2007/11/21

百鬼夜行:クラクションが発端でした事件

 19日、勉強の手を休め、ネットでニュースなど読むともなしに眺めていたら(小生はこの数年、新聞を購読していない。テレビは6年ほど前にブラウン管がプッツンし、その後、買えないまま今日に到っている。モバイルのテレビはあるが、小さくてテロップの文字が読めないし、長時間の視聴は辛い。なので、ネットがほとんど唯一の情報源)、下記のニュースが小生の目に飛び込んできた:

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→ 11月8日だったかの営業の日、都内某公園にて。ようやく秋晴れに恵まれた。

クラクションに憤慨、集団暴行容疑 元暴走族7人逮捕」(「asahi.com:朝日新聞の速報ニュースサイト」より)

 後続車のクラクションに憤慨し、集団暴行で重傷を負わせたとして、警視庁少年事件課などは19日までに、傷害容疑で、東京都台東区竜泉、防水工安馬健容疑者(21)(略)ら元暴走族メンバー7人を逮捕した。

 安馬容疑者らは飲酒後に仲間9人でスクーター5台に分乗し、道路いっぱいに広がってのろのろ蛇行運転をしていた。少年は「クラクションを鳴らされ頭にきた」と供述し、容疑を認めている。

 調べによると、7人は昨年11月5日午前1時半ごろ、台東区清川の明治通りで後方の乗用車にクラクションを鳴らされ憤慨。前方をふさいで停車させ、降車した福岡市の果樹園勤務の男性(22)ら3人に殴るけるの暴行を加えたほか、スクーターでひき、あごの骨を折る2カ月の重傷を負わせるなどした疑い。(時事)


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← 同じ日、違う公園にて。小花。小生にしては上手く撮れた! 秋の空に、風に吹かれて気持ち良さそう。

 このニュースが小生の関心を呼び起したのは、小生がこうした暴走族の碌でもない騒動に憤慨するという、良識ある大人である(?)が故だけではない。

 良識はともかく、常識はある。…まあ、平々凡々たる人間である。

 実は、小生には過去、こうした連中に絡まれそうになったことが何度かあるのだ。
 そのうち、今日は、タクシードライバーとして経験したことを一つメモしておく。

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2007/11/20

ドキドキしてきた週末でした

[以下は、日曜日(18日)夜の日記から一部、転記。メモ書き風なのは、ホントに日記なので仕方がないと弁解しておく。一部、表記上そのほかの都合があり、表現などを変えている。…でも、アップする際、やはり、相当程度、書き足しをした。削除も相当にしたけれど。(火曜日、アップに際し、付記)]

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→ おねだりに応えてポーズを決めてくれた二人。足元まで撮りきれなかった。ブーツも立派な衣裳だしね。

ドキドキしてきた理由、その(1)

土曜日(17日)の夜、ネット上の友というか、同じサンバチームに属する方(仮にAさんとしておく)が出演するライブショーを見てきた。
Aさんは彼女がサンバチームに誘ったというBさんらとBaby Birdsというユニットを作り(実際には3人のユニットらしいが一人は都合が付かず、土曜のデビューは二人だけの出演となったようだ)、土曜が初めてのショー。

ちなみに、小生、Aさんが参加したパレードは何度となく追っ駆けしてきたが、同じチームでありながら、きちんとした挨拶はしたことがない。
小生はやたらとデブ症じゃない(こともないが…)、出不精なのである。
よって、小生には彼女は馴染みだが、彼女は小生を名前以外、知らない。練習の場であるスタジオで擦れ違ったことがある程度。
実際のところ、バーが初対面と挨拶の場となったのだった。


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2007/11/05

雪の関越自動車道遭難未遂事件(6)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(6):番外篇:捜していた日記が見つかりました篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(5):高速道路のほうがましでした篇」より続く)

 今回は、「これでエピローグにしたい!篇」をアップしてこの回想ドキュメント(レポート)は終わりにするつもりだったが、予想外の事態が発生し、急遽「番外篇」を提供する。
 一つ報告がある。
 ある意味、嬉しい発見があった。
 なんと、この「雪の関越道であわや遭難事件」当時の日記が見つかったのである!

