265.html">
<title>「デューラー『メランコリア　I』の周辺」アップ</title>
<link>http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/i_3265.html</link>
<description>「デューラー『メランコリア　I』の周辺」アップ！...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;「&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2008/05/post_504d.html&quot;&gt;デューラー『メランコリア　I』の周辺&lt;/a&gt;」アップ！&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>お知らせ</dc:subject>
<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>
<dc:subject>美術エッセイ</dc:subject>

<dc:creator>国見弥一</dc:creator>
<dc:date>2008-05-08T11:34:03+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_9362.html">
<title>「葛」のことグズグズと</title>
<link>http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_9362.html</link>
<description>「葛湯から古代を想う」にて、「葛湯」「葛飾」「葛西」と、「葛（くず）」繋がりの雑...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;「&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2005/12/post_8240.html&quot;&gt;葛湯から古代を想う&lt;/a&gt;」にて、「葛湯」「葛飾」「葛西」と、「葛（くず）」繋がりの雑文を書いたことがある。&lt;br /&gt;
&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/05/06/9400_sh_475f375a594cf.jpg&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;9400_sh_475f375a594cf&quot; title=&quot;9400_sh_475f375a594cf&quot; src=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/images/2008/05/06/9400_sh_475f375a594cf.jpg&quot; width=&quot;210&quot; height=&quot;148&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: right; margin: 0px 0px 5px 5px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;→　&lt;a href=&quot;http://ohse-kohime.jp/&quot;&gt;桜瀬琥姫(Kohime Ohse)&lt;/a&gt;『葛之葉姫』　（画像は、「&lt;a href=&quot;http://www.art-hiroba.com/rw/mo/hanbai/ac/artist/sid/9400/&quot;&gt;桜瀬琥姫-葛之葉姫の販売、買い取りは絵画専門店アートひろばへ！&lt;/a&gt;」より）　&lt;a href=&quot;http://kodansha.cplaza.ne.jp/densetsu2000/yukari.html&quot;&gt;「葛之葉姫」とは、安倍晴明の母&lt;/a&gt;。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ことに「葛飾」「葛西」の「葛」繋がりについては、以下のように書いたまま、頓挫してしまっている：&lt;br /&gt;
&lt;blockquote&gt;「葛西」とか「葛飾」という地名に「葛」が用いられたのは、古代において「葛」その地において印象的だったからなのだろうか。それとも、「中国では、「葛」の名前で呼ぶ」ことからして、朝鮮半島を含む大陸からの渡来人が土着した名残なのだろうか。&lt;br /&gt;
　あるいは、「やせ地にも育ち、土砂が雨で流されるのを防ぐ働きがあるので、砂漠の緑化に使われる」ということで、「中国の砂漠に日本のクズを植える努力が鳥取大学の遠山先生を中心に行われた」というが、関東ローム層という火山灰の多い、痩せた地には葛が育ちやすかったのでもあろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今は根拠が何も得られていないので、ただただ想像を逞しくするしかない。いつかまた、古代や中世の葛飾近辺の「葛」をテーマとして採り上げてみたい。&lt;/blockquote&gt;&lt;br /&gt;
　とうとう何も調べることもできないうちに東京を離れてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　過日、「葦」の周辺を巡って若干のネット散策をしたこと、さらに草むしりで悪戦苦闘して、人の手が入らないと何処までもその強靭な生命力・繁殖力で以て繁茂しゆく凄まじさのほんの一端であろうと実感したことでもあり、繁殖力では他の多くの植物にひけを取らないと思われる「葛」をテーマに少しだけあれこれメモってみたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　上記したように&lt;a href=&quot;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E3%81%AE%E4%B8%83%E8%8D%89&quot;&gt;秋の七草&lt;/a&gt;の一つでもある「葛」を巡っては、「&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2005/12/post_8240.html&quot;&gt;葛湯から古代を想う&lt;/a&gt;」にて既に雑多なことを脈絡もなく書き綴っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　まずはどんな植物だったか、画像で見ておこう：&lt;br /&gt;
