2008/07/23

炎天下の格闘

 今年は小生がうっかりしている間に、梅雨が明けてしまった。
 ニュースで梅雨明け宣言が伝えられていただろうに、聞き(見)逃したようだ。
 昼間は家事手伝いというか、炊事もやっているので、ニュースだけは視聴したいと思っているのだが、侭ならない。
 夜は日によって仕事だったりする。数日前だったか、仕事先でお客さんに梅雨はもう明けたよって、教えられてしまった。
 小生としては少々口惜しい。

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← 今月上旬の雨の日に撮影。左手前の出っ張っている岩などを引っ込めたい。

 人に教えられたからではなく、知っていたなら、関連の記事を書きたかったからである。
 例えば、「ハッピーバースデー・ツーユー!」なんて記事を05年の6月に書いているし、翌年も「今年も…ハッピーバースデー・ツーユー!」なんて記事を書いている。
 梅雨明け宣言が出たら、やはり何かそれを契機に書く。
 99年末にネットに参入して、日に一個の記事を書いてネットにアップさせるのをノルマにしている(書くだけなら昔からやっていること)。

 年に一日が二日は書かない日もあるが、日に二つ書くことのほうが多いので、結果的には年に365以上の記事。
 ってことは、単純計算でも99年末以降で3000個以上は何かしら書いていることになる。

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2008/07/20

汗水垂らして御簾(みす)のこと?

[今朝、我が家で取っている読売新聞に「簾」が特集されていた。すわ、拙稿が参考にされた? なんて一瞬、思ったが、本稿は、08/07/17に書いたものだが、他の記事を先行していてアップが若干、遅れてしまっていた。取り急ぎ、アップさせておく。 (08/07/20 記)]

 過日より、与謝野晶子訳『源氏物語』を牛車の歩みで…じゃなく牛歩のペースで読んでいる。
 牛歩となってしまうのは、日々が慌しく、ゆっくり読書に耽る余裕がないこともあるが、先日来の暑さに辟易している故でもある。

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→ 「ヨ シ ズ」 (画像は、「ヨシズ・スダレ」より。)

 読み出すと最後までというのが小生の主義なので、寝床でも就寝前には読みたいのだが、何せこの本(『カラー版 日本文学全集 源氏物語 上・下』(与謝野晶子訳 河出書房))、重過ぎる。
 寝床で手で支えて読むのはちょっと難しい。

 で、寝床では別の本を読み始めた。
 それはロベルト・ムージル著の『特性のない男』(加藤二郎/ 柳川成男/北野富志雄/川村二郎訳 河出書房)である。

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2008/07/18

「悲しい夢…リベジ…」アップ

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悲しい夢…リベジ…」アップしました。

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2008/07/14

銭湯へ!

銭湯へ行った。近所の銭湯。懐かしの銭湯。
小生が中学か高校の頃、その銭湯へ通ったものである。
小学生のある時期までは、家の裏庭、台所や隣接する茶の間の出窓の直下にドラム缶だったか(小生はドラム缶の風呂に入った記憶があるのだが、家人はそんなものはウチにはなかったという…)、大きな岩を刳り抜いて、底に板を敷いたような即席のバス(?)があって、そこに漬けられるのが入浴だった。

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→ 「江戸東京たてもの園に移築された子宝湯の入り口」 小生が昨日、行った銭湯はここではありませぬ。(画像は、「銭湯 - Wikipedia」より。)

漬けられるのが入浴だった…。そう、お風呂が嫌いだった。面倒だった。漫画の本を読んでいたかったのだ。
小学生の低学年の頃までは、時には姉に連れられて銭湯へ通っていたようだ。
(記憶力がよければ、女風呂に入浴していた当時の光景が思い浮かべられるはずなのに、全然、駄目。我ながら情けない!)