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← 見つかった日記の冒頭付近。文字の乱れは線路の軋みでも愛の迷いでもなく、もともと乱筆(乱文)なのである!

 小生は手書きの日記を15歳の頃より今日に至るまで書いてきたのだが、二十歳までの日記は焼却してこの世にはない。
 が、それ以降の日記は多分、捨てていないので家の何処かしらにあるはず。だが、数ヶ月ごとにファイルに挟んだりビニールの袋に突っ込んで、溜まると他の古い書籍類などとともにダンボール箱に詰め込み田舎に送ったり(多分、納屋行き!)我が部屋の何処かダンボール箱の山の中に埋れていく。
 当然ながら91年頃の日記類など、古いからとっくの昔に田舎行きの憂き目に遭っているものと思い込んでいた。

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2007/10/31

雪の関越自動車道遭難未遂事件(5)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(5):高速道路のほうがましでした篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(4):料金所通過が難関でした篇」より続く)

 ああ、やっと、一般道だ。きっと、GSもあるに違いない。宿もあるだろう。炬燵に入れる。飯も食える。
  けれど、そんな期待がいかに甘いかをまたまた嫌というほど思い知らされることになるのだった。

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→ 05年末、郷里にて。

 やっとのことで料金所を通過したはいいが、そこから一般道へは緩やかにカーブしており、さらに普段だと下りだとは分からないようなスロープ状になっている。
 怖い! 下りだと動かすのは楽だけれど、一旦、動き始めると今度は止まらない!
 ブレーキを下手に掛けられないので、可能な限りゆるゆる降りようとする。
 とにかく、下りは凍結した路面だし、怖い!

 幸い、同じ塩沢・石打の料金所で降りる車が少なかった。確か、一台だけ、脇を通り越して行ったように思う。路肩の街灯が降り頻る雪の路面や積もった雪をオレンジ色に染めている。
 水銀灯ではない、オレンジの暖かな光。
 でも、自分の心や体を温めてくれるわけでは、一向にない。

[ここで、「舞子ライブカメラ」を見てみよう。小生がやっとの思いで高速道路を脱出した関越自動車道の塩沢石打I.C直近の交差点の様子をライブカメラで眺めることができる。できれば、画面をクリックするといい。この交差点に辿り着いた時は、きっと間もなくGSかオートバイの店が見つかるものと思っていた…宿だって見つかる…飯にありつける…炬燵に体ごと突っ込める…眠れる…そう思っていたのだが…。]

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2007/10/27

雪の関越自動車道遭難未遂事件(4)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(4):料金所通過が難関でした篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(3):仙台でバイクと越冬篇」より続く)

 さて、話を戻そう。
 ワイヤー錠の威力は自分でも驚くほどのものだった。
 ワイヤー錠のお蔭で、一キロでの転倒は数回程度に減った。
 次のインターチェンジで降りるまでの十数キロの間での転倒も、今までの何キロかの間の転倒回数の数百回よりは減ること、請け合いである!

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← 「雪の関越自動車道遭難未遂事件」のあった翌年、つまり92年に色鉛筆で描いたもの。絵を描くことを試みたのは、子供の頃以来ではなかろうか。91年の年末のことが時折、悪夢のように脳裏に浮んでいた頃、気持ちを落ち着かせるため、ありあわせの色鉛筆でスケッチブックに、何かの写真を見ながら描いたのだった。 ← 大間違いだった。手元の絵をよく観たら、描いた日は72年の秋口となっていた! つまり、小生が大学に入学した年である。お詫びして訂正します。

 あまりに単調な時間が過ぎていていく。でも、濃密な時の連なり。
 雪は止む気配がない。
 前年に買った防寒具の性能がよかったのか、ヘルメットの下に目出し帽を被っているせいか、防寒着の上にさらに薄いビニールの合羽を羽織っている御蔭なのか、それとも下手すると五百回に達しようという転倒・引き起こしという作業の故なのか、体は寒いどころか、カッカしている。
 火照っていると言って過言ではない。