「&lt;a href=&quot;http://www.hana300.com/kuzu00.html&quot;&gt;葛 （クズ）&lt;/a&gt;」&lt;br /&gt;
「&lt;a href=&quot;http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/kuzu.html&quot;&gt;クズ（葛）&lt;/a&gt;」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　いきなり余談から入るのも何だが、これも小生流である。&lt;br /&gt;
（話がグズグズにならないうちに、「&lt;a href=&quot;http://www.orcaland.gr.jp/~morris/sambo/botanic/kuzu.htm&quot;&gt;Botanical Garden くず&lt;/a&gt;」なんて素敵な頁を紹介しておく。）&lt;br /&gt;
「クズの蔓は長いことから、切り取った蔓部が乾燥して固くなる前に編むことで、籠（かご）などの生活用品を作ることができる」という。&lt;br /&gt;
　もしかしてここから「屑籠（クズカゴ）」という名称が生まれたのだろうか（「&lt;a href=&quot;http://www.tenjo.go.jp/kawaranbe/h17-2/ky051109.html&quot;&gt;“くず”のつるでかご作り&lt;/a&gt;」参照）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/05/06/bz.jpg&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;Bz&quot; title=&quot;Bz&quot; src=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/images/2008/05/06/bz.jpg&quot; width=&quot;160&quot; height=&quot;213&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;←　『国芳画美人大日本六十余州之内和泉葛の歯狐の精』　（画像は、「&lt;a href=&quot;http://page9.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k51727262&quot;&gt;Yahoo!オークション - 昔浮世絵木版画　国芳画美人大日本六十余州之内和泉葛の歯狐の精&lt;/a&gt;」より）&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　これまた余談だが、「派手な成長ぶりを買われ」、北アメリカでも持て囃されたが、その結果：&lt;br /&gt;
&lt;blockquote&gt;原産地の中国や日本以上に北アメリカの南部は生育に適していたため、あるいは天敵の欠如から想像以上の繁茂・拡散をとげ、有害植物及びに侵略的外来種として指定されたが、駆除ははかどっていない。なお、葛の英語名は日本語から「クズ[kudzu]」である。近年ではアメリカ南部の象徴的存在にまでなっている。&lt;/blockquote&gt;&lt;br /&gt;
　日本の在来種のタンポポなどが、アメリカ渡来のタンポポに駆逐されてしまっているが、逆のケースもあったのかと、妙なところで溜飲が下がったりして。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
　さて、本題である。&lt;br /&gt;
「&lt;a href=&quot;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%BA&quot;&gt;クズ - Wikipedia&lt;/a&gt;」のなかに下記の記述がある：&lt;br /&gt;
&lt;blockquote&gt;荒れ地に多く、人手の入った薮によく繁茂する。かつての農村では、田畑周辺の薮に育つクズのつるを作業に用いた。そのため、クズは定期的に切り取られ、それほど繁茂しなかった。しかし、刈り取りを行わない場合、クズの生長はすさまじいものがあり、ちょっとした低木林ならば、その上を覆い尽くす。木から新しい枝が上に伸びると、それに巻き付いてねじ曲げてしまうこともある。&lt;/blockquote&gt;&lt;br /&gt;
「古代や中世の葛飾近辺の「葛」をテーマとして採り上げてみたい」と書いているが、「葛飾の地名は非常に古く、奈良時代に作成された戸籍帳の中ですでに確認される」し、「&lt;a href=&quot;http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/area/kanto/katusika.html&quot;&gt;たのしい万葉集 万葉集 葛飾(かつしか)を詠んだ歌&lt;/a&gt;」に見られるように、「&lt;a href=&quot;http://homepage3.nifty.com/enou/manyo.htm&quot;&gt;万葉集には下総の国、葛飾を歌った歌が１０首ほどあ&lt;/a&gt;」るという。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　後が続かない。&lt;br /&gt;
　文末がグズグズになっちゃった。&lt;br /&gt;
　いつか続きを書きたいものだ。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>
<dc:subject>旅行・地域</dc:subject>
<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>国見弥一</dc:creator>