その後(多分、学生時代)自宅に立派な浴室が出来たし、そもそも高校で郷里を出たので、郷里の銭湯通いは無くなった。
だよね。自宅にあるし、年に数回の帰省は一泊か二泊なので、銭湯へ行ってのんびりっていう発想は生まれなかった。

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2008/07/07

「08牛込パレード画像情報」アップ

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08牛込パレード画像情報」アップしました。

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2008/07/05

今年は源氏物語千年紀

 自宅の寝床で、あるいは帰郷に際して東京から持ち帰ったロッキングチェアーに腰を沈めつつこの二週間ほどちびちびと読み進めてきた、『ダブリン市民』と『若い芸術家の肖像』の二作品が所収となっている『新集 世界の文学 30 ジョイス』(高松雄一/永川玲二訳 中央公論社)を読了した。

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← 『源氏物語絵巻(東屋)』(徳川美術館蔵) (画像は、「源氏物語絵巻 - Wikipedia」より。)

 同時に、外出などの際に、時間が空いた時に楽しむために携えていた、『中谷宇吉郎集 第八巻』(岩波書店)も、昨日、読了してしまった。
 全八巻の『中谷宇吉郎集』は、全六巻の『寺田寅彦集』(岩波書店)共々、買ったのは七年かそれくらい前なのだが、他の本のように購入したら即、手を付けるのではなく、敢えて温存してきた。

 心を遠い少年の日の夢に舞い戻らせるというか、実験や観察やデータの蓄積と分析など世界を接近戦で地道に見つめているにも関わらず、精神は何処か高邁で遠大で、且つ少年の素朴な好奇心・探究心を常に忘れない純なものが通奏底音のように流れている、いい意味での科学者の心そのものである…。

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2008/06/30

「ロダンのエロス」アップ

ロダンのエロス」アップしました。

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2008/06/24

「風天」の渥美清さん

渥美清さんの173句見つかる、俳号「風天」で心情生き生き」 ( 「YOMIURI ONLINE(読売新聞)」より)という記事をたった今、ネット上で読んだ。
(記事の内容は、末尾に全文とはいかないが転載する。)

9784903175171

← 『風天 渥美清のうた』(森 英介, 石 寒太:解説 発行:大空出版

 渥美清さんのファンなのか、それとも、「男はつらいよ」の寅さんのファンなのか、自分でも分からない。小生は既に彼に付いて(というより彼への思い入れというべきか)は、幾つか雑文も書いている(末尾で示す)ので、本稿では彼の句の紹介に留めておく。
(「風天(フーテン)」という言葉(俳号)については、拙稿「風天居士…寅さん」にやや詳しく書いた。)

 見つかった句の全貌は分からない。「発見された全句を収めた「風天 渥美清のうた」(大空出版)は、27日発売される」というから、それを待つことにする。

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2008/06/23

「松川にて」アップ

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 創作「松川にて」アップしました。

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2008/06/22

「たばこ1箱千円」から大麻の話へ

 本稿は、「中島らもと大麻と煙草と」を転記したもの。先ごろ、「たばこ1箱千円」にという話題が世上を少々賑わせたので掲載する。
 今の小生としては書き換えたい部分もあるが、敢えて原則原文のまま旧稿を温める。

「たばこ1箱千円」については、「「たばこ1箱千円」で超党派議連 消費税アップけん制も」などを読むと、「自民党内で浮上している消費税率引き上げ論をけん制する狙いも見え隠れする」などと、やや生臭い思惑で浮上したようで、小生としては納得がいかない。
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← 清水登之・画「大麻収穫」 (画像は、「清水登之氏の「大麻収穫」」より。)

 何も「たばこ1箱千円」なら煙草を吸う人が減って、健康問題(伴って医療費の削減)の解決の一助になるではないか、という大上段の議論が足りないから…という意味ではない。
 例えば、「たばこ1箱千円」なら煙草を吸う人が減って…という議論にしても、やや疑問がある。アメリカなどの煙草メーカーは国内の煙草の販売量が減った分以上を、日本を含めたアジアやアフリカでの販売強化で補ってきた。
 日本の煙草メーカーも海外(アジア・アフリカ)での販売戦略を強化するのは歴然としている。
 国内で出る臭いモノに蓋をしたら、その強烈な悪臭は後進国で思いっきりぶっ放されている、というわけである。日本(国内)さえよければそれでいいのか、という議論もあっていいはず。