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2007/10/24

雪の関越自動車道遭難未遂事件(3)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(3):仙台でバイクと越冬篇
ノリック追悼記念レポート:「雪の関越自動車道遭難未遂事件(2:高速道路の真ん中にも側溝がありました篇)」より続く)

 そんな時だった。ふと、閃いたことがあった。
 紐はもうない!
 みんな使って切れ果ててしまった。
 でも、ワイヤーチェーンがあったことを思い出した。

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← 「ホンダ ベンリイ CB125T-I」(但し、小生が乗ったのはこれより前の世代の「ホンダベンリイCB125T」だった。残念ながら我が愛車と同じタイプのバイクの画像は見つからなかった。詳しくは後記する。画像は、「Hondaホームページ 本田技研工業株式会社」より)

 ワイヤーチェーンといっても、雪道走行用のタイヤに巻くチェーンではなく、盗難防止のためのワイヤーロックである。
 そう、ワイヤー錠(ワイヤーロック)である。しかも、装備重量が300キロに達しようという大型バイク用の、がっちりした、1メートル余りのワイヤーロックなのだ。
 それが標準装備されていたのである!

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2007/10/20

雪の関越自動車道遭難未遂事件(2)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(2):高速道路の真ん中にも側溝がありました篇
ノリック追悼記念レポート:本稿は、「雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇」より続く)

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← 掲げた写真は、04年7月25日、スクーターを駆り中央高速を使っての帰京途上、某SAの施設で小生が偶然、目にし、撮った燕の巣。燕の子供たちへ親燕が懸命に餌を運んでいた(「鳥雲に入る」参照)。

 その場を取り仕切る係員のような人が居たが、何を相談する知恵も浮ばない。

 間もなく、タイヤはボウズのままに、つまりノーマルタイヤそのままに、チェーン装着場をそろそろと…恐々と抜け出し、本線へ参入。
 そう、戦線復帰。

 だが、戦意はまるでなかった。
 戦意喪失していた。
 でも、走るしかない。誰も助けては呉れない。

 雪は止む気配がまるでない。少なくともその日一杯は降り続けるに違いない。
 雪国育ちの経験からして、止みそうにない空模様だと、痛いほど分かるのである。

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2007/10/19

木原光知子さん、死去!

 10月18日未明、木原光知子さんが亡くなられた(本名は「木原美知子」)。くも膜下出血のためという。
 享年60(59歳没)というのは、あまりに若い。若過ぎる!

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← 16日の営業も終わりに近付いた17未明。都内某所にて。ぼやけてしまった…。

 小生は彼女と面識があるわけではない。
 でも、彼女のテレビでの一言のお蔭で泳げるようになったと思っている:
泳げたぞ!

 ひたすら冥福を祈るばかりです。

参考
木原光知子さん死去…東京五輪競泳代表、タレントでも活躍」(YOMIURI ONLINE(読売新聞)

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2007/10/17

亀田の困った話?!

[今日の記事は、[mixi] に書いた今朝の日記を転記。]

亀田「柿の種」が小生のマイブーム! 今年の夏前から今に至るまで、やめられない。 在宅の日は、必ず食べる! ボリボリバリバリガリガリ…延々と。
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← 「260g スーパーフレッシュ柿の種6個装」(画像は、「亀田の柿の種スペシャルサイト」より。ホームページは、「亀田製菓株式会社」)「ピーナッツのおいしさUP!おやつにおつまみにいろいろな場面で大活躍の6分包入りの柿の種です」だって。

別にあの一家が憎くてボリボリガリガリバリバリしているんじゃない(嫌いだけどね)。
止められないの。

昔から嫌いじゃなかったけど、亀田の柿の種、柿の種とピーナッツの混ぜ具合が絶妙なの。
正確に言うと、柿ピーなんだろうけど、商品の名前が「柿の種」となってるから、柿の種。

ああ、止められない。
ガリガリボリボリポロッバリバリ(ポロッは、柿の種が一個、口から落っこちた音。もち、拾って食べる! 勿体無いじゃん)。
柿の種、食べすぎで体がおかしくなるってこと、ないよね。

調べたら、柿の種(ピーナッツなし)は1923年に、で、柿ピーは1955年に誕生。

今は塩だれ、ワサビ、チョコレート、マヨネーズ、青のりと、いろんな味付けの柿の種があるけど、小生は昔ながらの醤油味!