<dc:date>2008-05-07T11:40:13+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_e9f8.html">
<title>「人間は考える葦である」考？</title>
<link>http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_e9f8.html</link>
<description>　ブレーズ・パスカル（Blaise Pascal、1623年6月19日 - 16...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　ブレーズ・パスカル（Blaise Pascal、1623年6月19日 - 1662年8月19日）の言葉に、「&lt;strong&gt;人間は考える葦である&lt;/strong&gt;」がある。&lt;br /&gt;
「クレオパトラの鼻、それがもう少し低かったら、大地の全表面は変わっていたであろう」と共に有名な言葉である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/04/27/phragmites_australis_schilfrohr.jpg&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;Phragmites_australis_schilfrohr&quot; title=&quot;Phragmites_australis_schilfrohr&quot; src=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/images/2008/04/27/phragmites_australis_schilfrohr.jpg&quot; width=&quot;190&quot; height=&quot;249&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: right; margin: 0px 0px 5px 5px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;→　「冬に穂が残るヨシ」　（画像は、「&lt;a href=&quot;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%A6&quot;&gt;ヨシ - Wikipedia&lt;/a&gt;」より）&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「&lt;strong&gt;人間は考える葦である&lt;/strong&gt;」のくだりをもう少し示しておこう（前田陽一／由木康訳『世界の名著 29 パスカル パンセ』中央公論社）。&lt;br /&gt;
&lt;blockquote&gt;　人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一適の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すよりも尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。&lt;/blockquote&gt;&lt;br /&gt;
　以下、「だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある」云々と続いていく。&lt;br /&gt;
　こうした言葉に宇宙観あるいは世界観において、地球中心説（天動説）から太陽中心説（地動説）への大転換があったこと（宇宙の中にあって各天体は神に依らずして如何に浮び秩序を保ちえるのか…）、同時にパスカル自身の苦痛に苛まれた個人的な事情も読み取っていいのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　沈黙して止まぬ宇宙のただなかにポツンとある「わたし」。&lt;br /&gt;
　むしろここでは強烈な自我の自覚、唯一者であることの孤独、戦慄を読みとるべきなのかと思ったりもする。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　が、ここではそんな高邁な哲学的問いやセンス・オブ・ワンダーの世界に飛び込むつもりはない。&lt;br /&gt;
「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである」というフレーズの言葉尻をちょっと捉えてみよう、拘ってみようと思うだけである。&lt;br /&gt;
「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである」という時、「自然のなかで最も弱いものである」とは、人間を指して云っていることは間違いないだろう。&lt;br /&gt;
　と同時に、「自然のなかで最も弱いものである」とは、「葦」を指して云っているのだとも理解していいのだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　小生がちょっと引っ掛かったのは、そもそも「葦」ってそんなに弱い存在なのか、という点である。&lt;br /&gt;
（実は、「たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すよりも尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない」という下りにも引っ掛かっている。「宇宙は何も知らない」って、一体どういう意味？　人間も含めて、まるごとそっくり全体が宇宙なんじゃないの？　人間より知能の優れた存在が宇宙に存在するか否かは別にして、宇宙を想像し瞑想する存在は宇宙の中には存在しえるんじゃないの。そもそもその前に人間にしてもどれほどのことを宇宙に付いて知っているというの？）