 まあ、ちょっとだけ変化球をひょろひょろ投げてみようかなということである。
 一読すれば分かるが、焦点は煙草ではなく、大麻である。
 そう、「法律の目的を記した条文はない」不思議な「大麻取締法」!
 煙草を許可しているのに何故、大麻がダメなのかの理由を当局は明確に示せるのだろうか。
 あるいはアメリカへの遠慮? それとも惰性?
「(前略)第2次大戦後の占領政策の中で神道との結び付きの深い大麻に対して占領米軍が危惧をもち、また当時発達しつつあったアメリカにおける石油化学産業や木材パルプ産業の意向をうけてその市場の確保という経済的思惑などを背景として、大麻の規制が行われたのではないか」というのは、歴史的背景として真実なのか。
 「たばこ1箱千円」というのなら、「大麻1箱千円」ってのも、検討してみる値打ちがあるのでは。

 なお、この旧稿を書き下ろした当時の事情については、当該頁の冒頭に注記してある。

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2008/06/18

「湯真藤子のユーモレスクワールド」アップ

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湯真藤子のユーモレスクワールド」アップしました。

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2008/06/16

「フェルナン・クノップフ」アップ

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フェルナン・クノップフ」アップしました。

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2008/06/12

「西牧徹…ラブドール幻想」などアップ

Works_17_2 以下の絵画メモをアップしました:

西牧徹…ラブドール幻想
ハイコ・ミュラー……メビウスの輪の恐怖
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2008/06/02

読書拾遺……我がサドの時代

 久しぶりに読書拾遺を。

 ヴァルター・レニッヒ著の『サド侯爵』(飯塚信雄訳 ロ・ロ・ロ・モノグラフィー叢書 理想社)を読了した。刊行は72年だが、小生は80年版のものを入手している。

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→  ジャン・ジャック・ポーヴェール著『サド侯爵の生涯(1)  無垢から狂気へ 1740~1777 』(長谷泰訳 河出書房新社 )

 帰郷して書棚に並ぶ本の中から手当たり次第というわけではないが、興の赴くがままにピックアップして読んでいる。
 過日も日記で書いたが、ヘーゲルの『精神現象学』(長谷川宏訳 作品社)、徳田良仁著『芸術を創造する力』(紀伊國屋書店)、若桑みどり著『イメージを読む』(ちくまプリマーブックス)、横山裕之著『芸術の起源を探る』(朝日選書)、宮沢賢治著『ポラーノの広場』(新潮文庫)、そして本書といずれも少なくとも刊行されて10年から30年を経過している。

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← ヘーゲル著『精神現象学』(樫山欽四郎訳 河出書房新社 世界の大思想 12) (画像は、「大山堂書店 世界の大思想12 ヘーゲル 精神現象学」より) ショーペンハウアーが忌み嫌ったヘーゲル。近親憎悪的なほどに! ショーペンハウアーにはヘーゲル(の精神現象学)のような予定調和的世界など皆無。ショーペンハウアーは、彼の修行時代、世界を旅して回って、サドの描く世界が絵空事ではないことを目に焼きつけ胸に刻んだのだろう。相容れない立場の二人。けれど、樫山欽四郎訳のヘーゲルの『精神現象学』を苦労しつつ読みながら、『精神現象学』の根底にある種の神秘思想のようなものを嗅ぎ取っていた。ショーペンハウアーには相済まないが、二人には世界の底の闇の河という奔流のような何か通底するものがあると若い小生には感じられていたのだ。

 ヘーゲルの『精神現象学』以外は再読、再々読である(但し、長谷川宏訳では初めてだが、樫山欽四郎訳(河出書房新社 世界の大思想 12)で読んだことがある。自分が若かったせいもあるのか、樫山欽四郎訳を読んだ時のほうが読み応えを感じた)。