今日も、一眠りして起きたら、食後に棚に常備してある柿の種を食べるに違いない!

(夜は夜で、カップ麺! 営業の日の夜中にあるメーカーのカップ麺を食べて壺に嵌まってしまった。で、とうとう、最近は自宅でもそのある銘柄のカップ麺を食うようになってしまった。どうしたものか?!)

(余談)
あの、ちょっとだけ気になるんだけど、「亀田製菓株式会社」とあの亀田一家とは関係ないよね。
                        (転記終り)

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2007/10/14

雪の関越自動車道遭難未遂事件(1)

雪の関越自動車道遭難未遂事件(1):希望的楽観も度が過ぎます!篇
(本稿は、「ノリック追悼記念レポート:雪の関越自動車道遭難未遂事件(序)」より続く)

 確か91年だったと思う。
(「趣味 オートバイ」にバイク乗りとしての大雑把な履歴を書いている。参照するも良し。)

Toyamaumi

← ありし日の富山の海。電車であるいはオートバイで帰省する折、富山の海を見ると、ホッとする。帰ってきたという感覚が胸の底から湧いてくる。なんて透明度の高い海だろう!

 当該部分を転記する(太字部分に注目):

1991年8月 7代目のオートバイ入手   パシフィックコーストPC800本田技研工業株式会社
ツーリングに行かなくなり荷物を積めるという利便性に走る。入手したその日は8 月5日。つまり本田総一郎氏の逝去の日。それ故か8年以上乗った。91年の12 月29日に東京から富山へ関越自動車道を走った。関越トンネルを抜けるとそこは雪国だった。あやうく関越自動車道で遭難しかけた。深い雪の中を数十キロも転んでは起こしを百回以上も繰り返してやっと塩沢・石打ICを降りた時、命のありがたみを知った。そのICを降りるだけに一時間以上を費やしたものである。その夜、やっと見つけた宿で凍て切った心身を炬燵で一晩中癒し続けたけれど、体の震えは止まらなかった。さすがにバイクはオートバイの店に置かせてもらい、列車で帰省。春3月になって引き取りに出向いた

 91年の12 月29日は、東京は快晴だった。だけど、やたらと寒かった。

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2007/10/12

雪の関越自動車道遭難未遂事件(序)

ノリックが交通事故死、トラックと衝突」(モータースポーツニュース nikkansports.com)といったニュースがあったのはつい最近のこと。

Kanetu

← 列車で、時にオートバイで眺めた雪原の関越道。<事件>のあった日は降る雪も激しく…。

 一部、転記させてもらう:

 7日午後6時20分ごろ、神奈川県川崎市の市道で、2輪ロードレースの人気ライダー、阿部典史(のりふみ)さんが乗ったバイクがトラックと衝突、阿部さんは病院に運ばれたが間もなく死亡した。32歳だった。93年に全日本ロードレースにデビューすると、いきなり史上最年少の18歳で総合優勝を達成。世界選手権(WGP)でも通算3勝を挙げるなど「ノリック」の愛称でファンに愛され、日本に2輪ブームを再来させた立役者だった。
 世界を舞台に活躍したライダーが非業の死を遂げた。川崎署によると、阿部さんは同市川崎区大島1丁目の片側2車線の市道の右車線をスクーター型の500CCバイクで北上中、前方の左車線からUターンしようとした4トントラックを避けようとしたが、衝突して対向車線に放り出された。当初は意識があったものの、午後8時52分、搬送された市内の病院で死亡が確認された。阿部さんは胸を強打し、ろっ骨骨折や臓器の損傷などもみられたもようだ。

 阿部典史さんの事故に付いてはひたすら痛ましく思うばかりである。

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