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/04/27/herons_et_roseaux_suzuki.jpg&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;Herons_et_roseaux_suzuki&quot; title=&quot;Herons_et_roseaux_suzuki&quot; src=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/images/2008/04/27/herons_et_roseaux_suzuki.jpg&quot; width=&quot;190&quot; height=&quot;244&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;←　『鷺と葦』（鈴木春信・画、18世紀）　（画像は、「&lt;a href=&quot;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%A6&quot;&gt;ヨシ - Wikipedia&lt;/a&gt;」より）&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　小生は、つい先日、「&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2008/04/post_d129.html&quot;&gt;バナナは木ではなく草である：余談篇&lt;/a&gt;」の中で、「ノアの箱舟」のエピソードに事寄せて、（旧約）聖書における植物の扱いに、ささやかな疑問を呈しておいた（呈しただけで、いかにも小生らしく、ほったらかしのままなのだが）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「&lt;a href=&quot;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%A6&quot;&gt;ヨシ - Wikipedia&lt;/a&gt;」を覗けば、「&lt;strong&gt;ヨシまたはアシ（葦、芦、蘆、葭）&lt;/strong&gt;」について大よそのことを知ることができる。&lt;br /&gt;
「温帯から熱帯にかけての湿地帯に分布する背の高いイネ科の草の一種で」、「条件さえよければ地下茎は一年に5m伸び、適当な間隔で根を下ろす」という。&lt;br /&gt;
「主として河川の下流域から汽水域上部、あるいは干潟の陸側に広大な茂み（ヨシ原）を作り、場合によってはそれは最高100ヘクタールに及ぶ」ということで、いまでも地域によっては河川敷辺りで葦の原を見ることが出来よう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「&lt;a href=&quot;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%A6&quot;&gt;人間とのかかわり&lt;/a&gt;」でいえば、「まっすぐに伸びる茎は木化し、竹ほどではないにせよ材として活用できる。古くから様々な形で利用され、親しまれた」し、「屋根材としても最適で茅葺民家の葺き替えに現在でも使われてい」たりする。&lt;br /&gt;
　日本では、「日本神話ではヒルコが葦舟で流される」とか、「日本の古名を豊葦原瑞穂の国という」など、馴染み深いものがある。&lt;br /&gt;
『日本書紀』はともかく『古事記』については、ちびりちびりと読み親しんできた。&lt;br /&gt;
　好きなくだりは随所にあるのだが、特に下記の叙述は大好きで、折々言及してきた（「&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/houjo/2007/04/post_6bf0.html&quot;&gt;水母・海月・クラゲ・くらげ…&lt;/a&gt;」参照）：&lt;br /&gt;
&lt;blockquote&gt;国稚(わか)く浮ける脂の如くして、海月(くらげ)なす漂える時、葦牙(あしかひ) の如く萌え騰(あが)る物に因(よ)りて成りし 神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこちのかみ)、次に天之常立神(あめのとこたちのかみ)。この二柱の神もみな独神と成りまし て、身を隠したまひき&lt;/blockquote&gt;&lt;br /&gt;
　この中に「&lt;strong&gt;葦牙(あしかひ) の如く萌え騰(あが)る物に因(よ)りて成りし 神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこちのかみ)&lt;/strong&gt;」がある。&lt;br /&gt;
「&lt;a href=&quot;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%82%AB%E3%83%93%E3%83%92%E3%82%B3%E3%83%82&quot;&gt;ウマシアシカビヒコヂ - Wikipedia&lt;/a&gt;」によると、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこちのかみ)とは、「葦の芽に象徴される万物の生命力を神格化した神」で、「一般的に活力を司る神とされる」という。&lt;br /&gt;
　日本の古代人にとっては、「葦」に限らず、大地は何処も原始林や原野の世界、泉鏡花の『高野聖』に描かれる、どんな得体の知れない魔物の蠢くかしれない、肥沃でもあれば野性の圧倒的な生命力・繁殖力に驚異する異形の世界だったのではないか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　パスカルが「人間は考える葦である」といったフレーズを綴った際に脳裏に浮かべていた「葦」とは、一体どんな品種なのだろう。&lt;br /&gt;
　パピルス？　ヨーロッパ型のもの？&lt;br /&gt;
　イソップ物語にある「&lt;a href=&quot;http://plaza.rakuten.co.jp/77eta208/21005&quot;&gt;葦とオーク（オリーブ？）の木&lt;/a&gt;」（Le chêne et le roseau）の話は脳裏の片隅にあった？&lt;br /&gt;