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2008/05/10

開かずの書棚を覗いたら(後篇)

 結果から言うと、拍子抜けの感が否めない。
 プラトン全集、ショーペンハウアー全集、小泉八雲関連書籍、埴谷雄高関連書籍、ユングやメルロー・ポンティ著作、マルクスの『資本論』、ドストエフスキー全集(二種類)…などなど。
 思ったほど意外な本には再会できなかった。
 まあ、取り留めのない読書をしていた小生のスタイルは昔も今も変わらないということか。

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→ ようやく開いたガラス戸(上段)。中の雑物は取り除いて撮影。

 そういった蔵書より、居並ぶ本の上や隅っこ、何故か後ろ側に隠されるようにして(?)あったその他の雑物が興味深かった。
 小生が78年に仙台から上京しアルバイト生活を送るようになった、そんな時期の生活ぶりを裏書きする諸々のものが少なからず見つかった。

 小生は15歳の頃から(手書きの)日記をつけていて、その習慣は今も続いている。その手書きの日記は唯一の例外を除いては一切公開したことがない(見せるに値しない)。

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2008/05/09

開かずの書棚を覗いたら(前篇)

 家には古い書棚がある。曇りガラスの開き戸のある立派なもの。
 別に年代物だとか値打ちがありそうだとか、そんなことじゃなく、単に古いってだけ。
 その証拠(?)にそもそも扉(戸)が開かない。

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← 久しく開かずのままだった書棚。特に右側は戸が全く動かなかった。何とか開けてみたら…。

 読書家で本に限らず物を大切にする父が、小生が物心付いた頃にはあったから、50年ほど前(?)に買ったものらしい。
 小学何年生の頃だったかは覚えていないが、その中にはエラリー・クイーンなどの推理小説など文学全集や文庫本がびっしり詰まっていた、という記憶…印象がある。
 小生が郷里を離れ学生時代も過ぎた頃、父母は田圃の規模を縮小した際に、元は土間だった場所を寝所(兼書斎)に作り変えた。
 父の古い書棚の蔵書の大半は、寝所などに組み込んだ書棚へ、あるいは整理・処分となったようだ。

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2008/03/15

寝台急行「銀河」ラストラン

 とうとうその日が昨日、来てしまった。
 寝台急行「銀河」ラストランの日。

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→ これは、夜の空を駆けて行くモノレールの勇姿。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をイメージしたくて撮ったもの。

「銀河」ラストラン  「ありがとう」とファンらがお別れ」(「NIKKEI NET(日経ネット)」より):

 14日午後11時、JR西日本の寝台急行「銀河」の最終列車がJR東京駅を大阪に向けて出発した。ホームには約2000人のファンらが駆けつけ、降りしきる雨の中、走り去る銀河を拍手で見送った。

銀河 (列車) - Wikipedia」によると、「「銀河」の列車愛称の由来は天体の銀河であ」り、「全車寝台車で編成されている急行列車である」。
 夜行列車を外から長めると、それこそ宮沢賢治ではないが、「銀河鉄道の夜」を髣髴させるし、夜空の「銀河」を連想する意味でも、「銀河」という愛称はロマンチックであり、ピッタリのものだろう。

 夜汽車。それだけでロマンを感じさせてくれる。

 学生時代、あまりレコードなど買って聴くことはなく、専らFMなどのラジオを楽しむほうだった。
 そんな中、数少ない例外の一枚としてグラディスナイツ・アンド・ピップスの「夜汽車よジョージアへ(Midnight Train To Georgia)」がある。
 紅一点のグラディス・ナイト(Gladys Knight)らのソウルフルな歌の数々もいいが、表題の「夜汽車よジョージアへ」をラジオで聴いて、その曲を聴きたいばっかりに買ったLPだった。
 夜毎、部屋の中を真っ暗にして聴き入ったものである。

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2008/03/04

最後の引越し?