『聖書』での「葦」は、どういった品種のものなのだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img alt=&quot;31547260&quot; title=&quot;31547260&quot; src=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/04/29/31547260.jpg&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: right; margin: 0px 0px 5px 5px;&quot; /&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;→　吉永良正／著『&lt;a href=&quot;http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031547260&amp;Action_id=121&amp;Sza_id=B0&amp;Rec_id=1010&amp;Rec_lg=101009&quot;&gt;『パンセ』数学的思考&lt;/a&gt;』（みすず書房）　パスカルの「思想は、徹頭徹尾、数学的思考をベースにしている。『パンセ』から最新の宇宙論やフラクタルへ。理科系の哲学入門」だって。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さすがにネットの威力、検索すると下記なる恰好の頁が浮上してきた：&lt;br /&gt;
「&lt;a href=&quot;http://plaza.rakuten.co.jp/Horizon2005/diary/200803290000/&quot;&gt;聖書に出て来る植物その２ - ★+。.゜天使のはしご゜.。+★ -&lt;/a&gt;」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「葦」の「出てくる聖書箇所は旧約聖書に４６箇所、新約聖書に８箇所あ」るとして、下記を例示してくれている：&lt;br /&gt;
&lt;blockquote&gt;「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは。」（マタイの福音書１２章２０節） &lt;/blockquote&gt;&lt;br /&gt;
「イスラエルではガリラヤ湖のほとり（特に入江になっている所）にたくさん生えて」おり、「死海は塩の海ですが、西岸に一部葦を生じています。そこは淡水のわく地域ではありますが、葦が塩に対しても強いことを示してい」るという。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さらに、「聖書では、“かみぐさ・パピルス（ゴーメ）”を“葦”と訳す場合もあ」るとか（イザヤ書１８章２節など）、「荒地や砂漠の多いイスラエルにおいて、葦・よしの茂りあう所というのは、豊かに恵まれた情景を言い、決して悪い意味で言っているのでは」ないとも。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　いずれにしても、「ヨシ原は、自然浄化作用を持ち、多くの生物のよりどころとなっている」はずなのだが、「近年ヨシ原は、浅い水辺の埋め立てや河川改修などにより失われることが多くなり、その面積を大きく減らしている」という。&lt;br /&gt;
　人間はともかく、葦（ヨシまたはアシ）は人間には弱いようである。&lt;br /&gt;
　あらゆる場面で中間者の観念が適用されうるはずなのだろう。&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（08/04/27作）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>哲学・思想・宗教</dc:subject>
<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>
<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>国見弥一</dc:creator>
<dc:date>2008-05-05T11:03:31+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_b44f.html">
<title>「久隅守景から遥か」アップ</title>
<link>http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_b44f.html</link>
<description>「久隅守景から遥か」をアップ！ 　最後は日記になっちまった。...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;「&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2008/05/post_51fa.html&quot;&gt;久隅守景から遥か&lt;/a&gt;」をアップ！&lt;br /&gt;
　最後は日記になっちまった。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>お知らせ</dc:subject>
<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>
<dc:subject>番外編</dc:subject>

<dc:creator>国見弥一</dc:creator>
<dc:date>2008-05-04T13:32:57+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_a4a2.html">
<title>「瘴気」の沙汰？</title>
<link>http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_a4a2.html</link>
<description>　十年来、ちびちびと読み続けてきたヘーゲルの『精神現象学』（ 長谷川 宏の手にな...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　十年来、ちびちびと読み続けてきたヘーゲルの『精神現象学』（ 長谷川 宏の手になる訳で。学生の時は樫山欽四郎訳で読んだ。内容は全く理解できなかったものの、何か神秘主義の匂いのようなものを嗅ぎ取っていたっけ。いずれにしてもヘーゲルにしか書けない（創造・妄想？）できない作品だと当時、感じたっけ）もようやく読了の日が近付いている最中に「&lt;strong&gt;瘴気（しょうき）&lt;/strong&gt;」なんて言葉に行き当たってしまった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/05/03/2008_0428071003tonai0047.jpg&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;2008_0428071003tonai0047&quot; title=&quot;2008_0428071003tonai0047&quot; src=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/images/2008/05/03/2008_0428071003tonai0047.jpg&quot; width=&quot;210&quot; height=&quot;157&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: right; margin: 0px 0px 5px 5px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;→　野原じゃなくて、我が家の畑。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　一方、「&lt;strong&gt;草いきれ&lt;/strong&gt;」という言葉がある。&lt;a href=&quot;http://tool.nifty.com/dictionary/index.htm&quot;&gt;辞書&lt;/a&gt;に依ると、「夏の強い日ざしをうけて、草むらから立ちのぼる、むっとする熱気」だとか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「&lt;strong&gt;瘴気&lt;/strong&gt;」とか「&lt;strong&gt;草いきれ&lt;/strong&gt;」なんて言葉を持ち出したくなったのは、「&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/04/post_7dc5.html&quot;&gt;帰郷して待っていたのは草むしり&lt;/a&gt;」で書いているように、このところ草むしりの日々が続いているからであろうと思う。&lt;br /&gt;
　生命力の横溢、生き物の弱さと逞しさと。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「&lt;strong&gt;瘴気（しょうき）&lt;/strong&gt;」とは、「&lt;a href=&quot;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%98%B4%E6%B0%97&quot;&gt;瘴気 - Wikipedia&lt;/a&gt;」によると：&lt;br /&gt;
&lt;blockquote&gt;古代から19世紀まで、ある種の病気（現在は感染症に分類されるもの）を引き起こすと考えられた「悪い空気」。気体または霧のようなエアロゾル状物質と考えられた。瘴気で起こると考えられた代表的な病気はマラリアで、この名は古いイタリア語で「悪い空気」という意味の mal aria から来ている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ミアスマ、ミアズマ (μίασμα, miasma) ともいい、これはギリシア語で「不純物」「汚染」「穢れ」を意味する。漢字の「瘴」は、マラリアなど熱帯性の熱病とそれを生む風土を意味する。&lt;/blockquote&gt;&lt;br /&gt;
「瘴気が原因と考えられた主な病気」には、「インフルエンザ、コレラ、赤痢、天然痘、敗血症、ペスト、マラリア、癩病」などがあるという。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　これらの病気は現代でこそ正体も分かっているし治療法も確立されている。&lt;br /&gt;
　が、メカニズムの見えなかった昔は信心か祈りか諦めか恐怖か、いずれにしても地上世界の得体の知れなさ、一寸先は闇の感を肌でひしひしと感じていたことだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「&lt;strong&gt;瘴気&lt;/strong&gt;」という言葉自体は、必ずしも珍しい言葉ではない。&lt;br /&gt;
　さりとて、そう滅多に出会うことも、まして（虚構作品においてならともかく）使うことは稀な言葉であろう。&lt;br /&gt;
　ヘーゲルの書で遭遇し、且つ、草むしりをしつつ旺盛な生命力、…というより恐怖の念を覚えるほどの生き物たちの逞しさを草いきれの中で実感させられ、往古の人々にとっての「瘴気」という言葉がほんの少し、ほんの僅か感じられたような気がしたのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　生い茂る雑草。しかも、畑なのに！&lt;br /&gt;
　しかし、所詮は住宅地の雑草に過ぎない（手こずっているけれど）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　これが道なき道を分け入った森の奥だったらどうか。&lt;br /&gt;
　現代のように山や森を展望することも叶わず、山の人でもないかぎり脳裏に地図を描くことも出来ない。&lt;br /&gt;
　泉鏡花の名作『高野聖』ではないが、山越えを強いられたなら、それは「草いきれ」どころか「瘴気」の横溢する魔物の世界が延々と続くのみだったろう。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　医学の祖と呼ばれたりもするヒポクラテスの言葉を幾つか掲げてみる：&lt;br /&gt;
&lt;blockquote&gt;「水についてそれがどんな状態にあり、人々は沼地の軟性のものを使っているのか、それとも硬性で高地の岩山から来るものを使っているのか、それとも塩辛くて粗い水を使っているのかを考慮しなければならない」(p.7-8)&lt;br /&gt;