 引越し。
 今回の引越しが最後となるのか。
 18歳で大学生として暮らすことになった杜の都・仙台へ向ったが、これは引越しとは云わないのだろう。
 単身赴任でもないし、単身赴学?
 やがてやっとこさで大学を卒業し、78年に東京へ。

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← 東京駅で新幹線に乗りしばらくはこんな風景が続く。

 何かの記事で書いたような気がするが、結構ドタバタしたものだった。
 折を見て、上京の顛末を詳しく書いてみたい。

 簡単にメモだけしておくと、上京を決心し、そのための軍資金が必要ということで得意の(?)ガテン系のバイト(小生、学生時代のバイトは二日間限りの家庭教師を除き、新聞配達など全て肉体労働系である)を学校で見つけたはいいが、その矢先にひどい風邪を引いてしまった。

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2008/02/28

テラ・アマータ

 昨日26日の午前、最終的に部屋を引き払って明け渡し、昼前には、東京駅へ向い、正午12分の列車で富山へ。
 身には、パソコンと貴重品とを会社への自転車通勤の際に背負っていたデイバッグに詰め込んで。
 帰宅した夕方からは早速、家事を始める。

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← J.M.G.ル・クレジオ著『愛する大地 ~ テラ・アマータ』(豊崎 光一訳 新潮社)

 今日27日の午前には転入の手続きを済ませ、午後には25日に発送していた引越し荷物が届いた。ほとんどの荷物は納屋に当面、仮置きし、前の部屋で使ってきた机と椅子、ロッキングチェアーなどはこれから住み暮らすことになる部屋へ運び入れた。
 自分のための箪笥も棚もないので、荷物を納屋から出して整理しようにも、置き場所がない。
 なので下着を含めた衣類でさえ当分、荷解き出来ないのである。

 午後の4時頃には最低限、暮らせる体制にすることが出来たし、それ以上に引越しのための荷造りなどを含めると、十日以上に渡る連日の作業や事務手続きなどの心労の疲れがドッと出たし、取りあえずは段取りに頭を悩ませつつも、引越しを終えたことでホッとしたこともあり、部屋のど真ん中に鎮座しているロッキングチェアーに腰を深く沈めて瞑目…する間もなく睡魔に襲われた。

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2008/02/15

病院へ

[過日の日記(備忘録)より]

お袋は月に一度、病院へ行く必要がある。
詳細は書かないが、体調の経過を診てもらうためである。

お袋には三十年以上の通院歴がある(手術も含め)。

自分では歩行もようやくなので(家の中は手すりを使ってなんとか、外は車椅子)、当然、介添え役が必要になる。

これまでは主に父がやっていて、タクシーで病院へ。

姉が都合が付いたら姉が車で。

父も体が弱っているので、これからは小生が付き添いの役目をやる。
家事も含めこのために小生が帰省したようなものである。

今日は姉の車で姉に一緒に行ってもらい、病院内でのノウハウを教えてもらったのである。

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2008/02/09

DASEIN…そこにある

[気分は昨日と同じなので、やはり旧稿から。題名だけ変えました。]
Unga
 だだっ広い世界にポツンと一人、放り出されている。
 一人って、自分で言っているけど、自分が一人なのかさえも分からない。
 自分では自分の姿が見えないから。
 迷子になった心が疼いている、ただ、それだけのことなのかもしれない。
 誰かに触れたい。誰かに触れて欲しい。
 何の拘りもなく、ただ、触れ欲しい。触れてみたい。
 たった、それだけのことが、どうしようもなく難しい。

 誰のせいでもなく、私は、やはり、独り、闇の中でポツンと、いる。
 通り過ぎた電信柱に貼られたチラシ、それとも白い壁にペイントされた落書き。
ガード下の薄暗い壁の剥がれ切れないでいる広告。
 私は、そういったものほどにさえ、確かに生きているとは感じられない。

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2008/02/07

冬に幽霊考?