「次に有害なのは、その源泉が岩場から出ているものである。これは必然に硬質だからである。また熱い水や鉄、銅、銀、金、硫黄、明礬、瀝青、曹達を含む土から湧く水。なぜなら、これらはすべて熱の力によって生じるのだから。このような土から湧く水は良水では有り得ず、硬質で、催熱的で、尿となって排泄されにくく、排便には妨げとなる」(p.14)&lt;br /&gt;
「雨水と融けた水がどのようなものかを述べよう。雨水の方は、もっと軽く、もっと甘く、もっと希薄で、もっと明澄である。そのわけは、まず太陽が水中のもっと希薄で軽い部分を上昇させて奪い取るからである。塩（の製造）がこのことを明らかにする。すなわち塩水は濃厚で重いから残されて塩になり、もっと希薄な水は軽いから太陽はこれを奪って行く。太陽はこのような水を沼の水からだけでなく、海からも、その他およそ水分のあるあらゆるところから上昇させる。水分はあらゆる物体の中にある。そして人間の身体からさえも、そっと希薄な、またもっと軽い水分を運んでいく。」(p.16)&lt;br /&gt;
「雪と氷からできる水は、すべて有害である。なぜかといえば、いったん凍結すれば、もう最初の性質にはもどらず、その明澄で軽くて甘い部分は分離されて消失し、もっとも濁ってもっとも滓（おり）になった部分が残るからである。」(p.17)&lt;br /&gt;
（ヒポクラテス『古い医術について』（小川政恭訳、岩波文庫）より。拙稿「&lt;a href=&quot;http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/profile/hippokrates.htm&quot;&gt;ヒポクラテス『古い医術について』&lt;/a&gt;」参照）&lt;/blockquote&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「&lt;strong&gt;ボードレール『午前一時に』&lt;/strong&gt;」&lt;br /&gt;
&lt;blockquote&gt;もろもろの人に不満を抱き、自分にも不満を抱く私は、夜の沈黙と孤独の中で、いささかなりとも我が身を贖い、我が身に誇りを取り戻したいものと思う。私の愛した人々の魂よ、私の歌った人々の魂よ、私を強からしめよ、私を支えよ、人の世の虚偽と、腐敗をもたらす瘴気とを、私から遠ざけよ。&lt;br /&gt;
(阿部良雄・『ボードレール全詩集』・ちくま文庫　「&lt;a href=&quot;http://ququelo.jugem.jp/?eid=203&quot;&gt;ボードレール語録  午前一時に&lt;/a&gt;」より転記)&lt;/blockquote&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
「&lt;strong&gt;泉鏡花『高野聖』&lt;/strong&gt;」&lt;br /&gt;
&lt;blockquote&gt;（前略）何しろ体が凌（しの）ぎよくなったために足の弱（よわり）も忘れたので、道も大きに捗取（はかど）って、まずこれで七分は森の中を越したろうと思う処で五六尺天窓（あたま）の上らしかった樹の枝から、ぼたりと笠の上へ落ち留まったものがある。&lt;br /&gt;
　鉛（なまり）の錘（おもり）かとおもう心持、何か木の実ででもあるかしらんと、二三度振ってみたが附着（くッつ）いていてそのままには取れないから、何心なく手をやって掴（つか）むと、滑（なめ）らかに冷（ひや）りと来た。&lt;br /&gt;
　見ると海鼠（なまこ）を裂（さ）いたような目も口もない者じゃが、動物には違いない。不気味で投出そうとするとずるずると辷（すべ）って指の尖（さき）へ吸ついてぶらりと下った、その放れた指の尖から真赤な美しい血が垂々（たらたら）と出たから、吃驚（びっくり）して目の下へ指をつけてじっと見ると、今折曲げた肱（ひじ）の処へつるりと垂懸（たれかか）っているのは同形（おなじかたち）をした、幅が五分、丈（たけ）が三寸ばかりの山海鼠（やまなまこ）。&lt;br /&gt;
　呆気（あっけ）に取られて見る見る内に、下の方から縮みながら、ぶくぶくと太って行くのは生血（いきち）をしたたかに吸込むせいで、濁（にご）った黒い滑らかな肌（はだ）に茶褐色（ちゃかっしょく）の縞（しま）をもった、疣胡瓜（いぼきゅうり）のような血を取る動物、こいつは蛭（ひる）じゃよ。&lt;br /&gt;
　誰（た）が目にも見違えるわけのものではないが、図抜（ずぬけ）て余り大きいからちょっとは気がつかぬであった、何の畠（はたけ）でも、どんな履歴（りれき）のある沼（ぬま）でも、このくらいな蛭はあろうとは思われぬ。&lt;br /&gt;
　肱をばさりと振（ふる）ったけれども、よく喰込（くいこ）んだと見えてなかなか放れそうにしないから不気味（ぶきみ）ながら手で抓（つま）んで引切ると、ぷつりといってようよう取れる、しばらくも耐（たま）ったものではない、突然（いきなり）取って大地へ叩（たた）きつけると、これほどの奴等（やつら）が何万となく巣をくって我（わが）ものにしていようという処、かねてその用意はしていると思われるばかり、日のあたらぬ森の中の土は柔（やわらか）い、潰（つぶ）れそうにもないのじゃ。&lt;br /&gt;
　ともはや頸（えり）のあたりがむずむずして来た、平手（ひらて）で扱（こい）て見ると横撫（よこなで）に蛭の背（せな）をぬるぬるとすべるという、やあ、乳の下へ潜（ひそ）んで帯の間にも一疋（ぴき）、蒼（あお）くなってそッと見ると肩の上にも一筋。&lt;br /&gt;
　思わず飛上って総身（そうしん）を震いながらこの大枝の下を一散にかけぬけて、走りながらまず心覚えの奴だけは夢中（むちゅう）でもぎ取った。&lt;br /&gt;
　何にしても恐しい今の枝には蛭が生（な）っているのであろうとあまりの事に思って振返ると、見返った樹の何の枝か知らずやっぱり幾（いく）ツということもない蛭の皮じゃ。&lt;br /&gt;
　これはと思う、右も、左も、前の枝も、何の事はないまるで充満（いっぱい）。&lt;br /&gt;
　私は思わず恐怖（きょうふ）の声を立てて叫（さけ）んだ、すると何と？　この時は目に見えて、上からぼたりぼたりと真黒な痩（や）せた筋の入った雨が体へ降かかって来たではないか。&lt;br /&gt;
　草鞋を穿（は）いた足の甲（こう）へも落ちた上へまた累（かさな）り、並んだ傍（わき）へまた附着（くッつ）いて爪先（つまさき）も分らなくなった、そうして活（い）きてると思うだけ脈を打って血を吸うような、思いなしか一ツ一ツ伸縮（のびちぢみ）をするようなのを見るから気が遠くなって、その時不思議な考えが起きた。&lt;br /&gt;
　この恐しい山蛭（やまびる）は神代（かみよ）の古（いにしえ）からここに屯（たむろ）をしていて、人の来るのを待ちつけて、永い久しい間にどのくらい何斛（なんごく）かの血を吸うと、そこでこの虫の望（のぞみ）が叶（かな）う、その時はありったけの蛭が残らず吸っただけの人間の血を吐出（はきだ）すと、それがために土がとけて山一ツ一面に血と泥（どろ）との大沼にかわるであろう、それと同時にここに日の光を遮（さえぎ）って昼もなお暗い大木が切々（きれぎれ）に一ツ一ツ蛭になってしまうのに相違（そうい）ないと、いや、全くの事で。&lt;br /&gt;
（&lt;a href=&quot;http://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/521_20583.html&quot;&gt;底本：「ちくま日本文学全集　泉鏡花」筑摩書房&lt;/a&gt;　「&lt;a href=&quot;http://www.aozora.gr.jp/&quot;&gt;青空文庫&lt;/a&gt;」より）&lt;/blockquote&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
『&lt;strong&gt;草 む し り&lt;/strong&gt;』&lt;br /&gt;
&lt;blockquote&gt;　肥料も撒くし、そもそも土壌が豊かで、稲や野菜も育つけど、雑草も油断していると好き放題に生えてしまう。勝手に何処かで生えるだけなら、どうでもいいようなものだが、雑草が生えると、土壌のせっかくの栄養分が奪われてしまう。栄養は作物にこそ与えられなければならない。雑草如きに寸毫も与えてなるものか、なのである。&lt;br /&gt;
　梅雨の雨水をタップリと吸い込んで満足げな黒っぽい土。田植えが済み、稲がスクスクと育っている。庭にはキャベツだナスだ玉葱だ苺だ、トウモロコシだ、ジャガイモだと、トマトだと、いろんな野菜も実っている。&lt;br /&gt;
　が、雑草も、穏和な天候に釣られて、ドンドン育つ。やつ等が育つと、稲が、野菜が、果物が育ちにくくなる。滋養が足りなくなる。害虫だって雑草に隠れているかもしれない。除草剤の危険が唱えられたりして、ひたすら手で雑草を毟り取るしかないのだった。&lt;br /&gt;
　鎌とかも使うけれど、根っこから引っこ抜かないと、土壌に頑固に残った根からあっという間に雑草が姿を現してしまう。終いには、軍手がまどろっこしくて、指先で意地になって、ほとんど自棄になって草を引っこ抜く。&lt;br /&gt;
　ただ、もう、闇雲に黙々と、まるで苦行を強いられているかのように、大地に己が身を縛り付けるようにして、炎天下、雑草たちと戦い続ける。&lt;br /&gt;
　それは、冬の日の雪掻きにも似た、難行苦行である。掻いても掻いても雪は降り続く。未明に、朝食後に、昼食前に、昼下がりに、夕方、食事前に、夜の一服を終えた後に、そしてトドメとばかりに、就寝前に雪掻きをする。まるで雪に祟られたプロメテウスだ。いつ止むとも知れない憂鬱な曇天に挑むイカルスだ。さすがに墜落はしないけれど、決して舞い上がることもない。ただ、大地にへばり付く。草むしりだって、雪の代わりの、大地に呪われた苦行だった。&lt;br /&gt;
（拙稿「&lt;a href=&quot;http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/essay/weeding.htm&quot;&gt;『草 む し り&lt;/a&gt;』」より）&lt;/blockquote&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>哲学・思想・宗教</dc:subject>
<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>
<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>
<dc:subject>書評エッセイ</dc:subject>

<dc:creator>国見弥一</dc:creator>
<dc:date>2008-05-03T10:43:15+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_e78a.html">
<title>「今年は海中探検！」アップ</title>
<link>http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2008/05/post_e78a.html</link>
<description>「今年は海中探検！」をアップしました。 　サンバ・エスコーラ（チーム）であるリベ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;「&lt;a href=&quot;http://atky.cocolog-nifty.com/manyo/2008/05/post_2e33.html&quot;&gt;今年は海中探検！&lt;/a&gt;」をアップしました。&lt;br /&gt;
　サンバ・エスコーラ（チーム）である&lt;a href=&quot;http://www.gres-liberdade.com/index.html&quot;&gt;リベルダージ（G.R.E.S.LIBERDADE）&lt;/a&gt;の「2008年浅草サンバカーニバル」に向けてのパレードテーマ（Enredo）は、「&lt;strong&gt;海中探検（仮題）&lt;/strong&gt;」だそうな。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>お知らせ</dc:subject>
<dc:subject>サンバレポート・エッセイ</dc:subject>
<dc:subject>旅行・地域</dc:subject>
<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>
<dc:subject>旧稿を温めます</dc:subject>

<dc:creator>国見弥一</dc:creator>
<dc:date>2008-05-02T10:37:48+09:00</dc:date>
</item>


</rdf:RDF>