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→ 丸山応挙『幽霊画』(バークレー美術館蔵) (画像は、「第126話落語「応挙の幽霊」の舞台を歩く」(ホームページ:「落語の舞台を歩く」)から)

 幽霊に付いて、当り障りのない考察を試みよう。
 小生、怖がりなので、幽霊の気の障るような考察はしないつもりである。幽霊さんに気が付かれないよう、こっそりと、そして不意に幽霊さんが現れて絡まれないよう、辺りの気配を十分に探りつつ、あれこれ意味のない探求を試みたい。

 それにしても、まず幽霊について先ず気づくことは、幽霊には足のないとされること。

 幽霊は、江戸時代の怪談ものだと、柳の枝の垂れる薄暗いお堀端で不意に現れる。牡丹燈篭は別として、そうした状況で現れる幽霊さんというのは、決まって足がない。というか、下のほうが曖昧模糊としている。

 よく、幽霊には、足がないって言うけど、何処までがないんだろう。

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2008/02/06

たまゆら考?

(前略)
 さて、ちょっと前置きが長くなった。やっと本題に入る。
 ちょっと入りづらいが、以下の一文は、「たまゆら」という言葉から、昨夜、小生が真っ先に浮かんだことなので、逸するわけにはいかないのである。
 人によっては、余談だ、冗談だという人もいるかもしれないが、小生の話は、もともと全てが余談なのだ! と開き直るというか、居直ることで、そんな揶揄を遣り過すことにする。
 小生、ぶっちゃけた話、ラジオで最初に「たまゆら」という言葉を聞いた時、実は、恥ずかしながら、「たまずら」のように聞こえた。

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 小生にしても、「たまゆら」という言葉は知らないわけではなかったのだが、そう聞こえたので、聞きとがめたというか、ついつい、リッスン ツーしてしまったのである。
 玉ずらとは、何か、どういう意味なのか、と聞かれても困る。そんな言葉は恐らくは、ないはずである。別に広辞苑を引いて調べたわけではないのだが… (でも、調べて、あったら、どうしよう)。

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2008/02/01

『新・京都迷宮案内』:この世でたった一冊の本

新・京都迷宮案内」(パート5)は、都合さえ付くと比較的見ている番組である。
 橋爪功扮(ふん)する新聞記者が京都を舞台に活躍する新シリーズ(以下、敬称は敬愛の念も込めて略させてもらう)。
 小生は前にも書いたが、橋爪功という役者(の演技)が好きなので、彼が主演でなくて脇役であっても、出ると分かっていたら見るように心がけている。

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→ 「新・京都迷宮案内」(2008)のポスター。画像は同番組公式ホームページより。

 彼の関わる番組の中でも「新・京都迷宮案内」は、それぞれの回ごとに趣向が凝らされていて、見飽きないし、見終えても見たという手応えもある。
 今日は、今年の第一回目の放送でもあるし、「盗まれた恋愛小説!“忘れえぬ女”の謎」の回をストーリーを追いつつ、追体験してみる。
 ドラマの最後のどんでん返し的な話にしてやられたということもあるが、ゲスト出演していた水前寺清子の演技に感じるものがあったので、ちょっと採り上げてみたくなったのである。

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2008/01/08

箱根駅伝…観戦記?

[以下、駄文風日記風レポートが始まります。読売新聞社主催の箱根駅伝について、ちゃんとした様子を知りたい方は、下記がいいです:
箱根駅伝公式Webサイト
箱根駅伝ミュージアム
 なお、この頁の最後に秘蔵画像が ! !

Hakone84poster

→ 第84回箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)のポスター。

 走る。ただ淡々と走る。胸の中ではどんな思いが沸き立っているのか、それとも先へ先へと逸るばかりで、脳裏は真っ白なのか。
 昔、アラン・シリトーの小説に『長距離走者の孤独』(新潮文庫)ってのがあって、小生は、その題名に惹かれて手に取ったものだった。

 主人公の「スミスは、練習のために早朝から走る。走りながら、いろいろなことが彼の頭の中に浮かんでは消える。いろんなことを考えながら、ただ黙々と彼は走る」、社会の底辺を生きるしかない若者。
 本書が訳されたばかりの頃は、高度経済成長の真っ只中を突っ走っていて、当時は小生にしても実感などどれほど感じ取れたか覚束ない。

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2007/12/28

富田木歩の周辺

 今日は一挙に二つの記事をアップ。
 一つ目の「アルトドルファー追記」はすでに未明、アップ済み。以下は、今日の第二弾だ。

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→ 版画「富田木歩」(昭和38年作・吉屋信子「墨堤に消ゆ」 小説新潮) (画像は、「版画「富田木歩」」より) 「墨堤に消ゆ」は吉屋信子のエッセイで、富田の句をいろいろと紹介している。この版画は、(小生の推測では)このエッセイに付せられたものなのだろう。『鬼火・底のぬけた柄杓 吉屋信子作品集』(講談社文芸文庫/2003)に所収となっているようである(本書については下記する)。

 さて、一昨日、「紙魚・白魚・雲母虫・本の虫」なる記事を書き綴っていて、あれこれ調べる中で富田木歩(とみたもっぽ)という俳人の存在を知った:

 ネットで紙魚という季語を織り込んだ句を探してみたら、下記の句が見つかった(「落葉のささやき 富田木歩 その6」にて):

なりはひの紙魚と契りてはかなさよ   富田木歩

 富田木歩なる人物は小生にとっては未知の方である。
 下記のサイトが非常に参考になる:
書評 (中島) 「鬼気の人 ー 俳人富田木歩の生涯」
 大して長くはない。一読することを願う。


「なりはひの紙魚と契りてはかなさよ」という句の中の「紙魚」、さらには「契り」に、いかに切ない、断腸の思いが篭っているか。それは彼の生涯を知れば自ずから分かるだろう。

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2007/12/25

増山麗奈:そんなあなたに会いたくて(前篇)

 本稿は、新装開店の「壺中水明庵」へ移しました:
増山麗奈:そんなあなたに会いたくて(前篇)

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2007/12/23

髪は長~~い友達

 考えてみれば不思議なことかもしれないけれど、考えないので不思議ではないことっていろいろある…多分。
 人の髪って、何処まで伸びるのか。
 考えたことのある人は結構いるのではなかろうか。

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→ 我が守り神である白猫さんの、在りし日の雄姿。3年前までは近所で見かけたのだが…。毛並みの話なので、久々に登場願った。懐かしい!

 三面記事なのか社会面の隅っこ、あるいは世界の珍しいニュースということで、何メートルも髪を伸ばし続けているひとのことを、時折、テレビそのほかで見聞きする。
 で、ついでながら、やはり誰しも考えたことがあると思うが、少なくとも酒の席か暇の徒然のお喋りのネタとして、腋毛やあそこの毛はどうなのかってことも、疑問として論議(?)されてきたことと思う。

 腋毛は、髪の毛のように伸び続けることはないのか。
 胸毛とか下(しも)の毛などは、伸び続けるようにはなっていないのか。

 あるいは、腋毛にしても胸毛にしても下の毛にしても脛毛(すねげ)にしても、本来的には伸び続ける素質(才能? 可能性?)があるのだが、生憎と、人類が衣服を着用するようになり、日陰の存在のように押し隠されてしまって、出る杭は打たれるではないが、伸びる髪だが邪魔なので衣服や肌に擦れて縮れ、あるいは日陰の身であることで世を儚んでいじけひねくれて、伸びるものも伸びることはないのか。

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2007/12/16

アダム・エルスハイマー:夜の静謐と幻想の人(前篇)

 今日はちょっと寄り道して、異色の画家にスポットライトを当てる。
 それは、アダム・エルスハイマーという名の17世紀のドイツの画家。
 まあ、大きくは風景画(家)というテーマの一環である。小生には発見だった。

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→ Adam Elsheimer 『Der Brand Trojas』 (画像は、「Adam Elsheimer - Wikipedia」より)

 ネットではあまり情報が得られない(あるかどうかも分からない)。
西垣の上級者用楽天探求2006-09-19」なるブログ記事が参考になる。
 なんたって、冒頭近くに、「今日はナショナル・ギャラリーでのエルスハイマー特別展 に張り切って出発」とあるのだ。

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2007/12/15

レンブラントの風景・風俗素描(前篇)

[いよいよというべきか、今日はレンブラントの登場。レンブラントというと、どんな絵画を思い浮かべるだろうか。やはり、自画像? 50枚以上は自画像が残っているらしいし。いやいや代表作とも言うべき「夜警」(実は昼間の光景なのだが…。この絵にまつわるエピソードが面白い!)だろうか? 根っからのオランダ人。そして自分へのこだわり。知る人は知っているだろうが、「油彩だけでなく、エッチングや複合技法による銅版画やドローイングでも知られる」のである。今回は、必ずしも一般的ではないかもしれない側面にスポットを当てる。なんたって、「水」「雲」「空」「海」「川」「霧」が我がブログの今のマイブームテーマなのだ。ドローイングは特に画像を拡大して観ることを薦める。あ、個人的なことを書くと、我が部屋のユニットバスルームの換気扇のタイマースイッチが直った。これで、その気になれば入浴も何もできる!!(15日アップ当日追記)]

Rembrandtnightwatch

← レンブラント・ファン・レイン『夜警』 (画像は、「レンブラント・ファン・レイン - Wikipedia」より。この中の「夜警」の項にある逸話が面白い!)

 レンブラントについて、あるいは彼の素描について、小生如きが何かを語ろうというつもりはない。
 ただ、ケネス・クラーク 著の『風景画論 』(佐々木 英也 翻訳 :ちくま学芸文庫  筑摩書房 但し、小生は岩崎美術社版で読んでいる)を読んでいたら、レンブラントの素描、それも風景の素描画に言及されていたので、これを機に、久しぶりにレンブラントの素描画の世界を(ネット上で)眺めてみたくなったのである。

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2007/12/14

ベクシンスキー:廃墟の美学(後篇)

[本稿は、「ベクシンスキー:廃墟の美学(前篇)」の続編です。前篇でも書いたけど、本稿は翌日(正確には日付上、当日になっていたが)に試験を控えているというのに、ついついネット散策に夢中になり、あれこれ調べつつ書いたもの。内容に、というわけではないが、書いたり画像に眺め入ったりしていたその夜の自分の胸中などがちょっと懐かしい。滅びの美学。廃墟の美学。こうしたものにどうして人は囚われるのか。ベクシンスキーの場合は、ナチ下という過酷な体験がある。なんたってポーランドの人だからね。日本だって、ほんの数十年前、多くの都市が廃墟と化した。高層ビルが林立していても高速道路や地下鉄が縦横に走っていても、ちょっとした事件で美麗なビル群が廃墟と化してしまう。天国と地獄は常に背中合わせなのだ…が、そうしたことを忘れやすい、目を背けたいと思うのも人の慣わし。……と言いつつ、この数日、訳の分からないものが詰まったダンボール類を片付ける作業に没頭していた。見えなかった壁が多少なりとも見えてきて、感激。日常にあっては、こんなことも嬉しい。天と地もあるが、極大もあれば極小もある。崇高なる美もあれば、卑近な癒えもある。その両端に股裂きなのが人間なのか…な?(14日(アップ当日)追記)]

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→ ズジスワフ・ベクシンスキー Zdzislaw Beksinski 『??』(画像は、「Zdzislaw Beksinski」より) 何処かフリードリッヒを想わせるかのよう。けれど、徹底して乾いた絶望という名の詩情が漂うのみ。

 ズジスワフ・ベクシンスキーは、「私の絵に定義づけ、意味を問う行為は無意味だ。私自身意味は分からないしね。そのうえ、理屈にはサッパリ興味が無いんだ」と言う。
 だからなのか、彼の作品のほとんど(あるいは全て?)は、「無題」のようである。

 末尾でも示すが、「editions treville - from é.t.art lab - エ